(4)市場にて

 翌日から二人は早速、街の市場散策へと向かうこととなった。その元手は駅亭から借り入れる。担保として預けているツムガヤの染織品はやはりこの街では珍重されるようで、相当な金額の貸し付けを受けられた。これにはハゼムもルーリエも満足の結果だったが、『青金』については少し事情が違った。やはり、駅亭側も価値は高く評価していたが、利活用が容易ではない珍品と見られて、持て余しているようであった。


「私、おおよその加工法なら分かりますよ」


 ルーリエは、困った顔の駅員と向き合って眉をひそめていたハゼムに打ち明けた。


「それは本当か?」

「はい。私がいた店のお客さんには染色工場の方が多くいらっしゃっていたので、耳学問で覚えてしまったんです。もちろん、実際にやったことがあるわけではないので、出来の保証はできませんが」

「いや、おおよそでよい。また滞在中に折を見て、加工手順を冊子にまとめておいてくれるか。その手順書と併せて売り出せれば、きっとこの狭界でも買い手がいよう」


 そんな話となって、とりあえず『青金』の処分は保留となった。

 さて、そんなこんなあって本題の市場散策へと繰り出した両名であったが、何せルーリエは異狭界探訪など初めての身である、そのため、まずはハゼムが行く方へとついていくしか仕様がなかった。

 ハゼムの関心はというと、まず食料品の吟味である。彼は行く先々の狭界の食事事情に大いなる関心を寄せていた。レ・ラーゴであれば、それはまず何より、湖で獲れる魚介類を置いて他にない。ゆえに、早めに鱗細工を見て回ろうというルーリエの説得もむなしく、二人の姿は魚介市場にあった。

 市場は朝からにぎやかであった。それも当然で、朝獲れの魚はもちろん、蟹や海老、貝といった湖の幸が並んでいるのである。威勢の良い呼び込みの声が諸方からかかり、それに一々反応していたら目を回してしまいそうであった。人波をかいくぐり、ちょうど二人分の隙間が生じた店先にハゼムとルーリエは滑り込んだ。


「いらっしゃい! ……おっと、荷背の旦那にお嬢ちゃんかな、何かお気に召すものはありますかい?」


 店主は二人の装束を見て瞬時に、それと分かったらしい。彼の声音が少し落ち込むように変わったのは、他の地元民と違い、荷背が生の食糧などめったに仕入れることがないからだろう。それは荷背が基本、流れ者の旅人である以上、仕方がないことでもある。しかし、それでも相変わらず、店主は愛想笑いは浮かべてくれていた。


「やあ、主人。この店はずいぶんと手広く魚介をそろえられているようだが、切り身の魚はないのかね」


 ハゼムは一通りの品ぞろえを見渡してから、店主に問う。

 店主は、少しオッと表情を変じて、身を乗り出してきた。


「旦那、うちはこのとおり、新鮮とれたての魚や貝、蟹に海老やらをおいている店でね。頼まれれば捌くけれど、切り身にするとなると手間賃を別にいただくことになるよ」

「昨日、魚鱗細工の工房にて、男衆が魚をさばくのを見たのだが。ああいったものはこちらでは扱っていないのか」

「なるほどね。旦那、工房へ行ったのかい」店主は合点がいったように相槌を打つ。「あそこでさばいた魚肉はあらかた干物やなんかの加工品になってから出回るのさ。ほら、あそこ。ああいった店で売っているのがそれさ」


 店主が指さした先は、向かいの並びを数軒行った先の店である。その店は干物を扱っているようで、店先にはこれ見よがしに巨大な魚の頭の干物が掛けてある。また、店主によると、その隣で黙々と湯気を立てているのは、魚のすり身を整形して蒸しあげた食べ物らしい。


「なるほど、そうであったか。――ときに主人、これらの魚は実に見た目がよいな。どれを見ても傷ひとつない」

「それはそうですよ、旦那。うちは専属契約の釣り師漁船から仕入れているものでね、こだわっているんだ」

「銛を使った漁もあると聞いたが」

「あれは基本、加工用に回されるんでさ。先ほど言ったように、身は干物やすり身として、あとの魚鱗や皮は工芸品や日用品に」

「しかし、網での漁労はないのか。あれほどの大きな湖だ。釣りや銛突きばかりではあるまい」

「旦那……、そうか、旦那は他所からきなすった方だったか」店主は思い出したようにつぶやく。

「いかにもそうだが」ハゼムは店主の態度を訝しみつつも答えた。

「じゃあ、知らないのは無理はないな。いいかい、旦那、この湖ではね、網を使った漁は禁じられているんだよ」

「なぜにそのような決まりがあるのだ?」

「『湖底の禍』があるからさ」

「なんだそれは」


 と、そのとき、店主を呼ぶ別の客の声がして、話はそれきりになってしまった。

 ハゼムの横では、ルーリエはすっかり人に酔ってしまったようで、少し休みませんかと弱音を吐く。ハゼムもこれ以上の長話は店主の商売の邪魔になると思い、断念した。ただ、折を見て店主とともに働く丁稚に言いつけて、気になった尺ほどの魚を三尾ほど買い付けてその場を離れた。

 二人は市場の隅の広場で少し落ち着いていたが、そこでハゼムはルーリエと少し言い合いになった。

 ハゼムとしては、店主が教えてくれた干物やすり身の蒸し物といった食材も見て回りたかったのだが、ルーリエが頑としてそれを拒否したからである。彼女曰く、早くタシュクやシルフィスから教えてもらった工芸品を見に行くべきだというのである。


「今朝、駅亭でたくさん荷背の人が出発するって言っていましたよね。あの人たちが『迷宮』に入る前に、お金を品物に帰るとしたら、絶対あの工芸品ですよ」


 と、彼女はそう言うのだ。

 確かに彼女の言う通り、この日の朝、大勢の荷背の一団が出発したのはハゼムも知っていた。それにルーリエの言うこともにも一理あるのだ。まるで、何度も旅を経た荷背のような思考回路である。ハゼムでも、いつもであればそう考えて行動していただろう。

 だが、この日のハゼムはついつい自身の欲求の赴くままに動いてしまったのである。

 結局のところ、ハゼムはルーリエの正論に押し切られた。ハゼム自身も、少し反省するところがないではなかったのもある。

 しかし、果たして。人に尋ねつつ、ようようたどり着いた工芸品売りの露店通りは、先刻の魚介市場とは異なり、行きかう客は既にまばらだった。


「今日は早いうちに商品が捌けちまったもんでね。もうじきうちは店じまいなんだけれど、いくらかは残ってるから見て行ってよ」


 一番手近の露店を開いている老婆に声をかけると、やはりといった答えが返ってきた。


「ほら、急がないからほとんど売り切れてしまってるじゃないですか」


 ルーリエが批判がましく、ハゼムの外套の肘を引っ張る。それに対し、ハゼムはただただ申し訳なさそうに頭をかくしかなかった。


「ごめんねぇ、今日は出発される荷背さんたちが大体買い占めていかれたもんだったから」


 老婆はハゼム達の様子を察して、申し訳なさそうに訳を話した。やはりルーリエの読み通りというところで、いよいよハゼムは荷背の先達として立つ瀬がなくなりつつあった。


「女主人、タシュクという名の青年の作はないか。我輩達はそれを気に入って買いに来たのだが」と、ハゼムは苦し紛れに、一縷の願いを込めて老婆に訊ねた。

「タシュク君かい、よく知ってるねお客さん。あの子は若いけれど、腕は立つんで打ちも度々仕入れているんだ。だけれど、今日はもう、どうだろうね……。ちょっと待っていてくれるかい」


 そういうと老婆は、広げた品々をそのままに、並ぶ露店の裏通りを駆けて行った。そして3軒隣で露店をやっている若い男に話しかけていた。時々二人の視線がこちらを向く。

 どうやら、今日はあの若い男の店がタシュクの作った工芸品を取り扱っていたようだ。

 老婆は再び駆けて戻ってくる。しかし、彼女は首を横に振った。


「やっぱり駄目だったよ。今日はあの男の店がタシュク君の品を仕入れていたんだけれど、出来がいいもんですぐ売れちまったんだと」

「次はいつ入ってくるのだ?」

「さあてねぇ、工芸品の卸は組合が取り仕切っているから、そのへんははっきりとは。それに同じ職人の細工品が毎日出てくるわけじゃないからねぇ」


 まさに万事休す、といったところか。

 だが、その時不意に聞こえてきた声は、その閉塞した事態を打破するような救済の福音に似ていた。


「あっ、ルーリエさん! それにおじさんも、どうしたの?」


 元気のよい声がして、ひとりの少女が駆けてくる。

 少女は他の街の住人と同じく質素な白色の衣装だった。ただその少女は間違いなく、昨日来のシルフィスであった。


「シルフィスさん、どうしてここに?」

「休憩時間だからね。少し早いけれど。お昼ご飯を食べに家に戻るところ。それで、二人は?」

「聞いてくださいよ、シルフィスさん。実は――」


 ルーリエが、二人して立ち往生していた事情をシルフィスに話す。若干、ハゼムが悪者扱いされていたが、彼は今回、失敗に大きく関係してしまっている以上、口をはさむことはできなかった。

 やがて大体の事情が呑み込めたのか、シルフィスは何度もうなずいてた、


「ああ、なるほど。そういうことだったんだね。――ええと、タシュクは確か四五日おきくらいで出来たものを市場に卸しているはずだから、ちょっと待つことになるかな」

「やっぱり、そうなりますか」

「でも、ある程度なら、直接取引もできなくはないと思うよ」

「本当ですか?」

「工芸品はね、街の組合の決まりで一人が市場に卸せる種類や量が決まっているんだ。でも、旅人さん相手の直接取引なら、組合も確かそんなに厳しくはないはず。工房に余りさえあれば、タシュクも売ってくれると思うよ。何なら、あたしから話を通しておいてもいいし――」


 と、そこで、クウと可愛らしい音がした。おなかの鳴る音だ。

 誰かと思えば、シルフィスの頬に少し赤みがさす。


「ごめんごめん、おなかすいちゃってて。続きはご飯食べながらでもいい?」


 彼女はごまかすように明るく笑ってそういった。

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