第6話 光学迷彩

 レーナは灰色のアタッシェケースを開け、大きな白い布を取り出し、折りたたんであったそれを、二回広げて応接机の上にのせた。それでもまだ四つ折りになった状態で、机を包んで余るほどの面積だった。ケンが初めて見たとき、緩衝材と勘違いした物だ。


「これが光学迷彩ですか?随分大きいですね。」


 応接机に近づいた真田技術少佐が、熱心に見ている。


 「はい。大きめの物を、サンプルとして持ってきました。そちらにお渡しした後、いろいろお試しいただくためです。好きなように切り取って使えますから。」


 レーナが答えた。


 「これは軽い電流を流すと作動します。これが電源装置です。」


続いて取り出したのは、片手の上に乗る程度の小さな装置だった。スイッチのついた平べったい箱形の装置からケーブルが伸び、その先がクリップになっている。


クリップ部分で布の端を挟む。レーナがスイッチを入れると、その途端に布が机の表面に溶けこむように変色した。布の裏側に接している机の表面部分を、布の表側に映し出しているのだ。あたかも布が透明になったかのように見える。


 「なんと……!」


 稲田市長が驚いて、声を上げた。


 続いて、レーナが、布を両手でつかんで、肩の高さまで引き上げ、自分の体に巻き付ける。布が巻き付いた瞬間に、彼女の肩から下が消えてしまった。体の輪郭りんかく線や布がシワになっている所は多少ゆがんで見えるが、それでも視認性は非常に低い。


 彼女のデモンストレーションは成功だった。市長と三島主任とケンは、唖然あぜんとして口を開けていたし、織田少将と真田少佐は、新しい玩具おもちゃを与えられた子供ような顔になっていた。


「一体どういう仕組みなんですか?」


 真田少佐が熱っぽく聞いた。


「私は技術者ではないので詳しくは分かりませんが、光を屈曲くっきょくさせて、向こう側の景色を体の反対面に映し出すとの事です。開発者達は、量子ステルスとも、可変式かへんしき迷彩とも呼んでいました。」

「しかし、設計図は無いのですね。」 


 真田少佐は残念そうだった。サンプルの素材の分析ができたとしても、仕組みが分からなければ、複製は難しい。


 「これが実戦投入できればなあ。」


 織田少将も同じく眉間にしわを寄せて、つぶやいた。


 ケンにも織田少将の思いは分かる。強化外骨格や戦車、その他機動兵器にそのカモフラージュ機能を持たせたなら、と想像したのだ。


 敵に発見されにくいという事は、戦闘で圧倒的有利になる事でもある。個々の作戦だけでなく、うまく利用すれば、現在の人類に不利な戦況せんきょうを、くつがえせるかも知れない。


 「繰り返しになりますが、未完成でもありますから、今回の取引には設計図を持って来ませんでした。もう少しで実用を確実にできるんです。しかし、次回の交渉に用意するつもりはあると、ウラジオストク市政府は申しています。サンプルだけを持って来たのは、あらかじめご覧いただき、次回交渉にはずみを付けたいからです。」


 レーナが答えた。


 次回交渉のための釣りみたいなものかな、とケンは思った。


 「こちらとしても、次回交渉を受け入れたいと、前向きに考えています。しかし……これが未完成品なのですか?どこに欠点があるのでしょう?」


 驚きから立ち直った稲田市長が聞いた。


 「量産が非常に難しいのと、長時間の連続使用に耐えられないのだそうです。」

 「今は量産が難しいのですか……。それと、長時間使用ができないというのは、電源の持続時間の問題ではないのですね?」


 もしそうだったら、バッテリーの容量を増やせば解決するが、そんな簡単な問題ではあるまい、と真田少佐は思っていた。


 「素材の耐久性の問題です。総使用時間が六〇時間を超えると、迷彩が働かなくなるのだそうです。」

 「そういう事ですか。それで、このサンプルをお渡しいただけるんですね?」

 「それが、本来は、そのつもりでお持ちしたのですが、事情が変わってしまいました。ですので、今回お渡しできるのは、これの一部だけということになります。」


 レーナが申し訳なさそうに言った。


 「一部だけというのは?」

 「これを全てお渡しすると、私が母都市ぼとしへ帰れなくなってしまいますから。」


レーナが困った顔になった。


 「帰れないというのは、どういう......ああ、私たちが提供する乗物にこれを装着して、母都市まで戻るのですね。」


 織田少将が答えを待たずに言った。


 「はい、光学迷彩を張った装甲車が壊されてしまいましたから、他に帰路を安全に戻る方法がありません。」

 「なるほど。しかし、これは光学的なカモフラージュだけですか?赤外線暗視や心音パルスセンサーなどもあざむけるんですか?」

 「赤外線に対しても欺瞞ぎまん効果があります。それに、そうしたセンサー欺瞞装備は、装着する兵器に元から備わってたりしますから、組み合わせて使ったりもするんです。」

「ふむ。でも、姿は消せても、後に残る足跡や、タイヤの跡から位置を推測されませんか?」


織田少将は熱心に食い下がる。


 質問というより尋問のようだ、とケンは思った。


「人間とは違う異質な思考方法と視覚を持つ機械には、そうした地面の形跡は、うまく認識できないようです。あるいは足跡が見えても、それを敵の位置という推測に結びつけられないのかも知れません。」

 「痕跡こんせきが視界に入ってるのに、存在を認識できないという事ですか。ふーむ。」

 「少なくとも、光学迷彩の作動中は、無人兵器がタイヤ跡をたどって追いかけてくるようなことは、ありませんでした。」

「いや、分かりました。ありがとうございます。立て続けの質問は、無礼だったかも知れません、お許しください。」


 織田少将はレーナに軽く頭を下げた。


 「いいえ。可能な限り疑問にお答えするのが、私の役割ですから。」


 レーナは微笑んだ。


 「もう遅いですし、今日はこの辺りにしておきましょうか。」


 時計を見ながら、稲田市長が言った。午後一〇時をまわっていた。三島主任がうなずきを返した。


 「それでは、技術情報査定の時間を二日ほどいただくとして、リヴィンスカヤ少尉、今夜はゆっくりお休みください。」

 「ありがとうございます。」

 「長旅でお疲れの所を申し訳ありませんが、明日も、御国おくにの事をいろいろとお聞きしたいと思います。なにしろ、ウラジオストクと連絡が取れるのは、久しぶりなものですから。それから、あなたが母都市に安全に帰る手順の、打ち合わせもありますね。

 晩にはささやかながら、歓迎の晩餐ばんさん会を催したいと思っておりますで、ぜひお越しください。 明後日は、街をご案内いたしましょう。」


三島主任がレーナに伝えた。


 ケンが前哨ぜんしょう基地から報告を入れてから、ジオフロントに到着するまでの間に、市長達は計画日程をすでに組んでいたようだった。


 「はい。ご厚意に感謝いたします。」


 レーナは、通訳者の女性に案内され、退室した。去り際に、ケンに微笑んだ。



 「桐生少尉、ちょっと席を外してくれないか。廊下で待機していてくれ。」


 彼女たちが出て行きドアが閉じると、織田少将が振り返って言った。


 「はい。」


ケンは廊下に出た。やれやれ、と小さくため息をつく。


 中で何かを相談しているようだが、応接室は防音構造になっているから、内容は全く聞こえない。


 俺にこれ以上、何の用があるんだろうと、ケンは思った。自分がいる必要があるのか分からない会見が終わって、ようやく休息が取れると思っていたのに。今日はいろんな事が起こりすぎた。疲れ切ってるから、はやく休みたい。


 しばらくすると入室するよう、声がかかった。


 「君も聞いての通り、データディスクの技術情報解析には二日ほどかかる。リヴィンスカヤ少尉に返答をするまで、しばらく時間があるという事だ。」


 三島主任がケンに確認するように言った。


 「はい。」

 「明日は我々と彼女の間で互いの都市の近況を情報交換する事になる。

 だから一日置くとして、君には明後日あさって、彼女に市街の案内をしてやってほしい。」

 「え?」


 ケンは、思わず聞き返した。

 

 街を案内するって俺のことだったのか?


 「外交使節をずっと一室に閉じ込めておくわけにはいくまい。彼女に楽しんでもらうための、観光案内ぐらいでいいよ。嫌かね?」


 稲田市長は不思議そうに聞いた。


 「ご命令とあらば、もちろん従います。しかし......」

 「うむ?」


 織田少将が片眉を上げた。


 「どうして俺、いえ、小官なのですか?他に適任者がいるのではありませんか?」

「リヴィンスカヤ少尉が君に好意的だからだよ。彼女は君に命を救われたと言っていた。」


三島主任が答えた。


 「救出は分隊の皆でやったことです。小官のみの手柄ではありません。」

 「そうだな。亡くなった兵士も含めて、君の部下にも感謝したい。だが、特に君が適任だと思う。

 見知らぬ人間に案内されるより、救出任務と、いくらかの会話でえんのできた君が、そばにいる方が、彼女も安心だろう。

 友好的な接触をあちらの都市が考えているのなら、こちらも使節しせつに対して、それなりの歓待かんたいをしなければならない。君が彼女に街の案内をするのは、外交の一部なんだよ。」

 「はあ……。しかし、それほど親しくなったわけではありませんし、小官は無骨ぶこつな軍人ですから、なにか失敗をしでかすかも知れません。」


 レーナとえんが薄くなるのは惜しい気がしたが、ケンは外交などという、自分の手に余る重責を背負わされるのは、なんとかしてけたかった。


 「君は士官なんだから、常識も礼節もわきまえてるだろう。

 仮の身分とはいえ、リヴィンスカヤ少尉は外交官なんだから、ジオフロント市政府としては、彼女の心証をできるかぎり良くしておきたいんだよ。」


 織田少将がさとすように言った。


 「これは命令だ。桐生少尉、明後日、リヴィンスカヤ少尉を観光案内してさしあげろ。ただし、下品な界隈かいわいは避けろよ。」


 口調を変えた少将は、きっぱりと言った。


 「はい、閣下。」


上官からはっきりと命令されて、ケンは観念した。


 「うむ。ああ、それと同時に、彼女がおかしなまねをしないか、監視しろ。あ、監視してるって絶対バレるなよ。自然に接しろ。」

 「おかしなまねって、レー……リヴィンスカヤ少尉が何をするんですか?破壊工作をするとか!?」


ケンはまたも仰天ぎょうてんしてしまった。


 「そんな事は思ってないさ。今のところ、まじめな取引に訪れただけ、と我々も考えてる。これは念のためだ。外交官というのは、正々堂々と相手国に送り込める、スパイでもあるからな。

 君一人じゃない。離れた場所から監視員に見張らせておく。」

「はい……。」


 外交だの諜報戦ちょうほうせんだのに全くうといケンは、相手をそこまで疑わないといけないのか、とウンザリした。


 「まあ、あまり堅く考えるな。美人とデートすると思えばいいのさ。君がうらやましいぞ。ふはは。」


 織田少将が笑ってケンの肩を叩いた。


 監視付きのデートがそんな気楽なもんかよ。ケンは心の中でののしった。


 「それから、君の分隊に一週間の通常休養と、さらに救出活動に対する報奨ほうしょう休暇で、二日余分にやる。全部で九日だ。」

「ありがとうございます。」


 休暇を二日足すのではなく、休養日数を二倍にしてほしい、とケンは思ったが、礼を言った。


 疲れでイライラしてしまっているが、不平不満ばかりは良くない。


ケンが政庁ビルから出た時には、都市天井部の照明が弱められ、外は暗かった。


 ジオフロントの住民は、陽光の差しこまない地下に住んでいたが、いまだに協定世界時の朝晩の時間に合わせて、寝起きしている。ここ神戸ジオフロントでは、旧兵庫県明石あかし市の、東経一三五度の子午線に合わせた日本標準時が、そのまま使われていた。


 天井部の照明も、地上の時間帯に応じた明るさで、強弱の調整をしている。人工的に昼夜を作っているのだ。これは単に地上の習慣を懐かしんでの事ではない。人は不規則な時間の睡眠をすれば、体内時計が狂って生活のリズムが乱れ、体調を崩してしまうからだった。夜間に照明を弱めるのは、節電も兼ねている。


車で送られ、ケンが士官独身寮に帰った時には、夜の一一時だった。


 ケンは自室にたどり着くと、服を着替えもせずに、ベッドに倒れこんだ。

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