(11)出立の時

 東の空が白んできたころ、ハゼムはようやくルーリエを理髪店まで送り届けることができた。だが、その理髪店の前には、椅子を街路まで持ち出して座り込みを決め込んでいる人物がいた。

 ルーリエの叔母、イリカ・アナロミシュである。


「ルーリ、一体どこに行っていたんだい」


 ルーリエの姿を認めると、彼女は鋭い口調で詰問した。

 ルーリエは、しかし、落ち着き払って答えた。


「お父様にお会いしてきました」

「それで、どうだったのかい」


 意外にもイリカは驚きを見せなかった。


「あの人とは、もう会うことはないと思います」


 イリカはじっとルーリエの眼を見据えた。彼女の言葉が嘘か真か確かめるように。そして、しばしの間ののち、彼女は店の扉を指さした。


「そうかい。説教してやりたいところだが、今はその後ろの男のほうに用がある。あんたは少し休んでいな」

「……分かりました、失礼します」


 ルーリエがイリカの支持に素直に応じ、店のなかへ姿を消す。そうなると、あとはハゼムとイリカ、一対一となった。

 先に口を開いたのは、イリカの方だった。


「さて、言い訳を聞こうか。この自称貴族様、もとい少女誘拐犯様?」




「――話は大体わかった。信じようじゃないか、その話」


最早隠し立てすることは一切ないと、ハゼムは全ての経緯を洗いざらいイリカに話した。

イリカは黙って最後まで聞いていた。そして、最後まで聞き終わると、大きくため息をついた。


「だが、我輩の話が都合の良い作り話とは思わないのか」

「あの子自身が父親と会ったといっているからね。そして、その父親は、目的のためならどんな手段でもいとわない、そういう男なのはよく知ってる。しかし、あんたも今回は余計なことをしてくれたよ、まったく」

「面目ない。我輩も違和感を覚えていながら、親子の情愛を思って手を貸してしまった。その情愛すら嘘偽りであったのだがな」

「あんたはこれからどうするつもりだい」

「『青金』だけ仕入れて、今日のうちにでも出立するつもりだ。しっかり言い含めたとはいえ、あの市議殿も完全に納得したわけではない。何かしら手をまわしてくるだろうからな」

「そうだね。そうしたほうがいい。権力者の気分ってのはコロコロ変わるものだからね。――ところで、あんた、うちの子はいいのかい」


 その言葉に、ハゼムは意外な感を持った。彼女はハゼムがルーリエを誘ったあの時、痛烈な罵倒を浴びせかけてきた。しかし、今はいたって落ち着いた表情で、まるで当然の質問科のように訊いてきたのだ。

 何も答えないハゼムに、イリカは訝しげな表情を浮かべた。


「最初の晩といい、客としてきた日といい、ずいぶん熱心に誘っていたじゃないか」

「貴女は貴族嫌いだったはずだが」

「私個人としては貴族嫌いさ。けれど、面倒な問題はなおのこと大嫌い。貴族の血を引くあの子がいるせいで、貴族がらみの問題が今回みたいに降りかかってくることすらあるんだ。厄介払いができればなんて、常々考えていたんだよ」


 厄介払いなどというが、イリカの表情は明らかに柔らかいものだった。

 ハゼムは彼女の真意を悟ったように感じた。つまりは、彼女は来るべき時が来たと判断したのだと。


「特にこれからこの街は危なくなる。革命で全てがひっくり返ったのに、緩やかに元の時代に戻ろうとしている。今回のように、成り上がり者が没落貴族との婚姻関係を結ぼうなんて、その最もたるものさ。そんな面倒事が始まる前に、私は自分の身柄を軽くしておきたいのさ」


 彼女はそう続ける。表面上は、自分本位な言葉だ。しかし、その言葉の節々に姪っ子への愛情がにじみ出ているようにハゼムは感じた。


「我輩は、しかし、貴女の嫌いな貴族であるぞ」

「あんたも根に持つ人間だね。いいの、自称貴族くらいなら、堪忍するさ」


 イリカは豪快に笑った。ルーリエの話はそれきりで終わり、彼女はどっこいしょと腰を上げた。

 それからは、ハゼムはまた忙しくなった。結局一睡もできぬままではあったが、彼は駅亭へと戻り、愛馬レフテ号と、彼が引く荷車の用意をした。そして向かったのは先日やんわりと追い払われた大店であった。

 件の大店はまだ早朝ということもあり開店準備中であった。そこへハゼムは飛び込んだ。

 対応に出た店員は酷く迷惑そうな顔をしていたが、ハンナビスから譲り受けた免許状を差し出すと途端に顔色を変え、慇懃な態度に豹変して、奥へと下がっていった。やがて番頭が出てきて、これこれこういうものが欲しいという話が円滑に進んだ。ハンナビスはやはり許せぬ人物ではあったが、その彼の市議という立場の威力は、非常に役立つものだった。

 大店で買い込めるだけ買い込んだ品々を荷馬車に満載したハゼムは、大通りを一路、ルーリエの理髪店へと向かった。

 理髪店の前には、旅装姿のルーリエが荷物を抱えて待っていた。彼女の傍らには同僚らしい女性も何人かいた。ただ、イリカの姿だけは見えなかった。


「説教は大丈夫だったかな」ハゼムはルーリエに訊ねた。

「たっぷり叱られました」しかし、彼女は嬉しそうでもあった。

「本当に良かったのか。我輩の随行者となるというのは」

「はい。――お父様とあった後には、決めていましたから」

「フム。それで、叔母上に、別れの挨拶は済ませたのかね」

「ええ。でも、自分は見送りはいい、と」

「そうか」


 ハゼムは理髪店の窓を見上げた。どの窓にもイリカの姿は見えなかった。これが彼女なりの別れ方なのだろう、とハゼムは判断した。

 しかし、そこで少し誤算が生じた。ルーリエの同僚、――姐さん方から質問の集中攻撃を受けてハゼムは足止めを余儀なくされたのである。だが、やがて彼女らも、一人ずつルーリエと別れの挨拶をし始めた。


「ルーリエ、異国の地でも身体には気を付けてね」


 姐さんの一人がルーリエの両手をつかんで。心配そうな声で言った。


「はい、十分気を付けます」


 ルーリエははっきりと、しかし、少し硬い笑顔で答えた。

 ツムガヤはこの狭界で、迷宮の入口に最も近い街だ。この街の住人は、迷宮へ去った者が、もう二度と戻らないことをよく知っている。それはもちろん、ルーリエ自身も。

 姐さん方の声に後ろ髪を引かれる様な面持ちで、ルーリエはハゼムとともに出立した。




 街の関所を無事に通過し、大橋を渡って向こう岸へと渡る。そのまままっすぐ行けば『青金』の産地だが、川沿いに右に折れ、しばらく進む。

 ルーリエは沈黙したまま、ハゼムの後をついてくる。

 やがて『禁足地』『常人、この先進むべからず』の立て看板が見えてくる。それを無視するように、二人はさらに歩を進めた。


「ここだ、迷宮の入口は」


 ハゼムは馬車を止めて、ルーリエに告げる。

 そこは、細い谷道への入口だった。しかし、不思議とそのあたりだけが薄暗く、谷道には靄がかかっていて、先まではほとんど見通せない。


「ルーリエ嬢。ひきかえすのならば、ここが最後だ。決心は固まったか」


 ハゼムが振り返り、ルーリエに最後の確認をする。

 ルーリエの身体は、震えていた。しかし、ハゼムは別にそれを咎めはしなかった。ただ、彼女の言葉だけを待った。


「――ええ。大丈夫です。行きましょう」


 ルーリエは真正面を見据え、自分から谷道の入口に向かって足を踏み出した。ハゼムは微笑み、彼女と歩調を合わせるように彼もまた歩き出した。


「では行こうか、ルーリエ嬢。いや、ルーリエ」


 二人分の人影と荷馬車の影は、少しずつ小さくなり、やがて霞の彼方へと消えていった。

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