回顧12-01 子供と子供




 付け焼き刃も磨けば光る──だなんて内灘さんは揶揄してみせたけれど、ミコトくんと寝れば夜は安心だ──なんてアラタは背中を押したけれど、どんな事情もどんな理屈も、花も恥じらう乙女(ですよね?)である私の、心理的抵抗を拭うには到底及ばなかった。

 ミコトくんと生活を共にしてくれ、という唐突な申し出に戸惑いながらも、せかせかと身支度を整える私に、繰絡さんがあっけらかんと言う。


「季節外れではありますが、インフルエンザの診断書を出しましょう。地球規模で見れば、インフルエンザは一年を通じて感染者が絶えませんからね。南半球から渡来したウイルスに、梨沙ちゃんは不幸にも感染してしまったという事にしてしまいましょう」


 躊躇いの色の一つも見せずに、それどころか嬉々として職権乱用を公言した繰絡さん。私の学業への影響を懸念してとはいえ、問題発言だと思うのだけれど。


「良いんですか? もしもバレたら火之来病院の評判に関わりますよ」


 私がそう忠告するも、「私は火之来病院の血縁者ではありますが、関係者ではありませんからね」と何処吹く風だ。どうやら火之来病院を継ぐ気が無いと言うのは本気らしい。その辺りの事情は個人的に興味の湧く所なので、いつか本腰を据えて微に入り細に入り尋ねてみたいと思う。


「当然ですが先生のご自宅にも洗濯機はありますし、お風呂場に備え付けのシャンプーやリンスもある事でしょう。最低限のお荷物だけで事足りるとは思いますが、万が一忘れ物やご入り用の物があれば、いつでも私に仰ってください」


 繰絡さんの言葉に頷きながらも、私は手荷物の中にマイシャンプーとリンスを忍ばせた。だって内灘家のシャンプーは、男性用のトニック系か何かだと思ったから。


 繰絡さんは明言を避けているけれど、要するに「不用意に出歩くな」と言いたいのだ。どんな状況であっても、ツクヨミ様の脅威を失念してはいけない。今こうしている間にも、この烏丸町のどこかに息を潜めているツクヨミ様が、私に会いに来る可能性はゼロでは無いのだ。そしてその場合、穏やかな話し合いだけでは済まない可能性が大だろう。


「私の今の立場って、軟禁と保護の中間くらいですかね? いえ、決して嫌味じゃないですよ。特に繰絡さんに迷惑掛けっぱなしなのは、重々承知しているつもりです。感謝してないわけじゃないんですが……」

「何を仰るのですか。梨沙ちゃんは先生とミコトくんの希望の糸ですよ。お仕事の依頼主でありながら、同時に救世主でもあるわけです。もっと堂々としてくださって結構ですよ」

「私が、希望の糸──」




 釈然としない気持ちを抱えながら内灘さんの自宅へと戻ると、螢子さんが玄関先で出迎えてくれた。その脇にミコトくんの姿はあったものの、内灘さんとアラタの姿は見当たらない。脱いだ靴も無ければ、そういえば駐車場も空っぽだったと思い至る。そうか、おそらくはツクヨミ様捜索の続きに出掛けたのだろう。

 私を送り届けてすぐに、「梨沙ちゃんの診断書を用意してきますね」、と繰絡さんは去っていった。私を保護してくれる役目であるはずの繰絡さんと離れる不安を伝えると、「心配はありませんよ」と繰絡さんは端的な説明を残した。何でもこの家には、そう簡単に神様に見つからない工夫がされているのだと言う。

 内灘さんもアラタもおらず、肝心の繰絡さんまでも外出してしまった。完全に単身である事を悟った私は、借りてきた猫よりも大人しく──むしろ小さくなる。


「あの……屶鋼梨沙です。よろしくお願いします」


 ぎくしゃくした会釈をしながら月並みな挨拶を述べると、螢子さんは私よりもずっと深々と頭を下げて、にこやかに言った。


「こちらこそ、ミコくんをよろしくお願い致します。どうぞご遠慮無く、ご自宅と同じように振る舞ってください。何かご不便があれば、何なりとこのおケイにお申し付けくださいね」


 こうして私は、正式に客人として招き入れられた。そもそも家の主が不在で、留守番を任されている螢子さんに迎え入れられるというのも奇妙な状況に思えたけれど、兎にも角にも私とミコトくんの不思議な同棲生活の始まりである。


 自分の家のように振る舞う──というのは、言葉にすれば簡単だけれど、実際には非常に難しく、そして不自然な事だ。大体、人様の家での客人の動線なんて限られて当然だし、気遣いの言葉を鵜呑みにして傍若無人に振る舞えば、何て育ちの悪い娘なんだろうと非難の眼差しに晒される事だろう。それこそ、屶鋼の評判を下げてしまう結果に繋がりかねない。いやいや屶鋼の評判なんて、私には気にする資格さえも無いのか。

 烏丸町の人々が私へと向ける無数の社交辞令と、その裏に見え隠れする冷ややかな眼差しを思い浮かべる。空寒い虚しさが胸を突き抜けたけれど、螢子さんのような穏やかな人に限って、その心配は杞憂かと思い直す。うん、無遠慮かつ無配慮がテンプレートの内灘さんならともかく。


 しかしながら、屶鋼の評判への云々は別として、その螢子さんが温和な笑顔を強張らせる瞬間が、思いのほか早くやってきた。


「梨沙さん。この一間ひとまだけはどうかご遠慮下さい。こちらは奥様のお部屋でしたので、今は開かずの間として保管しているのです」


 先に居間へと荷物を下ろし、その後でお風呂やトイレの場所などを案内してくれている際の出来事だった。廊下の曲がり角に位置する部屋の前で足を止めた螢子さんは、重々しいトーンで私にそう言ったのだ。見やればその部屋の引き戸には蝶番ちょうつがいが取り付けられ、金具の穴には小ぶりの南京錠が通されていた。外から開けられないようにするための措置とはいえ、身内以外には殆ど出入りが無いと思われる自宅の中で、場違いな南京錠が仰々しく輝いている。


「螢子さん、あれこれ物色するような趣味は無いのでご心配無く──ほら、私はミコトくんとの仲を深めるためにお呼ばれしたんですよ」


 違和感を押し殺しながら、私は言う。相も変わらず上手く笑えているか不安だったけれど、螢子さんは「そうでしたね。失礼致しました」と柔和な笑顔を取り戻した。

 その肝心のミコトくんはといえば、終始上機嫌を隠さない軽やかなステップを踏みながら、私と螢子さんの回りをとてててて、とついて回っている。


「ほんとにお姉ちゃんがお父さんになるなんてね!」


 などと無邪気にはしゃぐ姿には、やはり呪いの影など微塵も見えず、微笑ましい気持ちといたわしい気持ちが同時に湧き上がる。


「それでは私はご夕飯の支度に入らせて頂きますので、また後程」


 一通りの案内を終えると、螢子さんは台所へと消えていった。私はミコトくんに連れられる形で居間へと舞い戻る。


「ケイのお味噌汁はびっくりするくらい美味しいからね。お姉ちゃん、楽しみにしててよー?」

「本当? それは楽しみね」


 まるで我が事のように自慢げに語るミコトくんへ、おたおたと答えた。私が一人っ子故に、加えて対人スキルが低過ぎる故に──接し方が分からない場面も多々出てくるだろうけれど、少しずつでも自然な受け答えが出来るようになれば良いなと思う。


「お母さんのお味噌汁はひどい味だったからね。あんまりお料理するの好きじゃなかったし──」


 ミコトくんの話の中に、唐突にお母さんが登場した。お母さんの話は、彼の中でタブーではないのだろうか。あまりにも自然なその口ぶりに、私は逆に言葉に詰まってしまう。


「お姉ちゃんのお母さんはどんな人だった? あ! アラタくんのお母さんは? お姉ちゃん、会った事ある?」


 思いつくままの無邪気な問いかけが沈黙を破る。私は正直に、お父さんとお母さんの事は覚えていないと話し、それでも『爺じ』という名前の、お父さんとお母さんを足して二で割ったような人と暮らしているから寂しくないのよ、と教えてあげた。そして続ける。


「アラタのお母さんはね、お日さまみたいな感じかな。ぽかぽかというか何というか──ミコトくん、『気さく』って分かるかな」

「うーん、要するに『陽気』なんだね」

「そうそう、陽気なのよ。アラタのところは、お父さんもお母さんもとにかく陽気なの」


 ミコトくんにとっては、『気さく』と『陽気』だったら『陽気』の方が身近な言葉であるらしい。言葉選びの難しさを感じながらも、ともかく私の言いたい事は伝わったようだ。


 彼氏兼悪友であるアラタの家には、今まで何度もお邪魔した事がある。中学に入るまでは、毎年のアラタの誕生パーティに呼ばれたりもしていた。パーティとは名ばかりで、招待されるのはいつも私だけ。今思えば、アラタのお父さんとお母さんが、両親の居ない私を気遣ってくれていたのだろう。家族団欒の時を、束の間だけでも私に味わわせてくれていたのだろう。


「ふーん、だからお姉ちゃんは、アラタくんのお父さんとお母さんが嫌いなの?」

「──え?」

「嫌いって言うよりも、苦手なのかな? お姉ちゃんは、ぽかぽかしたのがあんまり得意じゃないんだね!」


 舌足らずであっても、内心を見透かすような物言いが内灘さんを連想させる。実の親子なのだから、話し方が似ていても不思議ではないのだけれど、それにしても本当に見透かしたかのような──本当に見透かしているとしか思えない断定的な物言いが気になった。


「ミコトくん。お姉ちゃんはそんな事言ってないでしょ? アラタのお父さんもお母さんも、とっても優しくて素敵な人だよ」


 言いながら私は、鼓動の乱れを自覚する。私の言葉に潜む、微かな嘘の成分が心臓を慌ただしく叩く。


「それならお姉ちゃんは、素敵な人が苦手なんだね!」

「……参ったなぁ。どうしてそう思うの?」

「分かんない。でも、分かるから分かるんだよ」


 得意満面なその表情から、ミコトくんの言い分が子供の屁理屈でない事は窺い知れた。ならばそれは、子供が持つ天性の勘のようなものなのだろうか。それとも私の演技力が、子供一人も欺けない程に酷いものだという事か。


「うーん、降参。お姉ちゃんの負けね。確かにミコトくんの言う通り、私はアラタの家に行くのがあんまり好きじゃないかな。あったかい家族の中に居るとね、余計に一人ぼっちになった気がするし、正直に言うと、お父さんとお母さんに恵まれているアラタが羨ましいと思う気持ちもある」


 お母さんが居ないどころか、お母さんに呪われているミコトくんに話す内容としては不適切極まりなかったけれど、どちらにせよ全て見透かされてしまうような気がして、私は思いの丈をそのままに吐き出した。


「お姉ちゃん、何だか難しい事を言うね」


 小首を傾げたままで動きを止めてしまったミコトくんに、「アラタには内緒だよ」と念の為の口止めをする。そして一瞬の逡巡を挟んでから、私は問いかける。


「ミコトくんは凄いね。いつもそんな風に、周りの人の考えている事が分かるの? 『分かるから分かる』だなんて簡単に言うけど、大人に成っても人の気持ちが分からなくて苦労している人が山程居るんだよ」

「お姉ちゃん、それはさ、大人に成ったから分からないのかもよ? 僕だって、子供だった頃はもっと分かったんだから。絵とか写真を見るみたいにさ、ぶわーって、ばばばばばーって、皆の考えている事がもっともっと分かったんだから!」


 ミコトくんの告白に、私は呆然と立ち尽くした。私の反応を不思議に思ったのか、ミコトくんは瞳を瞬いて私を見上げている。


「でもね、何を考えてるのか分かんない人も居るんだ。例えばお父さん。お父さんの考えている事は、ほんとにさっぱり分かんない。それにね、分かる人だって、何でも分かるわけじゃないんだよ。もちろんいつでも分かるわけじゃないし、あんまり便利じゃないよね」


 私の沈黙を自分の説明不足のせいだと感じたのか、ミコトくんはつぶさに説明を続けてくれた。もしかするとミコトくんは、人に言ってはいけない事を口走ってしまったのではと感じ、慌ててフォローを入れているのかもしれない。


「ねぇミコトくん。お姉ちゃんともっと仲良くなったらさ、詳しく教えてね。ミコトくんみたいな力の事を、『読心術』とか『テレパシー』とか言うんだけど……うん、多分そう言うんだけど、何かコツとかあったらさ、お姉ちゃんに教えてよ。お姉ちゃんも人の気持ちが分かんない事ばっかりでさ、なかなか大人に成れないんだよね」


 私の言葉には、多分に憐憫の情が滲んでいたように思う。だってそうだろう──ミコトくんのお母さんが、ミコトくんを受け入れられなかった理由の片鱗を、もしかするとその本丸を、たった今垣間見てしまったような気がしたのだから。


 不思議な現象であっても、最早理屈など求めなくなっている自分を自覚する。神様の存在を、呪いの存在を目の当たりにした私は、ミコトくんがどれだけ不思議な力を抱えていても、嫌悪感を抱いたりする事は無いだろう。少なくとも私は、そう在りたいと願う。ミコトくんのお母さんとは、違う感性で在りたいと願う。


「うん、いいよ。僕は大人だからね、僕が教えてあげるよ。でも……」

「でも、なーに?」

「その時は、お胸触らせてよね」


 頬を赤らめながら言うミコトくんに、手加減の無いでこぴんをお見舞いした。やっぱりコイツは、可愛い顔をしていてもただのエロ親父だ。もしくは、しょうもない子供──私と同じで、どうしようもないくらいに、子供なのだ。


「お胸はともかくとして、とりあえず私の事は『リサちゃん』って呼んでくれるかな? なんでアラタは『アラタくん』で、私は『お姉ちゃん』なのよ」


 実は密かに気になっていた事をミコトくんに告げると、「もしかしてリサちゃんって羨ましがり屋さんなの?」と強烈なカウンターが返ってきた。


「そうよ。私はきっと、羨ましがり屋さんなのよ」


 胸を張って開き直ると、なんだか心が軽くなった気がした。私の精神年齢って、ひょっとしてミコトくんと同じくらいだったりして──。


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