Sidestory:沙織episode5

 私は基の家のインターホンを押した。放課後になった直後の時間帯だから、基はまだ帰っていないだろう。

 しっかり、茜ちゃんと話をしておきたい。

 そのためには基はいない方がいいだろう。

 茜ちゃんの本音が聞きたいから。


『はい……沙織さん』

「こんにちは、茜ちゃん。ちょっと、いいかな?」


 いじめの件もあって、普通なら出てきてくれなくてもおかしくはない。基から私に情報がわたっている可能性だってなくはないから。けど、茜ちゃんは扉を開けてくれる。そんな確信があった。


『いま、開けますね』

「うん」


 やっぱり。茜ちゃんは基と正反対といってもいいほど周りのことを気にする。いつも通りにふるまうことで、何もなかった体を装いたがるだろうとふんでいた。


「どうぞ、沙織さん」


 中学三年生にしては小さめの茜ちゃんは、記憶通りの栗色ショートカットの髪に青いピン止めをつけていた。 


「お邪魔します」


 すんなりと私を通した茜ちゃんに続きリビングへ。茜ちゃんにすすめられるまま、ダイニングテーブルの席に着いた。


「それで、沙織さんはお兄に用ですか?」


 本当に何事もないかのようだ。茜ちゃんの本当の顔がまるで見えない。

 私は、少しばかり茜ちゃんのことを好きになれないでいる。世間体ばかりを気にし、自らの株を上げるためにふさぎ込んだ基を利用している。

 でも、そう知っていながら私は何もしてこなかった。茜ちゃんと基の間で起こっているであろう問題は私が放置したものの、結果であるような気がした。だから、


「私、茜ちゃんに話があってきたの」


 しっかりと今、話さなければならない。


「っ……」


 茜ちゃんの顔が歪んだ気がした。見た限りでは全く気付かないほどの違いだが、警戒されている気もする。


「私に話ですか?」

「うん」


 茜ちゃんは座ることなくこちらを向いた。表情は笑っていたが心はきっと穏やかでないだろう。


「基と何があったのか、話してくれない?」

「なにもありませんよ」


 まるで用意していたかのようなスムーズな答え。まるで言葉に詰まる様子もない。

 そんな茜ちゃんの様子が頭にきた。


「ごまかさないでよ」

「ごまかしていませんよ?」


 がんとして喋らないつもりなんだろう。決して早くなることのない茜ちゃんの声。周りだけでなく自らも偽り続けてきたからこそ、こうして何食わぬ顔ができるのだろう。

 私も人を欺いていないとは言えない。でも、自分のことを騙すのだけは決してし

てはいけないことだと思った。


「今日、基に対するいじめが始まろうとしていたとしても、そういうの?」

「……え?」


 そこでやっと茜ちゃんの顔から笑顔が消える。つくろっていた気持ちが崩壊したのだろう。耳を疑っている茜ちゃんは明らかに動揺していた。


「学校のいじめを止めようとして、逆にいじめにあいそうになって……。私が止めなきゃどうなっていたかわからなかった」

「そんなっ……なんで、お兄が⁉」


 私に詰め寄ってくる勢いで茜ちゃんは声を張り上げた。


「基は、茜ちゃんの気持ちを少しでもわかろうとしたんだよ」


 茜ちゃんを落ち着けるように。でも、しっかりと私の気持ちを届けられるように。落ち着いて、言葉を選ぶ。


「お兄がですか?」

「基は茜ちゃんが今の状態になって初めて、兄として考えたんだと思う」

「……そんなの、そんなの違います。そんな、お兄」


 茜ちゃんは必死に首を横に振る。茜ちゃんにとっての兄はそんな人間ではない。

自分に言い聞かせるように言葉をこぼす茜ちゃんに現実を突きつけなければこの話は前に進まない。


「基があんなにも何かに必死になっている姿なんて小学校以来だよ。茜ちゃんが妹だから、そこまで必死になったのかどうかは分からない。でも、何も出来なかった自分自身が嫌で、だから自分を納得させるためにしたことだと思うんだよ」


 きっと茜ちゃんにとって、ダメな兄の存在が唯一のよりどころであったはずだから。

 自分の中の兄という存在をそう簡単には覆せないというように茜ちゃんは必死に声を絞り出す。


「お兄はあの日言いました。私に甘えたいって、頼りたいってそう言いました。お兄は私がいなきゃダメなんですよ。なのに、なんで、お兄が私の為になんて……そんなの、違いますっ!」


 違う。そんなの違う。基は基だ。私の知っている基は茜ちゃんの知っている、いや、望んでいる基とは違うから……。

 つい、聞いてしまった。


「茜ちゃんは、基のこと、お兄ちゃんのこと、好き?」

「……どういう意味ですか?」


 意味なんてない。答えなんて決まっている。茜ちゃんは、茜はきっと基のことを大切だなんて思っていない。都合のいい道具というくらいにしか考えていないんだ。


「基は別に茜ちゃんのこと、好きじゃないと思うよ? 家族だから、兄弟だから、そう言った最低限の愛情はあるかもしれない。でも、自分が本当の危険に直面したとして、茜ちゃんと基、どちらかしか助からないとしたら、きっと基は自分を守るよ」

「なんで、そんな、そんなことありませんっ!」


 なんで否定するのだろうか。さっき言っていたことと矛盾する。基が一方的な気持ちを茜に押し付け続ける。それが、望んだ形だったのではなかったのか。


「茜ちゃんだって、基のこと、嫌いでしょ? 頼りにならなくて、ダメな奴で、社会に適合できそうにもない」


 素直に嫌いって言えばいい。茜は基のことを何もわかっていない。基があんなに必死なのに、何も分かっていない。理解しようともしない。こんなひとが、


「そんなことないっ! お兄は」


 なんでこんな人が基の妹なのかがわからない。


「お兄はなによっ! いい加減にしてよ! 基はあんたのものじゃないっ。あんたが安心するために基はふさぎ込んでいる訳じゃないっ。基は、あんたが輝くための道具じゃないんだよ! 甘えていたのはあんたじゃないっ! 基がいなきゃ、自分を保つことも出来ないくせにっ!」

「そんな、私は……だって」


 なにがだってだ。私が知っている基は……。


「あっ……」


 ちがう。違った。私だってずっと逃げてきた。現実から目をそらしてきたじゃないか。

 自分にとって都合のよかった、かっこよかった基を追いかけて、本当の基は優しいんだ。本当の基はこうなんだって……。

 私だって一緒だったんだ。

 基の現状が受け入れられなくて、なのに、働きかける勇気もなかった。私は、私も自分が見えていなかったんだ。バカだ、私。


「茜ちゃん、私はこんなふうに言うつもりじゃなかったんだよ。ただ……」


 でもわかってほしい。わがままかもしれない、けど、今の基を見てほしい。


「何なんですか。そんな、わかったような……分かったようなこと言わないでっ!

 お兄のことは、私がずっと見てきたんだから!」


 ずっと、基のことを見ていた気になっていた。基のことを私は誰より知っていると、勝手に思い込んでいた。けど、違った。本当は何も見ていなかった。わかっていなかった。そんな私がこんなことを言う資格はないのかもしれない。けど、それでも、


「それでも知ってほしかったの。基がどんな気持ちで、何をしたのか。……だからっ!」

「帰ってください」

「でも」


 また失敗した。


「かえって!」


 きっと事態を悪化させただけだ。


「……ごめんね」


 ごめん、基。茜ちゃんを傷つけて、そして、また基を傷つけてしまう。……ごめん。

 いたたまれなくなり逃げるようにして玄関に向かう。


「あっ……」


 そこには基が立っていた。


「……そんな気はなくて、えと」


 きっと、聞いていたんだ。私が馬鹿みたいに自分の気持ちを押し付けて、茜ちゃんのことを考えもせず独り善がりな言葉で傷つけたのを。


「っ」


 ずっと怖かった。私と基の関係が壊れることが。


 基がふさぎ込んでしまった時点で関係はきっと変わっていた。でも、その事実から目をそらしていた。そのことに気づいてしまったら、基との関係が完全に壊れる気がしたから。


 そうだ。私は基のことを考えていたわけじゃない。私だって私のことしか考えていなかった。だから、何もしなかった。壊したくなかったから。学校で基に話しかける生徒は私だけだって、私は特別だって思っていたかったから。


 でも、今、自分で壊した。基の横を素通りして玄関を出ると、私は駆け出した。

 基の気まずそうな顔が脳裏によぎる。その表情は私の失敗を物語っているよう

だった。


 本当にバカだ。壊したくなくてごまかし続けてきたつけが今になって回ってきたんだ。自業自得だよ。なのに、なのに期待している。後ろから基が追いかけてきて私の手をつかんでくれるんじゃないかって。抱きしめてくれるんじゃないかって。


 私のことを分かってくれるんじゃないかって。


 わかってほしい。基にだけは、わかってほしい。認めてほしい。

なのに、


「なんで」


 なんで、


「なんでよ……」


 なんであんなことを言ってしまったのだろう。押し寄せる後悔の波とともに頬をしずくが伝う。


「いやだ」


 いやだ。


「こんなの……」


 いやだ……。


「沙織さん……」


 桜の木があった。そして、少女がいた。


「咲良……さ、ん……っ」


 言葉にならない、声にならない気持ちがあふれてきた。自分でも理解できない。けど、痛くて苦しくて、とめどなくあふれ出てくる。


 抑えきれない思いの波。


「沙織さん……。自分が信じたことは決して自分を裏切らない。想いも同じ。本当の思いが届かないことはないんだよ。それが、偽りでも、うわべでもないのなら」



 そういって抱き留めてくれる暖かい優しさに、ただ身をゆだねることしか今の私にはできなかった。

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