第35話 序章6の2 祖父 "Elder"

 穏やかな波の音と、海から吹く潮風しおかぜかおり。

 それが自分の最も古い記憶だった。

 それに続くのは、子供心にもすすけていると感じるような古い大きな家と、やたらと活発で元気な祖父の顔。


    ※


「おい、ジジイ。部屋にばっか籠ってないで、僕と遊んでよ。」


「なんじゃ、毎度毎度口の悪いガキめ。一人で町にでも行けば良かろうに。」


「えー、イヤだよ。町に行ってもおもしろいのなんか全然ないんだもん。

 それよりも、きのうの続きしようよ。つぎは僕、負けないからね。」


「まったくしょうがない奴だ。」


 祖父は何だかんだ言いながらも、僕の誘いを断ったことは無かった。

 そうしていつものように、僕たちは家の庭先で遊んでいた。


 独楽や竹馬、凧揚げ、笛、習字、ちゃんばらなど祖父は様々な遊びを僕に教えてくれた。

 特に、こと勝負事においては祖父は手加減など一切しなかった。

 コテンパンに叩きのめされる度に僕は泣きじゃくり、そしてソレを祖父が慰めてくれる、というのがお決まりだった。


 僕にとって家族と呼べる存在は、この祖父だけであった。

 両親はいない。僕が生まれてその直ぐ後に死んでしまった。

 近隣の漁村行った時に、二人は事故に遭ってしまった、と祖父は言っていた。

 それでも僕は、その話を聞いた時も悲しいとは思わなかった。

 両親と共に過ごした記憶や思い出など持たない僕にとっては、いないことが当たり前だったからだ。

 それに祖父がいた。


 憎まれ口を言いながらも僕を可愛がってくれていたことはわかっていた。

 だから、そんな祖父のことが好きであり、彼さえいれば、良いと思っていた。


    ※


「おい、アマネ。ちょっとわしの部屋へ来い。」


「なーに、ジジイ。また肩とか腰とか揉んでほしいの?」


「ほう・・・、実に良い提案じゃな。お前もたまには良いことを言うじゃないか。そういう訳だからまいれ。」


「ふざけんなジジイッ! つまんないボケかますな。それともホントにボケたのか。」


「ふん。可愛げのない奴め。

 冗句ジョークじゃよ、冗句。またお前に昔話を聴かせてやろうと思ってな。だから早う来い。そして揉め。」


「やっぱり揉むんじゃん・・・。」


 文句を言いながらも、内心ではウキウキしながら祖父の部屋へと駆けて行った。

 こうやって祖父から時々聞かされる昔話や童話も、楽しみの一つだったからだ。

 いそいそと祖父の膝の上に座る。

 そこが僕の特等席だった。

 

「儂が若い頃は、このアメリカではない別の国におった。

 そうさな・・・、ここからこの大きな大陸をずっと西へ行き、そこで見える更に広大な海をひたすらに西へ西へ進んだ果てに見える小さな島国にいた。」


 祖父の語る話の多くが、彼の故郷にまつわる話だった。

 彼はその国では先生であり、戦士だったらしい。

 僕へと語る話は体験談といった比較的現実的なモノから、昔から伝わる御伽噺おとぎばなし、果ては怪談話といった荒唐無稽こうとうむけいなモノまで種々様々だった。

 しかしそれでも・・・、嘘か真かも定かでないような話であっても、僕にとっては大いなる楽しみの一つだったのだ。


    ※


「儂は、儂の住んでいた地の歴史を調べて、纏めることを生業としていた。

 その地で伝え継がれている習わし、祭り、言い伝えを人や紙を頼りに調べていたのじゃ。

 そうして集めたものを編み、お偉いさん方に献上する、といったことをやっておった。」


 祖父は、机の引き出しから小さい箱を取り出し、僕に見せる。

 他にも引き出しの中には大小さまざまな似たような入れ物がたくさんあった。


「そういったことしているとな。

 時々珍しい話を聞けたり、珍しいモノに出会ったりするんじゃ。ホレ、例えばコレ。」


 そしてその中にしまわれていたものを見せた。

 しかしその中身の殆どが、得体の知れないモノや、何に使うか分からないような代物だった。


「調査の際に赴いた先で、こうして譲り受けることが稀にあったのじゃ。」


 僕がソレが一体何であるのかを尋ねると祖父は嬉しそうに、ソレに纏わる曰くだの、伝説だの、といった話を語って聞かせた。


    ※


 ある時は、武勇伝だった。


「アメリカへと渡って来る数年前、儂のいた国は二つの勢力に別れ、戦をしていた。

 勿論儂も、それに加わり戦っていた。」


 目を閉じて懐かしむように語る。


「にわかに戦火が大きくなると、儂も都へ送られて、そこで戦うことになった。

 じゃが、そこに鬼のように集団がおった。

 これでもワシは剣の腕には自信があったのだが、それでもそヤツらは別格じゃったな。

 そんなある日、ワシ等は都の中を走り回り、逃げておった。そしたら運悪くそ奴等と出食わしてしまったのじゃ。それで咄嗟にワシともう一人の仲間が、殿しんがりを務めることになった・・・のだが、」


 とそこで、クックックッ、と祖父は喉を鳴らして笑った。


「いや、スマンな。あれほど死と隣り合わせのひりつくような感覚は、後にも先にもあの時だけじゃった。 特にも隊長格と思しき者との果し合い程、恐ろしいものはなかった。」


 だがそう言った彼の顔は、これまで見たことの無い程に喜悦に満ちていた。


「じゃがな・・・、同時にあれほど楽しいと思った瞬間もまた、後にも先にもアレだけじゃった。

 互いに相手に全身全霊を懸けて、命を採り合った。世界が儂とそ奴を中心にして、急激に収縮するかのような感覚だった。

 あの瞬間、ワシもアイツも、正に生きていた。精が、魂が、眩しく輝いていたんじゃ・・・。」


    ※


 そしてある時は、怪談だった。


「そうさな、あれはワシが若かった頃だったかのう。

 まだ世が平穏だったころじゃ。ワシが住んでいた城下町にある時期を境に、鉄鼠てっそが現れる様になってな。」


 鉄鼠とは、普通のネズミより一回りも二回りも大きく、更に人間のような顔を持つネズミの妖怪だった。

 大罪を犯した悪人、或いは強い恨みを残して者は、死後もその情念じょうねんが死体に残り続ける。

 そして、その屍肉しにくを食べたネズミから産まれるモノはその我執がしゅう怨念おんねんと混ざり合い鉄鼠となる。

 祖父はそう教えてくれた。


「あの時は、ワシら子供だけでなく、大人達も皆怯えておったよ。」


 夜な夜な天井裏から、ボソボソと人とも獣とも付かない不気味な呟く声がする。

 薄暗い路地の暗闇の中から、ジッとこちらを睨む顔が浮かんでいた。

 飼っていた犬が翌朝に死体となって見つかり、そこには幾つもの咬まれたような痛々しい傷が刻まれていた。

 こういった具合に奇怪な珍事が頻発するようになった。


「事態を重く見た殿様は、この土地でも由緒正しい寺の坊主を呼んで鉄鼠をはらってもらうことになったんじゃが、それも上手くはいかなかった。」


 その頃になると、鉄鼠が増え過ぎてしまったらしい。

 坊主や配下の者、町民皆で力を合わせて事に当たったが、50や60の鉄鼠を狩ったところで、何ら状況に快調の兆しが見えず、その後も怪異は起こり続けた。


「そこでとうとう京におった、その道の専門家を呼び寄せることにしたのじゃ。

 そしてやって来たのが、えのき十兵衛じゅうべえという侍と、椿つばき和環にぎわという巫女さんだった。」


 この二人は先ず、町の外れの山中にあるくだんの寺を拠点とすると、下準備を始めた。

 椿の巫女は町の者と協力して、城下町全体と寺の参道、境内をつばきの枝で囲い、家や屋敷、城の入り口には蓬生よもぎを、町中の道の両脇に一定の間隔でかや菖蒲しょうぶを刺していった。

 一方で榎の侍は、境内の中央に大きく深い穴を掘り、その中に大量の薪と、桂、桃の木の葉を放り込んでいった。


「儂等は皆、訳も分からず、唯々諾々に彼らの指示に従った。

 一刻も早くこの事態を解決したいと誰もが思っておったんじゃ。加えて城下全体を巻き込んだ大掛かりな準備だったからのう・・・、何処か祭前まつりまえのような浮ついた気持ちもあった。」


 そして、祓いの日。


『今夜一晩の間は、決して家から出ないように。』


 と彼らは、皆に忠告をした。


「だがな・・・、」


 祖父は、またいつものようにニヤリと笑っていた。


「ワシもあの頃は、まだまだ子供じゃったな。

 結末を見ずにはいられず、儂は親に、『今夜は早く寝るから、』と言って自室に行き、そこで床板を外して家から抜け出した。

 そしてコッソリと境内に入り、寺の屋根に登ってそこから様子を見とったんじゃ。」


「何でそんな所に。」


「眺めが良かったからな。

 それに寺の背後の崖から、簡単に登る事が出来たんじゃ。」


 境内には、あの二人の他にその寺の坊主と、おそらくは殿様と思われる者と、その従者数人がいた。

 大部夜もみ、ふもとの町の灯りが消え、皆が寝静まるとその時が来た。

 榎の侍が、大穴に火を入れると、何故かそれは忽ちに燃え上がり、巨大な火柱となった。

 それに合わせて椿の巫女が、祝詞のりとを唱えた。

 

「しばらくするとな・・・、ソレは始まったんじゃ。」

 

 初めは小さく、やがては次第に大きく。

 町が蠢き始めた。


「いや、正しく言うなら町中の道が蠢いておった。」


 境内の炎に照らし出され、薄暗く見える町の中の道という道を、家という家の隙間を縫うように黒い塊がモゾモゾとのたくっていた。


「まるで洪水のようだった。」


 夜の闇よりも猶黒い波が溢れ返り、町を流れ、侵食しているかのようだった。

 殿様も、坊主も、従者達も、隠れていた祖父も、そのおぞましい光景に息を飲んだ。


 やがて黒い波は動き出す。

 ある一点を目指すかのように移動する。

 そして皆はソレに気付く。


「あの黒い波はこの境内に向かっている、とな。」


 同時に皆の顔が、見る見るうちに蒼染めていった。

 悲鳴を上げ、遂には狂乱する者もいた。


「ワシもあの時は、思わず悲鳴を上げていたよ。

 まあ、他に何人も取り乱ししていたから気付かれることは無かったが・・・。

 手も足も腰もガクガクと震え、ボロボロと涙が出た。

 必死で口を押え、うずくまったが、身体の震えが収まることは無かったな。

 あの黒い波は、今でも時々夢に出てくる。」


 そうこうしている間に、黒い波は大きくなり、その速度も増していく。


『はい、お疲れさん。ここからは俺の仕事だな。』


 余りにも場違いな程に落ち着いた声で榎の侍は言った。

 彼もまた、祝詞のようなものを唱え始めた。

 遂にソレは麓の参道に到達した。

 更に大きなった黒い津波は、参道の坂道を駆け昇る。

 のたくる津波が、直ぐ眼下に迫っていた。

 そして、一匹の鉄鼠が坂道を登りきり、境内前の鳥居の下に姿を現した。


 その直後。

 黒い津波が、その一匹の背後で、巨大な鎌首をもたげた。

 もはや数えることなど不可能な程の膨大な数の鉄鼠の群れだった。

 寄り集まり、まるで一つの大きな生き物を成しているかのようだった。

 その巨体が境内へと入り込もうとするその刹那、


『次生火之夜藝速男神。亦名謂火之炫毘古神。亦名謂火之迦具土神。因生此子。美蕃登見灸而病臥在。』


 榎が咒言じゅごんを唱えた。

 すると瞬く間に火柱は、より激しく音を上げ、より苛烈に燃え上がった。


 そして、両者はぶつかった。

 だがしかし、その展開は一方的だった。


 黒い怪物は、触れる端から火柱へと飲み込まれていった。

 何百、何千という鉄鼠が飲まれ、灰となる。

 炎を身を焼かれ、何百、何千の鉄鼠は今際の悲鳴を上げる。

 だがそれでも黒い波は、その進行を止めることなく火柱へと殺到し続ける。火柱は衰えを知らず、それどころか更に強く燃え盛っていた。

 耳を覆いたくなるような悍ましい呻き声が、城下と周辺の山々を覆い尽くした。

 やがてその怪物の総身は、次第に縮小していく。

 それに伴い、夜空に木霊する鉄鼠の断末魔の声も擦れていった。


「そして終わりが来た。

 あれほど溢れ返り、町を飲み込んだ鉄鼠の大群は、遂には境内に収まるぐらいまで数が減っておた。」


 それでも鉄鼠は、走ることを辞めない。

 それは最後の一匹になっても変わりは無かった。


 そして最後の一匹。

 それが火中へと消えると、辺りは静寂に包まれた。

 大穴から溢れる火柱だけが、煌々と輝いていた。


「あの夜以降、もう二度と再びワシらの町に鉄鼠が現れることは無くなった。」


    ※


「それで、君の祖父は今は・・・。」


 そこまで語り終えたアマネに、鈴木は尋ねた。


「今はもういません。

 4年前、火事に遭った時にボクを助け、その代わりに死んでしまいました。」


「そうか・・・。」


(まあ、そうなのだろうな。)


 と、鈴木と佐藤は薄々想像が付いていた。

 そうでなければ、この少年が浮浪児に身を落とすはずなどなかったのだから。


 そして、アマネは再び己の過去を話し始める。

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