第9話 恋する妖怪はめぐるがお好き!?①

「やばいやばい! なんで今日に限って目覚まし時計が壊れてんのよー、もー! パパもママもカケルも起こしてくれないし」


 ポニーテールを揺らしながら全速力で走るのは日吉めぐる、絶賛寝坊で遅刻しそうになっているところだ。だがめぐる自身が悪態をつくように、誰も彼女を起こしに行かなかったわけではない。弟のカケルは両親に言われてしぶしぶ姉を起こしにいったのだが、寝ぼけた彼女によって裏拳を一発、みぞおちにお見舞いされてしまった。痛みと怒りで腹を押さえながら惰眠だみんむさぼる姉を放置し、カケルは一人学校へ向かった。

 めぐるは腕時計にチラチラ目をやりながら学校までの距離と時間を目算し、(やばいやばい)と頭の中で言い続けながら勢いよく地面を蹴る。とあるマンションの近くに差し掛かった時、彼女はふとあることを思いだす。


(そういえばこの間ばんちょーが、そこの角を曲がって裏道通れば近道になるって言ってたっけ? この際だから使わせてもらおうかな)


 康作から教わった近道とは、マンションの裏に位置する用水路の横を通る地面がむき出しの舗装されていない道の事だった。道幅はさほど狭いわけではないが、地域住民からも危険な通り道と噂されており、通行しないようにと簡易的なフェンスが設けられている。

 とはいえしょせんは小さなフェンスなので、よくそこを乗り越えて学校へひた走る遅刻少年少女たちは後を絶たない。今日のめぐるもその例に漏れず、フェンスを越えてショートカットをはかろうとしていた。


「話を聞いた時は遅刻する方が悪い、ってばんちょーに行ったけどもちょっと反省しなきゃね。今度美味しいスイーツでも買ってあげよ」


 そんなことを呟きながら意気揚々と近道を走るめぐるは再び腕時計に目を落す。このまま行けば始業時間に間に合う、そう確信しながら心の中でガッツポーズをとる。


「ラッキー! ホントにこの道早いじゃん、これからも使おうかな――へぶっ!」


 あと少しで道路に出る、と言うところで見えない何かにぶつかって尻もちをつく。鼻とお尻を押さえながら何にぶつかったのかと目を開くが、目の前にはぶつかりそうなものは何もなく、頭の中に疑問符が浮かび上がる。

 立ち上がって歩こうとしたとき、再び顔をぶつけ、探るようにしながら手でペタペタと触ってみる。するとやはり目には見えないが、道をさえぎる壁のようなものが確かにある。誰かがイタズラでガラス板でも仕掛けたかとも思ったがそうではない、ガラスであれば多少キラリと反射して見えるはずなのに、それすら見当たらない。


「ちょっと、どうなってんのよこれー!」


 どうしようもない状況に足をダンッと踏みつけ、ぶつけどころのない怒りをあらわにするめぐる。すると突然、壁のむこうの地道が崩れ出して隣の用水路にドボドボと落ちていく。がっぽりとあいた地面を目の当たりにして彼女は固まってしまった。

 そうこうしているうちに遠くからはチャイムの音が鳴り響き、めぐるの遅刻が確定した。



 ☆☆☆☆☆



 朝の出来事以降、その日めぐるは一日中実に複雑な心境だった。

 遅刻から始まり、見えない壁につど遭遇していたからだ。しかし壁が現れるたびにめぐるは小さな災難を回避している。廊下を歩いていた時に現れた壁は誰かがバケツの水をひっくり返し、あたり一面水浸しにする中、彼女を濡れることから守り、体育でバスケをしていた時に現れた壁は、相手チームの子との正面衝突から彼女を守るなど、めぐる本人に何か災難が降りかかる前に彼女の身を守ってくれているのである。

 ただしその際、激突する衝撃で鼻は痛むし、周りから見れば一人だけパントマイムをしているようにしか見えないので、奇特な視線を向けられるようにもなってしまった。そういう感謝すべきか悩むラインの出来事にめぐるは悩まされていた。

 やつれた様子の彼女を見かねて康作と晴明がやってくる。


「めぐるちゃん、今日はいったいどうしたんじゃ……」

「……あ、ばんちょー。例の近道教えてくれてありがとねー……」

「でもお前結局遅刻したじゃねーか」


 ケラケラと茶化して笑う晴明をめぐるはギロリと睨む。その鋭い眼光に晴明のみならず康作もついしりごみしてしまう。


「壁よ……」

「壁?」

「そう壁。それが今日ことごとくあたしを邪魔するの。」

「……見えない壁、か。その壁が出て来た時、他に何か起こらなかったか?」


 晴明の質問にめぐるはハッとなる。壁が出てこなければ起こりえたアクシデントを朝から順を追って答える。

 そして晴明は彼女の話から推測して結論付けた。


「ぬりかべのしわざだな」

「ぬりかべぇ? それって妖怪の?」


 晴明はポケットからスマホを取り出して何やら入力し、画面を2人に見せつける。そこには『ぬりかべ』についてかかれたサイトが映し出されていた。


「ぬりかべってのは日本各地、主に西日本で目撃情報があってな、夜道に人の前に現れて道をふさぐっていう習性をもつ妖怪なんだ。その特徴として目に見えないであったり、道全体をふさぐってのがあって、まさにめぐるの話す内容と一致するんだ」

「へぇ~、どれどれ。あ、これ狸の塗り壁だって、かわいいじゃない! タヌキが陰嚢いんのうを広げて……って――」

「……め、めぐるちゃん」


 めぐるがスマホの画面から目をそらして康作の方を見ると、彼は両手の人差し指を中指をクロスさせて「えんがちょ」のポーズをとりながら後ずさりしていく。


「ちょ! ばんちょー、違う! あたしがぶつかった壁はカッチカチだったの、コンクリートみたいに!」

「確かにタヌキの陰嚢はぶにっとしてそうじゃが……」

「ヒィィ! やめて、想像させないで!」

「お前らとりあえず話を聞けよ……」


 全身鳥肌を立てながらショックを受けるめぐると彼女からどんどん距離をとる康作を呼び戻して説明を続ける。

 晴明にはいくつか納得できないことがあった。まず一つは夜道に現れるとされるぬりかべが何故白昼堂々と現れるかということ。二つめはなぜ執拗しつようにめぐるをつけ狙うのかということ。特にどうして彼女に何かアクシデントが起こる前に守るようにして現れるのかということ。

 めぐる自身にも何か心当たりがないかと尋ねてみたもののただ首を横に振るだけだった。


「おかしいな、人に危害を加えないとはいえ、執拗に一人の人間に付きまとうような妖怪じゃない筈なんだがなあ」

「ふふーん、あたしに魅力があるからでしょ。……あっ、そういえば壁と言えば」


 めぐるが何かを思い出したかのように人差し指をクルクル回しながら宙を見る。

 一昨日、帰宅の道すがら、家の近所の壁に悪ガキどもが落書きをしているのを目撃してしまった。放っておこうかとも思った彼女だったが、見て見ぬ振りするのもどうかと思い、少しの正義感に突き動かされ小学生の軍団に怒鳴りあげる。

 すると小学生たち慌てだし、いっせいにクモの子を散らすようにして逃げていった。本当はきちんと落書きを消させようとも考えたが、小学生たちの俊敏さとローファーで走り回ることへのわずらわしさから追いかけるのをあきらめる。そして面倒に感じながらも一度関わってしまったことは最後まで責任をとろうと一度家帰り、雑巾やバケツを持ち寄って一人壁掃除をする。

 そう説明しながらめぐるは何かに気が付いたかのように両手を合わせる。


「……ハッ! そんな私の健気な姿を見たぬりかべが心打たれて、つい恋に落ちたのかもしれないわね」

「妖怪がめぐるに恋ィ!? ンなアホな……」


 晴明の呆れたような物言いに康作はチッチッチッを指を左右に振りながら似合わぬキザッたらしい言い方で答える。


「分かっとらんのぉ、晴明。人が恋に落ちる理由も十人十色、ましてや妖怪なんじゃからその理由も変わっとると言うわけじゃな。」

「お、ばんちょー。なかなかロマンチックなこと言うね~」

「しかし、そのぬりかべとやら、妖怪のくせしてめぐるちゃんに惚れるなんて100年早い……といいたいところじゃが見る目はあるようじゃのぉ」

「なーに言ってんのよ、他人事だと思って……」


 冗談を言う元気がありながらも冗談じゃない、といった風に疲れた表情を見せるめぐる。晴明も康作の言葉があながち間違いじゃないような気がしないでもなくジッとめぐるの顔を見つめる。めぐるはそんな彼の視線に対して気恥ずかしそうに身をよじらせる。

 だが、晴明はある一点が引っかかっており、ボソリと呟く。


「つかイマドキ壁に落書きする小学生なんて、何時代だ……?」



 ☆☆☆☆☆



「てなことがあってねー」

「それは大変でしたね……」


 部活終わりの放課後、めぐるはサキに今日一日の出来事を話しながら並んで校庭を歩く。サキは以前にヘルガイストの被害を受けたこともあり同情的に彼女の話を聞く。良き後輩を持ったと感動しているとグラウンドから大きな掛け声が聞こえ、そっちに気が移る。

 そこではまだ野球部たちが練習している。どうやらフライ練習の途中らしく汗水流しながら走り回る球児たちの姿があった。それを何気なくボーっと眺めながら歩いているとめぐるたちに向けて「危ない!」と大きな声が飛んでくる。


「へぶっ!」

「キャッ!」


 2人は何かにぶつかり、その場に倒れ込む。すると目の前をすごい勢いでボールが横切る。てんてん……と転がっていくボールを呆然と眺めていると、向こうから「すみませーん!」と謝りながら球児が走ってくる。


「って、めぐるとサキちゃんじゃねぇか。だ、大丈夫か?」


 走ってきた人物、晴明は地面にへたり込む2人をみて怪我はないかと見まわし、手を差し出して立ち上がらせる。サキの方は何が起こったのかわからないといった様子で頭に疑問符を浮かべる。一方のめぐるは「まただ……」といった感じで周りをキョロキョロと眺める。


「晴明、あたしまたあのぬりかべに守られたみたい」

「あ、アレがそうなんですね!」


 サキも納得と言った表情でめぐるをみる。晴明はそんな彼女らの方には目もくれず「そうみたいだな……」と明後日の方を見つめながら答える。

 その視線の先には今朝からめぐるを守り続けたぬりかべがいた。大きさは大体3メートルほどの高さを誇り、図体のわりに手足は短く、その中心に情けないような頼りないような顔がちょこんとついている。そんな姿を見て改めて人に危害を加えるような性質の妖怪ではないと実感した。

 晴明はめぐるの方に向きなおし、ぬりかべの特徴を教え、妖怪がいるところへ指さしながら礼の一つでもと促す。めぐるは晴明の指すその一点を見つめながらお辞儀をし、「ありがと」と言葉を添える。

 そんなめぐるの様子にぬりかべは頬(?)を赤らめながら短い腕をフリフリ振って、のっしのっしと歩きながら去っていく。その様子をめぐるに伝えると彼女もつい顔をほころばせてしまう。


「めぐるが言ってたこと、本当に当たりだったみたいだな」

「あたしが言ってたことって?」

「アイツ、ほんとにお前のことが好きみたいだな。照れてやがったぞ」

「マジか」


 呆気にとられるめぐるをよそに晴明は深く帽子をかぶる。なんだか可愛らしささえ感じさせる妖怪の事に口元をほころばせながら、怒鳴る部長に返事をしてグラウンドに戻っていく。


「それじゃあ気を付けてな。サキちゃんも」

「はい。晴明先輩も頑張ってください!」


 めぐるはまだぬりかべがいたであろう場所をじっと見つめながら立ち尽くしている。


(タヌキの陰嚢じゃなくて本当に良かった――)



 ☆☆☆☆☆



 榎戸も例のぬりかべの姿をバッチリと捉えていた。教室でのめぐるたちの話を聞いていた彼らはチャンスだとばかりに再びぬりかべが出てくるのを待ち構えていたのだ。

 ぬりかべが元来持つ強力なパワーがDタイザンをもはるかにしのぐと考えた彼は、ヘルガイスト化してひと暴れさせようと目論む。早速ジャシーンに新たなるヘルガイストの召喚をリクエストする。


『確かに人の能力をはるかに超えた妖怪に我がヘルガイストの力が合わさればとてつもない力を発揮するやも知れん』


 そういいながらエレメントジャシーンはパチンと指を弾いてヘルガイストの素体を出現させる。榎戸はぬりかべの周囲に結界を張って逃げられぬように捕らえる。もちろんぬりかべはその状況に慌てて結界に体当たりするも激しく弾かれてしまい、うしろ向きに倒れてしまう。

 その隙をついて呪文を唱え終えた榎戸は身動き取れないぬりかべに向けて素体を撃ち込み、苦しみながらバタつくものの抵抗むなしく体内にヘルガイストが浸透していく。水鏡とジャシーンはその様子を見届けると満足げにあざけ笑う。体内にヘルガイストを取り込んでしまった妖怪は黒いオーラをまといながらゆっくりと立ち上がり、ズシン……ズシン……と足跡をつけるようにして夕柳の街中へ向けて繰り出す。

 ぬりかべは、一見では何も変わった様子は見られない。しかしその巨体を邪魔する道中の遮蔽物しゃへいぶつを余すところなくなぎ倒しながら歩く姿は先ほどまでの愛らしい様子とはまるで打って変わっていた。フラフラと体を揺らしながらも突き進むその姿は悪意以上に苦しみもがく、そんな様子をかもし出していた。



 ☆☆☆☆☆



晩のこと、めぐるが2階の自室でマンガを読みふけっていると窓の方からコツッ、コツッと何かがぶつかるような音が聞こえてくる。はじめは小さな虫が部屋の明かりに反応して飛び込んできたのかと思い、放っておいたのだが、しつこくしつこく音が鳴り続けるのでカーテンを開けて確認する。

 するといくつもの小さな石ころが暗闇のむこうからひとりでに飛んできて窓にぶつかってきていたのが分かった。誰かのいたずらかとも勘ぐったが直観的にそうでないことがわかった。窓を開け、


「もしかしてあのぬりかべ?」


 と聞くと、また小さな石ころが一つコツッと窓に当たる。どうやら肯定を意味するらしい。


「あたしに会いに来たの?」


 コツッ


「明日じゃダメなの?」


 コツッコツッ

 連続して2回石が投げられる。恐らく否定を意味する合図。めぐるはどうすれば良いかと少し悩んで答えを導きだす。


「下に降りればいい?」


 コツッ

 その合図に「わかった」と返事してパジャマのまま階段を駆け下り、玄関のドアを開ける。どうせ見えやしないのだが、ぬりかべの姿を探してみる。だが何かにぶつかるような感触もなければ、そこにいるという気配すら感じない。キョロキョロとあたりを見回してみても出てくる様子もない。

 おかしいなと首をかしげて家に戻ろうとすると足元からカサッと音がし、何かが落ちていることに気が付く。それを手に取って玄関の明かりに照らしてみてみると、それが花であるということが分かる。薄青色をした花びらを持つ小さな花が茎の先にいくつも咲いている。いかにも繊細ではかなげなその花はどことなくロマンチックな雰囲気を持っていた。


「……まさか、あたしにプレゼント?」


 およそ妖怪の仕業とは思えないような、ウブで殊勝な心意気につい笑ってしまう。名前も知らぬ可愛いらしい小さな花を手の中でもてあそびながら家の中に入る。途中、目をこすりながらトイレへ向かうカケルとすれ違い、手に持って入る花について尋ねられる。答えようにもうまく答えられない彼女は理不尽なデコピンを一発お見舞いし、部屋へと戻る。

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