(6)理髪店にて

 さて、また翌日。

 ハゼムは朝早々から、駅亭を出てツムガヤの街を闊歩していた。目指すはルーリエ・アナロミシュのいる理髪店である。

 街はここ数日、好天に恵まれていた。ハゼムは川下の駅亭を拠点としていたが、川下側にある染織工場街といい、川上方面の問屋街や飲み屋街といい、散策するうえで雨に降られるということはなかった。そのために、上流から切り出された石で作り上げられた街の風景を、ハゼムは余すことなく視野に収めることができた。

 馬車が数台は同時に往来できるほどい広い大通りを市庁舎方向に進み、やがて、例の飲み屋街に差し掛かるあたりで、目的の理髪店は見えてきた。

 彼はしばしの間、店の前を行ったり来たりしながら様子を窺った。そして、他の客がいないのを見計らうと店の扉を開いた。


「いらっしゃいませ。――あっ」


 奥から出てきたのは都合の良いことに、ルーリエ本人だった。

 ハゼムは先日の失礼を謝し、普通の客としての来意を告げると、彼女は『男性施術室』と書かれた扉の奥へ彼を案内した。どうやら店では男性と女性で施術室が分かれているようであった。

 ハゼムが外套を脱ぎ、施術席に腰かけると、ルーリエは手際よく彼の首周りにエプロンをまいた。路地に面した窓からは穏やかな陽光が差し込んでいた。


「本日はどのようになさいますか?」


 ハゼムは細々と注文をつけて、それから髭の手入れまでを依頼した。

 このような理髪店を訪れるのは彼自身久々であったが、しかし、注文を受けたルーリエが櫛と鋏を小気味よく扱って散髪していくことに、一種の驚きを覚えた。

 まだ年のころは17~8と見えるのに、彼女は一人前の理髪師であった。ハゼムの難解で抽象的な注文によく答えた仕事をしていた。それがハゼムのまた気に入るところとなった。


「先日は急な申し出をしてすまなかったな」大概仕上がったところでハゼムは口を開いた。

「いいえ、大丈夫です。そりゃあ、驚きはしましたけれど」


 ルーリエは、酔っぱらった人はよく変なことを言われますから、と笑った。


「だがな、ルーリエ嬢、貴嬢への申し出は酒に飲まれて出た嘘偽りでは決してないぞ」


 ハゼムの眼がじっとルーリエを見据えた。彼女は慌てたように手を振った。


「そんなご冗談を」

「冗談などではない、我輩は真剣に貴嬢を見込んで申しているのだ。貴嬢、あのとき、明かりのもとで書物を読んでいたな。垣間見たところでは、おそらく物書きを生業とする荷背から買った冒険物語であったろう。なあ、そうではないか」


 彼女はうろたえたようだったが、しかし、冷静さを取り戻すように仕事に手を戻した。そうして、手を動かしながら口を開いた


「確かに、そうです。あれはそういった物語小説です」

「やはりそうであったか。我輩、読み書きができる随行者とともに旅をすることを習いとしている。日々の道中記を記述してもらうためだ。しかし、ついこの前訪れた狭界で前の随行者と別れる仕儀となった。そこでこの狭界で同じような人材を探していて……」

「私は、このように理髪屋です。そのようなたいそうな役目、とてもお受けできかねます」

「いや、しかし」

「動かないでください、次、お髭ですから」


 そこからしばらく会話は途切れた。ハゼムはルーリエの顔色を窺ったが、彼女は決して目を合わそうとしなかった。ただ黙々と仕事の手を進め、気が付けば理髪は終わっていた。


「お勘定を」


 ルーリエはただそれだけ言った。やはり視線すらハゼムと合わせようとはしなかった。

 彼は観念して代金を支払い、また別に用意していた紙片を懐から取り出した。


「ルーリエ嬢、重ね重ねのぶしつけな申し出、大変失礼した」

「……いえ」

「この件は一旦あきらめよう。――ただ、別件でもう一つ要件がある。貴嬢の父上のことだ」


 ルーリエはハッと視線を上げ、そこでようやくハゼムと彼女の視線はかち合った。


「この紙片を託された。その気があるなら、我輩が貴嬢を父上のもとへ案内する」


 ルーリエは何か怖いものを見るような目でハゼムが差し出した紙片を見つめていた。そして、恐る恐るといった様子で、その紙片に手を伸ばした。

 と、その時だった。施術室の奥の扉が勢いよく開いた。

 ハゼムの手にあった紙片はむしり取られるようにルーリエの手に消えた。


「なんだい、誰かと思えば一昨日の変態おやじじゃあないかい」


 現れたのはルーリエの叔母だった。先日ルーリエに随行を迫ったハゼムを張り倒した、あの女傑である。彼女の名がイリカ・アナロミシュということは、ハゼムはジュートから聞いて知っていた。かわいらしい名前に反して、目つきは鋭く、まだ年のころは40代であろうが老獪な女店主といった風情を感じられる。

 女店主の目はハゼムを見、またルーリエを見た。


「素面でもうちの従業員に手を出そうってかい」

「否。今日は正真正銘の客として来ている。では聞くが女店主、それが仮にも客に対する態度であるか」

「こちらにも客を選ぶ権利はあるってもんさね。しかも、あんた荷背だろう。まだ分別もつかない若い女をたぶらかそうとするどこかの馬の骨に、私も店を荒らされたくはないものでね」

「馬の骨とは聞き捨てがたい。我輩は、ハゼム・アーシュ・クレイウォル・エ・ラ・ヴィスカシエと申すもの。わけあって荷背に身をやつしてはいるが、ヴィスカシエ伯の十二代目に連なる者である」

「貴族様かい? 荷背が? とんだお笑いだね」途端に、イリカの表情が険しくなった。「それに私は貴族なんてものは大嫌いなんだ。今すぐ箒で外へ掃き出してしまいたいくらいにね」

「叔母さん! いくら何でも言いすぎ――」

「黙っていな、ルーリ。こういう輩は態度で見せつけなくちゃわからないんだ。その身の程ってもんが」


 ハゼムとイリカ、しばし双方にらみ合った。その間でルーリエが身の置き場なく、うろうろしていた。

 しかして、先に引いたのは、ハゼムの方であった。イリカは気が付いた様子はないが、彼は目的を達したとも言えるからだ。


「フム、それでは我輩は出ていくとしよう。用も済んだ。それにそこのご婦人のご機嫌をこれ以上損ねるのは得策ではないらしい」

「ああ、さっさと出ておいき、貴族さま」


 シッシッと追い払うような仕草をとりながら、イリカは憎まれ口をたたいた。

 去り際、ハゼムはルーリエに目配せした。彼女は戸惑いながらもうなづいた。

 それにひとまずは満足して、彼は店を後にした。

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