回顧14-02 願わずにはいられない(下)




 こうして不名誉にも見る係に任命された私は、内灘家の無駄にだだっ広い中庭の、およそ特等席ともいえるその席で、即席の花火大会を鑑賞する運びとなった。


 その席というのは、仰々しい注連縄しめなわが掛けられた、二メートル四方くらいの不格好な石の上の事だ。まるで仏像の台座のような見てれに腰を引く私に、内灘さんが声を掛ける。


「腰掛けるには丁度いい高さだろ? 『たたいし』なんて名前はおっかないけどな、『君が代』に出てくる『さざれ石』みたいなもんだ。なぁに、腰掛けるくらいでバチは当たらないさ」

「その説明を聞いて激しく座る気が失せました。何ですか祟りって」

「あーん? 『祟り』の『祟』は『崇める』の『祟』だろ? 決して恐れるようなものじゃない。ほら座れよ、見る係のお嬢ちゃん」

「その二つ、よく見ると違う漢字ですけれど……」


 しかし内灘さんの強引さに気圧された私は、その『祟り石』とやらを背に腰掛けた。お尻の下に敷くには気が引けるけれど、せめて背もたれにするくらいなら構わないんじゃないか、という安易な判断である。


 幾つもの打ち上げ花火を、アラタが私の視界に並べていく。その脇には、ミコトくんが準備した青いバケツが置かれていて、なみなみと張られた水が、バケツ係に任命されたミコトくんの意気込みを示していた。


「ねぇねぇ、何て言うんだっけ?」


 要領を得ないミコトくんの質問に答えあぐねていると、繰絡さんが人指し指を立てて得意気に答えた。


「ミコトさん、こういう時は『かぎやー、たまやー』と唱えるのですよ」


 言葉足らずな質問の意味を的確に汲み取る繰絡さんに、私は思わず感嘆の声を漏らす。しかしその感動に水を差すように、アラタが余計な一言を発した。


「繰絡さん、どっちかって言うと『ファイヤー』の方が良くないか?」

「なるほど! より子供らしく、『ファイヤー』の方がしっくりくるかもしれません」


 子供らしく──というその言葉に過剰な反応を示す事もなく、「僕も『ファイヤー』の方が良いと思う」とミコトくんが答えた。微笑ましいそのやり取りを横目で眺めながら、着火棒を取り出した内灘さんが風向きを確かめている。


「少々肌寒くはあるが、絶好の花火日和じゃねーか? んじゃまぁ、行くぞ」


 その巨躯からは想像し難い身のこなしで、並べられた花火の導火線の一つ一つに確実に火を点けて回る内灘さん。しゅしゅしゅしゅしゅっ──と、何本もの導火線を複数の種火が走る音が、心地良く薄闇に響き渡る。

 そして細やかな無数の火花が、あるいは雄々しき特大の火球かきゅうが、中空を目掛けて駆け上がった。それぞれの花が、それぞれの色を伴って、それぞれの命を咲かせる姿──それは煌めきであり、揺らめきであり、同時に瞬きだった。やがて火花が萎むと、地表に取り残された火薬の匂いが鼻先に漂い、どうしようもない切なさが訪れる。


「あ、ファイヤーって言うの忘れちゃった!」

「ミコト、俺もだ。俺も忘れちまった!」


 ミコトくんとアラタが、しくじったとばかりに声を荒げた。悔しさを滲ませる二人は、さながら本当の兄弟のようだ。じたばたと地団駄を踏む二人の姿を、繰絡さんが携帯を片手に写真に収めていく。写真を撮るならまずは花火ですよね──と、心の中でそっと突っ込む私だった。


「花の命は短くて、苦しきことのみ多かりき──か」


 遠い目をした内灘さんが、小さな嘆息と共に独りごちた。その瞳の中に漂う空虚に、おそらくは誰も気付いていない。燃え尽きた花火を懸命にバケツへ放り込むミコトくんも、次の花火を嬉々として並べていくアラタも、二人の姿をせっせと撮影している繰絡さんも、おそらくは誰も。

 ここは見る係の出番だろうか、出過ぎた真似でもしてみようか──そんな逡巡を抱えながら、空を仰ぐように反り返ると、背にした祟り石からごつごつとした感触が伝わってきた。見えない意志に背中を押された気分で、私はやれやれと立ち上がる。


「花の命は短くて、苦しきことのみ多かれど、風も吹くなり、雲も光るなり──だったと思います。うろ覚えですけどね」


 驚いたような表情で、内灘さんがこちらを見やる。見る係すらもまともに務まらない私は、きまりの悪さを感じながら、それでも視線を逸らさない。


「そうか、それが全文か。……教養が無いのがバレちまったな、こいつは恥ずかしい」

「いいえ、全文は確か、もっと長かったはずです。言ったじゃないですか、うろ覚えですけどねって」


 内灘さんの背後で新たな火柱が上がり、アラタとミコトくんが今度こそ「ファイヤー!」と掛け声を上げた。その姿を見た繰絡さんは、写真係の使命も忘れてお腹を抱えて笑っている。


「肝要なのは、救いが無いわけではない、という事だと思います。ほら、見てください。繰絡さんが笑っているように、きっとミコトくんも笑えますよ」

「ふん……無責任な事を簡単に言ってくれるぜ」


 悪ぶった態度ながらも、その口元にはあたたかな緩みがあった。花火が作り出した陰影が、私たちの影を弄ぶように揺らめかせている。


「私はインフルエンザですからね。高熱に浮かされて戯言たわごとだらけです」

「そいつは違いない──そして厄介な事に、戯言ってのは感染するからたちが悪いな」


 内灘さんはぽりぽりと頭を掻き毟った後で、「降参だ」と両手を上げた。そこに添えられた卑屈で偏屈な困り顔が、インフルエンザの私には泣き顔にさえ映る。


「あらあら先生、どうなされました? さては梨沙ちゃんに苛められましたか?」


 実に生き生きとした表情で繰絡さんが近付いてきた。手にした携帯のカメラを内灘さんへと向けると、内灘さんはミコトくんたちの方へ逃げるようにして立ち去る。


「えへへ、楽しいですね。ミシャグジ様もお呼び出来れば、もっと良かったのですけれど」

「それって、ミコトくんが泣いちゃいませんか?」


 おぞましいあの姿を思い浮かべながら考える。割と物怖じしないミコトくんではあるけれど、蛇と蛙と蜥蜴の混ざった化け物の姿には、さすがに腰を抜かしてしまうだろう──私だってそうだったのだ。


「ミコトさんなら大丈夫ですよ。ミコトさんは、物事の本質をきちんと見抜きますからね。神様の孤独も、神様の気苦労も──ミコトさんなら受け入れられるでしょう。見目形に惑わされて、泣いて逃げ出すような事態にはなりませんよ」


 神様の孤独に、神様の気苦労──繰絡さんの穏やかな眼差しに頷きながら、私は想う。八景鏡塚に生き続けるミシャグジ様に──祀られ続けているミシャグジ様に、敬いにも似たあたたかな想いを捧げる。そうか、もしかしたらこれが、『信仰』という感情なのかもしれない。

 今の私は、あの悍ましさが姿形だけのものであると知っている。悍ましいのは、姿形だけに過ぎないのだと知っている。そう知る事が出来て良かったと、心の底から想う事が出来る。


「繰絡さん、次はミシャグジ様も誘いましょう。全てが片付いたら、八景鏡塚で花火すれば良いんですよ。おそらく、ミシャグジ様は邪魔だと言うでしょうけど」

「それは名案ですね。手持ち花火をするミシャグジ様の可愛らしいお姿──是非とも拝見してみたいですね」


 シュールな絵面を想像して、思わず吹き出しそうになった。繰絡さんは続ける。


「では、町長さんの説得は梨沙ちゃんにお任せしますね。八景鏡塚は、歴史的価値の高い古代遺跡ですから、許可なく花火をするというわけにもいきません」

「……やっぱり来年の夏とかにしましょうか」


 町長さんの顔を思い浮かべながら、私は苦々しい思い出を振り返る。この一週間弱の間に、私の対人スキルが多少磨かれているにしても、やはり率先して関わりたい部類の人ではない。笑顔をげんなりと引き攣らせる私を慮るように、繰絡さんは浮き立つようにして言う。


「来年の事を言えば鬼が笑うと言いますけれど──ステキな約束です。この際、鬼さんには笑わせておきましょう」

「そうだな、ついでに神様にも笑ってもらおうぜ」


 いつの間にか傍に立っていたアラタが、不敵な横槍を入れた。片手に持った手持ち花火の束を私たちへと裾分けながら、「よっこらしょ」と腰を下ろすアラタ。あんたはお爺ちゃんか、と言いかけて、その横顔に宿った意外な真剣味にどきりとさせられる。


「明日は俺が見る係か──よくもまぁ流されるままに、ここまで来たもんだぜ」

「どしたの? 急に怖くなったとか?」


 卑屈さの入り混じった物言いが、アラタにしては珍しい。アラタは無言のままで、私と繰絡さんの構えた花火へと火を点けた。先端から吹き出した稲穂状の火花が、橙、黄色、緑と次第に色を変えていく。薄闇の中に灯された情緒が、私たちの沈黙を鮮やかに彩っていた。

 やがて花火が燃え尽きようかという頃になって、アラタがようやく重たい口を開く。


「そういうわけじゃなくて……うーん。何だろうな、食あたりみたいな感じかな」


 食あたりという表現が何とも謎だったけれど、私は気長に次の言葉を待つ事にする。隣に屈み込んだ繰絡さんも、私と同じようにアラタの顔を覗き込んでいた。


「ほら、色々あっただろ? 水主祀りの事、烏丸返しの事、ミシャグジ様の事、ツクヨミ様の事──それにほら、ミコトの呪いの事。色々あり過ぎたくらいだけど、あまりにもとんとん拍子に事が進むもんだから──何かその、腑に落ちないっていうか、消化不良気味っていうか」

「大切な梨沙ちゃんの事ですから、慎重にもなりますよね。ご心配なさるのもごもっともです」


 神妙に頷く繰絡さんへ向けて、「それは違う」とアラタが首を振る。


「繰絡さん、そういう意味じゃなくてさ、何かを見落としてる気がするんだよ。何かとんでもなく大事な事を見落としたまま、ついにここまで来ちまった気がするんだ」


 無理に笑顔を作ろうとするアラタの背に、私は片手を添えた。得体の知れない漠然とした不安──そんな心許なさを、私も感じないわけではなかったから。

 けれど、そんな心配は杞憂なのではないかと、同じくらい感じたのも事実だ。内灘さんと接し、繰絡さんと接し、螢子さんと接し、ミコトくんと接し──『向かい合うべき現実』に真正面から挑む覚悟を、『果たすべき責任』と向かい合う覚悟を決めたはずだ。


「……明日出るかもしれない答えに、足踏みする必要は無いんじゃない?」


 あの病室で内灘さんへ向けた台詞を、今度はアラタへと投げかける。思えばこの言葉は、アラタのおかげで導き出された私の決意だ。呪いの存在に対して半信半疑の私を、どうにかこの家まで導いてくれたのは他ならぬアラタなのだ。


「……そうだな。わりぃ、俺らしくもなかった。どうかしてるかもな」


 そんな言葉を吐きながらも、やはりアラタは笑い損ねているようにも見える。


「もしかして新太さん、充電が切れかけているのではないでしょうか」


 突拍子もない繰絡さんの発言に、私とアラタは顔を見合わせた。


「ほら、梨沙ちゃんと離れ離れの時間が長過ぎて、愛の力が切れかけているのではないでしょうか」


 本気とも冗談ともつかない分析に戸惑う私と、「そうか、そうかもしれない」と妙に納得しているアラタ。いやいや、勘弁してほしい。その流れ、リアクションに困るだけだから。愛の力とかいう単語がはなから胡散臭いし、そもそも愛の力って充電出来るようなものじゃないから──うん、多分だけど。


「あーあ、私ももぎ頃なんですけどね。ここはやはり、ミコトさんが大人になるのを待つしかないのですかね」

「何が『ここはやはり』ですか。犯罪の匂いしかしませんよ」

「あらあら梨沙ちゃんってば、そうやって私をおばさん扱いするのですね」

「いえ、そんな事は一言も言ってません!」


 繰絡さんにからかわれる私は、声を荒げて慌てふためく。そのやり取りに興味を示したのか、内灘さんの元を離れたミコトくんが、「どうしたのー」と駆け寄ってきた。


「聞いてくださいミコトさん、梨沙ちゃんが私を苛めるのです」

「んー、リサちゃんはお胸が大きいから、イオリちゃんの事を苛めたりするのかな?」

「そうですよミコトさん、それに若さを鼻に掛けて、私を邪険に扱うのですよ」


 ミコトくんを盾にして、繰絡さんが私と向かい合う。正直に告白すると、このテンションに付いて行くのがそろそろ難しくなってきた。しかも冷静に考えれば、ミコトくんの発言も結構辛辣だし、それに同意する繰絡さんも墓穴を掘っている。


「ちょっとアラタ、何とかしてよ」

「どうやら俺とミコトは、ここでリサを賭けてやり合う運命らしいな」


 少年漫画にありがちな古代拳法風の構えを取って、アラタがミコトくんに言ってのけた。何がどうしてそうなるのか──展開が衝撃的過ぎてもう駄目かもしれない。


「リサちゃんは僕のものだよ。ついでにイオリちゃんもね」


 対してミコトくんが、刀を構えるように身構えた。これも何かの影響なのか、両腕を顔の高さまで上げたかすみの構えをとる。ちなみにその手に握られているのは、燃え尽きた手筒花火である。

 そしてミコトくんの陰で、悪乗りする繰絡さんが両手を合わせて祈りのポーズを決めた。小さな騎士にどうか神のご加護を──とばかりに、西洋のお姫様みたく目を閉じて祈り続ける。うん、繰絡さんも何かの影響を受けているのは間違いなさそうだ。


 格闘家ごっことチャンバラごっことお姫様ごっこが混ざり合う混沌の中で、私は視線を彷徨わせて途方にくれる。救いを求めるように内灘さんを探すと、視線奥の縁側に腰掛けて晩酌する姿が目に留まった。それは放任主義を絵に描いたような、実にあてにならない保護者の姿だった。


「……ミコトくん、油断したね。実は繰絡さんは私たちの味方なのよっ」


 半ば自棄やけになった私がそう言うと、相変わらず飲み込みの早い繰絡さんがミコトくんを後ろから羽交い締めにした。身動きの取れないミコトくんに、アラタの魔の手が伸びる。


「やめて、くすぐった、あははは、やめてよー」


 ミコトくんの脇の下を、実に生き生きとした表情でアラタがくすぐり続ける。三人がかりで幼児を苛めるという、痛々しくも微笑ましい光景に、私も思わずお腹を抱えて笑ってしまった。

 ふと宵闇を見上げれば、面長な三日月が私たちを照らしている。「何を呑気に」と愛想を尽かしながら、それでも何食わぬ顔で私たちを照らしている。呑気なのは一体どちらだろう──私はほんの少しの憎らしさを感じながら、細長い三日月に想いを馳せた。


 ──全てが上手くいきますように。


 人はその想いこそを、祈りだなんて呼ぶのだろう。ならば私はありったけの想いを──祈りを捧げよう。ミコトくんのために、そして私のために──。


 術を持たない私たちは、せめて神様に願わずにはいられないのだから。





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