(5)領主と父

 シルフィスおすすめの食事処で昼食をとることになり、ハゼムとルーリエは誘われるがままに店ののれんをくぐった。店の中には香辛料のかぐわしい香りで満ちていて、まだ少し早い時間だというのに二人の食欲は誘われた。

「おっちゃん、これで何か作って」と言って、シルフィスは抱えていた革袋から魚の切り身を取り出して店主に手渡した。店主の方も、あいよと応じてそれを受け取る。それがいつものことであるのははたから見ていても分かった。

 ついでにこれも、とハゼムは先ほど市場で仕入れた魚を店主へ預けた。買ったはいいものの、駅亭の食堂ででも捌いてもらおうかと思っていたところである。これについても店主はあ思想良く応じてくれて、結局それも昼食の品として並ぶことになりそうだった。

 四人掛けの席に陣取り、料理が出来上がるまでの間、シルフィスは市場がどうだったか盛んに二人に尋ねた。どうやら外来者から見て、市場の賑わいがどう映ったのかを知りたいらしかった。そのためか、市場の活況ぶりを他の狭界と比べても負けていなかった様子をハゼムが話すと、彼女はとても喜んでいた。


「良かったぁ。実は少し心配していたんだ。このところ市場が少し寂しくなったって聞いていたから」

「そうだったの? とてもそんなことは思わなかったんだけど」

「何かあったのか」ハゼムは直感でその話が怪しく感じた。「そんな話が出るほどだ。何かきっかけがあるのであろう?」

「……うん、ええと」


 シルフィスは答えようか答えまいか、逡巡しているようだった。

 ちょうどその時、店の女将さんが出来立ての魚料理を持ってきてくれた。その魚料理を突っつきながら、シルフィスは声を落として事情を話し出した。心なしか、常に明るい彼女の顔に影が差したように見えたのが二人にとって気になった。


「今から二年ほど前に、領主様が変わったの」

「領主というと、この狭界に来た時、山の中腹から湖に突き出た半島に城館らしきものを見た。そこの主か」

「うん、そう。まだお若い方なんだけど、少し厳しいご気性でね。今まで許されていたことが禁じられていたりしたの。もちろん市場関係のことも。だから、それに反発した人が何人も街を出て行ったり、この街に立ち寄らなくなってしまったから」

「例えば、どのようなことを禁じたのだ」

「市場に出すものは絶対に組合を通して卸すように取り決めを厳しくしたり、未明の船の操業を禁じたり。それに、何よりも――」そこでシルフィスは言いよどむ。

「何より?」


 ルーリエはつい訊いてしまったが、そこでシルフィスの表情が暗く沈むのを見て彼女は後悔した。


「……あたしのお父さんを捕まえたり」


 気は引けたが、聞いてしまった以上は聞かなかったことにはできない。

 しばしの沈黙の後、続きを聞いたのは、ハゼムであった。


「もしよければ、詳しい事情を訊いてもよいか?」

「うん」そう応じた彼女の表情は少し吹っ切れたようであった。「あたしのお父さんは元々工芸師の親方だったんだ。今は違うけれど、最初はタシュクの師匠でもあったし。娘の私が言うのもなんだけれど、自慢の父だったの。腕は立ったし、工房でもみんなのまとめ役だった」

「立派な御仁だったのだな」

「そのままだったら良かったんだけれどね。――事の切っ掛けは、お父さんが先代の領主様に気に入られたことだったの」

「領主に気に入られた?」

「先代のイアン様は、今の領主様のオルクス様のお兄様でね。やっぱり、まだお若い方だった。でも、街のことを知るためだっておっしゃられて、度々数人のお連れと城下にいらっしゃっては、街の人と仲良くお話しされるような優しい御方だった」

「良いご領主様といった感じですね」と、ルーリエ。

「その時、街の工房組合の顔役はあたしのお父さんで、魚鱗細工業に特に力を入れようとされていたイアン様とはよくお会いしていて、だから気に入られたみたい。ついには、城館までお呼ばれすることもあったくらい親しくされていた。歳はそれこそ親子ほど違っていたけれど、まるで親友みたいだったって、そばにいた人からは聞いたこともある」

「それがどうして?」


 まるで意味が分からないといったようにルーリエが動揺した表情を浮かべる。

 しかし、ハゼムには何となく察しがついていた。


「代替わりされたということは、亡くなられたのだな、その先代のご領主は」

「あっ!」ルーリエが声を上げる。「もしかして、そのこととシルフィスさんのお父様に何か関係が?」

「まあ、そういうことになるのかな。二年前の今頃、先代のイアン様は、急病でお亡くなりになられたの。そのあと、今のオルクス様が領主様になられてからしばらくして、城館からお父さんにお呼びがかかった。お父さんは、言われた通りに城館に行って。それから、城館から戻ってこなくなった……」

「先代のご領主の死との関わりを疑われ、捕らえられたということか」

「そういうこと。お父さんは民間人なのに、イアン様にあんまりにも近すぎたから」

「でも、それが二年もなんて、いくらなんでも長すぎないですか?」


 憤るルーリエの声が自然と大きくなる。ハゼムは店主や他の数名の客の視線が集まるのを感じて、声を抑えるようルーリエの肩を軽くたたいた。


「ま、この話はもう終わりってことで! ほら、せっかくの料理が冷めちゃうから早く食べちゃお!」


 シルフィスも視線を察して話を切り上げる。そして、自ら率先して料理に手を付け始めた。

 ハゼムもそれに続き、ルーリエもまた釈然としない表情を浮かべながらも、フォークを手にした。

 やがて、料理をおいしく平らげ、勘定の時だった。小銭を数えていた寡黙な店主が口を開いた、


「アドアーズの旦那は、何にも悪いことなんてしちゃいねえよ。それはこの町に住む誰もが思っていることだ」


 その店主はつぶやくように、しかしはっきりとした口調で、そう言った。アドアーズとはきっと、シルフィスの父親の名なのだろうと、ハゼムは直感した。

 気が付くと、店の客で話の一部始終を聞いていたものもまた、店主の言葉に同意するように、シルフィスに向かって頷きかけるのであった。


「ありがとうね、おっちゃん」


 シルフィスは少し困ったような表情で、しかしはにかみながら、それに応じた。




「それで、タシュクの鱗細工のことはどうしようか」


 食事処を出て、仕事に戻るというシルフィスとの別れ際、すっかり忘れていたその話になった。そのころには、シルフィスはいつもの通りの明るい彼女に戻っていた。


「今日はさすがにタシュクも忙しくしていると思うから、無理だけど」

「出来れば早いほうが良いかな。明日でもよければ工房を訪ねたいところだが」

「明日ね、分かった。今日の帰りに工房に寄ったときにでも、話を通しておくよ」


 そこまで決まると、シルフィスは仕事に戻るといって別れを告げ、通りの向こうへと駆けて行った。その後ろ姿を見送り、ハゼムがされこれからどうして時間をつぶそうかと思案していると、ルーリエがハゼムの袖を引っ張った。


「ハゼムさん」

「なんだ、ルーリエ」

「ハゼムさんは、さっきの話、どう思われましたか」


 ルーリエは真剣な目でハゼムを見つめる。

 その目を見て、さて、どう答えたものかと、ハゼムは逡巡した。


「……彼女にとっては酷い災難であろうな」

「だったら――!」

「ルーリエ、貴嬢は何か勘違いをしているようだが、我輩は誰彼ともなく助けの手を差し伸べる善行人ではないのだ」

「でも、ハゼムさんはツムガヤで、私のことを助けてくれました」


 やはりそういうことか、とハゼムはため息をつく。先の染織の街ツムガヤでの出来事、その経験がルーリエの脳裏には深く焼き付いていて離れないのだ。

 ハゼムは諭すように、ルーリエに視線を合わせて言った。


「ルーリエ、貴嬢はあの危機の際、我輩の名を呼んだ。それは我輩に助けを求めたからだ。だから、我輩は、我輩のできる限りの力をもって、貴嬢をあの危機から救った。しかし、あの娘シルフィスは違う。我輩に助けを求めなくとも、多くの味方がいる」

「それは、確かにそうです……」

「そして、彼女の問題はおそらくは時間が解決してくれる類のものだと、我輩はそう思うのだ」

「時間が?」彼女は不思議そうな顔をした。

「そうだ。それに何にしろ、頼まれもしない余所者がしゃしゃり出るような話ではないのだ。それは分かったであろう」


 そこまで言われると、ルーリエは黙り込んでしまう。

 きっと先ほどの食事処の店主の言葉を思い出しているのだろう。そしてこう思うのだ。これはこの街の問題である、と。


「ルーリエ、何をなすにもまずは休息が必要だ。今日はもう一度市場を軽く見回って、少し早いが駅亭で休むとしよう」


 そういって先だってハゼムが歩き出すと、納得しているのかいないのか、しぶしぶといった様子でルーリエも後ろからついてくるのだった。

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