第11話コロシアムの戦い

 三人の目の前に出てきたのは、地球で言うところの熊のような生物だった。

 白熊のような巨躯、鋭い牙、鋭い爪。腕は長く、熊にはない長い尾があった。

 四足で歩いているところを見ても、後ろ足のみでの移動も可能なように見える。


「……あかん。熊はあかん。人間の次にあかん」


 檻から出てきたその獣を見た途端、留は弱音を吐く。


「何でだよ」


 ピンチなら何が出てきても同じだろ?と誠が訊く。もちろん、獣からは目を離さない。


「熊はね、意外と素早いのよ。で、身体大きいでしょ。一発で死ぬわよ、子どもなんて。特にあの両腕。振り回されたらかすっただけで顔面の肉を持って行かれると思いなさい。あと、熊は執念深いなんて話を聞いたわね。人間の味を覚えてるなら…その肉にありつこうと必死のはずよ」

「詳しいな」

「熊の人食い事件調べたことがあるの」

「何でそんなものを…いや、今はいい」

 

 誠が若干引いた顔をする。那毬にとっては、留の通常運転だ。気にはならない。


「問題は立ち上がった後だよ。あの尾は明らかに立った後を想定されてるでしょ。鼻が急所か何か知らないけど、立ち上がられたら、届かない」

「困ったわね」


 獣が雄たけびを上げた。向こうはやる気満々なようだ。

 観客席から歓声があがる。


「まぁ、人が出てくるよりはましか」

「何でだよ」


 留の言葉に、誠が尋ねる。


「…人殺せる?」

「……いや」


 単純明快な答えだった。この上なく。

 相手が獣でよかった。人語を話さなくてよかった。

 もし相手が人ならば。

 ただでさえつたない刃は、切っ先を鈍らせてしまう。

 人を殺す覚悟などできていようはずもなかった。


「じゃあ……」


 行くよ。

 そう言って、留が前へとでる。

 肝が据わった女だ、と誠は思う。

 この状況が、そうさせているだけかもしれないが。


「下手に傷つけるなよ。やるなら致命傷ねらえ」

「無理難題」


 苦笑した那毬も前に出る。

 彼女も、常に落ち着いているように見えた。

 獣が二度目の雄たけびを上げた。三人にまっすぐ向かってくる。

 那毬と留は左右に走った。誠は剣を構える。


「元剣道部なめるなよ」


 そう息巻いてみるものの、この身体では、いや、大人の身体でも、こんな獣に勝てる気はしなかった。

 けれど、やるしかない。

 一人じゃない。三人だ。

 眼前に迫った獣に、一歩踏み込んで、垂直に剣を振り下ろす。

 獣は難なく右に避ける。

 剣はかすりもしない。

 返す刃で下から切り上げるが、こちらもかわされてしまう。


「くそ!」


 身体がイメージ通りに動かない。武器が重い。

 それが、子どもということ。

 獣が大きく口を開いた。腕の一本でも噛み千切る気だろうか。


「……っ」


 まさに食われようとする、その瞬間、大きな音が響いた。

 音の出どころは、誠の懐の中。持っていたスマートフォンからだ。

 おそらく、この世界の誰も聞いたことのない、機械の出す大音量。

 獣の動きが止まった。

 その隙を、見逃さなかった。

 左右から那毬と留が獣に迫る。

 スマートフォンの大音量は、二人の接近を獣に気づかせなかった。

 誠も剣を構えなおす。

 三方からの同時攻撃。

 誠は鼻を。那毬と留は両目を狙う。


――入る……否!


「よけろ!」


 獣はその太い腕を振り上げた。


「留!」


 かろうじて那毬は避けた。しかしその先で、留が倒れ伏すのを見た。


「だ、大丈夫!」


 どうやら服がかすっただけの様だ。

 両手をついて立ち上がろうとする留。


「……留さん!」


 獣は標的を 変えたようだった。衝撃に動きの鈍った留の方に。

 大きな口をあける。鋭い牙が並んでいるのが、留からはよく見えた。


「留!」


 獣と留の間に入り込んだ小さな影が、両手を広げる。

 留をかばうように。


「那毬!」


 留の声が響く。

 誠が獣をとめようと切りかかる。


――助けなきゃ……――

――助けたい――

――二人を守りたい――

 

 ぼう、と胸が熱くなる気がした。


――力を、授けよう


 なんてありきたりな神様。

 突然ふってきた声。きっと三人にしか聞こえていない。

 その瞬間、那毬と留は少し笑った。王道もいいところじゃないか。


「今はすっこんでて、神様!」


 那毬の後ろから、体制を立て直した留が踊りでる。

 手には、ナイフ。


「これでも、食べてな!」


 そう叫んで、大きく開いた獣の口に、ナイフを握った手を突っ込んだ。舌に突き刺す。

 素早くナイフから手をはなした。

 獣は勢いのまま口を閉じようとした。

 しかし、ナイフが邪魔で口が閉じられない。

 力を入れれば入れるだけ、下顎にナイフが刺さっていく。

 誠が四つん這いになった獣の頭上に剣を振り下ろした。

 傷はつかないが、咥内のナイフはさらに深く突き刺さる。


「とりあえず距離とるぞ!」


 もがく獣から距離をとる。


「こっからだぞ」


 固い声で誠が言う。

 獣は目に怒りをたたえ、三人を見据える。

 観客からは大きな歓声。


「気ぃ、引き締めろよ」

「おう」

「うん」

 

獣は三人から一度距離をとった。

獣は未だもがいている。


「留さん、大丈夫か?」

「まぁ、なんとか」


 服にかすってバランスを崩しただけだ。かすり傷もない。


「無茶して!」

「それはこっちのセリフよ」


 那毬の言葉に、留も少し怒ったように返す。


「……まぁでも、ありがと」


 一拍の後、思い直して留は礼を言った。


「どうしたの急に、気持ち悪い」

「失礼ね。いつ死んでもおかしくないから言っておこうと思っただけよ」

「あー、なるほど」

「お前ら暢気だな」


 獣を目の前に怒ったり納得したり、妙に緊張感がない。


「ごめんごめん。ところで能力が使えるようになったみたいだけど?」

「……そうみたいね。ご丁寧に使い方まで頭に叩き込まれたみたい」

「だな。だが、方針は同じだ」

「りょーかい」

「しかしどうしようね。アラームはうまくいったみたいだけど」


 スマートフォンで設定したアラームは、絶妙のタイミングで期待通りの効果を発揮してくれた。

 だが、次の作戦、次の次の作戦がうまくいくとは限らない。


「命を投げ捨てるのだけはやめてね」

「はいはい。私だって、二度とごめんだわ」

「一番リスキーなことしてるの、留さんな気がするけどな」

「そう?」


 普通、獣の口の中にナイフを突っ込むことができるだろうか。ミスしたら、腕ごと噛みちぎられていただろう。彼女はなにか…リスクを恐れないのとはちがう、自分を軽視しているような感が否めない。那毬の行動もそうだ。互いが互いのためなら、命を投げ出せるとでも言うのだろうか。

 誠はこの世界に来てから二人を知った。だから、彼女たちがどれほどの関係なのかは知るところではない。けれどどこか、異様な気がした。


「さぁ、おしゃべりしてる間に来たわよ!」


 口にナイフを刺したままの状態で、獣が三人に向かってきた。


「相手が四つん這いの状態なら、首に刃物が届く!立たせるな!」

「今度は私がおとりだ!二人は散って!」

 

 ナイフを失った留は、棒を構えて獣を迎え撃つ格好だ。

元の世界のクマよりは鈍い気がする。

けれど獰猛さは、その目の凶暴さは、身体をすくませる。

そもそも元の世界で、野生の肉食動物になどほとんど会ったことはない。

野良犬でも十分怖い存在だったのに。

退治する獣は野良犬よりずっと大きくて、敵意むき出しだ。


「チョー怖い…」


 正面からくる獣の威圧感に、足が震える。けれど。


「死なせるわけには、行かないもんね」


 那毬も、誠も、そして自身も、死ぬわけにはいかない。死なせるわけにはいかない。

 コロシアムにつく前、ケイに教えてもらった言葉を思い出す。

 那毬はケイに、簡単な魔術を教えてほしいと頼んでいたようだった。

 そしてケイは、魔術の素養がわずかでも見られた二人、那毬と留に簡単な魔術の呪文を教えてくれた。そうして、持つべき武器も。

 それが、この棒だった。魔術の発動を助ける杖。


「さぁ、あと少し……」


 十分にひきつけたところで呪文を叫ぶ。

一か八か。どの程度の威力になるのかわからない。そもそも発動するのかも。

けれど、魔法の存在するこの世界で、小さく非力なこの身体で、頼れるものは他にない。

信じるだけだ。


「咲き誇れ!大火!」


 イメージは、打ち上げられる花火だった。実際には、小さな火の玉が杖の先に現れただけだ。

 

「……っ!」


失敗、だろうか。

回避しなければーー。

獣が立ち上がって腕を振り上げる。

 同時に、火の玉が音と一緒にはじけた。

 またしても響いた大音と、熱い炎の塊に、獣はひるんだ。


「トーチトワリングっていうの、ちょっとだけやっててね」


 獣を見据え、内心ホッとしながら、まだ火の燃え盛る杖を、留は振り回す。


「火自体は怖くないんだなー。あなたは、どう?」


 そういうと、獣の眼前に炎を振り下ろす。

大抵の獣は火を恐れる。

 予想通り、獣は炎から逃げようとする。

 逃げに転じた獣に、追い打ちをかけるのは那毬と誠だ。

 二人同時に、背後から足を狙う。

 正確には、あるであろう足の腱だ。

 誠の剣は、幸運にも、それをとらえたらしい。

 力任せに引くと、獣が膝をついた。


「思ったより、皮が薄いな」


 那毬は獣の足には届いたが、刃が短いせいか腱までには至っていないようだった。素早く杖をナイフに添わせる。


「咲き誇れ、大火!」


 小さくできた傷口から入り込んだ炎は、獣の足を内側からずたずたに引き裂いた。

 獣は完全に両足をついた。

 腕を振り回し、暴れまわっている。

 三人は距離を置いた。


「投擲、自信ある?」

「得意だぞ」


誠は小学生のとき、ソフトボール部に入っていたのだ。二年だけだが。


「じゃあ、はい」


 留がブラックジャックを誠に渡す。


「顔面にあたるか、払いのけられるかするでしょうけど、そこに那毬と私が出るわ」

「後は、スマホの出番」

「止めは、頼んだわよ」


 二人はじりじりと獣に近づく。

 ブラックジャックが、誠の手から放たれた。

 威力は期待できないが、必ず、獣はリアクションをとる。そこからが勝負だ。

 想定通りブラックジャックを払いのける獣。

 そこへ、スマートフォンを取り出した二人が近づく。

 フラッシュライトを眼球にかざした。

 人工的な、光。

瞳孔が収縮する。

 獣は目を覆った。

 

「畳み掛けるわよ!」

「咲き誇れ、大火!」


 二人はもう一度魔術を行使する。

 そして。


「うおおぉぉ!」


 誠が渾身の力で、空いた首へとその剣を突き刺した。




 

 

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