僕は苦しいです

第2話 冒険の始まり

授業開始のベルが鳴る。いつも通り先生が教室に入りいつも通りの授業をする。こんな日々はもうたくさんだ。そういって後先考えない人間が学校をあとにした。これが社会保障の一環であったと知るのは彼らがもう少し大人になってからだろう。私はこの退屈な日々の暇つぶしとして、私の願いの代弁者が社会底辺に落ち着くのを見て自分の慰めとしていた。私はこの高校の優等生、そして有名大学への進学を期待されている。私はその期待こそ間違ったものだとは思わないし、だだをこねても結局はそうなるのだろう。期待という名の鉄骨に敷かれた社会のレール。その輝きは権力から足蹴にされた多くの死体から流れ出でた、その鮮血で輝いている。この血の道を歩む者はごくわずかだということを私は了解していた。そしてそれが私であることも。


私の受験はあっけなく終わってしまった。そしてその合格発表も。分かりきった結果だった。そしてこの先も分かりきった人生を歩むのだろう。レールに乗るだけの人生。期待され続ける人生。私を人形か何かだと思っているのか。しかし抗ったところで今よりマシになることはない。人生とは破壊的に行動しなかった人間の方が幸せにできているのだ。つまり人生というのはオートメーションのようなもので、作家や政治家、科学者や宗教家といったライフスタイルの整備士たちによってつくられたベルトコンベアの上を無思慮に流されることを言う。そしてその流れを維持することを私たちは人生と呼ぶにすぎない。重層コンベアの一番上で一番搾りにあずかるか、コンベアの一番下で余り物のおこぼれにあずかるか、人生なんてその程度の違いだ。その選別が受験というわけだ。もちろん私は一番上のレールを歩くことになるだろう。


田中は私と同じレールに立つ男だった。そういう意味で彼には一定の親しみを感じていた。彼は成績優秀、運動神経抜群、語学堪能、向かうところ敵なし。去年の生徒会長はたしかこいつだった。こういう人間が社会を背負っていくのだと感心したものだ。だがそれも杞憂だった。彼はオカルト信者だったのだ。彼があの日、図書館の異端者たちを集め熱心に説いていたのは「異世界漂流概論」どうみてもオカルト本だった。あの田中が?なるほど彼の両親は熱心な宗教家だったそうじゃないか。しかも父親はどこぞの教祖らしく、母親は別の新興宗教にぞっこんらしい。彼が世界の神秘に触れたがるのも無理はない。でも、神秘だって?あのアレクセイ・ウンコスキーとかいう男がほざく、陳腐な現実逃避の手段のことか?だとしたら噴飯ものだ。所詮あの男はその程度だったということだろう。


だが、気になる。なぜ田中ほどの男が異世界なんて子供だましのファンタジーに心惹かれるのか?異世界にいって何をするつもりだ?ひょっとしたら、という思いが私の脳裏をよぎる。彼は私が到底思いつかない何かを成し遂げようとしているんじゃないのか?まさか、と私は思ったが、冷笑するに足る根拠を有していない。彼の狂気にも似た野心の正体が知りたい。しかし彼とは高校卒業以降会ったことがない。図書館にいたあの一人者たちも、どこにいるかさえ分からない。


***

私は現在、帝国うんち大学の2年生である。全国で最も優秀な大学だそうだが、正直に言うと高校の延長に過ぎない。退屈な日々。退屈な教養課程。そして最も退屈なのは「国を背負うリーダー」になるのための洗脳講義。この国の腐敗はリーダーの気質を持とうが持つまいが変わることがない。腐ったりんごを売りつけた方が儲かるからだ。腐敗を直そうとするリーダー気質の人間がいたら、その人間の腐敗を探して週刊誌に出せばいい。そうすれば金になるだろう。しかしそこまで金が偉大というわけでもない。金の力で私を自由にすることはできないのだから。金は欲望のベルトコンベアを稼働させる力にはなるけれども、それを止めたり、逆方向に回したりするには十分でない。もっとも、そんなことを考え始めるのは一部の整備士くらいか。


こんなつまらないことを考えているとようやく退屈な講義が終わりそうだったから教授が最後の言葉を言い終える前に荷物を片付け始めた。通常こうしたことは不敬だと言われるかもしれないが、誰もがやっていることなのだ。そういうわけで私はレールの上にいることに対しそれほど疑問を持っていない。慣習が許すならば人殺しや人食だってやっているに違いない。ともかく私にとって講義が終わるということが満足なのだ。女友達でもいようものなら終わらないでくれと思っていただろうが。そう、私には女がいないのだ。これも不憫な話で私の敷居がどうやら女たちには高すぎるらしい。まったく、確かに。モテないというのは男の性の否定ではないか。しかし女を得るために合わせようとは思わない。いや、物理的に不可能だ。モテたいという低次欲求が知りたいという高次欲求に押さえつけられてしまうのだ。こうした禁欲的向上精神が宗教的情熱という史的ファクターを生み、人間の知的開拓精神を旺盛にした。得てしてそれがミソジニーの源泉となったのは、動物的本能を人間の自由精神が手懐けようとする、浅ましいエゴイズムを基盤にしているのは歴史の知るところである。私もそのエゴに囚われることで、女がいないことをしぶしぶ認めざるを得なかった。結局退屈なのには変わりないのに、気がついたらまたつまらないことを考え始めていた。「あー、異世界があったらなー」


今日という今日はつまらない日でないということを道端の名もない偶像に願掛けしてきたところだ。ああいう類の石像は宗教的意図とは程遠い下俗の願掛けの対象にしかなりえないのだから、その流儀に倣った方がいいのだ。始めは遊び半分だったが、あまりにもくだらないのでやめた。所詮神なんていないのだし、いたとしても人間を不幸にする害しかもたらしていない。それを大いなる信仰への挑戦と称する神とやらはアブラハムの子殺しですらよくもまあ正当化するんだろうが、だったら神の贄となりかけたあのイサクは何なのだ。神に祝福されて生を受けたはず子が、神の勝手気ままな意向ゆえに惨殺される。迷える羊を導く神は、羊を屠殺場に導いていたのだ。こんなまやかしが蔓延る世界に神も仏もあったもんじゃない。それに羊も羊だ。愚直にありもしない世界に囚われているから羊なのだ。異世界だって?そんなものはない。あるわけがない。そんな妄想に囚われているから神様にうまいようからめとられるのだ。よう兄弟、神は聖ウンコ=クサスをこの地にお遣わしになって花と緑をお与えなさった。で、ウンコ=クサスの偉業を祝ってこのウンコバッヂを買いなさい。1つ20ユーロ。高くねえんだよハゲ。信仰に対する挑戦だぞ。20ユーロを渋るなんて神への冒涜だ。金がない?だったら借りてこい。文句は神さまにいってね。これが真実。ウンコスキーはただのアホ。まったく、オカルト論者の妄想に足を踏み入れかけた自分が情けない。


しかし神とやらは、正気に戻りかけたところで悪運をお恵みなさる。願掛けの帰り道で信じられないことが起こった。どこか確実に見覚えのある顔を構内で見かけたのだ。田中だ。あいつも帝国うんち大学に受かっていたのだ。まあ、彼の学力を考えればそれほど驚くことでもない。だが内心ではワクワクしていた。この2年間疑問に疑問だった異世界漂流の内訳が聞き出せると思ったからだ。ちょっと待て、ワクワクしていただと?この私が?今まで考えてもみないことだった。これまでの決まりきった灰色の人生でワクワクすることなんて一度もなかった。ワクワクしそうなことがあれば、現実的じゃない、生産的じゃないといってずっと避けてきたのが私だ。さっきだって異世界なんてないって結論づけたじゃないか。だが人間というものは、これは一般的にいってだが、あるわけないと思いつつどこかであることを期待しているのだ。陳腐な幽霊番組も、夜な夜な語られる怪談話も、あるわけないと分かっていてもそそられる。それは人間が唯物的な世界ではなく、どこか認識能力に欠けた曖昧な世界に生きているからだ。その種の人間たちと同様の興奮を私が覚えてしまうのは何とも不甲斐ない。だが、これはこれで面白くなりそうだ。落ち着きを取り戻した私は彼に声をかけた。


「おい、田中、田中じゃないか」

「ん、山田君か。久しぶりだね。2年ぶりかな」

「2年、そう2年だ、あの日図書館で会って以来」

「結局あの後図書館に来なかったな」

「あの時はすまない、が、そのことで丁度聞きたいことがあるんだ」

「いいとも、何だい」


「異世界って本当にあるのか?」


私は自分が何を言っているのかほとんど意識していなかった。ただ長年の疑問というか、退屈からの脱出口を模索するための口実を探すのに私はとにかく必死だった。事実、私は本当に退屈していたのだ。

田中はしばらくぶつぶつ何かを言ったかと思うと、くるりと私の方を向いてこう言った。

「ついてこい」


田中は大学を出てどこかに向かって走り出した。それをしばらく他人事のように茫然と見ていた私は、それが自分に対して言われたことであるということにしばらく気づかなかった。この男はいったい何をいっているんだ?「ついてこい」だと?世間話にも近況報告にもカラオケや居酒屋に誘うことにもなく、ただ「ついてこい」だと?まだ会ったばかりだぞ。なるほどこの男は他人の都合を全く考えない人間らしい。確かあの日私が図書館に訪れたときもこの珍妙な本は何かと言おうものなら、聞いてもないのにこの男はアレクセイ・ウンコスキーなる男の伝記的来歴と実験報告書の一部を気が狂ったようにべらべらとババアの井戸端会議よろしく延々と語り続けていたじゃないか。こうした自己中心的で視野狭窄な人間は研究職に向いている。というのはてめえがてめえで完結してるクソ野郎だからだ。よくもまあ生徒会長など務まったものだ。しかしそんなことはどうでもいい。異世界だ。田中が何も言わないのは訳あってのことだろう。おそらく異世界に関わることだ。それにあの表情、何か憂い事を秘めたような顔だった。まるで人を殺す前、善良な人間を演じていた頃のシリアルキラーが、きっともう後戻りできぬ大いなる自己の解放を目前にしているかのような、あるいは国家が自然災害で壊滅した日、多くの市民が絶望に喘ぐ中、一人だけベートーベンの交響曲第九番を大脳皮質に震わせ、今まで社会という装置に譲り渡していた自己本位性を取り戻し、創造的野心と権力統治の正当性を、Übermenschとして自らの力それ自身に求められることに愉悦する、怒れる神の荒廃が生み出した、名もなき土くれであるかのような。


私には田中の考えが理解できなかった。彼は何者で、彼は何を目指して、彼はどこに行くのだろう。ただ明らかなのは、その答えが異世界であるということ、これから田中の行く先にその答えがあるということだ。私はつまらないことを考えた結果、なにも考えない方が話がスムーズに進捗することに気がついた。私は黙って田中のあとをついていくことにした。


前に進んでいくにつれ大学周辺の醸し出す知的で情緒ある街並みが薄れ、思慮を感じさせないぶっきらぼうな長方体の群れが無造作に現れた。繁華街だ。古びた建物から沸き出でるパチンコ玉の音、下世話な笑い声、自らの欲望を訴えるだけの野良犬たちの鳴き声がわんわん響く。都会の喧騒が強くなった。道中には酒に酔った冴えない中年親父や客引きに精を出す水商売の女がいる。たばこの吸い殻を地面に押し付ける小太りの中年がその残り火を都合悪そうにもみ消そうとする傍らで、タクシーを攫う男は自分の財布の中身を不安そうにして行き先を告げている。かと思うとビルの谷間に見える路地裏で、今しがた喧嘩に敗れたと見える顔に大きなあざをこしらえた青年と、その僅かな非日常を垣間見ることに日ごろの鬱憤を晴らしているホームレスの老人がいる。自分には無縁の世界。この世界を知り尽くしたかのように田中は走る。ビルにネオンがともり始めた。仕事帰りのサラリーマンの間を分け入って進んでいく。地平線に消えゆく夕日の黄昏が彼の背を後押しする。


「ついたぞ、ここだ」

田中はマンホールの上に立っている。答えが意味することはひとつだ。

「潜るのか?」

「そうだ、アレクセイの理論の実証は人目につかないほうがいい」

人の気配のない廃れた路地。そして年季の入ったマンホール。いったい誰がこれからこの下水の奥で狂ったオカルト実験が執り行われるなどと想像するだろう。ウンコスキーくらいじゃないか。私はつまらないことを考えながら地下に潜った。


***


下水道とはよくできたものだ。この幾何学的に張り巡らされたパイプの中を流れ出でる不潔な汚水が、外界の関心を根こそぎ奪っていく。本来、人間が気づかない世界の真実は「気づこうとしない」「気づきたくない」という理由から放逐される場合が多い。国際問題の警句が大衆の心に響かぬのは、その現実的影響の疎なる故である他にも、なるほど教科書的な賛辞によってしかその問題にかかわる機会を得られないからである。つまり本当に知ろうとする人間は、こうした汚水の中を進んで入っていかなければならぬ。ジャーナリズムとはかくして生まれたのではなかったか。


「こっちだ」

田中が先陣を切り私が後に続く。しかし下水道の先に何があるというのか。ここで田中が振り返って「どっきりでした!やーーい!!」などと言おうものならまだわかる。しかし彼はそういう類の俗性を有した人間ではない。が、かといって今彼が何をしようとしているのかも想像がつかない。彼自身もおそらくわかっていないのだろう。実態がわからぬ不安というものは得てして的確な判断というものを曖昧にしてしまう。その不安から人は価値の倒錯を試みるのだが、結局そのストッパーとなる常識という装置が、家電製品よろしく一家に一台誰もが持つ時代においては、その常識はまやかしを統御するに十分な力を発揮する。だが田中のような精神異常者となると話は違ってくる。彼はその装置を持たずに世界を了解する術を得ているのだ。下水をものともせぬその姿勢はかの有名なナポレオン・ボナパルトのアルプス越えを彷彿とさせる。ベルナール峠から頂いたあのアルプスの絶壁は、多くの良識者にとって常識の対極にある無謀な挑戦に他ならなかった。しかしナポレオンは曰く「余の辞書に不可能はない」この金言こそ、田中が現代におけるナポレオンであることの証左である。もっとも、ナポレオンが狂人でなかったらの話だが。


「よし、ここだ」

田中が立ち止まったところには、小さな隠し扉があった。

「ここに入るぞ、いいか」

「なにがある?」

「行けばわかるよ」

田中は不気味な笑顔をランプの光に当てながら、その扉を開けた。中には図書館で一緒だった他の5人のメンバーがいる。


「待っていたよ、田中君。それと、前に会った・・・」

「山田だ、山田太郎。名前を言ってもたぶんわからないと思うけど」

「山田、ああ!あの帝国うんこ大学に受かった生徒か!随分優秀なんだな」

「いや、自分の実力なんかまだまだですよ、田中に比べたら」


「そういや、田中君も帝国うんこ大学に受かったんだってな。優秀な君らが揃いもそろってクソにまみれた下水道に潜って、いったいどんな悪さを働こうっていうんだろうな?」


この冗談交じりの男は佐藤。普段では見せなかったひょうきんな一面だ。佐藤がこんなに明るかったとは。この2年で変わったのだろうか。あるいは外界から断絶されたこの下水の臭いが、己の表層的な社会的責任感を麻痺させているのかもしれない。


すると甲高い女の声が遮った。

「そんなつまらない冗談を言い合うためにここに集まったんじゃないでしょ?それよりあんた、ちゃんと例の物持ってきたんでしょうね。ウンチゲリノプロパン、ベンピクソチルゲリキレジー、で、中和剤、あとはカフェインかしら」


この女は鈴木。同年代の女子にしては太った方で顔も悪い。髪も手入れがしてあるとは思えない。とかくこの身なりを理由に虐められていたようだ。頭もたいして良くなくむしろ悪い。なぜこの女がここにいるか誰にも理解できない。つまり、そういう女なのだ。この女が近づいてきた理由はなんとなく察しが付く。大方図書館のオタク組から敬遠されつつあったことで失いかけていた現実逃避の口実を取り戻そうというのだろう。


「っせーよ!ブス!!お前なんでここにいんだよ!あとお前くせえよ」

「失礼しちゃうわ!私だって頑張れるんだから!!ほら」


他の3人の紹介はあとにしよう。なぜならこの3人のことは誰も知らないからだ。誰とも口をきかず、誰とも目を合わせようとせず、そもそもこうした生徒が学校にいたことさえ疑わしい人間たちなのだ。したがって私が知るところではないし、田中や佐藤、鈴木ですら知るところではない。しかしその彼らが異世界という非打算的愚妄に身を委ねようとすることは興味深い。彼らはただの石ではなく、何等かの意思を持った人間であるということなのだから。


「みんな、しずかに」

田中が口火を切る。

「いよいよ今日が実行の日だ。『異世界漂流概論』の示すところによる材料はすべてここにそろった。気温も湿度も成功例に近い状況に指定した。あとはやるだけだ」


田中はビニール袋から薬品を取り出しながらつづけた。

「みんな不安かもしれない。俺も不安だ。だが現実は、現実はもっと不安だ。君たちはおそらく現実の闇を抱えてここにいると思う。だからこそ異世界漂流なんて、途方もないことに賛同してくれたわけだ。だからこそ言う。現実の不安に比べれば、今自分達がどうなろうと何ら恐れることはない。それに、成功しさえすれば苦しみから解放されるんだ!!やる価値のあることじゃないか?・・・でも危険は伴う。死ぬかもしれない。アレクセイの書には実験失敗者の結果が載せられていなかった。どうなるか俺にも保証しかねる。だから全員一致の賛同が欲しいんだ。誰か1人でも反対する奴がいたら俺はやめる。これは危険な旅だ」


「なにいってんだよ田中!俺たちに選択肢はねえ、やるしかないんだよ!」

佐藤が猛々しく己の覚悟を叫ぶ。


「そうよ!私たちはもう普通の生活に戻れない人間なのよ!!この下水道のように、暗くて、臭くて、汚い人生しか残されていないんだわ!だからもう、私は死ぬ覚悟できてんのよ、ほら、あたしったら睡眠薬をいつも持ってるんだから、これでいつでも死ねるのよ?」

鈴木はいつもの調子でわめいている。


「ほかの3人は?」

部屋の奥の方で3人とも小さく頷くのが見えた。


「で、山田。最後はお前だよ。やるのか、やらんのか」

私?そうだ、私もいたのだ。私は何となくついてきただけで、参加するなどとは思ってもいなかった。私が参加すると本気で思っているのだろうか?


私はこれから先エリートコースに乗った人生を歩むだろう。そこで執り行われるショーといえば、私より学のない人間が私に対してお世辞とお辞儀を定期的に織りなす人形劇に他ならない。加えて接待の証に多大なる年収と、良き住まい良き伴侶に恵まれて余生を過ごすだろう。まさしく人々が羨む理想像。・・・しかし、それで本当にいいのか?こんな機会は二度とないぞ。田中を除いて、ここに集まった人間は本当にどうしようもない連中だ。これから先社会の底辺に埋まって暮らすような人間たち、繁華街で見た冴えない群像の一人になるのだ。その中でも特にきわどい下層、社会不適合者達がここに集まっている。私は無縁のはずだった。しかし、これから先彼らに会うこともなく、まして異世界などにも出会うはずのなかった私が、田中という世紀のバカを通して異世界という究極の猿芝居に付き合うことになるのだ。これこそ、私が望んでいた退屈を消化する絶好の機会なのではないか?


迷っている私を田中が諭した。

「まぁ、山田にあわせて今回は純度を下げる。比較的現実に戻りやすいだろう。それなら危険もあまりないし、大丈夫なはずだ」

「信用できるのか」

「そういうデータもある」


・・・行こう。私は決意した。このつまらない日常から脱してみたい。この鬱陶しい世界から一度でも脱することができたらどんなに心地いいだろう。あの日図書館を訪れたときわずかにそう思っていた。今この瞬間、私は私のために生きているという実感を得た。私の選択で、私の世界が豹変するのだ。素晴らしい。期待という束縛のない世界。無知ならばこそ得られた権利。束縛無き現実逃避という神に見放された者達が最後に期待を寄せて押すこのボタンに、私は邪道ながらようやく手を差し伸べた。


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