第25話 by Arisa.S


「(有愛と鈴は大丈夫ね。万意葉は花澄を支えてくれているでしょうし、今はこの二人を心配するべきだわ)」

 士官学校時代、目を閉じて声で聞こえる状況だけで戦況を判断するという訓練をしたことがある。もちろん通信機器があること前提として訓練が行われているのでが、そんな訓練をさせた割に、大庭隊にはしばらく通信機器がなかったのだから、滑稽な話である。そのおかげで「最悪の状態」を想像しながら動けるようになったのは皮肉な話だ。

 さて、と視線を前方に移す。前を歩いている友里と実空。友里は普通に、本当に普通に歩いている。敵から攻撃される恐れのない本部の廊下を歩いているときと、全然変わらない。問題は実空だ。右肩の傷をかばいながら歩いているせいで、僅かに重心が傾いている。本当は立ち止まって傷口を抑えて処置をしたいくらいの痛みになっていることは、容易に想像できた。そうしないのは、出血が少なくて体自体は動くのと――友里の隣で、粗相をしたくない。その一心だろう。

 とは言っても、そこまで痛む肩を庇いながら戦闘を続けるのは困難だ。あたしは前を歩く実空を呼び止めた。

「実空、何か長い布はある?」

「布? ……これなら」

 実空が左ポケットから取り出したのは自分の白いネクタイだった。そういえば、友里も実空もネクタイをしていない。友里の黄色のネクタイが実空の右肩にあることを考えると、実空はネクタイを外して友里にネクタイを貸そうとしたのだろう。友里がそれを断った――声を出さず、態度で断ったところまで見えた。

 他の隊がどうしているのか知らないが、大庭隊はネクタイを止血のために使う。それはひとえに物資の支給が少ないからだ。「女は体が小さいのだから、包帯や止血帯も少なくていいだろう」が上の見解らしい。馬鹿らしいと思っていても、日本特別軍における女の立場なんてそんなものだ。

 だから、自分のネクタイを人に貸すと、いざ自分が使おうと思ったときに困る。人に貸した場合、ネクタイを相手から借りるか交換するかをすればいいのだが、友里には怪我をしない、してもネクタイを使う怪我ではない、些細な怪我だという自信があるのだ。実空からネクタイを預かっていないのはそのためだだろう。

「実空、ちょっといいかしら」

「なんだ有砂姉。そんな小声でなくてもいいじゃんか」

「……友里には聞かれたくないでしょう、肩の怪我のこと」

 実空の表情が変わった。友里に聞かれてもいいなら、今すぐ実空は治療を申し出るはずだ。一歩足取りを遅くして、あたしのほうに顔を近づける。

「今からあなたの手にショートソードを結びつけるわ」

「え!?」

「……直接手を怪我していなくても、今思い切り右手でショートソードを持つのは難しいでしょう」

「……ああ」

 きっと実空は上手く隠していたつもりなのだろう。そもそも怪我をしていることはばれているのだし、実空が敵の弾に対応できなかったところを間近で見ているのだから、隠していてもいずればれるのは時間の問題だったのだけれど。

「帰ったら菜美か志保に手当をしてもらいなさい。友里にはすぐにばれると思うけど、帰るまでの辛抱よ」

 実空が入隊したときからは考えられないほど、素直に右手を出してきた。ショートソードを緩く握ってもらい、その上からきつくネクタイを巻く。当たり前だが、一人では絶対にできない作業だ。

実空に手を開いてもらって、その状態でショートソードがずれないかを目視で確認した。問題なさそうね。

「有砂姉、ありがとうな」

「お礼を言われるようなことはしていないわ」

「それもそうだ」

 三歩先を歩く友里に追いつくため、実空が大きく一歩を踏み出した。友里はきっと、あたしたちが何をしていたか察しがついているはずだ。それでもあえて何も言っていない。

 ここは戦場だ。まだ大庭隊が四人だったころ、友里が言っていたことがある。

――戦場でお礼を言うのは死ぬときだ。

 あたしはくくっていた髪ゴムをそっと外した。髪が揺れて、腰の辺りの定位置に収まる。前に出るときは、必ず髪ゴムを外す。あたしの一種の願掛けみたいなものだ。

人は心臓と首から上を狙われたら、あっけなく死んでしまう生き物だ。頼りないものではあるが、あたしは後頭部や首を守るために髪を伸ばしている。あたしの妹、早計は首――頸動脈に傷を負って亡くなった。血の繋がった妹に傷をつけて殺したのは、紛れもないあたしなのだけれど。

 早計の分まで生きる。早計の分まで人を助ける。早計を殺した罪は一生消えない。だから。

「まだ死ぬには早いわ」

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夜空に無限の夢現 レスト @tp34dg5rh

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