第6章その4 小さな一歩


「いい服買えたわね! 新作リップも」


 雪梅は心底満足そうな笑みを浮かべていた。


「今着てるソレ、とてもよく似合ってマスよ、睦実」


「あ、ありがとう……」


 私は自分の体を見下ろす。フリフリでもひらひらでもない、自分の体に合ったものだ。母が普段買って来るような地味で無難なものじゃない。派手とまではいかないけれど、個人的にはちょっぴり冒険した感じのデザインだ。


(あ……)


 ショーウィンドーに映る自分に、ハッとなる。そこに映っているのは間違いなく自分なのに、どこかいつもと違う。髪も服も目元も、1点ずつプラスしていったら最終的に全身で合計10点分ランクアップした、といった感じだろうか。


(いつもと違う自分が見られるの、確かにちょっとだけ楽しいかも……)


―散らかった部屋と、片付いた部屋、どっちが気持ちいい?―


 雪梅の言葉を思い出す。


(今ならあの言葉、分かる気がする)


 気合いを入れて部屋を掃除すると、見違えることがある。間取りが変わったわけでも、家具を取り替えたわけでもないのに、ワンランクアップしたように感じる。今の自分は、まさにそれなのかもしれない。


―変身、楽しいデス。自分、色んな姿出来るコト、ビックリします!―


(うん、新鮮な体験だったかな)


「あの、さ……」


 私は前を歩く2人に声を掛ける。


「……お礼に何か甘いものでも奢ろうか? 雪梅、ディヴィカ」


「えっ、睦実、いいの?」


「デモ、お金、今日はたくさん使っチャイまシタよ?」


「無理しなくていいわよ」


「いいの。今日、色々楽しかったから、お礼させて」


 この世界でメトゥス討伐をするようになってから、私は1枚のカードを渡されていた。いわゆるキャッシュカードだ。メトゥス討伐をするごとに報奨金が振り込まれていたらしいのだが。


(今日、初めて残金を確認して驚いたのよね……)


 討伐1回につき、私の1ヶ月のバイト代のゆうに30倍ほどの金額が振り込まれていたのだ。


(そりゃ、世界を救う仕事をしているのだから、当然なんだろうけど)


 つまり今日の出費もそれほど痛くはなく、彼女らにスイーツをおごるくらいなんでもないのだ。


「なんでも言ってくれていいわよ。あ、そうだ!」


 先日、ライリーに連れて行ってもらったカフェが目についた。


「例えば、あのカフェのパンケーキとか……」


「「いいの!? 食べるーーー!!!」」


 2人が手を取り合い、声をハモらせた。


「あのお店のパンケーキ、トッテモ美味しいデス!」


「本当にいいのね? 遠慮なくごちそうになっちゃうわよ?」


「ありがトウ、睦実!」


「…………」


 いいな、と思う。


 ミサからもこんなお出かけに誘われた時があったけど、怖気ついてしまって一度も承諾したことがなかった。私みたいなのが、着飾って街に出て、おしゃれなお店を巡るなんて滑稽だ、って……。


(今日、連れ出された時は、強引だなと思ったけど……)


 2人があれくらいしてくれなきゃ、私は一歩を踏み出せなかった。


(親友キャラ、か……)


 雪梅もディヴィカもそういう設定なだけだ。しかも、私でなくソフィアの。それでも今日は楽しい1日だったと、心からそう思える。


(ところで、これって友情イベント? だよね?)


 ネットで情報を見ながらプレイしていたが、4章までにこんなイベントが発生したという報告はなかった。まだ発売当日だったし、情報を見落としただけかもしれないけれど。


(ゲームでも発生するのかな? 起こるよね、こうして目の前で起きてるんだから)


 なら、発生条件は何だろう。


(ソフィアの魅力値が低い? あのゲーム、容姿に関するパラメーターはなかったよね? それとも隠しパラメーター?)


「ほら、睦実、早く行こうよ! 寮の門限までに帰れなくなっちゃう」


「うん、そうね。行こう!」


 3人でカフェに向かって走り出した時だった。


(あ……!)


 通りすがりの店の窓から、虹色のピンポン玉のようなものが見えた。


(あれは……!)




§§§




「おかえり、睦実……わぁ!」


 離れに戻るなり、ライリーが満面の笑顔で私の方へと駆け寄って来た。


「え? なんか今日の睦実、綺麗じゃない? 何かした?」


「ん……、何か、って……」


 私みたいなのがメイクをしてると言うのは気恥ずかしく、つい口ごもる。


「分かった! 恋だ!」


「は!?」


「睦実、恋をしてるんじゃない? だから綺麗になったんだ」


「いや、ライリー、違……」


「何!? 恋!? ひょっとして俺にか!?」


「えっ、そうなの!? 睦実とキブェが?」


「違うっ!! 違う違う違う!」


「睦実ちゃん? そこまで必死に否定されると、さすがに俺、傷ついちゃうよ?」


「いや、そういうつもりじゃなくて……」


「お前ら馬鹿か」


 のっそりとベルケルが姿を現した。


「一目見りゃ分かんだろ。服が違うだろうが」


「いや、服が違うことくらいオレも気付くよ。そうじゃなくて、なんかいつもと違くない?」


「…………。なんか違うか?」


「あー、これだから脳筋は!」


「うっせぇよ! 俺はお前みたいにチビじゃねぇから、細かいところまで見えねぇんだよ」


「チビ関係ないし! 細かいところが見えないって何? 老化?」


「あぁ!? 誰が老化だ!」


「騒がしいぞ、お前たち」


 騒ぎを聞きつけ、エルメンリッヒが姿を現した。すぐに私を認め、微かに口元をほころばせる。


「ほぅ……。見違えたぞ、睦実」


「え? み、見違えるようなことは……何も……」


「何を言う。その艶やかな髪、桜色の唇、涼やかな色の目元。いつもより華やかではないか」


「あ……そ、そっすか?」


 耳慣れない言葉と扱いに動揺し、じりじりと後ずさりをしながら私は引きつった笑いを浮かべる。


(はは……、ちょっと弄ってもらっただけの髪と肌でこれだけ違う違うと言われるなんて……、私、普段はよっぽど大惨事ってことじゃないの?)


 男性陣がこんな小さな変化に、すぐに気づいたことにも困惑する。


(あ、そう言えば彼らは乙女ゲーの攻略キャラだった! そりゃ気付くわ! そういう存在だわ! ただしベルケルを除く!)


「おや、帰っていたのですね、睦実」


 やがてそこへシェマルも姿を現した。


「これは……、ふふ、美しいですね」


(超絶美女顔のあなたに言われても……っ!)


 シェマルは近づいてくると、私の髪を一房手に取り、そっと持ち上げた。


「とても素敵ですよ、睦実。この艶やかな髪に似合う飾りを選んで差し上げたくなりますね」


「あ、いや、そんな……」


「えーっ!? 待ってよ! なにそれ!?」


 シェマルの行為に、ライリーが抗議の声を上げる。


「睦実はオレが近づくと逃げ腰になる癖に、なんでシェマルは触ってもいいの!?」


「へ? いや、それは……」


(『男』を感じさせないから、とはシェマルの前では言えないわよ)


「はっ!? まさかシェマルが、睦実の恋の相手なのか!? そうなのか!?」


「キブェ!? 何言っちゃってんの!?」


「へぇ……、やっぱお前も、面のいい奴に惹かれるのな」


(ぎゃああああ! 推しのベルケルにだけはその手の誤解をされたくなかった!)


「いや、大丈夫です! 私は筋肉が好きです!」


「お、おぅ? そうか。……何が大丈夫なのか分かんねぇけど」


「皆の者、睦実が困っているではないか。そろそろからかうのはやめてやれ」


「いえ、私はからかっているつもりはないのですが……」


「真っ先に歯の浮くようなこっ恥ずかしい台詞吐いてたのは、お前だろうがエルメンリッヒ」


(確かに!)


「恥ずかしい台詞? 私はそのようなこと口にした覚えはないが」


(天然だった! さすがです、ありがとうございます!)


 その時、扉が開いてミランが姿を現した。


「ご歓談のところ申し訳ないですが、皆さん、討伐要請です」


「メトゥスか」


「はい、エルメンリッヒ。話が早くていい」


 その場にいた全員の顔が引き締まる。


「メトゥスが出現した。ただちに現地へ向かう!」


(第4章のメトゥス……)


 私はゲームの内容を思い出す。そして自分のバッグに手を触れた。


(きっと今日は大丈夫……!)

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