ある老人の懺悔

@HAO

第1話 老人と双子

 その老人は、この田舎町にある酒場の奥から二番目の席にいつも座っていた。老人と言っても、彼が総白髪だったために常連達が「爺さん」と呼んでいただけで、実際には年寄りだったのか見た目よりも若かったのかはわからない。


 その酒場は冒険者達の溜まり場も兼ねていて、彼らへの依頼の仲介もしていたため一般人はあまり寄り付かないところだったのだが、老人は伝説の勇者がその仲間達と共に魔王を倒し、一応の平和が訪れた五年前にフラリと現れ、それから毎日夕方には窓際の夕日が見える席に座り、冒険者達のバカ騒ぎをニコニコしながら眺めていた。新参の冒険者が彼をからかったり食ってかかったりすることもあったが、彼は笑顔を崩さず受け流し、常連達が諌めて治まっていた。


 彼の悠然とした態度から、引退した大物冒険者であるとか、王都の古参兵であったとか様々な憶測が流れたが、彼は自分の身の上を人に話すことは決してなく、また噂に対しても意に介していなかった。


 老人が人と喋ることはあまり無かった。専ら常連の何人かが彼に話しかけ、彼はそれを時折相槌を打ちながら聞いているだけだった。しかし一年ほど前から酒場に出入りするようになった双子の兄妹に対しては別で、彼らとはよく話したしまるで自分の孫のように可愛がっていた。兄妹はこの町出身で、歳は今年で16歳、冒険者としての活動をそろそろ始める年頃だった。


 彼は兄妹に剣の振り方や、弓の引き方を語って聞かせた。その講義は非常に理にかなったもので、老人が実技で教えることは無かったが、酒場の中で冒険者同士が戯れに木剣試合や的あてをすると兄妹はほどなくして上位に食い込むようになった。


 ある日、昼過ぎの客もまばらな酒場でいつものように老人が蒸留酒をチビチビと飲んでいると、兄妹が連れ立ってやって来た。いつもところどころ破れた服を着てやってくる二人が珍しく革鎧を着け、青銅の剣とショートボウを腰に括り付けている。

「おじいちゃん!私たち、始めて仕事を貰ったの」

 妹が心底嬉しそうに言った。


「そうか、良かったな!どんな仕事だい?」

 皺だらけの顔の皮膚が零れ落ちてしまうのではないかというような、満面の笑みで老人が言う。


「町の出口から3マイルくらい離れたところに、コボルドの巣ができたから壊しに行くんだ!」

 兄の方は初仕事に緊張しているのか、ややこわばった面持ちで答えた。


「そうか、連れは誰だいフェルジュ?」


「僕とステラだけで行くよ」

 妹のステラに目をやりながら、フェルジュは言った。


「大丈夫なのか?」


「うん、まだ小さな巣で、コボルドも3匹しかいないそうだから、二人で充分だよ」


「そうか……気を付けるんだぞ。コボルドは一旦巣を作るとひと月もすればあっという間に集まってきて大きな集落になるから、慎重に様子を見てもしも巣が大きくなっていたら絶対に無理せず戻ってくるんだ。それなら何もせず戻っても依頼主は怒らん。自分たちの力を過信したらおしまいだぞ。伝説の英雄だって、コボルドが100匹もいたら一人では勝てるかどうかわからんのだ」


「大丈夫だよ、三日前にできた巣だから。でもまあ気を付けるよ。じゃあ行ってきます」

「報酬をもらったらおじいちゃんにお酒をごちそうしてあげる!」


「くれぐれも気をつけてな」

 酒場を後にする兄妹の背中を、老人は感慨深げに見守っていた。


「鼻たれ小僧たちもようやくお披露目かい?」

 蒸留酒のお替りをテーブルに置きながらマスターが言った。


「ああ。あの子たちはきっと大物になるぞ。いずれ、伝説の勇者すら成し遂げられなかった真の平和をもたらしてくれるかも知れん」


「またまた。爺さんあの子らに相当入れ込んでるね」


「私が見込んだ子たちだ。帰ってきたら初めての酒を飲ませてやろう。大将、ボトルを用意しておいてくれ。上等なやつだぞ」


「あいよ」


……


 陽が沈んで半刻が経った。老人はまだ封を切っていない醸造酒と三つの盃を前に、落ち着かない様子だった。酒場は既にその日の仕事を終えた冒険者たちで溢れかえっている。


「大将、あの子ら、まだ帰って来ん」


「おかしいなあ。昼過ぎに出て行ったなら、夕方までには帰ってくるはずなのに……」


「コボルドの巣の場所はわかるか?」


「ああ、俺が紹介した仕事だからな」


「おい!一人につき銀貨五枚で誰か2、3人、コボルドの巣に行った子供たちの様子を見に行ってくれんか!?」

 老人は常連たちが今まで聞いたことのないような大声で言った。


「俺たちではどうだい?」

 店の常連、グスタフがすぐさま名乗りを挙げた。長く伸びた無精ひげが顔を覆う雲つくような大男で槍の名手、熟練の冒険者で、兄妹のことも見知っていた。


「頼めるかね」


「お安い御用さ。俺もあの子らのことは心配だしな。じゃあさっそく行こう」


「金は先払いにしておくぞ」


「ありがとよ。俺とジョスタンとヴィクトールの三人で行く」


「銀貨15枚だ」

 老人は懐から銀貨を取り出し、手渡した。


「確かに。大将、これで最上の葡萄酒を一樽、盃と一緒によく冷やしておいてくれ!」

 グスタフはマスターに銀貨を投げてよこした。


「あいよ!」


……


「この辺りだ」

 グスタフは松明の火を弱め、警戒を強めつつ言った。林を抜けたすぐ先に、コボルドの巣があるはずだった。


 200ヤードほど先に、林の木に紛れた灯りが見えた。どの程度の大きさのものなのか判別はつけ難かったが、決して小さなものではなかった。嫌な予感がグスタフたちの胸をよぎった。


 灯りに向けて少しずつ、慎重に接近する。コボルドの巣とおぼしきところがおぼろげに闇の中に浮かんできた。火はグスタフが思っていたよりもずっと大きなもので、立派な焚火台が出来上がっていた。


 灯りの中に浮かび上がったそれは、コボルドの巣などという程度のものではなかった。三日前にひとつできあがったばかりのはずの巣は、既にその数を大きく増やしており、30ほどの巣が集まって中規模の集落が出来上がっていた。巣の数から考えて、少なく見積もっても100ほどのコボルドが集結している。


「これは……」

 グスタフは悪寒を感じた。こんなに早くコボルドの集落が出来上がっているのは、彼の決して少なくない経験上初めてのことだった。


「見つかったらおしまいだ。慎重に行こう」

 ふいに、フェルジュとステラの幼く無垢な笑顔が彼の脳裏をよぎり、兄妹がこの集落の様子を見て尻尾を巻いて逃げ帰り、初仕事を遂行できなかったきまり悪さのあまり酒場に顔を出しづらくなっていることを祈りながら、グスタフたちは集落から少し距離を置いて周辺の探索を始めた。コボルトは自分たちの縄張りから少し離れたところに糞をしたりゴミを捨てて溜めておく習性がある。


 やがて、ゴミ溜めが見つかった。グスタフはなんとはなしに松明の灯り照らしてみた。


 腐った食糧やボロキレ、糞尿の山の中に混ざって、「彼ら」がいた。


……


 グスタフが酒場に戻ってきたのは、出発から二刻もたたない頃だった。老人は、彼の面持ちを見てサッと顔色を変えた。


「おい!あの子らはどうした!?」


「爺さん……」


「なあ、教えてくれ!あの子らは無事だったのか!?」


「爺さん、残念だが、あの子らは……」

 皆まで聞かず、老人はその場に崩れ落ちた。


「予想をはるかに超えて早く、集落ができあがっていたんだ。あの子らは奴らに捕まったようだ……燃やされてゴミ溜めに捨てられていた。奴らの習性から考えると、その前にも奴らは散々にあの子らをいたぶって……」

 固く握りしめたグスタフの掌から、血が滴りはじめた。


「なぜだ!なぜ!神よ!私があなたに何をした!?私は、あなたに何をしてやった!?」

 老人は、声の限り叫んだ。

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