09話 指のすきまから見えるもの



「うまい…………!」

黒髪ツンツン頭の大男、ガムが口をむぐむぐさせながら感想を漏らす。

「そう? 口に合ったんなら良かったわ」

それを受けて、黒髪ツインテールの少女、サキが答えた。

二人は台所で、テーブルについて朝食を摂っている。メニューはフレンチトーストだった。ただのフレンチトーストでガムは感動はしない。トーストには半熟の目玉焼きが乗っており、周りに薄切りに焼いてしんなりとしたジャガイモ、カリカリに焼いたベーコンが添えられている。そしてトースト全体に塩コショウを軽く振っていた。

一人で暮らしていた時分、ガムは料理に手をかけるということはほとんどしなかった。

バケットを焼くだけ、ハムを焼くだけ、豆、野菜は煮るだけ。味付けも塩がほとんどだ。たまにコンソメを使うくらいである。いわゆる『調理』という水準には達していなかった。

その食生活はサキが来てから変化した。彼女も当初はガムと同様、調理はしていなかった。しかし、しばらくすると彼女の知り合いから仕入れてくる知識を使って、しっかりした料理を作るようになった。

そして、特筆すべきはそのナイフ捌きである。

野菜や肉は言うに及ばず、魚もうろこ取りから三枚におろすのまで鮮やかにやってのける。その手つきに、ガムは感心していた。彼は面倒な魚の調理などほとんどしない。

ぶつ切りにして鍋にぶち込むだけだった。

ガムは一点気になっていることがあった。そう、サキはどんな食材もナイフ一本でやってのける。

サバイバルナイフで。

「なあ、サキ」

「なぁに?」

「料理に使ってるナイフなんだが」

「どうかした?」

「俺には、戦闘で使ってるのと同じに見えるんだが」

敵を斬って血を吸ったナイフと同じに。

サキは一呼吸おいて

「……鉄分を取ると朝すっきり起きられるらしいわよ?」

と呟いた。彼女の言葉に、ガムの咀嚼がぴたりと止まる。凍り付く食卓。

「……冗談よ。調理用に同じのを鍛冶屋に作ってもらったのよ」

「調理用にサバイバルナイフって、お前」

「変かしら?」

「普通の包丁があるだろうが。なんでわざわざ」

あまり料理をしないガムも包丁くらいは持っている。

「普段と違うナイフを使って戦闘時と違和感が出たら嫌だから」

サキが愛用しているサバイバルナイフは本当の実戦用である。

ガムは一度じっくりと見せてもらったことがあるが、柄の部分がサキの手の形にすり減っていた。何千回、何万回と振ってきたことは容易に想像できた。

しかし調理にまで同形のサバイバルナイフとは……それもプロ根性の現れなのだろうか、と戸惑いつつガムは咀嚼を再開した。

そこでガムはふと疑問に思った。

「わざわざ鍛冶屋にサバイバルナイフを作ってもらうなんて、結構な額だったんじゃないか? そんな金どこから…………」

しばらく思案顔をしてから

「あ!」

ガムは思い至る。

「お前、まさか、給料を」

「そうよ? 悪い?」

彼女はガムの家に転がりこんで来た居候である。が、彼の傭兵業の助手をしている以上、ガムはサキに給料を払うことにした。

この間、彼女に初めての給料を渡した。サキは硬貨の入った布袋を両手ですくうように持ち、しばらくじぃーっと眺めていた。

そして自分の部屋に持ち帰り、机の抽斗ひきだしにしまって居間兼応接室に戻って来た。

それを見てガムは、巣穴に餌を持って帰るウサギみたいだな、と思った。

彼女は自身の働きがお金に変わったことが実感できていないようだった。

ガムはサキに問う。

「……給料、残りは?」

「すっからかん」

平然と答えるサキ。

初任給をサバイバルナイフに全部つぎ込むってどうなんだ、とガムは頭を抱えた。


◆◆◆


「ガム、今日は仕事は?」

朝食を摂り終わり、流しで食器を洗いながらサキが聞く。ガムは、上は黒い綿のシャツ、下は茶色のスラックスに着替えていた。

「特にない。俺は得意先に挨拶回りに行くから、サキは留守番しててくれ」

「えぇ? わたしもお出かけしたい」

「ダメだ。俺の留守番中に誰か依頼人が来るかもしれないだろ。

挨拶して、名前と住所を控えてくれ。そんで後日伺いますって伝えてくれ。

依頼人に断られたら、それはそれでいい」

「依頼人なんて来ないって。ここ一週間、閑古鳥が鳴いてるじゃない」

「うるさい。だからこっちから出向こうってんじゃないか。

そんでお前がここで待ってれば、事務所に来た依頼人も捕まえとけるだろ」

「それなら、挨拶回りに可愛い子がいた方がいいわ。

依頼人も喜んで、つい依頼しちゃうかもしれないわよ?」

「しれっと自分を可愛いって言うな」

可愛いことに自覚のある女はやっかいだ。自分の利用価値を知っている。そしてサキは、年相応に可愛い。だが、下手に手を出せば隠し持ったナイフで切り裂かれるだろう。

「……ぇへ」

「頬が引きつってるぞ」

まだ、自然な笑顔を浮かべるのは苦手なようだ。

「なんだってそんなに出かけたがるんだよ」

「……え、それは、あの」

ガムの問いに、途端に歯切れの悪くなるサキ。しばらく、ざぶざぶと食器を水で洗い流す音が台所に響いた。

言えない。こないだ外で飲んだタピオカミルクティーが美味しかったからまた飲みたいとは。

「……あの、あのね」

「なんだよ」

言おうか、言うまいか。タピオカミルクティーを飲むのは仕事とは関係ない。でももしかしたら、頼んだら買ってもらえるかもしれない。しかし給料全部を使い果たしたのは自分のせいだ。それなのに買ってと頼むのは図々しいのでは……。

悩んでサキは言った。

「……やっぱいい。なんでもない」

「? 言いたいことがあるなら言えよ」

「なんでもないって言ってんでしょ!」

怒鳴るサキ。びくっ、と体をこわばらせるガム。

「うおっ! 急に大声出すなよ。びっくりするだろ。

 ……まあいいや。じゃあ、留守番頼むぞ」

「…………は~い」

気の無い返事をするサキに背を向け、ガムは手をひらひらと振り事務所を出て行った。


◆◆◆


かち、かちと居間兼応接室に壁掛け時計の針の音が響く。

「………………暇だなあ」

ソファに座り、腕を天井に伸ばして背のびするサキ。

時刻は正午近く。今までの来客と言えば黒髪ロングヘアの若い女と茶髪パーマの壮年の女の二人組だけだ。二人とも日傘を差していた。

サキが用件を聞く前に、若い女性が『世界は終末の時を迎えようとしています。我々が崇めるスミル神の創造せし方舟ならば崩壊する世界を乗り越え救われます終末とは我々人類の行いで決まるのです現在世界は悪い方に傾いているので近いうちに地上には阿鼻叫喚の地獄絵図が繰り広げられるでしょう人間同士が血で血を洗う戦慄の……』うんぬん、早口でまくし立ててきた。三十分近く一方的に話している間、若い女は笑顔でサキから視線を外さず、まばたき一つしなかった。不穏なものを感じたサキは、勧誘を丁重に断った。去り際、壮年の女性が「呪いあれ」と呟いたように聞こえたが、きっと気のせいだろう。

それ以降は特に来客はなし。愛用のサバイバルナイフ(戦闘用)の手入れも終わり、

サキは暇を持て余していた。

ガムの家に居候になる以前は暇な時間などなく、食糧の調達や戦闘訓練に明け暮れていた。

「考えてみれば、生活に余裕ができたのなんて、初めてかな」

生きるため、もとい生き延びるためだけにがむしゃらだった。

草でも虫でもネズミでも、食べられるものは何でも食べた。

今日を生きるために、見知らぬ人から暗殺の依頼を受け、知らない人間を害してきた。

サキはサバイバルナイフを頭上にかざし、刀身を眺めた。

「いっぱい、血を吸ってきたんだな。この子…………、あと、私も」

その分、重くなっている気がする。ナイフも、自身も。そんなわけないのだが。

「昼間にソファに寝そべってだらだらしてるなんて、師匠が見たらなんて言うかな」

×××だな、サキ。

そんな声が彼女の頭に聞こえてきた。なんだかムッとした彼女は

「……、いいだろ。ざまみろ」

と悪態をつく。

「これもガムのおかげなんだよね……?」

ふとサキは考える。

なぜガムはわたしの面倒を見てくれるのか。わたしはガムを親の仇だと思って襲った。

でもそれは勘違いだった。その翌朝、お詫びのつもりで彼に朝食を作りにこの家を訪れた。彼が寝ている間に勝手に家に入って。そして彼の傭兵業の助手を申し込んだ。

頼まれてもないのに。

迷惑そうにしていたが、それを了承してくれた彼。

ちょっと待て。

「…………わたしって、押し込み強盗じゃないの?」

羞恥心で顔が上気するのをサキは感じた。額に数滴の汗が浮かぶ。

さらに彼女は考える。

わたしがガムの立場だったらどうだろうか。

自分を襲った人間が再び目の前に現れたなら、有無を言わせず排除する。

自分が生き残るためにはそうするしかない。

なのに、なぜガムはわたしを受け入れることができたんだろう。

相手が寝ている間に家に侵入するということは、言い換えれば『いつでもお前の命を奪える』と脅しているようなものだ。

そんな脅迫者に助手を申し込まれたガムの気持ちはどんなものだったろうか……。

わたしだったら絶対断る。

つぅ、と汗が額からあごに伝い落ちる。

「まずいわね……」

人として。暗殺業に全身浸かっていると、お願いと脅迫の区別がつかなくなるのだろうか。

「恨むわよ、師匠」

暗殺業からの足の洗い方を教えてくれなかったことに文句をつけるサキ。

当然誰からも返答などない。

「何とか挽回しないと……」

ソファから身を起こし、ナイフをテーブルの上に置く。

彼女は立ち上がり、部屋の中をうろうろと歩き出す。

「何かガムのためになるようなことをしなきゃ」

何が良いだろうか。オオカミを狩ってきて彼にご馳走しようか。

いや、乱れた食生活を送る彼に、消化にいい野草の料理を振舞おうか……。

部屋を十数周歩いて、彼女はふと部屋の角に目を遣った。床に綿埃が溜まっている。

「……これだ。ガムの部屋を掃除してあげよう」

この一か月ちょっと、彼女はガムと生活してきた。

彼の生活ぶりといったら、お世辞にもきちんとしていると言えなかった。

料理はテキトー。洗濯も雑で、干した洗濯物をとりこんだまま畳まない。

台所も使った食器が積み重なっている。この居間兼応接間のみ、小ぎれいに取り繕われていた。依頼人を迎えるに当たって、当然と言えば当然だが。

サキは彼の部屋に入ったことはないが、家全体がこの調子ならきっと彼の部屋も散らかっているだろう。

そこをきれいにして、ちょっとでもガムに喜んで貰おう、とサキはガムの部屋に向かった。

彼の部屋の前に立ち、ドアノブに手をかけるサキ。ノブを回して、ドアを引く。

彼女がそこで見たものは、予想通りの光景だった。

床に散らかった服や本、鞄や武器もろもろ。

ベッドの上はシーツが乱雑に置かれ、机の上もペンや紙が使いっぱなしのまま放り出されていた。

「何よこれ……。師匠といい勝負だわ」

足の踏み場のない床を泥棒のようにそろりそろりと進むサキ。

呆れていても仕方がないので、まずは窓を開け、床面をきれいにすることから始めた。

ベッドのシーツを洗濯し、家の裏庭の物干しざおにかけておいた。

そしてガムの部屋に戻り、本は本棚に、衣服はクロゼットに戻す。

リュックや革袋等の鞄は、支柱から取っ手が複数個所伸びた鞄掛けに掛け直した。

机の上のペンや紙は、作業途中のようなので触らないことにした。

物をどかした床にほうきをかけ、水拭きした。

この時点で時計は三時を回っていた。

「ふぅ……、こんなもんかな」

額の汗をぬぐい、ガムの部屋を出ようとした時。

サキの目の端に何かが映った。ガムの机の下。

よく見ると本のような薄いものが落ちている。

「まだあったのね」

机の下に手を伸ばし、本を拾い上げるサキ。その表紙をみて絶句した。

『月刊ウロボロス・マガジン』

そこには一糸まとわぬ若い女性の絵が描かれていた。大事なところは手で隠しているが。

そして『熟れ揃うたわわな果実』『フェティッシュな貴方に贈る美脚のススメ』『素人達のドキドキ体験』などのキャッチコピーが踊っている。

「これって、まさか」

ページをめくるサキ。そこには彼女が思った通り、女性の裸の絵が何ページにも渡って描かれていた。

中には下着をつけた姿のものもあったが、どれも艶めかしいポーズをとっている。

それは成年雑誌だった。

クロノス王国では普通の本屋で取り扱っている書籍だ。子供の目には届かないように店の隅、そして高い場所に陳列されるという配慮は一応なされている。

「が、ガムのスケベっ!!」

サキは顔を真っ赤にし、本を放り出した。そして混乱する。

なんでこんなヒワイなものがこの家に。ふ、不潔だわ。こんなものは一刻も早く処分しないと。でも、なくなったらわたしが捨てたってばれる。しかも中を見たんじゃないかって疑われる。そしたらえっちな子って思われちゃう。わたしはどうすれば……。

ひとしきり悩んだ後、サキはウロボロス・マガジンを机の下に放るように投げ込んだ。

そしてそそくさと部屋を出た。


◆◆◆


時間が正午を回った頃。ガムは町はずれの一軒の家を訪れていた。

二十平方メートルほどの部屋には診察台やベッド、そして治療用であろう機械がところ狭しと設えられている。

部屋の奥には床の間、そして一本の刀の置かれた刀掛けが一台。

その部屋で、ガムはベッドに上半身裸でうつ伏せになっている。

そして彼の腰の上で、彼に跨るように座っている人物がいた。

その人物は腰まで届くほどの長い黒髪、整った容貌、鼻梁にレンズの小さな丸メガネを掛けていた。

纏った白衣がよく似合っている。年齢は二十代の後半ほど。

男か女か外見では判断がつきづらかった。長髪の人物は彼を蔑むように見下ろし、言った。

「馬鹿者ガ」

そして両手をガムの背中、肩甲骨の部分に当て、親指をぐっと押し込んだ。

「いでででででっ! オウカ、もっと優しく頼む!」

「喚くナ。みっともなイ」

容赦なく指圧を続けるオウカと呼ばれた人物。オウカはクロノスで医者を勤めている。医者といっても正式な医者ではなく、いわゆる闇医者である。

オウカはクロノス王国から遥か東の『和都』という国の出身だった。

和都では家は石ではなく木でできており、主食はパンではなく米だという。

ある事情があってオウカは和都にはいられなくなったらしいが、詳しい話はガムは聞いていなかった。

オウカの指がガムの背骨の両側を上から下になぞっていく。

「いてっ! いてててててて!」

「腕力に任せて無茶しすぎダ。それに定期的に治療を受けに来いと言っているだロ。

一か月もさぼりやがっテ」

ガムはオウカとひょんなことから出会ったのだが、時々こうして治療を受けに来ている。

「いや、ちょいと仕事が立て込んでて」

「ウソつけ。この程度の体のがたつきで忙しかったはずがあるもんカ」

「いでっ!」

ひときわ強く、ガムの背中にオウカの指が押し込まれる。

「ウソつく暇があるならもっと僕のところに通エ。そして金を落としていケ」

「そこは嘘でも体を治しに来いって言ってくれよ」

「甘えるナ。誰のおかげで日々働けると思ってるんダ」

ガムに、オウカの親指が強く押し込まれる予感。

「……オウカのおかげだ」

「『さん』を付けろよ、ウニ野郎」

「いでええっ!」

ベッドの上でのたうち回ろうにもオウカに体を押さえられて身動きの取れないガム。

「大の男が、もう少し堪えないカ。……ン?」

オウカの手が止まり、ガムの両肩のあたりを撫で回す。ガムはもぞもぞと身をよじらせた。

「くすぐったいじゃないか。なんだ?」

さらに、筋肉を探るように揉む。

「いや、何でもなイ」

ぐいぐいと、ガムの背中へのオウカの指圧は続いた。


◆◆◆


治療後、ガムはベッドに座り直し、シャツを着た。両肩をぐるぐる回す。

「うん、体が軽い。やっぱお前の治療は効くな」

「当たり前ダ。それが僕の仕事ダ」

ガムの向かいで、木製の丸椅子に座るオウカ。しばらくじっとガムを見つめた後、

「『引き回しのジン』」

と、ぽつりと口にした。

「? 急になんだ?」

「ちょっと前、噂になってたじゃないカ。引き回しのジンの再来。

深夜、町中で鎖をチャリチャリ引きずってる奴がいるト」

ガムはドキリとしながら、そうだな、と相づちを打った。

事件の張本人を引き取って、助手をさせているなど言えなかった。

「最近は噂を聞かなくなっタ。ガム、何か知らないカ?」

「……さぁな」

「ガムの両肩から背中にかけて、微小な筋肉の断裂の痕があちこちにあル。小さな金属で何度も打たれた感じダ。ちょうど、そう、鎖みたいナ。

もしかしてジンの物まね野郎と戦ったんじゃないかと思ったんだガ」

「仕事の筋でも俺のところには何の話も来てないな。警察が捕まえたんじゃないか?」

話どころか、本人が朝早く家まで押しかけて来たわけだが。

「だったら新聞に載るだろウ。しかしそんな様子もなイ。まだ機会はありそうダ」

「機会ってなんのだ?」

ガムは訝った。オウカは自分で引き回しのジンの再来?を捕まえでもするつもりなのだろうか、と。

「襲われた被害者が僕の患者になる機会ダ」

くつくつと笑うオウカ。それに対してガムは引きつった笑みを浮かべている。

「とんでもないことを言うな。お前は怪我人が出た方がいいってのか」

「医者としてそんなことは言わなイ」

「じゃあ、なんでそんな突拍子もないことを言うんだ?」

オウカは眼鏡のつるに手をかける。

「被害者となったのは領主や貴族だけだっタ。奴らは領民から税を絞り取り、私腹を肥やしていタ。はっきり言って最低の人間ダ。

じゃあ、今度はジンに襲われた人間は、周りから見れば最低の領主や貴族だっていう認識となル。そんな奴らが仮に怪我しても、外聞を気にして公にはできない。自然と僕のような生業をしてるとこに助けを求めることになル」

そこでオウカはにやりと表情を歪ませ

「そんな奴らからなら、好きなだけふんだくったって構わんだろウ?」

と両腕を広げた。

「お前の商売の仕方に俺がとやかく言う権利はないさ。

実際、こうして治療してもらってるわけだからな」

「ガムは話がわかるからイイ奴ダ。僕の故郷では『医者は仁術』だとか言って、

金の話をすると煙たがられたもんサ。

その医者が金がなくて飢え死んだら、誰が患者の面倒見てやれると思ってるんダ」

吐き捨てるようにオウカ。

過去に故郷で嫌な事があったのをガムはオウカから聞いたことがあったが、この話をし出すとオウカは止まらなくなる。

なのでガムはさっさとズボンの尻ポケットから財布を取り出し、中から三枚の紙幣をオウカに渡した。オウカはにっこりして

「毎度。来月はサボるなヨ」

と言った。それを受けてガムは

「覚えてたらな」

と言って、医院を後にした。


◆◆◆


夕方。サキは夕食を用意し、外回りから帰って来たガムと共に食卓についていた。

夕食は大麦のトマトリゾットと野菜のスープだ。

リゾットにはブロッコリーと人参、黄色パプリカが混ぜられており、彩が良い。

口に含むとコンソメのしょっぱみと牛乳のコクが広がる。

また大麦の煮込み具合も絶妙で、歯ごたえがプチプチと心地よい。

野菜スープはあっさりと塩コショウだけの味付けなのだが、野菜の甘みが引き出されており、リゾットで多少くどくなった口内をすっきりと洗い流してくれる。

リゾットを食べ、スープを飲み、またリゾットを食べるという繰り返しが止まらなかった。

「お前、どこでこんな料理の作り方仕入れてくるの?」

スープを飲み、ガムがサキに問う。

「秘密。乙女には色々あるの」

言って、リゾットを口に含むサキ。

彼女の料理の知識の仕入れ先はグロピウス家のメイド長のホラウである。

サキは食材を買いに出るとたまに出会うので、その時に世間話がてらホラウから料理のレシピを貰っている。その料理はグロピウス家で供されるものでもある。

レシピを貰っていることは特段秘密にするようなことではない。

だがグロピウス家、もといエウァが間接的に関わっていると思うと、サキとしては悔しいので話したくなかった。

「まあ、飯が美味いから文句はないけどな」

「そ、そう?」

「ああ。美味い」

まだ褒められるのに慣れていないのか、サキはぎこちない笑顔を浮かべている。

しばらく世間話をして食事を進めていると、サキが

「そういえば、ガムの部屋掃除しといたから」

と言った。それに対してガムは

「そうか、助かる」

と答えた。ガムの表情には何の変化もない。

どうやらサキが成年雑誌を見つけたことには気付いていないようだった。と、いうより成年雑誌が部屋にあることさえ覚えていないのではないだろうか、とサキは思った。

「……これじゃ、どぎまぎしたわたしが馬鹿みたいじゃないの」

ぼそっと呟くサキに

「ん? 何か言ったか?」

とガムが問う。

「別に。なんにも」

言って、サキは俯いた。

……そういえば、男の人はスケベなもんだって聞いたことある。

クロノス西病院のエイダはよくナンパされてた。そこの院長にわたしも尻を触られた。

こないだ海を渡った時もギイシャって軍人がユジーンに迫ってたし。

じゃあ、ガムはどうなのか。ガムだって男だ。

あんな本を持ってるくらいだから、女性に興味があるのは間違いない。

……よく考えると、ガムがわたしを雇ってるのはなんでだろう。わたしはガムの命を狙った上に押しかけた居候だ。普通なら追い出されてもおかしくない。何の得があって私を。

そこでサキは思い至る。ガムの目的に。


まさか、ガムはわたしを自分好みの女に育てて手を出そうとしているのでは。


そう思うと、彼女は平静ではいられなくなった。

そこに、ガムの手がサキの頭に触った。

サキはびくっ、と体をこわばらせ

「触んないでよっ!」

とガムの手を弾いた。

ガムは驚いて

「すまん。頭にほこりがついてたんで取ってやろうかと」

と言って手を引いた。

「あ、…………あの」

ごめんなさい、とサキが言葉を言い終える前に

「ごちそうさん。美味かったよ」

と、ガムは食卓を後にした。そしてばつの悪そうなサキが一人残された。


◆◆◆


翌日。引き続き挨拶回りに出かけたガムを、サキは尾行していた。

黒の綿のブラウスに黒いズボン、頭にはハンチング帽をかぶっている。

動きやすくてばれにくい、ということを考えた結果のいで立ちだった。

街を歩くガムの二十メートルほど後ろをサキが追っていた。

尾行の目的はガムの素行を調査することだ。

昨日の夕食以降、彼女のガムに対する接し方がぎこちないままだった。

朝食時も会話がほとんどなかった。

交わした言葉と言えば、ガムが出かけるときに「……行ってらっしゃい」と言ったくらいだ。

サキはガムに留守番を頼まれたが、じっとしていられる状態ではなかった。

サキのガムに対する疑惑が拭えない限り、仕事なんか手に付かなかった。

「そうよ。これは決してサボってるわけじゃないんだから」

と、自分に言い聞かせるサキ。

尾行する事十数分。ガムはクロノス南図書館に入っていった。石造りの二階建ての建物だ。

ここは普段から老若男女問わず、町人が頻繁に訪れている。

遅れてサキが図書館に入ると、ガムは受付にいた。

そこで司書の若い女性と話をしていた。

二十代後半ほどの、やせ型、中背、黒髪ストレートの美人だった。

二人は話をしながら笑っており、いい雰囲気である。

サキは読唇術で二人の会話を読み取る。

『カヤ、今夜一緒に飲みに行かないか? おすすめの店があるんだが』

『あら、私なんかを誘ってくれるんですか?』

『あんたみたいな美人と楽しく飲みたいんだ』

『ふふ、お世辞でも嬉しいわ。でも、今日は書庫の棚卸しがあって夜遅くまでかかりそうなの』

『そりゃあ残念だ。まあ、手に負えそうになかったら俺を頼ってくれりゃいい』

『まあ、頼もしいわ。その時は、ぜひ』

と、いうような内容だった。

外回りって言ってただのナンパじゃない、とサキは思った。

その後も彼らは何か話していたが、サキは口の動きを読むのをやめていた。

ガムの行動に呆れていたからだ。これが仕事だって言うんだったら、サキがガムの事務所のソファでごろごろしていたって何にも咎められないはずだ。

その後、ガムは受付の女性に案内され、奥の方の書架に向かった。

もしや人気のないところでやらしいことをするつもりでは、とサキは疑った。

しかし、カヤと呼ばれた女性は案内を終えるとすぐ受付に戻った。

そしてしばらくしてガムは手に数冊の冊子を持ち、窓際の席に着いた。

そして冊子に目を通し始めた。

サキはガムの死角となる本棚から、彼を見張っている。

普段は見せることのない真剣な面持ちに、サキは思わず見入ってしまった。

「普段からあれくらいキリっとしてればかっこいいのに」

ぼぞりと呟くサキ。サキはその後一時間ほどガムを観察していたが、特に変わった様子はなかった。

ガムは冊子を読み終えると図書館を出て行った。見失ってはまずい、とサキも後を追いかけた。


◆◆◆


次にガムが向かった先はカフェだった。

『栗と針ねずみ』という看板が軒先に下がっている。

石造りの店は小さく、サキが入るとガムに見つかってしまう恐れがあるため、彼女は外で待機することにした。幸い壁に小窓があるので、彼女はそこから店の中を覗く。

店の奥のテーブルに立っているガムの背中。立ち飲みの店のようだ。

そして彼の向かいには、黒の細いフレームの眼鏡をかけたスーツ姿の若い女性が立っていた。目つきの鋭い、金髪の束を左右の耳の前に垂らした知的な美女だった。

二人ともエールを片手に話をしているようだった。

「昼間っから飲んでんじゃないのよ……」

愚痴をこぼすサキ。会話の内容を読もうとするが、女性の顔がガムの肩に重なっているせいで判然としなかった。

『……。最近……現れ…………。十年…………ぐち……違う……』

『……年前……狙い…………共通…………貴族……』

『……逃走…………未だ……………時効…………』

何かの事件について話しているようだが、断片的なのでサキにはよくわからなかった。

このまま外から覗いてもしょうがないので、建物の陰に隠れてガムが出てくるのを待つことにした。

それから約三十分後、ガムは女性と一緒に店から出てきた。

「いい話が聞けたよ。また一緒に飲もう」

「こちらこそ。また情報交換しましょう」

「情報交換もいいが、俺はあんたと愛を交換したいぜ」

「私と情を交わした男は早死にしちゃうのよ」

「構わんさ。あんたみたいないい女を抱けるんならな」

「ふふ、ありがと。でも私はガムに死んでほしくないから、やめとくわ」

「嬉しいこと言ってくれるぜ」

「ビジネスパートナーとしてね」

「ちぇっ、冷めてやがるな」

「私の記者魂より熱いものを感じさせてくれたら、考えてあげる」

「よせよ。俺は日々平穏に暮らせりゃ、それでいいんだ。

身の丈に合わない望みは己を滅ぼすぞ?」

「はいはい、言ってなさいよ。私は私のしたいようにするだけよ」

「そうだったな」

じゃあ、と手を振りガムはその女性と店の前で別れた。

ガムは女性とは反対方向に歩き出した。

それを見ていたサキは

「昼間っからなんてハレンチな会話を……!」

と呟いた。

(それに、あの女を抱けたら死んでも構わないって……)

どくん、とサキの心臓が跳ね上がった。


(ガムがしんだら)


(わたしはどうなるのか)


(くらやみのそこにもどってしまう)


(みえなくなってしまう)


(やっとみつけたちいさなひかりが)


サキの胸の中に、汚泥のようなどろりとしたなにかが流れ込んだ。

同時にめまいに襲われた。これから歩く道に黒い光が差し込むような幻覚を見た。

ふらつきながらも、サキはガムの尾行を再開した。

その後、ガムは役所、郵便局、パン屋、精肉店など歩き回った。

そしてそのどれもが、若い女性とおしゃべりをしては去るという繰り返しだった。

それをサキはずっと観察していた。そして観察するほどにイライラが募っていった。

「用事にかこつけて女と喋ってるだけじゃない……!」

わなわなと肩を震わせるサキ。

しかし、何に対して怒っているのかは自分でもわからなかった。


◆◆◆


日が落ち、町は夜を迎えていた。

仕事帰りの人々で町の中央通り、飲み屋が軒を連ねる通りは賑わい始めていた。

ガムは行きつけの居酒屋である『鯛の釣り針亭』にいた。

石造りの建物の中、カウンターとテーブル合わせて四十ほどの席にはぽつぽつと客の姿があった。ガムは隅の二人掛けのテーブルに着き、既に二杯目のエールを呷っていた。

そして彼の向かいには筋肉質な男が座っていた。

長身。がっちりした体形。モヒカン。タンクトップ。ぴっちりした桃色のズボン。

彼はガムの飲み仲間でケイミ―という。ガムと同じく二杯目のエールを呷っている。

二人は今日は偶然店内で顔を合わせ、一緒に飲むことにした。

「久しぶりじゃない、ガムちゃん。元気にしてた?」

「お前は相変わらず元気そうだな」

「まあね~。でも仕事が忙しくって。今日は息抜きに飲みに来たのよ~」

「結構なことじゃねえか。ウチは今、さっぱりだよ」

「それで飲んだくれてるってわけ? んもう。いい身分ね。

でも、こうしてたまたま会って飲むってのもオツなもんだわ」

「いやいや、得意先に挨拶回りに行ってたんだ。顔をつないどくのも仕事のうちだからな」

「とか言って、どうせ若い女のケツばっか追いかけてたんでしょ?」

「俺はこれからの傭兵業界は若い女の客が中心になると読んでいる」

「はいはい。寝言は寝てからいいなさいな。

 ……ところで、こないだのワタシの占いは当たったかしら?」

「占い?」

ケイミ―は手相や顔相、占星術などの占いを得意とする。その本業は裁縫士だが。

「んもう。忘れちゃったの? アナタとチギリとワタシと三人で飲んだ時のことよ」

「あー、あの時か」

以前ガムがケイミ―に占ってもらった時『運命の人との出会いがある』という結果が出た。

ガムはぽりぽりと頭を掻いた。

「んー……、当たったっちゃあ、当たった」

「何よその宝くじの末等が当たったような微妙な反応は。失礼しちゃうわ。

……アナタにとっていい出会いではなかったのかしら?」

「いや、それが俺もどう受け止めていいのやら」

「はっきりしないわね。詳しく話してみなさいよ」

ガムは迷った。親の仇と間違えられて殺しに来た少女を助手として雇っている、

と言ったら十中八九頭のおかしい奴と思われる。

だから

「知り合いの子を預かることになった。十三歳のサキっつう女の子だ」

と言った。

「まさか、チギリと同じくアナタもロ……」

「ロリコンじゃねえ」

素早くケイミ―を遮るガム。

「社会経験を積ませたいんだとよ。だからサキには助手のまねごとをさせてる」

「年齢としては妥当だと思うけど、女の子に傭兵業ってのは荒っぽくないかしら」

「傭兵っていても、ひと昔前みたいにあちこちで戦争があるわけじゃない。

最近は何でも屋になってきてるからな。危険な任務も少ない。

そもそもそんな危険な任務を手伝わせる気もないしな」

「でもどこのどいつよ。自分の娘をアナタみたいなスケベに預けたのは。

まさかとは思うけど、その子に手を出してないでしょうね」

「安心しろ。俺はガキには興味ない。あの金髪ロリコン野郎とは違う」

ケイミ―はふぅ、とため息をついた。

「チギリの悪口は言わないでよ。 ……まあ、アナタはそうだったわね。

でもいくら興味ないからって、優しくしなきゃダメよ? 陶器を扱うようにね」

「わかったような口を」

「そりゃ、同じ女なら分かるわよ」

「お前は男だ」

「やぁね、心の話よ」

二人が店内でしゃべっている間、サキは店の脇の路地にいた。

まだ酒を飲める年齢ではないため、一人で店に入ることができない彼女は小窓から店内を覗いていた。

「……また飲んでる。わたしが晩ごはん作って待ってたらどうするつもりだったのよ。

帰ったら文句言ってやらなきゃ」

ぶつぶつとこぼすサキ。

路地は暗く、ごみが散らばっている。

よく見ると野犬が食い散らかした残飯や棒切れ、布切れなどが見て取れた。

店内ではガムとケイミ―が鶏の唐揚げや鰯のフリッターをつまみにエールを飲んでいる。唐揚げは衣がさっくり、噛みしめれば肉汁があふれている。

フリッターも一口サイズで、噛めばサクサクと食感が心地良い。

ジョッキに注がれた小麦色のエールは見る見るうちにガムの胃袋へと吸い込まれていった。

サキはそれを見て

「……おいしそう。今度あれ作ってみよう。……ってそうじゃなくて」

と呟いた。

ついでに腹がくぅ、と鳴った。


◆◆◆


ガムが飲み始めて四時間ほど経った。

ケイミ―は一足先に帰り、テーブルにはガム一人が残されていた。

ガムのテーブルにエールのおかわりが届く。ジョッキを持って行ったのは腰まで届く金髪の女性だった。胸の箇所が大きく開いたブラウスに、ミニスカート。

その体形は出るとこは出て、引っ込むところは引っ込むという抜群のプロポーションだった。スカートからすらりと伸びた脚がなんとも艶めかしい。

彼女の名前はデイジー。店の看板娘である。ガムの目線はデイジーの胸元に釘付けだった。そんな彼にデイジーが咎めるように言う。

「もう、ガム。どこ見てるの?」

「いや、魅力的だったもんで、つい。すまん」

「んもう、相変わらずスケベなんだから」

「こればっかりは治らねえな」

「そんなに言うんなら、私のおっぱい触っていいよ」

「ホントか」

「でも、触ったら二度とエール注いであげない」

「意味ねぇー!」

デイジーが注ぐエールには定評がある。

エール液と泡の割合、そして泡の細かさは格別だった。

他店のバーのマスターも彼女のビールを注ぐ腕前には舌を巻いている。

ガムもそんな彼女の注ぐエールが楽しみでこの店に来ているのだ。

「そんなことばかり言っていたら、彼女が悲しむわよ?」

デイジーのセリフにガムは訝しんで

「なんだ彼女って」

と聞き返した。

「チギリに聞いたわよ。あなた最近小さな彼女と同棲してるって」

「……あの逆玉ロリコン金髪野郎、仕返しのつもりか」

ガムは親友の顔を思い浮かべ、その顔面に思いきりパンチを見舞う。

「彼女じゃねえ。ただの助手だ」

「助手? ガムにしては珍しいわね。

単騎の方が動きやすいっていうのがあなたの持論だったのに。どういう心境の変化?」

「成り行きだ。あんまり深く追求しないでくれ」

「もしかして、あなたもチギリと同じで幼女趣味に目覚めたの?」

ガムはジョッキの取っ手を握り、一気にエールを飲み干した。

「あーエールが足りないなーおかわりくれ」

ジョッキをデイジーの胸の先に突き出し、おかわりを催促するガム。

「はいはい」

彼は強引にデイジーを厨房に下げさせると、ばつが悪そうに唐揚げを口に放り込んだ。

外から様子を眺めていたサキは

「なにデレデレしてんのよ……! あんなに鼻の下伸ばして……!

あの女もあの女だわ。いかにも男をたぶらかすような格好して」

と呟いた。空腹とイライラで得意の読唇術はまともに働いていなったため、会話の内容はさっぱりわかっていなかった。


◆◆◆


サキが外から様子を伺うこと数時間。時間は深夜になろうとしていた。

町も静まり、店の前の通りを行き交う人影もなくなり始めていた。

空腹も限界でそろそろ帰ろうと思っていると、後ろから肩を掴まれ

「嬢ちゃん、こんなとこで何してんだ?」

と声を掛けられた。サキが振り返ると、中肉中背で薄い頭髪の男が立っていた。

その男の隣に、もう一人、肩までだらしなく伸ばした長髪の男がいた。

二人とも上下ぼろぼろの衣服を身に付けていた。

どうやら酔っているらしく吐く息が臭かった。

おまけに風呂に入っていないらしく、体臭もきつかった。

「別に。アンタ達には関係ないでしょ」

サキがつっけんどんに答える。その態度に男達は腹を立てたのか

「何だと? 深夜に一人で危ないと思って人が親切にしてやれば付け上がりやがって」

とサキの肩にかけた手に力を入れた。

「いたっ! 話しなさいよアン……!」

言い終わる前に、長髪の男が思いきりサキの腹を殴った。

「さ、騒ぐんじゃねえ!」

(あ、やば…………。こいつら、追いはぎだ……)

続いて彼女は顎を殴られ、脳震盪を起こした。

サキは空腹で力が入らないのか、力なくうなだれた。

「兄貴ぃ、こいつどうします?」

長髪の男が薄い頭髪の男に聞く。

「いつも通りだ。身ぐるみ剥いでその辺の路地に転がしとけ。

身寄りがなきゃどうせ孤児院行きだ」

薄い頭髪の男は周りに人がいないか伺った。

サキは地面に転がされ、男達にズボンのポケットをまさぐられる。長髪の男に尻ポケットに入れていた財布を取られた。

男は財布の中身を確認して落胆した。

「ちっ、しけてやがんな」

それを見て、薄い頭髪の男が

「着てるもんも剥ぐぞ。二束三文にしかならねえが、ないよりマシだ」

と言い、サキのブラウスを脱がそうと彼女の胸元に手を伸ばした。

「……や…………め、ろ」

朦朧とした意識の中でサキが呻くが、薄い頭髪の男は

「恨むんなら嬢ちゃんの不運を恨みな」

と、にべもなかった。

サキは思った。ちくしょう、なんでわたしがこんな目に。これが大人のやることなの?

わたしが何か悪いことした? こいつら、必ず後で××してやる――――――!

「兄貴ぃ、そういえばこのガキに俺らの顔見られましたよ。どうします?」

「ん? 目を潰しとけば問題ねえよ。ついでに喉も潰しとけ。しゃべられると厄介だ」

「さすが兄貴」

(……うそでしょ……、そこまでする……!?)

しかしサキは思い出した。この国では子供の命はとても安いことを。

自分の命など、今着ている服ほどの価値もない。

たとえ死んだとしても、ごみの山からチリ紙がひとつ無くなるようなものだ。

誰も、何も気付かない。

長髪の男の手がチョキの形になる。

その人差し指と中指が徐々にサキの目玉に迫っていく。

湿った路地裏の空気。男の荒い息。

サキはせめてもの抵抗に両目のまぶたを固く閉じた。

男の指先の爪がサキのまぶたをこじ開けようとしたそのとき。

路地にごつん、と鈍い音が立て続けに二回鳴った。

サキのまぶたに、男の爪が皮膚を軽く引き裂く感覚。

しばらくして、サキが恐る恐るまぶたを開けると、見上げた先に不機嫌そうなガムと空のジョッキを手にしたデイジーが立っていた。

そして左右を見ると追いはぎの男達は前のめりに倒れ、地面に口づけしていた。

「ウチの助手に何をやってるんだ。お前らは」

「店のそばで馬鹿やんないでよ」

どうやらガムとデイジーが追いはぎの男達を殴り倒したようだった。

「外が騒がしいと思って出てみれば、こんなとこで何してる? サキ」

ガムがサキのそばに腰を下ろし、手を差し伸べる。

サキは胸元を手で押さえながら、もう片方の手で彼の手を取る。

ガムはサキの顔を覗き

「お前には留守番を頼んだはずだが、なんでこんなところにいる?」

と問う。

「あ、あの……その……わたし……………」

言い淀む彼女。瞬く間に両目に涙が溜まっていく。そしてガムに抱きついた。

「~~~~~~~~~~~~っっっ! う…………あああああんっっっ」

追いはぎに襲われた恐怖と、助かった安堵でサキの頭の中はぐちゃぐちゃだった。

「お、おい? どうした、サキ?」

うろたえるガム。

いくら暗殺者としての腕が立つからといっても、サキはまだ十三歳の女の子だ。

大の大人二人に襲われて、怖くないわけがなかった。

彼女の様子を見たデイジーは、サキの頭を撫でた。

「あーあ、泣かした。こういう時は黙って抱きしめてやるもんでしょ、この酔っ払いが」

ガムを見下げたように吐き捨てるデイジー。

「い、いや、俺は何も」

更にうろたえるガム。それを見てデイジーはサキのそばにしゃがんだ。

「怖かったんだよね。いいんだよ、泣いても」

薄暗い路地に小さな嗚咽がしばらく鳴り響いた。


◆◆◆


場所は変わって、鯛の釣り針亭店内。ガムとデイジー、そしていまだにぐずるサキが同じテーブルについていた。店は閉店準備を始め、他の客はいなかった。

サキはすんすんと洟を鳴らしながら、ぶどうジュースをすすっていた。

デイジーがガムに言う。

「この子がガムの助手? めちゃめちゃキュートじゃない。どこで拾ってきたの。

え? この犯罪者が」

「拾ったんじゃねえ。ちょっと預かってるだけだ」

「誰からよ」

「誰だっていいだろ」

「はいはい、言いたくないならいいよ。わたしはガムに店でお金を落としてって貰ったらそれでいいですよーだ」

頬を膨らますデイジー。

「それよりサキちゃん」

デイジーの呼びかけに、ぶどうジュースを飲んでいたサキが顔を上げる。

「このあたりは夜物騒だから、店に入ってきていいんだよ? お酒が飲めなくても、美味しい料理作ったげるから遠慮なくおいで」

「……でも、わたしお金持ってない」

「ガムにツケとけばいいよ」

「おい」

「うん、わかった」

「おい」

ガムがこほん、と咳払いする。

「サキ。もう一度聞くが、なんで留守番してなかった。

下手すればお前の命が危なかったんだぞ?」

サキを襲った追いはぎの二人は事件後、ガムが警察に引き渡した。

もちろんサキの財布も取り戻した。

「それは、あの…………」

ガムの人間性を見極めるために尾行していたなど、とてもじゃないが言えなかった。

サキが再び言葉に詰まっていたところデイジーがびしっ、とガムを指さした。

「そんなのガムが心配だったからに決まってるでしょ!」

はずみで彼女の胸が大きく揺れる。

「お、おう」

ガムは気圧されたように上体を後ろに逸らした。その目は彼女の胸元に釘付けだったが。

「ガムがいつまでたっても帰って来ないから、迎えに来たんだよ、ね?」

「う、うん」

サキにウインクするデイジー。迎えに来た、とは少々違うが、ガムを追いかけてきたことは間違ってはいないので、サキは同意することにした。

そして「このひと、いいひとだな」とサキは思った。

サキにとっては自身の境遇について聞かれたくはないし、今日の尾行のことだって後ろ暗いところがないわけではないので、デイジーの気遣いはありがたかった。

デイジーをいやらしい女だと思ったことをサキは心の中で謝った。

「そろそろ店閉めるから、適当なところで帰ってね。

 サキちゃんのジュースはわたしのおごりってことで」

デイジーが席を立ち、カウンターの奥へと引っ込んだ。

ガムは、サキがぶどうジュースを飲み干すのを待ってから

「そろそろ、帰るぞ」

と、ガムが席を立った。

「あ、うん」

続いてサキが席を立とうとしてふらついた。

どうやら先ほどの顎への衝撃が抜けきっていないようだ。

その様子を見て、デイジーが

「ほら、おぶってあげなさいよ」

とガムに促した。

「へいへい」

ガムは適当に返事をして、サキに背を向けてしゃがんだ。

「ほら、乗れよ」

サキに促すガム。サキはガムにおぶさった。

そのまま店の出入り口に向かうガム。

「ご馳走様。また来るよ」

とガムが挨拶すると

「今度はサキちゃんも一緒にね」

とデイジーが答えた。

ガムが扉を閉めると、からん、と扉にかかるベルの音が鳴った。


◆◆◆


帰り道。あたりは暗く、灯りはぽつぽつと灯るガス灯だけだ。

人気のない深夜の通りを歩くガム。その背中にはサキが無言でおぶさっている。

「デイジーがああ言ったから詳しくは聞かんが、夜あんまり勝手に出歩くなよ」

ガムが背中のサキに呼びかける。

「…………うん」

サキは思った。彼の部屋から成年雑誌が見つかったことから彼に対する疑念が生まれた。

それで今日一日彼の後を尾行したが、若い女性と喋ってばかりで、疑惑は深まるばかりだった。

しかし、自分の身に危険が迫った時には助けに来てくれた。

ガム、そしてデイジーが来てくれなかったら最悪、致命傷を負っていたかもしれない。

居候当初からガムがスケベなのはうすうすわかっていた。依頼人が美人だと鼻の下は伸ばすし、依頼料を割り引くこともしばしばだ。

でも、そんなことはどうでも良くなった。

だって、ガムはわたしのことを心配してくれるんだから。


ごめんね


小さく呟くサキ。

「ん? なんか言ったか?」

「……ううん。なんでもない」

サキが答える。

ガムの大きな背中で、彼の歩くリズムに揺られながら彼女は眠りについた。


◆◆◆


翌朝。台所で、サキは仁王立ちになってガムに相対していた。

「っていうか、そもそも成年雑誌を部屋に適当に放ってんじゃないわよ。

わたしの教育に悪いって思わないの?」

「居候の分際で何言ってんだ。俺が俺の家をどう使おうが勝手だろうが」

成年雑誌を購読していることに対して、ガムは全く悪びれない。

「あっそ。じゃあ、もうガムには料理作ってあげないんだから」

「……う、それは」

「それは?」

ガムは間をおいて

「……困る」

と言ってばつが悪そうにそっぽを向く。

素直だか、素直じゃないんだかわからない。

男ってこんなものなのかしらん、とサキはため息を吐く。

「……ガムは男だからそーいうのに興味があるってのはわかるけど、せめて目に見えないところに置いてよ。本棚あるんだから」

「ああ、そうする」

「よろしい」

気が済んだのか、サキは台所に向かった。ガムがサキに問う。

「今日の朝飯は?」

サキは「んー」と唇に人差し指を当てて考えてから

「ささみのソテー、それとセロリと人参のスープにするわ」

と答えた。

「うまそうだな。早くしてくれ。腹の虫が鳴いてしょうがない」

「はいはい」

サキはエプロンを身に付け、朝食の支度に取りかかった。

トントンと、軽やかな包丁のリズムとサキの鼻歌が台所に響いた。



                 ―――指のすきまから見えるもの―――END

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