第3章その3 VRだから大丈夫!



「来たか、睦実」


(いたぁあああああ!!!)


 食べ終えた食器を片付けるためダイニングに足を踏み入れた私は、いきなりエルメンリッヒ様とご対面となった。


「エルメンリッヒ様、な、なぜここに……」


「…………。ここで張っていれば、必ずお前は来ると思ったのでな」


(刑事!?)


 それより更に確実なトイレの前での待ち伏せでなかったのは、乙女ゲーの良心だろうか。


「…………」


 エルメンリッヒ様は私の手からそっとトレイを奪い取る。そしてキッチンへと入って行った。


(待って! そこ、麗しき騎士様に似つかわしくない場所!!)


 ツッコミしたくても声が出ない。


(あぁああ、何から切り出せばいいの? それは私が洗います? まずは、サンドイッチありがとうございました? それとも、さっきはすみませんでした? こっちにも理由があったので聞いて下さい?)


 どの言葉も口に出せず、私はただ案山子のように立ちすくむ。

 エルメンリッヒ様はトレイをカウンターへ置くと、こちらを振り返った。


「すまなかった」


(え?)


 アイスブルーの瞳がまっすぐ私を見ている。


「あの……」


「己の失策で危機を招いておきながら、身を挺して私を庇おうとしたお前を、声を荒げて叱責するなど、私は何と思い上がっていたのだろう」


「!?」


「戦力にならぬと言ったのも失言だった。お前が二体目のメトゥスのことを予言してくれたからこそ、街に被害を出さずに済んだと言うのに」


(え? あの……、ちょ……)


「キブェの回復についても礼を述べたい。そして、私がとどめを刺すために、自らその身をメトゥスの前に晒し注意を引き付けてくれたこと、感謝する。

だが……」


 彼が私に歩み寄って来る。


「あ……ぁ……あの……」


「二度とあのような危険な真似はしないでほしい。お前のような乙女を犠牲にしたとあっては、たとえメトゥスを倒したとてそれは勝利とは言えぬのだ」


(乙女ぇ!?)


 聞きなれない言葉に、つい過剰反応も起こしてしまう。

 悲しげに曇るアイスブルーの瞳は、気付けば目の前にあった。


(駄目だ駄目だ、至近距離のイケメン怖い。助けてアクリル板! 

 よし分かった、これは3Dだ。そうVRだ! VRだからただの映像なんだ、大丈夫大丈夫、これはVRだから大丈夫……!)


 自身に言い聞かせ、私は意識をなんとか保つ。

 落ち着いてくると、ある思いが胸のうちに湧き上がって来た。


(いい人か!? エルメンリッヒ様、上司にしたい乙女ゲーキャラかよ!?)


 いや、いい人だってことくらいとっくに知っている。言葉が厳しいだけで、中身は優しい人だと言うことも。


 それにしても……。


(第1章でここまでデレを見せていいの? 早い、早いよ! 初めの頃はもっと冷たく誤解される感じでいいんだよ? 厳しい、怖い、近寄りがたい、そんなエルメンリッヒ様を数章かけてデレさせるのが美味しいんじゃないか! いや、この不意打ちフライングデレも嫌いではありません、ありがとうございます!)


 いや、そうじゃなくて。


(エルメンリッヒ様にここまで言わせておいて、私にも考えがあったんです!なんて言いづらいな)


 シェマルの言葉を思い出す。


―メトゥスの触手は、固さがこのロッドとほぼ同じです。10倍ほどの太さを持ち、それが鞭のようにしなって叩き付けられるのですよ?―


 あの平原で私は何の防御措置も取らず、ただ木偶の坊のようにメトゥスの前に身を晒した。ただ、2人への攻撃回数を減らすことしか考えてなくて。自分のことすらシステムの1つとしか思っていなくて。


まともに攻撃を受けていれば、今頃どうなっていただろう。


―エルメンリッヒがどんな気持ちで、前に飛び出したあなたを見たか、どれだけの覚悟であなたを庇ったか、分かってあげてください―


(私にも考えがあったなんて、本当に言い切れる?)


「あ……、謝るのは、こちらです。お礼を言うのも」


「睦実……。だが、私はきつい言葉でお前を傷つけ……」


「傷ついていません!」


「!」


 口をついて出た声は、変に裏返っていた。


「傷ついてはいないんです、エルメンリッヒ様は真面目で厳しく見えるけど、思いやりがあって、いざと言う時には自分を犠牲にしてでも他人を助けるほど優しい人だってこと分かっていますし、それがさっきの戦闘での行動にも表れていますし、その端正な見た目と不器用さゆえに誤解されやすく、そのことにちょっと傷ついているところとか『何それ可愛い!』とか思いますし、大体、叱責されたとしても城之崎ボイスでお説教タイムとかご褒美以外の何物でもないですし、その裏にあるのがこちらを気遣う気持ちとか、『ときめき死させる気かよコイツめぇ!』って感じですし!」


 ごめんなさい、もう自分でも何を口走っているか分かりません。


「…………」


 エルメンリッヒ様はしばらくの間、困惑した眼差しを私に向けていた。

 やがて薄く吐息を漏らすと、その唇を開いた。


「つまり、お前は私の言葉に傷つき悲しんではいない、と?」


「は、はいっ!」


「怒ってもいないのか?」


「全然っ!」


 私は首を縦に何度も振る。


「……フッ、そうか」


「!?」


「お前は強い心を持っているのだな」


(っしゃあああ!! エルメンリッヒ様の微笑み、いただきましたぁああ!!)


 私は両手で顔を覆って天を仰ぎ、その場に崩れ落ちる。


「睦実? どうした、大丈夫か?」


「大丈夫です、大丈夫です!」


 私は一定以上彼が近づけないように、片手を前方に伸ばし、ぶんぶんと振り回した。


(破壊力パネェっす! 至近距離での微笑み、この距離でようやく聞こえるトーンの城之崎ボイスの囁き! 危うく死ぬところだった! 死因キュン死!!)


「……本当に問題ないか?」


「ないですっ!」


 鼻血の海に親指立てて沈みそうになっていること以外は、という言葉は飲み込んだ。


 ひとしきり萌え狂った後に、私は涙目で立ち上がる。

 エルメンリッヒ様は何か言いたげに口を動かしかけたが、私が顔の前で手を振ると、そっと視線を外し見ない振りをしてくれた。


「あぁ、そうだ、睦実」


「はい」


「お前さえ良ければ、……その、つまりだ……」


 いつも毅然としているエルメンリッヒ様には珍しく、言いづらそうに言いよどむ。


「……戻して、もらえないだろうか」


「戻す?」


「私への呼びかけを、だ」


「?」


「だから、私だけ『様』をつけられるのは、どうも……距離を置かれているようで、寂しい」


「っ!?」


(萌え殺す気かぁああっ!!)


 再び私は、顔を両手で覆ってしゃがみ込む。


(平子睦実、被弾いたしました!! 衛生兵!! 衛生兵!!)


「睦実、今度は何だ」


「……っ、……っ!」


 床ローリングしたいのをなけなしの理性で押さえる。

 いちいち反応が気持ち悪い? 今更だ!


「やはり、私と打ち解けるのは難しいことなのだろうか?」


「い……、いいえ……」


 息も絶え絶えとなりながら、私は言葉を返す。


「今後ともよろしくお願いします、エルメンリッヒ」


「……うむ」


 嬉しげにはにかんだエルメンリッヒに、またもや心臓を止められかけたことは言うまでもない。




§§§




(なんか今日は、色々疲れたな……)


 昨日は居心地悪く感じたこの部屋も、徐々に慣れてきた気がする。


(朝は皆から呼び捨てにしてほしいって言われて、その後メトゥスと戦って、エルメンリッヒに叱られて、シェマルに注意されて、エルメンリッヒと仲直りして……)


 私は自分の胸に手を当てる。


(1日過ごして分かったことがある。彼らのこと、実体のあるイケメンだと思うと怖いけど、VRと思えばこれまで通り萌えられる!)


 これは私にとっては大きな収穫だ。もう彼らにビビりまくって、挙動不審になることはないだろう。

 いちいち萌え狂って挙動不審になる可能性は出てきたが。


(それにしても、本当にこれ夢なのかな……)


 少しずつ私の中で頭をもたげてきた疑惑。


(夢なら、私の記憶を元に色々な感覚が再現されるはずよね?)


 この世界が『銀オラ』を割と忠実に再現していることについては、不思議に思ったりしない。原作にない展開や台詞も、数ヶ月にわたって蓄積してきた妄想が出てきたものと思えばありうる話だ。

 引っかかったのは、エルメンリッヒ作のクロワッサンサンド。


(現実で食べたことのない味だった……)


 もしも夢なら、見たことのない食べ物でも、どこかで食べたような味になると聞いたことがある。


(もちろんこれだけを、この世界が私の夢でないという根拠にするには弱いけど)


 もしも、今私がいるのが夢の世界でなかったら?

 本当にゲームの世界に入ってしまったのだとしたら?


(私はメトゥスの攻撃で死ぬ可能性がある。それに、私と入れ替わったソフィアは今どこにいるの? 私の世界? それに……)


 目の前にいる導魂士たち、彼らが妄想によって生み出された立体映像ではなく、肉体を持った実在のイケメンと言うことになる。


(これは駄目だ)


 せっかくVRだと自分に暗示をかけ、何とか彼らに対して委縮せずに済むようにしたと言うのに。


(大丈夫、触れなければただの立体映像、触れなければ実体はない、触れなければVR、触れなければ実在しない……)


 シュレディンガーの猫的なことを自分に何度も言い聞かせているうち、いつしか私は眠りに落ちていた。

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