第一部 水主祀りを囲う

回顧01-01 石灯籠が照らす道




 人気ひとけもまばらな山道を、私は歩いている。のそりのそりと、私は歩いている。

 時刻は二十三時を回ったところ。秋口の風が徐々に冷たさを増していくけれど、肩に担いだ荷物の重さに汗ばむ私にとっては、その冷たさがむしろ心地良い。


 山道さんどう参道さんどうを足して二で割ったようなこの道は、水主かこ神社へと続いている。由緒正しく、格式高く、この闇の奥に構える水主神社へと続いている。


 いつもならば佇んでいるだけの薄情な石灯籠に、今夜は明かりが灯されてこそいたけれど、そのパーソナルスペースが広すぎるせいで、視界には暗闇がのさばるばかりだった。

 まったく、人もまばらなら、石灯籠もまばらなんだな──これでもか弱い女子であるつもりの私は、少しの心細さを掻き消すように、小さな嘆息たんそくを吐き出しながら呟く。


 とは言え私が歩くたびに、ガッチャガッチャと背中の荷物が音を立てるので、防犯面としては及第点に届いているだろう。むしろその音がやかましすぎるせいで、こんな暗闇の中でさえ悪目立ちしている感が否めない。その証拠に、


「誰かと思えば、屶鋼なたみさんちのお孫さんじゃないか。若いのに感心するよ」

「あら梨沙りさちゃん、こんばんわ。ご苦労様だねぇ、重いだろう?」

「本当に宗一郎そういちろうさんは良いお孫さんを持ったな」


 などと、追い抜いていく人たちに引っ切りなしに声を掛けられている私。そもそも人の数自体が少ないのだから、ほぼ全員に声を掛けられていると言っても過言ではない具合だ。

 そしてそんなふうに声をかけながらも、誰一人として私の荷運びを手伝ってくれないのには、れっきとした理由がある。

 決してこの町の人たちが、揃いも揃って冷たい人ばかりだとか、ましてやこの私が、町の人たち皆に盛大に嫌われているとかそういった理由ではなく、歴と列記するだけの理由があるのだ。


 『屶鋼』というのは私の名字で、『梨沙』というのが私の名前。

 そして『屶鋼宗一郎』は私の祖父だ。


 再来月には喜寿を迎える爺じと私の間には、実に干支が五周してしまうだけの年の差がある。

 そんな人生の大先輩を、「爺じ」と気軽に呼んでいる私だけれど、実のところ爺じは、少しは名の知れた刀匠である。とは言っても、そんなステータスは私にとってはどうでもよく、決して敬いの気持ちに繋がったりはしない。


 なんてこんな事を言うとまたそぞろと、周囲の大人たちが訝しい顔を浮かべて、お決まりの小言を並べる姿が目に浮かぶ。そう、例えばこんなふうに。


「梨沙ちゃんのお祖父様はね、とってもご立派な方なのよ。『尊敬』という言葉では間に合わないほど、この烏丸町に住む皆の誇りなの」、と。

「少しは名の知れた刀匠どころか、いつ人間国宝に選ばれてもおかしくない程の、偉大で高名な刀匠なんだぞ」、と。


 知らないよそんなの──私にとって爺じは爺じで、それ以上でもそれ以下でもない。


 浅葱色の道着をいつも身にまとい、「これは儂の死に装束だから」なんてうそぶく爺じ。「たまには他の格好でもしたら?」といつか尋ねた時には、「武士は切腹する時に浅葱色の着物を着るんじゃ」と、時代錯誤もはなはだしい台詞を言ってのけた爺じ。一体いつ切腹するつもりなのだろう。しかもよくよく考えれば、その返答は私への答えになっていない。


 そんな爺じが打った刀を──より正確には、屶鋼の血筋の人間がしつらえた刀剣を、年に一度の水主祀かこまつりで行われる剣舞けんぶで使用する、というのが、この烏丸町に伝わるしきたりであり、伝統だった。


 その年に一度というのが、まさに今宵。

 そうまずこれが、歴とした列記する理由の一つ目。伝統としきたりに縛られた、この烏丸町ならではの一つ目だ。


 次に二つ目。これもやはりしきたりの話になってしまうのだけれど、この刀剣は、屶鋼の血筋の人間が、直接水主神社へと届けなくてはならない、という七面倒な習わしがあるのだった。

 なんという煩わしい決まりだろう。


 そもそも剣舞に使う刀というのは、模造刀である場合が大半だそうだ。殺傷能力を伴わない模造刀を、華麗に振るって舞い踊る演目が剣舞。見世物としても安全であり、かつ神聖味を損なわない。まったく合理的じゃないか。


 それなのに、わざわざ真剣を設えただけでは飽き足りず、自ずから運んで奉納するという七面倒なルールを設定して、この水主祀りは伝統を重ねてきたらしい。

 そして私は、そんな伝統に首を傾げながらも、そんな伝統が途切れる事のないように、こうしてガッチャガッチャと山道を歩いているわけだ。生真面目に、馬鹿正直に、伝統を繋げる事に一役買っているわけだ。


 そして三つ目。特筆すべき三つ目。

 私のここまでの話を聞いて、あるいは読んで、すでに多くの人が突っ込みを入れてくれていると思うけれど、念のためにこの三つ目も、決して端折はしょらずに列記しておこう。

 多くの人は思ったはずだ。もしくは声に出して呟いたかもしれない。「そんなの爺さんが運べば良いじゃないか」と。「女の子にやらせなくても良いじゃないか」と。


 その突っ込みに私は、大いに賛同する。私自身も、大いにそう思う。

 けれどそれが叶わないのが、今宵の事情なのだ。


 なぜならば、その爺じが倒れてしまったのだから。将棋の駒のように、ぱたん、と呆気なく、倒れて床に伏せってしまったのだから。

 浅葱色の道着を死に装束に見立てる爺じの事だから、それはある意味では本望だったのかもしれない。とかく爺じは、年齢と疲労を絶え間なく重ねた爺じは、我が家の離れにある鍛冶場から出てきた所で、呆気なく倒れてしまったのだ。

 それが今朝方の出来事。つまり、水主祀り当日の急場の出来事。


 少し遅めの朝ご飯を済ませた私が、歯ブラシを口に咥えながら、洗面所の窓から見える景色を何気なく眺めていた時だった。今日は学校も休みだし、水主祀りで夜更かしするのが分かっているのだから、もう少し寝ていた方が良かったかな、なんて、何気なく呑気に考えていた時だった。


 窓の向こうにある鍛冶場の引き戸がゆっくりと開き、いかめしい表情の爺じが出てくる姿が見えた。その爺じが、煤けた額に年季の入った皺を浮かべ、曲がりかけた腰に片手を当てて伸びをする。まるでいつもの仕草と言わんばかりの、堂に入った伸びをする。

 それは、ぐぐぐぐっと体の筋が伸びる音が、私の耳元まで聞こえてきそうなくらいに豪快な伸びだった。豪快を通り越して、それ以上反ったら倒れちゃうよ爺じ、と私が心配になったその瞬間。


 ぱたん。


 前述の通り、将棋の駒のように倒れた爺じ。反り返り過ぎてそのまま後ろに、私の心配通りに倒れてしまった爺じ。

 私は大慌てで駆け出した。どれくらい慌てていたかというと、歯ブラシを咥えたままで駆け出しちゃうくらいに慌てていた。再来月に控えている爺じの喜寿が、叶わぬ幻になってしまうんじゃないかという不安も頭をぎった。


「ちょっ? 爺じ、大丈夫? って、大丈夫じゃないよね、救急車!」


 救命術など学んだ事のない私は、がくんがくん、と爺じの体を揺さぶりながら声を掛ける。今思えば完全に力加減を間違えていて、救急隊員の人が居合わせたら「逆に危険ですから」と慌てて私を引き剥がしていただろう。

 しかも歯ブラシを咥えたままだったので、実際にはもう少しフガフガした感じの発音になっていただろうし、もしかせずともコントの一場面のような絵面だった事は否めない。

 ああ、咥えているのが歯ブラシじゃなくて携帯だったら良かった! ──そんな意味不明の焦りと共に、ともかく救急車を呼ぼうと立ち上がった私の足を、爺じのいかつい右手がぐいっと掴む。


「……儂に恥をかかせるな」

「は? 爺じ、もしかしてバカなの? ……分かった。せめて医者を」


 現代にタイムスリップしてきた武士のような台詞に驚きながらも、爺じのプライドを尊重し、せめて医者を呼ぼうと提案する私。けれども爺じは、更に右手に力を込めて、私の足首を離そうとはしなかった。


「必要ない! これしき寝れば治るわ!」


 半目どころか薄目にしか開いていない、憔悴しきった眼差しを虚空へと向けながら、それでも力強く雄弁に訴える爺じ。まったく、お医者さんに頼る事の何がそんなに恥なのか。

 かくして私は、爺じを居間へと運ぶ事にした。焼け焦げた煤の匂いと、時間の経った汗の匂いの入り雑じった悪臭を放つ爺じを背中へと背負い、よろよろと居間へ運んだのだった。鍛冶場の入り口に置き去りにした、私の歯ブラシを不憫に思いながら。

 よろよろと、なんて表現したものの、爺じは私の想像よりもずっと軽かったし、そう言えば最近では、背丈もほとんど変わらなくなったなと気付く。

 何が人間国宝よ、ただの頑固なお爺ちゃんじゃないの──という言葉を、私はぐっと呑み込んで、


「汚れちゃったから新しいパジャマ買ってよね。あと歯ブラシも」


 と、居間の布団に寝かせた爺じに向かって投げかけてみた。けれど、爺じは私の言葉に少しも反応する事なく、スヤスヤと眠りこけたままだった。

 そう、今現在も──。




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