第9話 

「まだかよー」

「うるっさいわあ。晶ちゃん、ホレ、脱いで脱いで」

 セミ採りから帰った僕らは、長野家にいた。

 クーラーのない長野家では、昼間は全ての戸を開け放っている。

 扇風機の前を和樹が占拠していた。それを、奥から出て来た和樹のおばちゃんが足蹴にして、和樹は麦茶を取りにいかされる。おばちゃんの手には、濃紺の地に、白い蝶が描かれた浴衣があった。

「これねえ、和樹の姉ちゃんの、前の浴衣なんだけど。これなら男の子でも着られると思うのよね」

 僕はあれよあれよという間に、かれて、肌着だけにされ、肩から浴衣を掛けられた。

「お祭りでしょう、今日。和樹が絶対晶ちゃん連れて行くって言うからねえ……あ、やっぱしね! ぴったしやと思ったんだ、晶ちゃんに」

 おばちゃんは、丈を見るように、浴衣の裾を引っ張った。

「ありがとうございます」

「いえいえ、好きでやってるからねえ」

 おばちゃんの陽気な笑いにつられて、少し笑った。


 去年の夏祭りには、母の許可が最後まで出ず、行けなかった。ベッドの上で、夜に響く太鼓の音を聞いたことを、ぼんやりと思い出した。


「おうちには、私の方から電話しておくからね、晶ちゃん借りますねーって」

「あ……はい」

 家の者はもはやダメなんて言わないだろう。

「嫌やった?」

「いや、そんな、ありがとうございます、嬉しいです」

 袖先を持って両手を広げると、描かれた白い蝶がよく見える。和樹はいつのまにか、扇風機前に戻り、麦茶を片手にじっとこちらを見ていた。

「何」

 和樹は首を横に振った。



 その年の春の検診で、両親は学校に呼び出されて、僕は再検査に行った。

 そこから、父も母もなんとなくよそよそしくなってしまったことが自分のせいだと、僕はわからないながらも気付いていた(結局その後二人は離婚した。今から考えると、父と母の型から考えてΩが生まれるはずないから、それはしょうがないんだろうけど)。

 とにかく僕はそれから「しんぞうのくすり」を飲まなくてはならなくなった。

 淡い、ブルーの錠剤を、一日一錠。


 そうして家に居づらくなった僕の、居場所になったのが和樹だった。

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サヨウナラの合図 りう(こぶ) @kobu1442

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