三線を弾く少女-3

「お疲れさん」

 俺は聴衆に紛れて彼女の三線を聴いていたが、演奏が終わると前に進み出て霧島に声をかける。

「うん、がんばった」

 彼女は三線を下ろし、ピースサインを作った。

 相変わらずあまり表情を動かさない彼女だが、その手の形があるだけで、ああ、喜んでいるんだな、と俺は思う。

 俺は今日、彼女に出会ったらある一つの行動に出ようと考えていた。

 人もだんだん散っていき、今こそ言い出す好機だろう。

 小さく息を吸い込んで、言ってみた。


「……なあ、このあと空いてるか? 見物料も兼ねて、茶くらいおごってやるよ」

 俺の言葉にぽかんとする、三線弾きの女の子。しばらくしたあと、唇だけを動かして呟いた。

「逆ナン……」

「いや、逆でもないしナンパでも……いや、ナンパか……まあ、とにかくだ。三回もその演奏を聴かせてもらって、顔見知りになったわけだし、別に不自然じゃないだろ?」

「んんー……」

 自らの顎にそっと手を当てて、霧島瑠那は考え込んでいるようだった。


「ダメか?」

「……いま、考え中……」

「そ、そうか、悪かった」

 焦って答を促し、たしなめられて謝ってしまった。自分で自分が情けない。

 彼女はそれからもしばらく無言で考えていたようだが、やがて俺のほうに向き直って。

「……パフェとか、食べても……」

(……おっ)

 その時の俺は、巧くいったという昂揚感で我を忘れ、即答していた。

「ああ、いいぞ」




 駅から少し離れたところの小奇麗な喫茶店に入り、奥のテーブル席を陣取った。

 考えてみると俺は喫茶店に入ったこともなければ女の子と二人で店に入ったこともファミレスで一回あるかないかで、女の子と二人で喫茶店に入ったことなど当然なかった。たぶん今のところは得意の無表情でごまかせていると思うが、内心緊張する。

 それでも、俺はこの女の子に興味を持ったから、どうにかして二人で話をしてみたいと思ったのだ。

 やり方は強引かもしれないけれど。

(こういう人との関わり方こそ、学校で教えてくれりゃいいんだよな)


 メニューを広げ、それに隠れるように、ちら、と対面の人物を見てみる。

 俺と同じような格好で、メニューを眇めて思案している女の子がいた。

 その横には、椅子一つを占領して佇んでいる、黒いハードケースに入った彼女の相棒。

「三線、ねえ……」

 ついそう漏らすと、霧島は俺の言葉に反応したのか「ん?」と言って俺に目を向けてきた。

「あーいや、特に意味はないんだけどな」


 俺は楽器をろくに扱えない。

 小学校の時、年に一回学年全体で演奏発表をしたりするときでさえ、鍵盤ハーモニカかリコーダーと、大勢の人間に混じって地味に地味に演奏していたような男だ。

 だから、楽器を扱える人間に、時に尊敬、時に嫉妬、時に隔たりを感じていた。

 楽器、というだけで自分には遠い存在のように思えてくる。

 まして、今ここにいる楽器使いは『三線』という、俺の全然知らない楽器を扱い、あんなにも周囲の人間を導き、吸い寄せ、感動させる力を持っている。

 もちろん俺も例外ではなく、むしろその音色に特に強く導かれた人間の一人であると言っていいだろう。

 ウェイターが注文を取りに来て、俺はアイスティーとティラミス、彼女はなんだか早口言葉みたいなわけのわからない名称のパフェを注文した。


「お前、三線をどこで練習したんだ?」

 ウェイターが去った後、そんな彼女に興味本位で訊いてみた。

「独学」

「な……マジか?」

 意外だった。あんなに難しそうな楽器を、独学であそこまで巧く演奏できるのかと。

「三線教室みたいなのに通ってたとか、あるいは親に教わったとかじゃ……」

「うん、独学。でも……そうだね」

 霧島は、そばの三線ケースをそっと撫でながら言った。


「私のお父さんが、三線を弾いてた。私は小さなころ、それを傍で聴いてた。その記憶をたよりに、一つ一つの音を出してみた……」

「…………」

「CDショップとかに行って、沖縄の民謡なんかも聴いてみた。それで……合わせてみたりとかもした。だから、弾き方は基本的に誰かに学んだりとかじゃなくて、独学で覚えた」

 俺はかけるべき言葉も失って、ただ茫然としていた。

 もしかしたら彼女は、天才なのではないだろうか。




 やがて注文していた物が運ばれてきたが、俺は彼女の分のパフェを見て仰天した。とんでもなくでかい。ここから見る霧島の頭が、パフェグラスより低いのだ。

「それ、全部食う気か……?」

「毛利くんが、おごってくれるって言った」

「いやまあ、言ったけどさ」

 彼女の体に入るのだろうか。俺でも厳しいかもしれない。

 彼女は見た感じがスレンダーで、まあ胸には理解不能なサイズの何かが詰まっているようだが、まさか栄養がすべてそこに行きつくのだろうか。それなら納得がいくが――。

 そんなことを考えているうちに、おもむろに上からスプーンでそのパフェを削っていく少女。やる気らしい。


 しばらく無言で甘味を咀嚼していた俺たちだったが、やがて自分のパフェを三分の一ほど平らげた霧島が、喋る口を開く。

「私も、毛利くんに訊きたいことがある」

「お? なんだ?」

 彼女のほうから話を振ってくることに、俺はつい反応する。

「……どうして、おごってくれるのかって」

「それは、さっきも言ったように、見物料も兼ねた……」

「……それだけ?」

 霧島瑠那はパフェグラスを少し横にどけると、俺のほうに身を乗り出した。


「ほんとうに、それだけ?」

 俺のことを、大きな瞳でじっと見つめてくる。

「あ……っと……」

(いや――それだけじゃない――)

 俺は彼女ともう少し話をしてみたいと思ったから、思い切って誘ってみた。

 ならなぜ、彼女と話をしてみたいと思ったのか。

 それは――。


「……退屈、だったんだ」

 俺は答えた。

 今の、今までの自分が抱いていた空虚な気持ちを、この少女に話してみた。

「最近、なにをしてもつまらなかったし、それ以前にしていること自体が学校と塾との往復で占められてて面白味もなかったし……」

「ふむふむ……」

「なんだかまるで、大切なものをどこかに置いてきてしまったような、そんな気分でいたんだ」


 言っていて恥ずかしくなってきた。俺はどこの詩人なのだと。

 でも、それは俺の感情を正直に告げたもので、本当にそう思っている。

 そしてそんな俺に対し、目の前の少女は黙って聞いてくれるどころか、うんうんと俺の言葉に頷いてくれている。それに気を良くし、俺はもう少し喋った。

「そんなとき、お前の三線の音色を聴いた。そしたら、なんだか懐かしいような、切ないような感じがしてさ。気に入ったんだよ、お前の三線の音色」

「……ありがとう」

 面と向かって言われたことに照れくさくなったのか、霧島はまたパフェグラスを戻すと、中身を咀嚼し始めた。


「そんで、興味持った。二回目、三回目とお前の三線を聴いて、もっと聴いてみたいって思ったし、お前という演奏者にも興味を持った……ってとこだ」

「そう……」

 霧島はスプーンを置いて、静かに言った。

「そんなこと言ってもらったの、はじめて……この町で演奏して、よかった……」

 そしてまた、目を細めてにっこり笑う。

 あまり表情を動かさない彼女は、三線のことになるとたまに笑うようだ。と言っても、その笑顔を見たのは二回目だけど。


「この町で……ってことは、前は他で演奏していたんだよな?」

「うん」

 三線少女は頷く。

「あまり一つのところで、長く演奏していられないから」

「それは、どうしてだ?」

 俺が聞くと、霧島は黙り込んで。

 たっぷり二十秒ほど固まってから、こう答えた。

「…………秘密」

「そ、そうか、秘密か」

 俺はずっこけそうになった。そんなに引っ張っておいて、秘密はないだろう――と。

(まあ、無理に訊いても仕方がないか……)

 仕方なく、質問の方向を変えてみる。


「次はどこで、演奏する気なんだ?」

「ここの、隣の町」

「なんだ、じゃあちょっと足を伸ばせばまた聴きに行けるんだな」

 それを聞いて安心した。せっかく興味を持ったのに、もう二度と聴けなくなるなんて――と思っていたから。

「うん、でも……」

 が、三線の少女の顔は曇って。

 そして、辛そうに二の句を継いだ。

「どのみち……夏が終わったら私は三線を弾かなくなる」




「…………」

 それは確か、昨日も別れ際に言っていたことだった。

 どうしてかと、訊きたかった。

 けれど俺は、そう訊けないままで。

「そうなの、か……」

 あのときも、今このときも、そうやってそれなりにしてしまったのだ。

「うん」

「……それは、お前の望みなのか?」

 返ってきた答は、また同じものだった。

「…………秘密」




 食べる物を食べ終わって、そろそろ店内も込んできたので退店することにした。

 相変わらず、外は蒸し暑い。

 ちなみに霧島は巨大パフェを全部平らげ、満足そうな表情でいる。どこに入ったのだろうと彼女を眺めていると、こちらの視線に気づいたようで顔を向けてくる。俺は慌てて、それとは関係のない話を振ってみた。

「この町では、あと何日くらい演奏するつもりなんだ?」

「うーん……今日か明日を目途に、他へ行こうと思ってる」

「そっか」

 霧島は、その華奢な肩にかけた三線ケースのショルダーベルトが食い込むのか、しきりにベルトの位置をずらしながら答えていた。


「やっぱり、人の集まりそうなところで演奏するのか?」

「うん……せっかくだから、一人でも多くの人に聴いてもらいたいって思いもある」

「なるほどな……」

 彼女は言った。

 三線を弾くと、過去の記憶が戻ってくる気がすると。

 そのために、自分は三線を弾いていると。

 けれど、どういった事情なのか、彼女はこの夏で三線を弾くことを最後にするとのことで。


「……焦ってる、のか?」

 だから、俺はそう推測して訊いてみた。

 すると霧島は、わずかに、ほんのわずかに身を強張らせて。

「……そうかも……」

 答える。

「あんまり、時間ない、かも……」

 儚げな表情が、濃くなって。

 髪が風に揺れて。

「できるだけ早く……弾けなくなる前に、記憶を取り戻したい……なんでもいい、ひとかけらでもいい、故郷の記憶……」

「…………」


 それはどうしてなのだろう。

 物心つく前に住んでいた場所の記憶を取り戻すことに、どんな意味があるのだろう。

 そして仮に、この少女が記憶を取り戻した後、彼女はいったいどうするのだろう。

 その記憶を取り戻す、たった一つの頼みである三線を弾くことをやめて――。

(なぜだろう……どうしてか、哀しい感じがする)

 俺はこの、まだ三回しか会っていない少女に随分と深く情を移しているようだった。

 そしてそれがいったいなぜなのか、また考える。


(……きっとそれは、三線のせいだ)

 そんな結論に至った。

 彼女の弾く三線の音色は、どこか優しくて、物悲しくて、懐かしい。

 俺の心を、導く音色だった。

 過去に大切な何かを失くしてしまったような気がする俺を、強く引き寄せる音色を奏でる、この三線弾きの女の子。

(でも、それは俺だけじゃないと思う)


 人間はほぼ大多数が、過去に何かを失くしていると俺は考えている。

 けれど、俺はどうしてか最近、それについて考えることが多くて。

 空虚で代わり映えのない毎日を照らし合わせ、過去に失くした何か、何を失くしたのかも分からないその何かに憧憬を抱いて――。

 できれば、その何かを取り戻したいとも考えていた。

 ある意味、俺はこいつと似たようなものかもしれない。

 過去の記憶を探す二人。

 過去に憧れる二人。

 そんな俺たちだ。


「霧島」

「ん……?」

 だから、俺は――。

「……また、聴きに行く。……お前の、三線を」

 今度は俺から、そう言っていた。

 俺も一緒だ。

 記憶を取り戻したい。

 その三線の、懐かしい音色で。

 対する彼女は意外そうに俺を見つめて、ほう、と息を漏らしてから。


「…………めんそーれ……」

 透明な声で囁いて、優しく笑った。

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