第25話 序章5の1 武士

 大正13年4月21日。

 雲一つ無い、蒼々と澄み渡った快晴の日だった。


 この日、東京とうきょう麻布あざぶ歩兵ほへい第三だいさん聯隊れんたいに、3人の新たな士官候補生が配属されてきた。


 その指導教官に任命されたのは、第六だいろく中隊ちゅうたいつき少尉しょうい秩父宮ちちぶのみや雍仁やすひと親王しんのうだった。

 彼は、今上きんじょう天皇てんのうの第二皇子という万世一系の皇族の一人であり、聯隊長以下は、只ひたすらに畏敬の念を以って彼と接していた。

 しかし彼自身は、その威光を笠に着ることは無く、また自身のそうした堅苦しいことを嫌っていた為に、公式の皇室行事の時以外は、専ら陸軍歩兵少尉に徹していた。

 その人柄故に中隊の誰もが、彼を尊敬し、そして慕っていた。


 秩父宮は、この日、この年に入隊した3人の若人わこうどに対し、情熱を持って教育薫陶した。

 中でも、誠実で明るく、人間性豊かな一人の候補生をそれとなく目を掛けるようになった。

 そしてその青年もまたその気持ちに応えるべく、秩父宮の聡明な見識、強靭な精神力、精錬された人格を吸収しようと努力を重ねていた。


    ※


「よし・・・、では今から一時の間、軍事面を離れて、一般的な教養に関する談議をしようではないか。

 そうだな・・・。

 少々漠然としているが、”これからの日本はどうあるべきか・・・”、という題目にしよう

 君達がこれまで見聞きし、日々考えていることを率直に述べてみよ。」


 秩父宮は、草の上に胡座こざする3人の士官候補生を見回しながら言った。


 初夏のある晴れた午後、代々木訓練場南東にあるなだらかな丘陵地帯に4人はいた。

 本日の小隊訓練と分隊教育が粗方終わった後に秩父宮は、先任の軍曹に一般兵を帰還させると、士官候補生だけをそのまま残した。


 この予想だにしなかった質問に、皆首を傾げ、難しそうに唸っていた。

 彼らは普段、国家とか、世界といったものについて考えたことがなかった。

 というのも、幼年学校や士官学校の教育方針が、敢えて軍人や軍隊のこと以外に関心を持たせないように指導、訓練を行う、というものだったからだ。


 だがしばらくした後に、1人の候補生がスッと手を挙げ、秩父宮の顔を見つめた。


「よし、考えを述べてみよ。」


「はい・・・、日本はアジア民族を代表する優秀な民族であります。

 その為、日本は常にアジア的な視野を持って政治、経済をはじめとしたあらゆる事項を考え、行わなくてなりません。

 つまり、これからのアジアは、各民族が協力して欧米列強に相対し、アジアの開放、共存共栄を図るべきです。」


「ふむ、なるほど。ではその具体的な方策は?」


支那しな大陸の統一と近代化が肝要かんようであると考えます。

 その為、朝鮮半島、満州の安定を先決とし、打診しなければなりません。

 具体的には、満州からソ連権益の駆逐と防衛線の設置、支那本土における権益の欧州からの奪還であります。」


「しかし、満州及び支那大陸の主権は支那民族に有って、日本には無いぞ。」


「それは理解しております。

 ですので、一先ひとまずの間は日支両国の合議により、まず日本が支那に代行して満州の防衛と民草の安定を引き受けるというものであります。」


 彼の主張に、他の2人の候補生は聞き入っている。

 その顔には驚きの色が、浮かんでいた。


「なかなかの意見だ。

 宮崎みやざき滔天とうてん氏の大アジア主義の影響が多分にあるようだ。」


「父が熊本で教鞭を振るっている際に傾倒していたもので、その折に私も彼の書籍を幾分か拝見しました。」


 そして一連の両者の対話を聞いていた2人の候補生は、感心したように息を飲んだ。


 これまで只ひたすらに心身を鍛え、腕を磨くことが軍人として務めであると自負していた。

 だが彼らと同じ、同期の候補生の一人が、これほどまでに広く明瞭な展望を持っていたことに、二人は驚きを隠せなかったのだ。

 これ以上ない解答である、二人は確信していた。

 しかし、


「50点だな。」


 と、秩父宮は容赦無い評価を下した。


「君の意見は対支政策としては、確かに正論と言える。

 だがその前に己の足元を顧みなければならない。

 君は今の日本をどう思う?」


 彼の言葉に3人はハッとした。

 その脳裏に浮かんだのは、昨年の震災だった。


 瓦礫の山。

 草も木も人間も飲み込む火災。

 地面の液状化や地盤沈下。

 文明開化以降、目覚ましい発展を成し遂げ、世界でも有数の大都市となった東京が、一瞬のうちに灰燼に帰してしまった。

 その復興作業は未だに続き、それに伴って国民に伸し掛かる負担も増大していた。

 

「現在の国内情勢では日本がアジア全体の面倒を見るなど、その実力においても、国内体制においても、国外信用においても不可能である。

 故に、低迷する日本人の国民精神を振起、腐敗した政治を刷新、国民の安定、国力充実を計ることが優先課題であるとは思わないか。」


 ぐうの音も出ないとは、このことなのだろう。

 己の浅学と視野の狭さを改めて思い知らされた。

 だが同時に、皇族の筆頭である秩父宮本人の口から、このような革新的な考えを聞くことになるとは、思ってもみなかった。


「まあ、斯く言う私の言葉も、きた一輝いっき氏の純正社会主義の影響が多分に含まれていることは否定はしないがね。」


 そう言って彼は爽やかに笑った。

 秩父宮が、陸軍士官学校本科生だった頃に同期生であり、革命児でもあった西田にしだみつぎを介して、北一輝との交流があったことを、3人は風の噂で知っていた。

 しかし今、こうして対話している秩父宮からは、そういった革命家等にありがちな狂信的なまでの情熱、危うさといったたぐいのものは感じられなかった。


 生来の自由な発想や、進歩的な感覚。

 そして自ら規範となって社会正義を貫くという意欲と情熱が、秩父宮のそうした思想を支えているのだろうと、3人は感じた。

 様々な思想を吸収し、己の内に取り込みはするが、決して飲み込まれはしない。

 あくまでその根本には、己の確固たる思考と意志が、揺らぐことなく鎮座する。

 だからこその秩父宮殿下だった。


「安藤、」


「はい。」


「梶山、」


「はい。」


「星、」


「はい。」


 秩父宮は改めて3人を見回し、


「この問題は諸君等にこれから残された在隊期間、更に本科に入ってからの2年間でじっくりと考え、見習い士官として再び原隊復帰するまでに、一応の結論を纏めておくようにしろ。

 それが私からの一つ目の課題だ。」


 そうして秩父宮と士官候補生3人との対話が終わった。

 安藤と呼ばれた一人の士官候補生は、己の中に新たな道が開かれれたような感覚を感じた。

 一人の軍事として日々を訓練や鍛錬に費やしてきた彼は、これまで国家の改革というものを考えたことは無かった。

 しかしこの日、この瞬間に秩父宮によって、彼の中に維新の燈火に小さな火が灯されたのだった。


    ※


 昭和6年4月20日。


「今日から7カ月間、俺と宮崎軍曹がお前達の面倒を見ることになった。」


 背が高く、ガッシリとした体格で強面の教官が、彼の前に座る下士官候補者達を見回し、ゆっくりと話し始めた。


 カラリと良く晴れた日だったやわらかくそよそよと吹く東風に乗って、営庭の周りに植えられた桜の花びらが青天に舞っていた。


 麻布区あざぶく龍土町りゅうどちょうに設置された歩兵ほへい第三だいさん聯隊れんたい駐屯地の営庭に16人の今年度の下士官候補者が集まっていた。

 彼らはそれぞれ将来国軍の幹部たらんことを志し、厳しい銓衡せんこうと試験を経て選抜された若人達だった。

 この日彼らが集ったのは陸軍教導学校へ入校するまでの間、連隊へ入隊し、そこで集合教育を受けなければならなかった為だ。


 そして彼らの表情は、皆一様に強張っている。

 見知らぬ地で、互いに初めての見知らぬ顔同士。

 そして何より教官に対する恐怖心だった。

 

『上官の命令は絶対である。』


 誰もが当たり前のように、そう教育されてきた。

 故にたとえ、どれほど理不尽で過酷な命令であっても、やれと言われれば、全力で遂行しなければならなかった。


(では果たして、今目の前にいる2人の教官は一体どのような人物なのか。

 人格者であったならば良い。

 だが、そうでなければ・・・。)


 と、皆そう思わずにはいられなかったのだ。

 そこに、


「いいかお前達、俺の行動を真似をするなよ。そんなことをしたらたちまちに怠け者になってしまうぞ。」


 と、いきなり教官本人がそんなことを言い出した。


(・・・?)


 この時、全員の思考が停止した。

 下士官候補者達の誰もが一瞬、己の耳を疑った。 

 何とか表情には出さなかったが、彼らの頭には幾つもの疑問符が沸き起こった。

 しかしその教官は構わずに、


「俺に関してどのような噂を聞いたかは知らんが、俺はな、立派な人間などでは無い。

 一介の凡夫に過ぎんのだ。」


 しみじみと彼は話す。

 そして、隣に立つ者を悪戯っぽい目線を向け、


「だが、この宮崎軍曹は、ちょっと訳が違うぞ。

 連隊の中から選んだ最高の助教殿だ。

 軍人としての根性、下士官としての志操、能力、技術など、あらゆる面においてぴか一だ。

 諸君が手本にするべきは教官の俺などでは無く、この宮崎軍曹のほうだ。」


 彼を褒め称えた。

 その途端、宮崎軍曹は、


「教官殿、そりゃ言い過ぎですって。

 そんな風に言われたら、今日から僕はどんな顔して教えて行けば良いんですか。

 本当のことを知られたらと思うと、僕は穴に潜って出て来れなくなってしまいますよ。」


 口を尖らせ抗議した。


「ハッハッハ・・・。そんなにムキになるなよ。

 君がいなくなっていしまったら、俺もお手上げだ。

 初日から、教官と助教がケンカしてしまっては、候補者達が困ってしまうぞ。」


「やれやれ・・・。

 みんな、教官殿は気さくなお方で、自分を全く飾らぬお人だ。

 それでいて、人の心をグッと鷲掴みにして引き付ける憎いお方なんだ。

 この僕も、安藤中尉殿に心の底から惚れ込み、どこまでもお供する・・・。

 それこそ地獄の果てだろうが、那由他の彼方までも追従する気持ちでいるんだ。」


「何を言うか、俺の方が先に惚れ込んだんだぞ・・・。」


 そうして集合教育、教官と助教の漫才から始まった。。


 2人の仲の良さそうな掛け合いを見た候補生達の貌には笑顔が浮かび、初めの頃の恐れや不安、緊張といったものは、嘘のように霧散していた。


    ※


 営庭に座る皆の緊張感が程よく解れてきたところで、


「それでは、まずお互いの自己紹介をすることにしよう。一番手は教官の俺からとゆくか。」


 安藤中尉は提案した。


「俺は名は、安藤輝三。

 明治38年2月25日に、岐阜県の片田舎、揖斐町いびちょうの貧乏郷士で生まれた。

 親父が中学校の英語教師をしていたので、その転任に従って、鹿児島、熊本、石川、長野、栃木、宮城の諸県を渡り歩いた。

 大正8年、宇都宮中学から仙台陸軍地方幼年学校に入学した。これが軍服を着た最初だ。


 ああ、そう言えばつつじヶ岡がおか公園の桜が綺麗だったな。

 初めての軍服に浮かれていたからかもしれんが、流石は伊達のお膝元、もりみやこと呼ばれるだけはあった。


 少し脱線してしまったが、その後大正13年3月に陸士予科の過程を終え、士官候補生としてこの歩三に入隊した。

 この時の軍事学教官が、現第六中隊長の秩父宮殿下だ。

 俺はその間、殿下から人間としての生き方、武士もののふの心構えという最も大切なものを学んだ。 俺が一人の人間として、一人の武人として開眼したのは殿下という最高の師を得たからだ。


 そして約6カ月間の隊付生活の後に陸士本科に進んだ。ここでは軍曹の階級でみっちりとしごかれた。

 大正15年7月に卒業し、見習い士官として聯隊に帰って来た。その3カ月後に少尉に進級、更に昭和4年の10月に中尉に進級し、現在に至る。


 その間はずっと第十一中隊付けだったが、約一年間は戸山学校に甲種学生として派遣されていた。

 実は、今朝も宮崎軍曹からさんざっぱら冷やかされたばかりだが・・・、昨年の昭和5年5月に結婚し、来月でちょうど1年になる・・・。まあ、準新婚みたいなものだ。

 誇れるような趣味や特技などは持っていないが、戸山学校にいたおかげで多少は武術と体術には自信がある。

 とまあ・・・、俺の経歴はこんなものだ。

 次は宮崎軍曹の番だ。

 それが済んだら、第一中隊から建制順けんせいじゅんに自己紹介を行うように。

 そしてなるべく己という人間をさらけ出す様にな。」


 と安藤は自身の紹介を締め、宮崎軍曹に後を譲った。


 引き継いだ宮崎が己の出自や経歴、これまでの体験談や、趣味などを開けっ広げに面白おかしく話した後、第一中隊の下士官候補者から自己紹介が始まった。


    ※


「よし、これで全員の紹介が終わったな。なかなかに素晴らしい自己紹介だったぞ。」


 16名の下士官候補者達の自己紹介が終わった。

 大声で勇壮ゆうそうに語る者。

 緊張からか、少したどたどしく語る者。

 自慢げに自らの趣味を語る者。

 自身が遭遇した怪談をおどろおどろしく語る者。

 頬を紅潮させて恋人について語る者。

 候補生は、皆がそれぞれ思い思い好きに己を語った。

 そうやって自らを曝け出した皆の表情は清々としており、心なしか互いに近親感が湧いていった。


「どうだ。互いに随分と兄弟意識が出て来ただろう。

 ただし、男色はいかんぞ。ここは古代ギリシアではないのだからな。」


 安藤が冗談めかしてそんなことを言うので、皆からドッと笑い声が上がった。


「よし、これにて午前の課業を終了する。

 昼食までの2時間は各人の自由時間とするので、その間に身辺整理を終えておけ。

 午後は体操を終えた後、舎外演習を行うのでその支度も済ませておくように。

 以上、解散。」


 解散の号令がかかると、候補者達はワッと、我先に兵舎に向かって駆け出した。 


「これから楽しくなりそうですね。」


「ああ、皆頼もしい目をしていたからな。」


 そう言って安藤と宮崎は、そんな初々しい彼らの後ろ姿を眺めていた。

 思い浮かんだのは、昔はああしてあの中に混じっていた己の姿。


(光陰矢の如し・・・、か。

 そう言えばあの時も、今日の様に良く晴れた日だったな。)


 安藤は、感慨深げに晴天を仰いだ。

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