主よ、主よ、何故私を見捨てたもうか

海野しぃる

十字架の上で

 鞭で打たれた背中は、陽の光を浴びてヒリヒリと痺れている。

 釘を打たれた手首からは、今もゆったりと血が流れている。

 突き刺された脇腹も痛くて、声をだすのも億劫だ。

 なんで僕はこんな目に遭っているのだろう。


「お前が神の子だと言うのならば、今すぐ自分を救ってみせたらどうだ!」


 十字架の下から男達は僕をせせら笑い、つばを吐きかけて去っていく。


「おい、あんた。あんたは本当に神の子なのか? なんで十字架にかけられてるんだ?」


 隣で十字架にかけられているふとっちょな男が怪訝そうな目でこちらを見ている。

 これから一緒に死ぬかもしれない相手を無視するのも忍びない。

 そう思った僕は彼に向けて力無く微笑んだ。


「人は僕をそう呼んでいる」

「へー、だったらさっき叫んでいた長老やら学者さんの言う通り、神様に救ってもらったら良いんじゃねえのか?」

「僕が救ってもらえるかどうかは、神様の意思次第だよ。僕が頼んだ所で聞いてくれるかどうか分からないさ。そして多分神様は僕を救ってくれないんじゃないかな」


 そう言ったところで痩せぎすな男が会話に割って入ってきた。


「待て待て、神様ってのは自分の子も救わねえのか?」

「ああ、そうだよ」

「じゃあなんだ。俺達がお祈りしていることに意味ってのは無いのか?」


 意味、か。

 死ぬ前に考えるテーマとしては悪くないな。


「君は、普段からお祈りはしているかい?」

「ははっ、自慢じゃないが俺は三十人も殺した強盗だぞ。そんな事するわけ無いだろう」

「そうか、だが幼い頃にはお祈りをしていなかったか?」

「なあどうだった兄ちゃん?」


 痩せぎすな男は太っちょの男の方を見て尋ねる。


「そういやお祈りさせられてたような気がするけど、覚えちゃいねえよそんなもん」

「だよなあ」

「そうか、分かった。ならば君達の祈りに意味は無い」


 ふとっちょの男と痩せぎすの男はほぼ同時にため息をつく。


「結局、こんな悪党に微笑む神なんて居ないってことかよ」

「がっかりだぜ。救世主様ってのも大したもんじゃねえな」


 僕は内心嬉しかった。

 二人ががっかりするというのは、内心で祈りに意味を求めている証拠だからだ。

 ならば、彼等の最後の祈りは無駄にならない。

 ああ、楽しいな。とても楽しい。まだ僕にもやれることがある。


「――だが、今からは別だ」

「は?」

「何言ってるんだよあんた」

「君達は死ぬ。僕も死ぬ。神様は助けてくれない。君達だって食うに困らなきゃ強盗なんてしなかっただろう? 君達をそこまで追い込んだのはろくでなしで役立たずの神様だ。文句の一つくらい言ってみなよ。例えばこんな風に――」


 僕はゆっくりと息を吸い、大声で叫ぶ。


「――父よ、父よ、何故僕を見捨てたのですか!」


 刑場がどよめく。

 僕が神を呼んだと思い込み逃げ出す者、ついに気が狂ったとあざ笑う者、僕を憐れんで涙を流す者。


「見ろよ彼等の姿を。滑稽だと思わないか? 面白いから君達もやってみなよ」

「あ、あんた救世主様じゃねえのか?」

「神様とか、怖くねえのかよ……?」

「安心しなって。神様はどうせなにもしないんだから。ほら、一緒に!」


 僕は二人の男と声を合わせて叫びまくった。

 僕は父への文句。彼等は不幸な境遇への不満と神への怨嗟。

 最初はあざ笑っていた人々も、運良く空がかき曇り、雨がしとしと降り始める頃には大人しくなっていた。

 きっと、何かが起こるのではないかと皆恐れているのだろう。


「お、おい! 何だこの天気は!?」


 ふとっちょの男は僕に尋ねる。


「簡単だよ。此処数日、雨が降ってなかっただろう? この季節ならばもうそろそろ降ると思ってたし、十字架をここまで引っ張る途中で、丘の上から遠くに雲も見えていた」

「か、神の力じゃねえのか!?」

「だから神様は何もしないんだってば。それよりどうだい? 叫んだらすっきりした?」


 ふとっちょと痩せぎすは顔を見合わせて笑う。


「確かに」

「俺も兄貴も楽しかったぜ」


 楽しそうな表情だ。

 僕も楽しい。


「それは何より。君達は今、初めて神の恵みを授かったんだよ」

「神が?」

「何かしたのか今?」

「神は何もしない。だが悪いことやろくでもないことを神のせいにしたら、なんだか気分がすっきりしただろう。ちなみに僕はすっきりした」


 痩せぎすの弟はゲラゲラと笑い出す。


「そういうことかよ! そりゃ道理で俺達兄弟を神は救わない訳だ! なあ兄貴!」

「どういうことだ弟?」

「なあに、そいつはな……」


 ふとっちょの兄は首を傾げる。

 僕は説明しようとする弟を制して、自ら説明を始める。


「ちょっと待って、それは僕が説明するよ」

「お? じゃあお願いするぜ救世主様」

「君達が強盗をしたのは神のせいだ。君達が殺されるのも神のせいだ。だから君達は悪くないし、君達を死刑にした人も悪くない。全部神が悪い! 神を恨んで人を憎まずってことで、死ぬこととか生きることとかであんまクヨクヨするなって話さ」

「ああー! そういうことか!」

「神様ってのも案外役に立つだろう?」

「ちげえねえ! 神の子様様だぜ!」

「さっき、お兄さんの方は僕に聞いたね? 何故僕が十字架にかけられているか? そんなの決まっている。神の御心だ」

「神ってのはひでえやつだな!」

「いやいや、そのおかげで君達とこうして楽しい時間を過ごせる。僕は神に感謝しているよ」


 僕達は声を合わせて笑う。

 ああ、楽しいな。笑って死ねるんだから僕の人生は悪くないな。


「でもよお、やっぱそうなるとあんたが十字架にかけられているのが解せねえよ」

「そう?」

「そうだろ! 俺や兄貴は法を破ったからまだ分かるけどよ。あんたは……」

「ほら僕さ。生まれた時からこんな感じの奴だから、何処行っても誰かに嫌われるんだよね」

「…………」

「じゃあ味方が居るかって言うと別でさ。弟子とか沢山居るかもしれないけど、ピンチになっても誰も助けてくれない。寂しい男なんだ僕は」


 二人の男達は顔を見合わせる。


「でも、まあ、お似合いの最期だと思うよ? きっと誰かが死体くらいは片付けてくれるんじゃないかな、うん」

「……あんたは周りの人が憎くないのか?」

「人を憎むのって疲れるだろう?」


 正直なところを言うと、僕は執念深く他人を憎むという行為が好きじゃない。

 理解できなくて気持ち悪いし。なによりそういうことをしている人って可哀想だ。

 だって誰一人として幸せそうな顔してないんだもの。


「幸せだなあ、あんた……」

「主の恵みだね。天にまします父に感謝だ」

「さっきまで恨み言喚いてたじゃねえか!?」

「腹は立てるが、怨み事を引きずらないのが僕という男だ」

「あんた……良い奴だな」

「そうか?」

「そうだよ。俺も兄貴も感謝してるぜ。あんたに会えてよかった」


 僕は首を左右に振る。


「僕は困った奴だよ。だけどそう言ってくれてありがとう。僕も君たちに会えて良かった」


 楽しい時間はあっという間だ。

 ついに目がかすみ、意識も薄れてきた。


「僕はもうすぐ死ぬ。だけど君達とはまた会える」

「俺達が天国に行けるってことか?」

「神を信じていれば、きっとね」


 天国なんて知らない。地獄も知らない。

 だけど天国に行けると思って死ぬのは幸せだ。


「ああ……」


 僕の隣の二人は口々に神を信じると神に感謝すると言って頷いている。

 その景色を最後に僕の視界は闇に消える。


「ああ、でも……もう、ちょっと……君達と話したかったなあ……」


 何も聞こえない。

 痛みも無い。


「父よ、僕の霊をあなたの手にまかせます」


 嗚呼……とても、穏やかだ。

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主よ、主よ、何故私を見捨てたもうか 海野しぃる @hibiki

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