13話 ひだまりの中の陰

「サキの血液型を聞いてこいって?」


目の前の、白髪をおさげにした柔和な雰囲気の初老の女性メイド、ホラウがボクに提案する。

ボクの名前はエウァ。クロノス王国の『時の番人』の次期当主だ。歳は十三。身長は……平均より低め。ウェーブがかった肩まで伸びる銀髪。絹の白いブラウスに黒のプリーツスカートに赤の革靴が今日のファッションだ。

「ええ、これをご覧になってください」

言って、ホラウがボクに一冊の年季の入った赤い表紙の本を渡す。その題は『血液型とその相性について』だった。

こんなの信じてるの? 非科学的だよ

ボクは嘆息した。

「K型は神経質、J型は自己中心的などと巷では言われていますが、案外的外れではないのですよ。私はこの本を参考に今の職を選んだようなものです」

ホラウの血液型は?

「Kです」

当たってる。彼女の細かいところまで行き届いた仕事は、K型の特徴とも言われる神経質さが良い面で出た形だ。

でも、そんなので職って決めるものなの?

ボクは世襲で仕事を継ぐから、その感覚はよくわからない。

「冗談ですよ」

なんだよ。

「私がグロピウス家に仕えるようになったのは、応募したのがきっかけですよ」

うち、メイドを公募してたの?

「ええ、あなたのお爺さまは公正を是とするお方だったので。メイドの子がメイドになる、という慣例に一石投じたかったのでしょう。新しい風を入れないと部屋の空気は次第に淀みますから」

それで外部からメイドを?

「ええ。さすが五次に渡る試験を突破するのは骨が折れましたが」

多くない?

「メイドとしての資質を見極めるためには必要だったのでしょう。しかし最終の水着審査に関しては、メイドに何の関係が? とは思いましたが」

絶対お爺さまの趣味だよ、それ。

「冗談ですよ。主に教養や体力の試験でしたよ」

ここに来る前は何やってたの?

「ナギナタの道場で師範代をやっておりました」

ナギナタ?

「和都で使われている剣の一種です。棒の先に幅広の短い刀身を取り付けた武器。屋敷内の道場の壁に掛けてあったでしょう?」

ああ、うん。小さい頃お父様の部屋で振り回してたら、こっぴどく怒られた覚えがある。

「後片付けが大変でしたね」

ていうか、師範代やってたの? なんで?

「最初は護身術を身につけるために入門したんです。当時は治安が今よりも悪かったですし。少年達の集団強盗が多発しておりました。

ですが始めたら案外楽しかったんで、のめり込んでしまって。師範の教え方が上手かったのもあって、自分で言うのもなんですがメキメキ上達しまして。十年ほどで師範に次ぐ実力が付きました」

すごいね。まだ続けてるの?

「いえ。現在はこの家のメイドですので、道場はやめました。ですがグロピウス家に、新しく入ってきたメイドには定期的に稽古をつけております。まあ、道場にはたまに挨拶に行ってはいますが」

たまにうちのメイド達が箒を逆さまに持って構えてるのは、ホラウのせいだったんだね。

「休憩時間だけにと申しつけてあります」

休憩時間だったらいいってわけじゃないよ。まあ、いいけど。

「『薙刀を自身の手の延長と思え』。師の教えです。若いメイド達も掃除が上手でしょう?」

確かに塵ひとつないね。

「どんな教えも応用してこそですので」

箒が薙刀の代替ってわけね。

そこでホラウが咳払いする。

「話が逸れましたね。血液型で性格が決まるわけではないですが、大まかな傾向は見て取れるかと」

ボクはE型なんだけど、ホラウから見てどんな感じ?

「ドンピシャでございます」

ウィンクする彼女。

なんか腹立つな。

ええ〜。ボクはどっちかというとK型寄りだと思ってるのに。

「そこはお母様の血が現れているのでしょうね。K寄りのEかと」

ドンピシャじゃないじゃん。

「Eが九十八パーセントのKがニパーセントですので、誤差の内かと」

怒るよ?

「冗談でございます」

今日は多いね。

「しかし、どの血液型の持ち主でも欠点があるのは事実。その欠点を補うための血液型占いですよ。

サキ様の血液型をお聞きして、どのような方針で接するか参考にしてみては?」


◾︎◾︎◾︎


時刻は昼前。外はいい陽気で、散歩には持ってこいだ。

屋敷を出て、ガムの家に向かうことにする。ガムというのはかつてボクと旅をした傭兵だ。

ここ西地区の大きな屋敷が並んだ通りは静かなもんである。

ガムの家がある南地区に向けて歩くこと数分、いきなり目的の人物が見つかった。

腰まで伸びる黒髪のツインテール、黒いブラウスにミニスカートにサイハイにローファー。いつもの全身真っ黒コーデだった。

でも妙に品があるんだよなあ。

彼女はサキ。ボクと同じ十三歳の少女だ。彼女はガムの元で助手をやっている。その手には小包が抱えられており、きょろきょろとあたりを見回していた。

ボクは彼女に近寄り、「やっほー、サキ」と挨拶した。

「げ、ゆるふわ女」

顔をしかめるサキ。

そんな邪険にしなくてもいいじゃん。

ちなみに彼女はボクのことがキライである。

理由はボクの境遇が恵まれてて、彼女が恵まれていないから。乱暴な言い方をすればそういうことになる。

だけどボクは友達になりたいと思ってるから、彼女によくちょっかいをかけている。

ゆるふわ女って。ボクのことはエウァって呼んでよ。知らない仲でもないんだからさ。ところで聞きたいことがあるんだけど。

「うっさい。近寄るな。わたしはアンタが嫌いだ」

とりつく島もないな。

でも、なんでこんなとこをうろうろしてるのさ。

「アンタには関係ないでしょ」

ここらで怪しい行動取ってると、賊と間違われて警官が来るよ? もしかして道に迷ってる?

「う、うっさい。この辺は土地勘がないからよくわかんないのよ」

あれ? 前にもこんなことあったよね。わからないことがあったらどうするのかな?

「今は勉強の時間じゃないでしょ? 昔のことを蒸し返さないで」

ごく最近だったけどね。ちなみにその小包は何?

「これは、メイソンさん宛の小包……って、関係ないでしょ。ほっといて」

言って、彼女はボクに背を向けてスタスタと去ってしまった。

きっと配達の仕事なんだろう。

結局、血液型聞けなかったな。まあいいや。ガムのところにいればそのうち帰ってくるでしょ。

ボクはガムの家に歩を進めることにした。


◾︎◾︎◾︎


昼下がりの南地区。この辺は飲食店が多いので、ガヤガヤと人通りが多い。

昼間から営業している居酒屋もちらほらとある。

軒先に、魚と釣り針を彫った木製のレリーフを下げている『鯛の釣り針亭』もそのひとつだ。

玄関越しに中を覗いてみると見知った顔があった。

金髪碧眼の美青年が店内中央のテーブル席に着いていた。

ボクは扉を開け、店内に入った。

石造りの建物の中に、席はカウンターとテーブルとで合わせて四十ほどある。

目当ての金髪碧眼の美青年は、ボクの恋人で、名をチギリという。職業は宮廷騎士だ。

「おや、エウァじゃないか?

こんなところで奇遇だね」

彼は少々面食らった様子で挨拶した。

ボクは続けて彼と同じテーブルに着いている二人の人物を指さした。

ガム、ケイミーも一緒だったんだね。黒髪ツンツン頭の筋肉質の開襟シャツ綿パン男がガム、ピンクモヒカンで、胸の開いたピチピチのシャツとズボンを着ている男がケイミーだ。

俺達おれたちゃおじゃま虫かよ」

ガムが不服そうに言う。

「やあね。エウァちゃんの目当てはチギリだもの。私達は道端の石ころみたいなもんよ」

からからとケイミーが笑う。ちなみにケイミーは本名をケインというが、心は乙女なのでケイミーと名乗っている。

「まあ、私は靴に忍び込んで足の裏に刺さるタイプの石ころだけどね」

ボクに凄む彼(彼女?)。

ケイミーはチギリのことを好きなので、ボクは彼女の恋仇ということになる。

ボクは三人のテーブルに加わる。

すると

「はぁい、エウァちゃん。いらっしゃい。注文は何にする?」

と、ブロンドのウェーブロングのウエイトレスが注文を取りに来た。胸を強調する作りのヘソ出しシャツに、ミニスカートといういでたち。おまけに愛嬌のある美人さんである。

彼女の名前はデイジー。この店の看板娘だ。

「こんにちは、デイジー。ボクにパインジュースと、三人にエールをちょうだい」

「はい、喜んでー」

言って、デイジーは店のカウンターの奥に移動する。背筋がピンと伸び、キビキビとした動作が気持ちいい。

「エウァちゃん、最高!」

ケイミーがボクに頬ずりする。

さっきまでの敵視はどこいったの?

まあ、ケイミーは男性だという現実を変えられないことはわかってるので、チギリのことは諦めてるそうだ。

だからさっき凄んでたのは毎度の茶番である。

「エウァ、この二人は底なしなんだからあんまり無駄遣いしちゃだめだよ?」

あんまりお金使う機会ってないから、ワイワイやるのに使いたいんだよ。

「エウァ、お前はわかってるな。チギリはその辺硬くてな」

ガムは緩すぎるんだよ。こないだも仕事中に飲んでたでしょ。今日は仕事は?

「サキに任せてある。俺はまあ、その、なんだ、事務仕事の休憩時間だ」

帰ったら酔っ払いがいるなんて、サキがなんて思うだろうね。

「俺は十杯飲んでも赤くならん。バレやしないさ」

匂いでわかるでしょ。

「そうよぉ。女の子って細かいところまで気が付くのよぉ?」

「お前は男だろうが」

「んま! 体は男でも心は乙女よ? エウァちゃんもこの無神経男に何か言ってやって頂戴!」

うーん。ケイミーの仕事は性別を超えた細やかさがあるよね。

「やっぱりわかるのね! これだからグロピウス家のひとって好きだわ」

彼女は裁縫を生業としてて、上流階級の人間からの注文がひっきりなしなのだ。うちもお父様がよそ行きのスーツを仕立ててもらってる。

「そうだよ、ガム。ケイミーは君よりよっぽど気が利くんだから」

チギリがガムを嗜める。

「やめてチギリ! 中途半端な優しさで私を惑わせるのは。また好きになっちゃうでしょう!」

「どうしろっていうんだ」

困惑顔のチギリ。

「おまたせ〜」

そこにデイジーが注文した飲み物を持ってきた。両手に器用に四つのジョッキを抱えている。それらをテーブルに置く際に豊満な胸がたゆんと揺れる。ボクも大きくなったらあれくらい大きく……。

ちなみに本人曰く、ジョッキを最高で十一杯抱えることができるらしい。

最後の一杯の抱え方がなんとなく想像できてヤだな。ボク自身の想像力も。

じゃあ

『かんぱーい!』

ボク達はジョッキを合わせる。

そうだ。さっきの細かい、で思い出したんだけど、今日は占いをしに来たんだよ。

「占い?」

チギリが聞き返す。

そう。血液型相性占い。

「エウァが占いなんて、珍しいね」

サキと仲良くなりたいんなら、試したらどうだってホラウが。

「んまあ。いい心がけだわ。仲良きことは美しきかなってね。ワタシも協力するわよ?」

そうだ。ケイミーは占いもやってて、その実力は折り紙付きだった。

じゃあ、手始めにチギリの血液型は?

「Kだよ」

なんか、聞くのが馬鹿らしくなるくらいそのままだね。

「悪くはないだろう?」

品行方正で真面目な君にピッタリだよ。

「ちなみに相性は?」

ええとね。

ボクは本を取り出し、ページをめくる。

K型の男性とE型の女性は……うわ、『悪い』だって。この本は誤植本だ。取り替えてもらわないと。

「本は信じなくてもホラウさんは信じるんだね」

ええー、なんだよ。やる気なくすなあ。ちなみにケイミー、この相性ってホントに『悪い』なの?

「ええ。当たってるわ。女性の奔放な行動に男性がついていけなくなる、っていう傾向があるの」

奔放? 家命を全うしようとしているこのボクが?

「全うしてようがしてなかろうが、奔放だろお前は」

ガムに言われたくないよ。君は昼間っから酒は飲むわ、女は口説くわ、えっちな本は読むわじゃないか。

「待て。最後のはどこで知った」

こないだサキが教えてくれたんだよ。キミの部屋を掃除してたら出てきたって。

「もう相性占う必要ねえくらい仲良しどうしの会話じゃねえか」

まだなんか距離があるんだよねー。どこか他人行儀というか。最初が『先生と生徒』だったからかな。

腕挫脚固うでひしぎあしがためなんかめるからだろ」

あれ? 知ってるの?

「あれからサキが躍起になってんだよ。対抗策を練るために最近サブミッションを始めたんだ」

熱心だね。そういう生徒を持てて鼻が高いよ。

「練習台にされる身にもなれ」

その体格差で関節が極まるの?

「腕や脚だけならな。体育の授業を頼んだ覚えはなかったんだが」

ボクも予定外だったよ。サキったら、暴れて大変だったんだよ? でもまあ、お姉ちゃんに柔道習ってて良かったよ。

「ジュードー?」

うん。和都の格闘技。ボクが学校でイジメられてた時に習ったんだ。寝技があるから暴徒の制圧にピッタリで。

「悪い。サキが迷惑かけたみたいだな」

それはいいよ。でも、貫手で眼を狙ってくるって、サキはカタギじゃないとこがあるよね。なんか知ってる?

「……まあ、咄嗟に手が出ちゃったんじゃないか?」

誤魔化そうとしてない? ……まあいいや。

「俺の血液型は聞かないのか?」

ガムの? 聞かなくてもわかるよ。Oでしょ?

……あ、なんだよその溜息。久しぶりに腹立った。もしかしてボクと同じEだとでも?

「俺を判断する奴は十人中、九人がO型だと言う。しかし正解はKだ」

またまた。ボクを驚かそうとそんな低レベルな嘘を……。

え、嘘、ホントに?

隣でチギリも無言で頷いている。

この世界が時計を象って作られているってくらい、あり得ないことじゃあないか。

「俺の血液型の在りようは世界の真理を越えるのかよ」

じゃあ、なんでそんなにガサツでいい加減なのさ。

「ふふん。本なんかにゃ俺は測れんということさ」

隣でケイミーが「世界が時計?」と首を傾げている。

いや、世界も時計もチクタク回ってるでしょ? そういう意味で似てるんじゃないかなあ、と。

「そういえばそんな気もするわ」

自身でも意図のはっきりしない説明に、ケイミーは納得してくれたようだ。

ふう、危ない危ない。もう少しでこの世界の仕組みを一般人に漏らすとこだった。 でも、チクタク回ってるのは一緒ってのは、一種の気付きかもしれないな……。

話が脱線した。

あれ? っていうことは、ボクはガムとも相性が悪いっていうことか。

「俺はお前とは割とうまくやってる方だと思うんだが、どうなんだ?」

ガムは距離感がほどほどにいいと思う。

「それが人付き合いでは大事なんだ。つかず離れず。しかし手を伸ばせば届く距離」

お酒との距離ももうちょっと離したら?

「酒の方が俺を好いてるからどうしようもないんだ」

どうしようもないのはキミだよ。酒より女の子に好かれようとは思わないの?

「イーダと同じようなこと言うなよ」

ん? イーダって、あのイーダ?

「あー、言っちゃまずかったかな。まあ、クロノスで商売するんだから時間の問題だろ」

クロノスで商売? どゆこと?

「えっとな……」

ガムの話を要約するとこうだった。

改心したイーダは新たな目標として、クロノス国籍を手に入れて商人になるために、クロノスの商人と結婚する(予定)ということだった。

ケイミーの手前、彼女が『逆針の徒』の一員だったということは隠していたが。

それにしたって、野望が頓挫したからってそこまで変わるもんなの?

「やることなくなったって言うから、民芸品の買い付けを勧めたんだよ」

定年退職後の年寄りの台詞じゃん。

「切り換えの早さがあいつのいいとこなんじゃないかと最近は思ってる」

切り換えっていうより変わり身だよね。

あれ? ガム、キミなんか絆されてない? 同情は敵を救わないよ?

「金払いの良い客が、良い人間だ」

こないだの報酬もう使い切っちゃったの? どんな生活水準だよ。……あぁ、家を買ったんだったね。失敬。

門構えと面構えのいい人間は上客を呼び寄せるってね。

で、彼女にいい相手は見つかったの?

……ふうん。青果の卸売の青年ね。まあ、実害がないならボクは全然構わない……。ってなんだよ、ニヤニヤして。ライバルがいなくなってホッとしてるんじゃないかって?

やややだな、そんな、全然、イーダなんて眼中にないっての。いくらスタイルが良くて大人の女性だからって、将来有望なボクと比べたら月とスッポン……。

そこで、ガムがチギリに平たい円形の板を渡す。

「イーダがお前にこれ渡しといてくれって。こないだの詫びだそうだ」

受け取ったチギリが苦笑して、板の正面をこちらに向けた。

その板は人の顔を模したお面だった。

目がギョロリと大きく、唇が厚ぼったい。南の砂漠の国の文化が色濃く感じられる。一言で言うと、不気味だ。

「これは詫びの形をとった嫌がらせかな?」

チギリがぽつりとこぼす。

あの女、ボクの恋人に勝手なことを。

「あの女て」

ガムが突っ込む。

「あと、お前にこの変な動物の木彫りを渡してくれって」

ガムが何やら手のひらに収まる、小さな木彫りの品をボクに手渡す。

ええー……さっきの贈り物を見てると全然期待できない……どうせ不気味な生き物なんでしょ…………ふはあああ! 

これラクダじゃん! しかもフタコブの! なんでイーダはボクの好みを知ってんのさ!

あと変な動物って言うな! 次言ったら、キミの頭をフタコブにするからな!

「ラクダとあの世へ旅立っちまうぜ」

「蓄えるのは死亡ってわけね」

「下らないことを……」

ガムとケイミーの発言にげんなりするチギリ。

こ、こんな贈り物くらいで揺らぐボクじゃないぞ。イーダは旧敵。油断させてまた襲ってこないとも限らない。

ウチに営業に来たなら一週間分の野菜を買ってやらないでもない。

「嬉しそうね」

そ、そうかな? まあ、この国にはいない動物だし、珍しさはあるよね。

「エウァはラクダが大好きじゃないか。素直になればいいのに」

や、チギリはちょっと黙ってて。くふうぅ、息が苦しい。

そうだ、深呼吸だ。

すうぅーーーーーーー、はぁ。

ところでケイミーの血液型は?

「清々しいほどわざとらしく話題を変えたわね」

むしろ本線に戻ったんだ。何型なの?

「え〜、何型に見えるぅ?」

ぶりっ子か。イラッとするからやめろ。

「んもぅ。つれないわね。ワタシはもちろん、押しも押されもしないT型よ!」

胸を張って、そこに手を添えてふんぞり返って発表するようなことじゃないから。

でもまあ、そうだよね。言動は血液型を表す……ガムが非常識なだけだったよ。

ガムがなにやら抗議しているが、ボクはケイミーとの相性を調べるべく本をめくる。

T型女性とE型女性は……『良い』だってさ。

「おい、ケイミーは男だぞ」

「黙れウニ頭。血管にエールをぶち込むぞ?

……さすが、エウァちゃんはわかってるわね。好き」

気持ちはありがたいけど、ちゅーはしないで。

「E型の常識に捉われない発想がT型に刺激を与える……この組み合わせは相乗効果が強いとされているわ」

良かった。今後ともよろしくだね。

「ええ、こちらこそどうぞご贔屓に」

ケイミーと握手してると、横にデイジーがやってきた。

「盛り上がってるじゃない。なんの話?」

血液型の相性占いだよ。デイジーは何型?

「あたしはKよ」

キミもなの? この界隈はKが多いな。

「何百人にも聞いた風ね」

デイジーが突っ込む。

K型の女性とE型の女性は……、『良い』だって。

「K型の女性はE型の女性に憧れる節があるの。目標にして、成長するのよ。そしてE型の女性はさりげなく支えてくれるK型の女性を可愛がる。そんな関係に発展しやすいの」

ケイミーが解説してくれる。

デイジーがボクに憧れてるとこってあるの? ピンとこないんだけど。

「スレンダーなとこかなぁー」

ふぐあっ!!

ぼ、ボクの胸の二つの膨らみはこれから大きくなる予定なんですが。

「アタシがエウァちゃんの歳の頃にはもう服の上からでも目立ってたよ?

周りのバカ男子にからかわれるわ、肩は凝るわ、走ったら揺れるわでロクなことないよー? だからエウァちゃんの体型が羨ましいわー」

そんなのは憧れじゃねえー!

謝れ! そのでかいおっぱいとおでこで三点倒立しろ!

「冗談だよー」

ボクには言っていい冗談と言っちゃ悪い冗談があるんだ。

デイジーが言ったのは考えただけで罪だ!

「思想犯かよ」

「デイジー、あなた死相が出てるわよ」

「また下らない……」

ガムとケイミーの呟きにチギリが突っ込んだ。

「ごめんごめん。でも、エウァちゃんの天真爛漫なとこがアタシは好きよ?」

え、そうなの? へへ、なんだか照れるな。

「そう。あなたがいると、周りの雰囲気が明るくなるわ。

エウァちゃんが来るまで、この三人ったら愚痴ってるばっかだったもの」

はあー、と嘆息するデイジー。

「そう言うのを吐き出す場でもあるだろう? ここは」

ガムが反論する。

「そうなんだけど、アタシの注いだエールはもっと美味しそうに飲んで欲しいかな。他の居酒屋に比べてどうよ?」

「確かに美味い」

「でしょー?」

「はは、一本取られたね。ガム」

とチギリが言う。

「チギリはもっとアタシに愚痴っていいのよ? お店が終わってから癒やしてあ・げ・る❤︎」

ちょっと! チギリの手を握るな!

営業にしたってやりすぎだ。

チギリもドギマギしてんじゃないよ!

「あははー。ごめんね。困ったエウァちゃんが見たくてつい」

ううー、このおっぱい女をなんとかしてー。

と、そこにカウンター奥の、口髭を蓄えたマスターのおっちゃんから声がかかる。

「デイジー。向こうのテーブルから注文。エール十一杯」

「はい喜んでー」

カウンター奥に戻り、サーバーからエールをジョッキ十一杯分注ぐデイジー。

片手に五杯ずつ持ち、残りの一杯は頭に乗せ、スタスタ歩く彼女。


え。そうやって運ぶの?


◾︎◾︎◾︎


鯛の釣り針亭でチギリとケイミーと別れ、ガムと彼の家に行ったが、サキはまだ帰ってなかった。

ガムに紅茶を一杯ご馳走になっておしゃべりしたが、それでも彼女は帰ってこなかった。あんまり長居してもガムの仕事の邪魔になるので、おいとますることにした。

今日は諦めるか……。

家に帰るために南地区の通りを歩いていると、道の脇で何やら呼びかけをしている二人組がいた。

片方は女性。年の頃は二十代半ば。身長高めで茶髪のショートカット。白衣を身に纏っている。おそらく看護士なのだろう。

もう片方は男性。長身でやせ型、薄い茶髪の七三分け、顔には四角い黒縁眼鏡。女性の方と同じく白衣を身に纏っている。

初見ながら男性の方の外見には違和感を覚える。無理矢理真面目な格好をしているような。

彼女らは手に紙を持ち、通りを行き交う人に配っている。

「よろしくお願いしまーす。薬物は危険ですよー。取り返しがつかないことになりますよー」

女性の方が棒読み気味に呼びかける。

対して男性の方は、気怠げに手にしたビラを配るのみだった。

ボクは女性の方に近付いて尋ねる。

ねえ、何してるの?

「何って、見ての通りのビラ配りだよ」

何のビラ?

「違法薬物の使用の危険性の注意……

っても、お嬢ちゃんはこんな薬物なんかにゃ縁はなさそうだね……ちっ、胸糞悪い」

ボク、初対面の人に胸糞悪いって言われた?

「ああ、育ちの良さそうなやつを見るとつい。悪い」

間違ってないけど間違ってるよ。

「お嬢ちゃん、この辺の生まれじゃないだろ」

まあ、そうだけど。

「身なりと目つきわ見りゃわかる。ここいらの人間は荒んでるやつが多いから。

……薬物に手を出すのはその辺うろついてる麻とか綿の服着た小汚い子どもばっかさ」

ビラを受け取る。

サスエ、エンブラ、ピエパウ、サキュティ、ルシタス……などなど多様な薬物名が略語で書かれていた。

「きっと人生が嫌になって、一時の快楽に身を任せちまうんだろうね」

そういう子どもを増やさないための活動?

「まあね。でもこんなのは焼石に水さ。根っこが変わらなきゃ何にも変わんないさ」

根っこって、子どもの福祉のこと?

「ん? ポヤンとしてそうな割にはわかってんね」

ポヤンは余計だよ。

「悪いね。クセなんだ。金持ち見るとやっかむの。

アタシはエイダ。お嬢ちゃんは?」

ボクはエウァだよ。

「よろしくエウァ。そのビラ、ご両親にも見せといてよ。

でも、なんでいいとこのお嬢さんがこんなところウロウロしてんの」

友達に会いに。

「へえ、珍しい。でも、用が済んだら早く帰んな。追い剥ぎに遭うかもしれないよ?」

まだ用事は終わってないんだけど……。そうだ、ところでエイダの血液型は?

「なんだい唐突に? ……ああ、相性占いか。アタシはKだよ。」

また!?

「ははっ。もう何人かに聞いてきたのかい? 無理もないさ。K型は人口に対する割合が一番多いんだ」

え、そうなの?

「ちなみにエウァは?」

E型。

「ああ、あの変なやつが多いっていう」

変じゃない。目の付け所が常人とは違うだけだ。

「それが世間じゃ変っていうのさ。いい悪いは置いといて。ちなみに相性は?」

『良い』だよ。ちなみにKの女性はEの女性に憧れるらしいよ?

「アタシがアンタにってこと? 初対面でそう言われてもね」

初対面で結構なこと言われたんだけど。

「うーん。エウァがホントに金持ちだとしたらそこには憧れる」

人間性じゃないの?

「人間性なんて二の次三の次よ。アタシの両親は無職同然で、家庭内暴力は日常茶飯事だったからね。人間性より信用できるのは金だよ。金があれば自由が買える」

うーん。あんまり踏み込んじゃいけないような。

「気遣いしてくれるのかい? いいよいいよ。あいつら傷害で刑務所にぶち込まれて以来、縁切ったから」

初対面で重い話を。

「アタシはまだ運がいい方さ。二軒隣の家のアタシと同い年の子は、虐待受けてグレて、現実から逃げるために薬物漬けになってそのままオダブツさ。落とし穴はアタシ達のすぐそばで口を開けてるんだ」

そのために薬物の使用を注意する活動を? 友達思いなんだね。

「んにゃ。これは院長に言われてやってるだけ。薬物は配る方は勿論、やる方も悪い。あと、その子は友達じゃあない」

ボクの同情を返してよ。

「ははっ。アタシに同情? 生意気だよ。ちびっ子は自分のしたいことをしなよ。こんなめんどいことは大人に任せときな」

「その面倒なことやらずに、くっちゃべってるのは誰かな〜?」

横から、七三メガネの男が割って入る。

「おお、フェネン。ビラちゃんと配って偉いじゃないか。これ追加で頼むよ」

言って、持っていたビラを彼に渡すエイダ。

「なっ、自分で配れよ馬鹿エイダ! あと、『フェネンさん』っ呼べよ」

「うるさい。アンタは今一番下っ端なんだからアタシの言う事聞け」

「お、横暴だ。僕は自分の分は配り終えたんだぞ?」

「ブンダさんから『二人で全部配れ』って仰せつかっただろ? ここは協力しようじゃないか。ね?」

ウィンクするエイダ。

「くそ、二言目には院長の名前を出しやがって。こんな横暴な女を口説いていたかと思うと、恥ずかしくて穴に入りたい……」

「アンタみたいなチンピラが院長やってた病院はもっと恥ずかしいんだよ。何とか人員も元に戻ったんだから、アンタのお父さんに感謝しな」

「ああ言えばこう言う……」

憤懣やるかたない様子のフェネンと呼ばれた男。そしてボクに向き直る。

「ちなみに、お前は何をしてるんだ?」

相性を占うために血液型を聞いてるんだよ。

「はあん。また非科学的なことを。ちなみに僕はJ型だ」

ノリノリじゃないか。

J型の男性とE型の女性の相性は……

『良い』だね。自分の世界を持っている男性に、奔放な女性が惹かれる。また奔放な女性を振り向かせ、自分の世界に引き入れるために、男性が自身を磨こうとする、だって。

「ふぅん? お前はまだ未成熟なようだが、将来僕が作るハーレムに入れてやらんこともないぞ?」

色目を使うなよロリコンが。

「失敬な。僕は年下だろうが年上だろうが美しい女性なら誰でも受け入れる度量がある」

一応褒められてんのかな?

「やめときな、エウァ。そいつは人間性の部分に末期患者を抱えてる」

人間性は二の次三の次だったのでは?

ところでフェネン、キミの言う美しさって何さ。

「グラマラスなことに決まっているだ」

うるせえー!!

ボクはフェネンの膝裏にローキックを入れた。くずおれる彼。

「な、何するんだお前!?」

今度ボクの前で『グ』と『ラ』と『マ』と『ラ』と『ス』を繋げて言ってみろ。そのおケツを割ってやるからな!

「生まれた時から割れてるんだが」

テチラマ峡谷並みに刻んでやるから覚悟しとけ!

「こないだの件といい、最近の少女って怖いな……」

ん? エイダ何か言った?

「いや、何でもない」

まったく、何でこの街の男どもはデリカシーがないんだ?

あ、ちなみにJ型男性とK型女性の相性も『良い』だって。良かったねエイダ。

って、どうしたの? 笑顔が怖いんだけど。

「いいかいエウァ。世の中には

言っていい冗談と悪い冗談があるんだ。ちなみにこの男は存在するだけで悪い」

思想することさえも許されないの!?

そこでフェネンがフラフラと立ち上がりながら

「機嫌悪いな。……もしかして生理か?」

と言い、エイダに叩かれて地面に伏し

た。あ、背中をぐりぐり踏まれてる。

「あぁ? もっぺん言ってみろ。いや、不機嫌なのは違いないけど、それはマウロのじいさんがまたアルコール中毒で運ばれてきたからだ。あんだけ酒は控えるように言ったのに……。ったく、また痛ぶっ…………看病してやらないと」

このヒト達は白衣を着たやくざなのでは。

「おい、いい加減足をどけろ!」

フェネンがフラフラと立ち上がる。

「それとメスガキ!」

ん? ボクのこと?

「お前のくだらん占いのせいで、僕がこんな酷い目に……」

「バカか!」

フェネンにローキックをかますエイダ。再びその場にくずおれた。もしかして彼女、諫めてくれてる?

「な、何をする……!」

恨みがましく、エイダを見上げるフェネン。彼に彼女が言い放つ。

「『メスガキ様』って言えよ」

ん?

「この子の身なりを見て上流階級の人間だってわかんないのか?」

んん?

「確かにそうだが……」

「この子が将来何らかの病気を患ったときに、お前の暴言が原因で来院してもらえなかったらどうするんだ?

その時のための四◯一号室だろうが」

「……お前、天才か!」

「エウァ、コイツにはアタシからきつく言っとく。何か体に不安なことがあったり、病気をしたときはクロノス西病院に来るんだぞ?」

うん。絶対行かない♪


◾︎◾︎◾︎


夕暮れで街が真っ赤に染まっている。ボクは帰途に着き、西地区を歩く。

相変わらず人通りはほぼないが、それぞれの家が夕餉の準備をしているためか、生活の営みの雰囲気を感じることはできる。

通りの先を見遣ると、一軒の屋敷の前に人影がある。あれは……。

サキじゃん。何やってんの?

「う、ゆるふわ女」

デジャヴかな?

「一度別れてもまた出会う。今日はそういう運命だったという解釈はできないかな?」

サキはややあって

「……できない。絶対」

と言った。

その小脇に抱えてる小包は……

あれ、まだ仕事終わってなかったの?

「ち、違うわよ。荷物を持ってきたんだけどメイソンさんが受け取ってくれなくて」

そういえばここはメイソンさんちだね。後は渡すだけでしょ? なんで?

彼女はしばらく躊躇ってから

「……わたしからじゃ、信用できないから、受け取れないって。ガム……所長を連れてこいって……」

と言った。

怒っているような、悲しんでいるような表情。

なんだそんなこと。

メイソンさーん!

ボクが大声で呼びかけると、屋敷の玄関扉が開いて、中から初老の小柄な男性が出てきた。

「なんじゃ大声で……ん? 小娘まだおったのか。さっさと帰れと言うたのに。おや? 隣にいるのはエウァお嬢さんじゃないか」

こんばんは、メイソンさん。

「今晩は。何か用事かね?」

この子、サキはボクの友達だ。そんでヴォータン傭兵事務所の正式な助手なんだ。ボクの顔に免じて、小包を受け取ってやってくれないかな?

「エウァお嬢さんがそう言うなら……」

ほらサキ、小包を渡して。

「あの、どうぞ」

サキが小包をメイソンさんに渡して、受け取りのサインを貰った。

これからもサキをよろしくね。

「ああ、わかったよ」

ありがとね。

メイソンさんが屋敷に戻った。

仕事が終わって良かったね、サキ。

って、なんで睨むのさ。

「なんでアンタが出てくると、すぐに解決しちゃうのよ!」

その前に言うことがあるんじゃ?

「うぅ〜〜〜〜、……ありがとう……!」

そんな重いお礼は初めてだよ。なんか不満そうだね。どうしたのさ。

「何でアンタは良くて私じゃダメなのよ!? たかが小包を渡すだけでしょう?」

ちょっと落ち着こうか。配達にもコツがあるんだ。

まずは性格だね。メイソンさんは用心深い。初対面の相手に対して警戒するんだ。

次に地域。この辺は上流階級の家の集まった区画だ。庶民が歩いてると、まず不審がられる。

最後に知名度と実績。これは言わなくてもわかるよね。

小包を渡すにしても、信用が重要なんだ。

「けど、納得いかないわ。わたしは仕事をしているだけなのに」

場所や相手にも合わせる必要があるんだよ。

でも、ガムも難易度の高い仕事を振るんだね。

「荷物の配達が?」

さっき言った通り、これは信用が重要な仕事だ。

これからコツコツやるしかないんだよ。門前払いされてもね。信用ってのは一朝一夕じゃ得られないもんさ。

ガムも苦労してたよ。メイソンさんに荷物受け取ってもらうのは。

「え……そうなの?」

サキと同じような対応をされてたからね。

「所長はどうやって荷物を受け取ってもらったの?」

教えてもいいんだけど、これはガムにしかできない方法だよ?

「いいから」

メイソンさんの好きだと思われるお酒を、配達の度に持って行き続けたんだ。

「お酒?」

ガムが最初に訪問した時に、メイソンさんが酒好きだってのは見抜いたみたいでね。

配達の度に違う酒をついでに持ってきてたんだ。

三回目くらいからメイソンさんも楽しくなってきたみたいでね。

『あの若造は次はどの酒を持ってくるかのう』なんて言ってて。

七回目でやっと荷物を受け取ってもらえてたね。

「なんで回数までわかるのよ」

ボクがガムに、毎回付き合わされたからだよ。『メイソンさんを呼び出してくれ』って。

まあ、用心深いメイソンさんを呼び出すのにはいい手段だよ。

「暇なの?」

まさか。お父さまの手伝いと習いごとでいっぱいいっぱいだよ。でも、友達の頼みだからね。

「所長が、友達?」

うん。ガムのいいところは、人を頼るのがうまいとこだね。見た目と剣の腕はいかついのに、自分の弱点を恥じないんだよ。いい意味で目的の達成のためには手段を選ばない。人たらし、ていうのかな。

「いいように使われてる、って思わないの?」

思ってるよ。でも、世の中そんなもんさ。あることが苦手な人は、それが得意な人に任せる。苦手を克服するのも一つの手段だけど、そうじゃなくてもいい。

ああ、ガムはメイソンさんへの荷物の配達が成功した後、ボクにお礼をしてくれたよ。ボクはそんなの要らないって言ったんだけど。まあ、そこが彼の世渡り上手なとこだね。

さて、ボクのおかげで仕事が終わったところで。

血液型教えてよ。

「わたしにはお礼を催促してんじゃないのよ」

失敬。話の流れ的にそんな感じになっちゃった。

「しかも何よ急に血液型って」

占いにハマっててね。ボクとキミの相性を占いたいんだ。

「わたしは別に知りたくないけど……アンタに借りを作りたくはないから、いいわよ。K型」

ホントに多いな。

ボクとキミとの相性は『良い』だね。

ケイミーはなんて言ってたかな。確か……

K型の女性はE型の女性に憧れる節がある。目標にして、成長する。そしてE型の女性は、さりげなく支えてくれるK型の女性を可愛がる。

だって。ピッタリじゃん。

「どんだけ自己評価が高いのよ」

一緒に過ごしたらお互い良いところが見つかるかもよ?

いつでもうちに遊びにきてくれてもいいんだよ? こないだ倉庫から古いボードゲームを見つけたんだ。一緒にやろうよ。

「こっちは仕事で忙しいのよ」

じゃあ、組手をしようか。うちには道場もあるんだよ?

「え? それなら……」

いいんだ。体動かすのが好きなの?

「アンタにやられっぱなしなのが癪なのよ」

やだなあ、あれは不意打ちだったからめられたようなもので。

「こっちの隙の見極め方が、玄人はだしだったわ。アンタを素人だと思い込んだ自分の浅はかさが悔しいの」

格闘技は、お姉ちゃんがだいぶ仕込んでくれたからなぁ。

「お姉さん、いるの?」

……うん。でも、いまは遠くに行っち

ゃっていないけど。

「なんだ。手合わせ願いたかったわ」

……武者修行でもしてるの?

「相手の強さを測りたいのよ。自分より強い奴は潰しておかないと、夜安心して眠れないって師匠が」

キミの師匠はこの国の裏番かな?

ちなみにサキの使ってる格闘術って何なの?

「さあ?」

自分で知らないの? 貫手を使うあたりカラテだと思ったんだけど。

「師匠に言われるまま覚えたから、何の格闘術かはわからないの。でも、競技っていうよりは実践向きのものよ」

よく見ると締まった腕してるよね。

「気安く触るな」

ごめんごめん、ふふ。

「なんで嬉しそうなのよ」

いやあ。武術をやってるっていう共通点が見つかって嬉しくって、つい。

「変わってるのね。まあ、武術を身につけてたお陰で、危険な場面を切り抜けたり……危険な目に遭ったり……危険な場面を切り抜けたり……やっぱり危険な目に遭ったり……あれ、わかんなくなってきた……」

ははっ。サキもそんな顔するんだね。

「う、うるさい」

ボクは、イジメっ子をやっつけるのに武術が役に立ったよ。

「いじめられてたの? うそでしょ? なんで?」

なんでだろう。E型だからかな?

「そんなふざけた理由が原因なら、E型以外の人間は全部滅ぼしてやるわよ」

優しさが重い。

「他人を理不尽な目に遭わせる奴が嫌いなだけ。イジメなんてなければ、ラーロだってあんなことには……」

ん、ラーロって?

「……こっちの話。イジメに対してわたしがどうこう言うのは、別にアンタのためじゃない」

またまたぁ。照れなくてもいいじゃない。

「肘でぐりぐりするな。アンタって、なんでそう自分の都合の良いように捉えるのよ」

んー、楽しいからかな。

「楽しい?」

そう。楽しいは大事だよ。

美味しいものを食べたり、体を動かして遊んだり、本を読んだり、絵画を観たり。

例え、大切な人を失ったとしても、ボクは楽しみを見つけることや感じることをやめないよ。

望んでくれていると思うから。遺された人が笑って過ごしていることを。

「……わたしはそうは思わない」

なんで?

「もし……もしも理不尽に殺された人がいたとして、残した人が笑っているのを許せるはずがない。

『どうしてあそこで笑っているのはわたしじゃないんだ』『どうして幸せな日々を送っているのはわたしじゃないんだ』『わたしを殺したいやつがなんでのうのうと生きているんだ』って」

……。

「もし、殺されたのがわたしだったら、絶対許さない。わたしを殺した相手を殺すまで、許さない。

もし、わたしの大切な人が殺されたとして、その犯人が見つかったら、バラバラに切り刻んで、中央広場セントラルに晒してあげるわ。夜明けの鐘と一緒に、天国のその人に届くように」

全身がぞわりとする。彼女の言葉は平静だが、その内側に吹き荒ぶ風のような激しさを感じる。

……サキの身近な人に、何かあったの?

「……例えばの話よ。あー、もう、変なこと言わせないでよ」

いやいや、目がマジだったよ。

「日も暮れてきたし、帰るわ。晩ご飯作らなきゃ」

じゃあ、またね。

「……約束はしないわ」

つれないなあ。背を向けて去る彼女に小さく手を振る。

絶対に許さない、か。同い年でも人生観って全然違うんだな。

ボクもお姉ちゃんを喪った時に、ガムとチギリがいなかったらどうなっていたか。きっとこんな短期間の内に、笑って日々を過ごすなんてことはできなかっただろうな。

でも、先程喋っていた彼女からは『逆針の徒』の人と同じ雰囲気を感じた。

自分の身を滅ぼしてでも復讐を成し遂げんとする衝動。

サキは、もしかしたら。

……ううん。今考えても仕方ないな。はぁ、お腹が空いたからボクも帰ろう。

この、血に染まったような夕焼けが紺青に変わる前に。


–––ひだまりの中の陰–––END

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