ワダツミ

 水底は暗かった。ライトを点灯してもほんの数メートル先までしか照らせないような状況は、アリの巣よりも不気味に感じていた。

 水中というのがこうも自分の中の不安を掻き立ててくるとは流石のカガミも考えていなかったのだ。

「カガミは北東から西へ、私は南西から東を回る。ガロッシュは命綱であることを考慮して、北の面を調べる。何かあればすぐに連絡」

「了解」

 ガロッシュはその巨体から水中での可動域も広いものじゃない。インフェルノ・シャウトの盾が、帰還のためのホバークラフトになるから、ガロッシュを見失わないように陣形を組んだ。

「ラタトスクのレツは、プラスミドを拾っているのか」

 カガミが訊ねると、イラついているレツの声が反応を返した。

「拾いすぎてる! 子魚やらが多くてレーダーが煩い!」

「魚は無視していい、ユグドラシルを捕らえろ、お前ならできる」

 タバサが落ち着いて目標を選定しろと告げ、レツは状況の集中を行う事にした。

 海の中の生物が細々とプラスミドを発生させていて、全てを拾おうとしたら、レーダーがビカビカとまぶしく点滅するばかり。魚だろうと判別できるものは検索対象から除外させるための設定を組み替えながらレツはパルスを展開し続けた。

 暫し海底の散歩が続いた。しかし、闇の水底を歩いていても、植物などまるで見当たらない。岩と泥ばかり。そして時折視界に入り込んでくる異形の魚――。

 奇怪な魚のミュータントはこちらを見て逃げていくので、臆病な性格をしているらしいが、LDのライトに惹かれて傍まで様子を見に来る修正があるようだ。

 カガミのデュビアス・ソウルは水中での移動速度が他二人よりも圧倒的に早かった。専用の装備に変更をしていたためでもあるが、その分カガミが一番動かなくては成果を期待できない。北東エリアから捜査を開始したカガミだったが、西方面へと泳ぐうちに、ついに岩と魚ではない人工物を発見した。


「こちらカガミ、前方に……コンテナがある」

 ライトを当てるとどこかの企業のコンテナが泥に埋もれているのだと分かる。ボロボロではあったが、そのコンテナがかつてダナインで使われていたものだと気が付いた。


「プラスミド反応は感じない。だが、ヴァコ・ダナの投棄物の可能性がある」

「何かあるかもしれん。コンテナ内を調査しろ」

 コンテナはかなりの大きさだった。大型トレーラーが運ぶようなサイズだ。LDが六~七体は詰めるだろう。内部を調査してみたが、もぬけの殻で、何の痕跡もないようだった。


「空だ。奴ら空っぽのコンテナを捨てたのか?」

「それは無いだろう。考えられるのは、投棄されたのち、中身が奪われたか……?」

「オレ達みたいなのが態々海底に潜って回収したと?」

 何の収穫もなかったかとカガミがコンテナから出ようとした時だ。ふと、コンテナの出入り口の淵に手をかけた。すると、そこに何やらビニールのような膜がべっとりと張り付いているのが分かった。妙にヌラヌラと白濁した色味をしている。


「なんだ、……粘膜? ミラ」

 ミラにデュビアス・ソウルの手に張り付いた気色悪い膜を調べさせるが、同時にタバサから緊張した声が響いた。


「前方に光球を確認……。何者かがいる!」

 タバサの眼前に、チラチラと闇に浮かぶ人魂のように、光が揺れていた。その数は一つや二つではなく、八~十は瞬いているように見えた。LDのライトのだと考えると、かなり大部隊がこの海中にいるという事だ。


「隊長、まずい! 何かやばいッ!」

 レツの声にタバサは両手に剣を装備させた。二刀流の構えを取り警戒したが、本能的に、危険だと脳が信号を発していた。


「分析結果でました」

「後にしろ! タバサ、今行く!!」

「プラスミド反応はどうした! 索敵してたのか!」

「してるッ! なんだよ……コイツ……今になってプラスミドが増幅していく! デカイッ!!」

「まずい! 任務は中止! 撤退する! ガロッシュ!!」

 通信の連絡が混迷としていた。

 だが、事態はすでに動き出している。

 タバサが海底に舞う光から離れようとした時だ。ゴボボボッ! と周囲の水が振動してあぶくを造ると水が光の方に向かって流れ始めた。

 タバサのスティンガーは、その流れから脱却するべくスクリューを全力で回したが、凄まじい流れが急激に襲い、強烈な引力を持つように、タバサを妖しい光のほうに引っ張り始める。


「海水を……吸っている! 大きな孔!?」

 と驚愕のタバサ。

「生物なんだ!! 巨大すぎるのにプラスミドがボヤボヤしてやがる!」

 焦った声で連絡するレツ。

「イカ墨です」

 冷静な機械音性が報せた。

「何ッ?」

 ミラの報告に、カガミは何のことだと一瞬分からなかった。


「コンテナに付着していた粘膜は、イカ墨と推測。またメラニン色素がまるでなく、墨であるにも関わらず色合いが白濁としています」

「イカだと!」


 スティンガーが吸い込まれていく複数の光の正体。それは発光器だった。ゆらゆらと揺れているのはそれが複数の触手の先端についているから。

 その正体は、ミラの特定通り、巨大なイカだったのだ。

 全容は見えない。その巨大イカは、半透明だったからだ。どこからどこまでが体なのかぼんやりとしていて把握しきれなかった。

 ただ、タバサの眼前に開く口は、スティンガーを飲み込むくらいはできるサイズをしていたことから全長は10mを軽く超えているだろうと想像できた。


「アボミネーションと確認。スクイードのミュータント、M13と設定」

「廃棄物の十三号かよ!!」


 このイカが廃棄物コンテナの中身だったのだろうかとカガミは考えたが、今はもうそれどころではない。今にもタバサが触手に絡みとられ、食い殺されそうな状況なのだ。

 位置的にはカガミが最も早くタバサの傍に近づける。ガロッシュも標的に向かって動き出しているが、彼は生命線を握っているため、下手に近寄らない方がいいとカガミが呼びかけた。


「ラタトスク! 上から魚雷を撃ち込め!」

 言われるまでもなく、レツがすでに魚雷ランチャーを構えていた。狙う必要はない。レツはすぐさま引き金を引いた。

 長方形のコンテナボックスのようなランチャーから魚雷が発射されるとヘリから真っすぐ海面に着水して潜り込んでいく。プラスミド反応をトレースして、レツが前回のSマイン同様にホーミングさせるのだ。

 それに相手は現在吸引中だった。魚雷はその水流に吸い込まれて、タバサよりも先に魚雷を食らう事になるのだ。


「く! 寄るな!」

 タバサに巻き付かんとする触手をブレードで切断するスティンガーだったが、触手の奇妙な蠢きと、透明な外見から思うように攻撃を直撃させることが出来なかった。

 魚雷がズブリと巨大イカの体内に刺さりこんで爆散したが、M13は怯むのではなく、逆に猛り狂い触手をめちゃくちゃに蠢かせた。ゴボゴボと周囲に泡が満ちて視界が遮られる。

 タバサはパニックになりかけるが、必死に冷静になれと言い聞かせ、とにかく相手から距離を取るのだと身を引き始めた。

 だが、いつの間にか背後まで回り込んでいた触手の一本がスティンガーをついに捕らえてしまった。


「うっ……!!」

 ビュチュッ! と嫌な感触を受けて悲鳴を上げてしまう。すぐに引きはがそうとするも、身体に巻き付いた触手には吸盤があり、またその腕力も強烈だった。


「うぐぁッ……」

「タバサ!」

 スクリューモジュールを全開にして猛スピードで突っ込んできたディビアス・ソウルが、タバサを巻き付けている触手にトライデントを突き刺した。勢いの乗った突進で触手は千切れたが、それでもスティンガーに張り付く吸盤は吸い付く力が弱まらない。

 それでも、動きが弱まったことでタバサも力任せにブレードで吸盤を裂き、どうにか脱出を図った。


「動けるか!」

「平気だ。下がるぞ」


 タバサが後退するように移動するも、アラート音にハッとなった。

 今の触手の攻撃でバックパックにダメージを受けて、エアポンプの供給が出来なくなっているのだ。残りのエアは六十秒とカウントが開始されたがそれさえも不確かな状況だ。


「隊長、先にガロッシュと海上にいけ。時間を稼ぐ」

「無茶だ!」

「下がれって!!」

 デュビアスがスティンガーを無理やりに後方に突き飛ばすとタバサは触手の射程外まで離脱できたが、カガミはまだ不気味な透明イカの触手の渦の中である。

 エアのカウントダウンが刻一刻と進み、タバサは舌打ちしてから背後のガロッシュと合流した。


「隊長ォ!」

「ガロッシュ、ボート用意!」

「デュビアスは!」

「カガミの腕を信用するしかないだろッ!?」


 あふれ出た感情がガロッシュとタバサを動かして、二人は盾を変形させ海上まで突破を掛けるボートに乗り込む。


「レツ! カガミを援護しろ!」

「オッサン! プラスミドを高めろ! あんたと区別がつきやすい!」

「ミラッ! 五感を全開にしろ!」


 レツがヘリからホーミング魚雷を撃ち込み、イカの化物に攻撃を行いながら、カガミはうねる触手から逃れるために上に向かって泳ぎだす。

 魚雷が触手の一本を千切り爆散するも、イカの触手まだ六つ以上健在だった。どれもが先端を不気味に光らせ怪しく地獄へ誘うように見えた。


「なんでこいつは、プラスミド反応が曖昧なんだっ……?」

「何かを食べて育ったようです」

「何かってなんだ?」

「例えば、産業廃棄物」


(何を棄てたんだ、ヴァコ・ダナは!)

 上に逃げるデュビアスに触手が襲い掛かって来た。水流を裂く様に伸びあがってくる透明のイカ足からなんとか逃れたと思った刹那。


「プラスミド反応増大!」

「何ッ」

 透明のイカが白濁色に染まり、その全容を見せびらかした。イカというよりは、もはやエイリアンと呼ぶべき外見のその軟体は身体の中央のエラの間にある墨袋がブックリと膨らんだかと思った瞬間、白濁の粘液が凄まじい速度でデュビアスに吐き出されたのだ。

 それはデュビアスが上昇する速度よりも圧倒的に早く、一瞬にしてデュビアスにまとわりついて自由を奪った。


「ま・ず・いッ――」

 スクリューモジュールにも粘液が入り込んだかデュビアスの動きが鈍ってしまう。触手が迫ってくる。ここに捕まれば今度こそ脱出の術はない。

 我武者羅にカガミはトライデントを触手に向かって投げつけた。それは触手の先端を傷つけたがそのダメージを物ともせずに、白く濁った触手がデュビアスを捕らえるためにうねり迫る――。

 だめか、と身動きを封じられる覚悟をしたカガミは、上から落ちてきた何かに気が付いた。


「捕まれ!」

「ッ――ガロッシュ、助かる!」

 それはインフェルノ・シャウトが装備していた、アンカー・ハンマーだった。その名の通り、錨としても利用できる長いチェーンの付いたハンマーだ。

 それを海面から投げ入れ、まるで釣り竿のように、デュビアス・ソウルを引き上げる。

 辛くもガロッシュの剛腕の一本釣りによって、カガミは窮地から脱出することが出来た。


 ボートまで上がったカガミは、ビー・ハイヴから降りているタラップに捕まってヘリへと帰還できた。中にはタバサとレツが待っていてくれた。

 あとはガロッシュが昇ってくれば撤退はできるが、ガロッシュはレツに連絡をした。

「ラタトスクの装備していた電磁ネットを下ろせ」

「何? 引き網でもやるのか?」

「ユグドラシルのヒントは出来る限り回収したい! インフェルノのパワーなら、千切れた触手くらいは引っ張り上げれる」


 ガロッシュの若干危険な提案だったが、ここまでやって何の成果もなく帰ると言うのもプロとしては情けない話だ。ミツバチ隊はガロッシュのサポートに回り、レツが標的の位置を的確に分析し、ガロッシュはボートをまた盾に変形させて潜っていった。


「ガロッシュ! あいつの射程は七メートルだ。魚雷で注意を引くから、千切れた触手だけを狙ってネットを撃ち込め」

「了解」

 タバサの的確な指示がガロッシュへ安全位置を報せると、敵の攻撃範囲外から、千切った触手に向けてネットを発射できる位置取りまで移動する。

 流石に隊長だけあって転んでもただでは起きないらしい。自分が触手に絡まれた時、相手のリーチをしっかりとデータ取りしていたようだ。


「レツ、タイミング合わせ」

「いつでも」

 ランチャーを構えるラタトスクの傍でカガミがガロッシュにカウントを行う。


「魚雷発射後、イカ野郎に直撃するまでタイムラグをカウントする。オレの合図でガロッシュは捕縛後、撤退」

「ふん、よかろう」


 タバサの合図で、レツが魚雷発射した。そしてタイミングを計ったカガミの号令と共に、ガロッシュは電磁ネットの引き金を引き、見事に千切った触手を一本、回収できた。

 あとは一目散に撤退したガロッシュは盾を変形させ、ボートに乗ると、まるでロケット噴射のようにスクリューから泡立たせ急上昇させた。

 こうして、一同はどうにかこの海中ミッションを熟したのだった。


 カガミばかりではなく、一同がそれぞれに、もう海は勘弁だという気持ちでいたのは、誰の表情を見ても伝わってくるほどであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る