炊飯器の中の宇宙

吉岡梅

炊飯器の中の宇宙

 まず塩こしょうした鶏のむね肉を入れる。皮目は下だ。次は、お米とミックスベジダブル。分量はイオンで売ってる冷凍の袋の半分くらいでいい。コンソメをひとかけら入れたら水を入れて蓋を閉める。あとは炊飯スイッチを押すだけ。


 炊けるまでの時間で小鉢にバターとケチャップ、そして、バルサミコ酢を入れる。無ければマヨネーズでもいいのだけれども、こっちの方がそれっぽい感じが出て好き。


 ちらっと小関おぜきの方を見てから、レンジでチンする。水分を飛ばしたいのでラップはかけない。チンできたら中身をよくかき混ぜれば、濃いルビー色に輝く甘酸っぱいソースの出来上がりだ。


「サンバルがあれば、これ作らなくてもいいんだけどねー」

「あー。でも、案外こっちのが合うかもね」


 小関がやさしい。私が後ろめたさを隠すために口にした事を、そのまま受け止めてくれる。私は胸の痛みまで隠れるようにプレート皿にレタスを敷いた。


 グラスを持ってリビングへと向かい、こたつ兼ローテーブルの上を片づけてランチョンマットを2つ敷く。グラスを置いてキッチンへ引き返し、製氷皿の氷をボウルに空け、缶ビール2つと一緒にテーブルの上に並べる。“ビールは氷入れる派”の小関は手づかみで氷を取り出すと自分のグラスに入れる。カランカランと小気味のいい音が響いていくぶん気分が明るくなった。


 パチンと音がしてスイッチが切れたら、蒸らし時間を無視して蓋を開ける。むね肉を取り出し、ご飯にオリーブオイルをかけてさっくりかき混ぜて再び閉める。蒸らしてからよりも、炊き立ての時の方が全体に廻しやすいのだ。小関の顔はやっぱり見れない。


 むね肉は、食べ応えが出るように大きめに切り分けておき、蒸らしが完了したら、レタスを敷いておいたプレートへとご飯を盛る。むね肉の出汁とコンソメを吸ったご飯は、ほんのり桜色に輝いている。さらに色とりどりのミックスベジダブルが、いい感じでうるさく散らばっていて目に楽しい。その上にむね肉をどーんと載せ、仕上げにさっき作ったソースをかければ、"チキンご飯"の完成だ。"チキンライス"だとオムライスの中身のあれと被ってしまうので小関と私の間ではこう呼んでいるのだ。私は両手にプレートを持ってリビングへと向かう。


 おまたせ~と声をかけて、缶ビールを小関の方へと差し出す。おっ社会人~!と小関が茶化すのがちょっとイラっとするけどビールを注いであげる。小関は、おっとっとっととオッサンめいた声を出して嬉しそうだ。ビールがグラスから溢れそうになると、おっとー!ほっ!いよーっ!などといよいよ奇声を上げて溢れそうな部分を素早く啜った。

 小関はこの変な儀式が大好きで、私は私で嬉しそうな小関を見るのが大好きなのだ。ちなみに私たちは同い年。私は今年短大を卒業して働いているけど、小関はまだ大学生だ。


 今度は小関が私にビールを注いでくれる。自分のグラスじゃないのに、まだおっとっとっととと嬉しそうにオッサン声を出している。

 乾杯をしてぐーっとビールを飲む。緊張していたせいかカラカラだった喉がいっぺんに潤う。おいしい。小関も氷の音が聞こえる程の勢いで、一気にビールを飲み干していた。

 小関が2杯目のビールを注いでいる横で、私はバッグから本の包みを取り出した。


「じゃーん。今日、本屋で凄い本見つけたから買って来たよ」


 中から取り出したのは、カラー写真満載のレシピ本だ。


「なになに……『圧力鍋クッキング』? ん? なんで?」

「フフフ……小関くん。圧力鍋というのは……」


 そこまで言うと、小関はハッとして顔を上げた。


「そうか! 圧力鍋で作れる料理は……炊飯器でも応用できる!」


 小関は夢中でページをめくっていく。肉じゃが、豚の角煮、手羽のさっぱり煮にミネストローネ。どれも美味しそうなレシピばかりだ。


「はは、これ見ろよ。ご飯の炊き方だって! やっぱ被ってるんだな。でもはボタン押すだけだから、こっちのが上だな」


 小関は得意げにご飯の炊き方のページを見せる。私はこんな風に炊飯器のことを話している小関が好きだ。今までに作った料理の話。うまくいった肉じゃが・たこの炊き込みご飯・いかめし・ジャーマンポテト・ちぎりパン。失敗したしょうが焼き・焼きそば・から揚げ・とんかつ。どの料理の話をするときでも、小関は心から嬉しそうに話した。


 炊飯器を使う時の小関は、なんというか、すごくかしこまって凛としていて、こんな事を言うのはどうかと思うんだけれども、美しかった。

 お兄さんのお古を貰ったという3合炊きのちっちゃな炊飯器は、炊飯ボタンがひとつだけ付いているシンプルな物だった。小関はいつもその中に材料を全部入れると、少し背筋を伸ばして炊飯ボタンを押す。その姿はまるで何かの儀式みたいだった。


 小関は決して途中で蓋を開けない。炊飯器のボタンがカチっと戻るまで、何もしないで全てを委ねていた。1回の食事につき、押せるのはボタン1回だけ。


 出会って間もない頃、「なんで1回だけルールなの?」と尋ねた事がある。小関は、「一度入れたら、もう受け入れるしかない。そういうものだから」と答えた。そして、ちょっと考えて、「手を出すのは負けだから」と付け加えた。

 その答がなかなかに素敵だと思った私は、週に一度は必ず一緒に炊飯器料理にチャレンジするようになった。正直なところ、小関と定期的に会う言い訳でもあったのだけれども。


 小関が言うには、自分なりに予測を立てて下拵したごしらえをし、ボタンを押した後は炊飯器に委ねる。そのうえで、蓋を開けて結果を見る瞬間が楽しいのだと言う。


飛世とびせ、炊飯器には、無限の宇宙レベルの可能性があるんだ」


 小関は真顔でそんな事を言っていたのだけれども、私はその気持ちがちょっとだけわかる。少なくとも、2人で息を呑んで蓋を開けて中身を見る、その瞬間を私は、とても愛おしく思っていた。


 思ったとおりに、あるいは、それ以上にうまく仕上がって、妙なテンションでご飯を平らげることもあれば、予想外の超マズい仕上がりにゲラゲラ笑いながら、やばーい! 超マズい! と悪態を突くこともあった。

 できあがった料理は、結果にかかわらず、できるだけ完食するのがルール。きっちりと分量を考える小関よりも、大ざっぱな私が作るときの方がヤバい時が多かったのだけれども、小関はさんざん文句を言いながらもいつも平らげてくれた。


 そして小関は、他の調理器具は一切使わない。フライパンや電子レンジの使用も、小関にとってはルール違反のようだった。

 あるとき、小関と私は、たまねぎや人参・豚肉やルーにお湯といったカレーの具材を耐熱ビンに詰め、ビンごとご飯と一緒に炊くという荒技を試したことがある。結果は、なんと大成功で、何の変哲も無いカレーを、2人で大笑いしながら食べた。でも、そのときも小関は、笑いながら「これは参考記録だなあ」と言っていた。その線引きも私は好きだった。


 特に思い出深い料理はパスタだ。はじめて挑戦したときは、ゆで時間が長すぎて、うどんのように膨らんで激マズだった。完食を目指したのだけれども、2人ともギブアップして捨ててしまう程だった。

 その敗北がこたえた私たちは、しばらくパスタ調理に熱中した。実験みたいにいろいろ試し、私たちはパスタに関して3段階のステップを経験したのだ。


 ひとつ目は、ゆで時間15分(太さ1.8mm)のパスタの発見。イオンのパスタ売場で袋の上に「15分」という数字を見つけたとき、私たちは思わず歓声を上げた。しかし、15分でも小関の炊飯器にとっては短すぎる時間だったのか、できあがったパスタは伸び伸びので、がっかりした。


 次の発見は、初めて小関がうちに来たときに起きた。私は部屋の片づけとか、センスとか、ベランダに隠してあるゴミ袋とか、その他もろもろの小関が反応してくれることや、してくれないでいることにドキドキしていたのだけれども、小関の足は玄関からすぐのキッチンに入った時点で止まった。

 そして、興奮した様子で、「飛世、これだ!」と私の炊飯器を指さしたのだ。そこには、[速炊き]ボタンがあった。すぐに私は小関の言わんとすることがわかった。速攻でイオンに向かい、1.8mmを買ってきて炊飯した。できあがったパスタは、ちょっと伸びてはいたのだけれども、以前と比べると全然食べられた。


 しかしすぐに、[速炊き]は、アリかナシかという問題にぶつかった。小関はしばらく悩んでいたのだけれども、最終的に、「[速炊き]はアリ」というジャッジを下した。それ程までにパスタは手強かったのだ。でも、まだ一番大きな問題が残っていた。そもそも、小関の炊飯器には速炊きボタンが無いのだ。


 その後しばらく、"パスタは飛世邸"ルールが続いていたのだけれども、小関がふと思いついた。堅めのご飯を炊くときには水の量を調整する。これをパスタにも応用すればいいのではないか、と。


 早速私たちは、パスタが全て水を吸っても、伸び伸びにならない分量を試し始めた。吸う水がなければ、パスタはになりようがないはず。いろいろ試した結果、パスタ100gに対して水220cc、つまり、水はパスタの約2.2倍がいい感じという結論にたどり着いた。できあがったパスタは以前とは比べものにならないほどもちもちでおいしかった。ついに私たちのパスタは、食べられる地点にまでたどり着いたのだ。


 もっとも、友人達にふるまうと、「普通にでた方がおいしい」とバッサリ切り捨てられたし、私たちだってそう思う。でも、そうじゃない。そうじゃないものがそのパスタにはあった。


 その後、2.2倍の氷水にしてみたり、パスタ同士がくっつきにくいように、サラダ油かバターを最初に入れるなどの小さな進歩を経て、私たちのパスタのスタイルはだんだんと定まっていった。と、同時に、2人の関係もステップを踏んで定まっていったのです。ふふ。


 私たちは、こんな感じで様々な炊飯器料理にチャレンジしていたのだけれども、私が就職活動で忙しくなってくると、その時間はだんだんと少なくなっていった。さらに、仕事が始まると、その機会はどんどん減ってしまった。頻繁にlineするし、お茶にも行くのだけど、炊飯器のスイッチを入れる事はなかった。


 そして今日。このままは嫌、と思った私は、久しぶりに小関を部屋に招いた。ここだけの話、小関を部屋に呼ぶだけの事なのに、ちょっとした勇気が必要になっていたことに私は驚いた。


 今、小関は私の目の前で、以前と同じようにおいしそうにチキンご飯を頬張っている。でも、違うのだ。今日の私は電子レンジを使ったし、途中で蓋も開け閉めした。なのに小関は、以前みたいにレギュレーション違反だと指摘してこない。久しぶりだし、ちょっとカマしてやろうと思ったのに、全スルーでにこにこしている。

 なんだか私は小関の大事にしていたものを傷つけてしまったような気分になっていたし、その事を黙ってる小関に傷つけられているような気にもなっていた。そして、そんな事を考えている自分が嫌になっていた。

 結局その日、小関はご飯を食べただけで帰って行った。


---


 あれ以来、私と小関はお互いになんとなく連絡を取っていない。久しぶりに何も予定のない休日なのに、私はひとりでぼんやりしていた。


――私たち、このまま駄目なのかな。電子レンジを使ったばっかりに。なんだか、ちょっとずつ、ずれてきてしまっている気がする。小関はありのままを平らげる奴だから、これもそのまま受け入れてしまうのかな。


 そんな事をもやもや考えていた私は、気が付くと家電量販店の炊飯器売場にいた。


 えー、末期ーと思いながら、周りをきょろきょろと見回す。頭の隅では、ひょっとしたら小関がいたりして、なんて思ってしまっていたのだけれども、側にいるのは背の低い店員さんだけだった。

 小関がいるわけないじゃん。馬鹿か私は。と自分に呆れていたとき、ふと、目の前の炊飯器の説明が目に付いた。


 その炊飯器には、"クッキングプレート"なる仕組みが用意されていた。お米を炊く釜の上に、カゴ状のプレートを置くスペースが用意されており、そこを利用してご飯と同時におかずを作ることができるのだ。それを見て、私は思わず呟いた。


「……ずるい」


 すると、背の低い店員さんがくすっと笑った。


「あ、すみません。笑ったりして」

「い……いえ! 『ずるい』なんておかしいですよね」


 私が必死で取り繕おうとすると、店員さんは笑顔で首を振った。


「いえ、そうじゃないんです。実は昨日もこの商品を見て、『ずるい』とおっしゃっていたお客様がいらっしゃいまして、珍しい方が続くものだと思って、つい。失礼しました」

「え? その人ってどんな……」


 店員さんは、背が高いだとか、黒縁眼鏡だとか、髪がだとかの特徴を教えてくれたのだけど、私は半分も聞いていなかった。クッキングプレートを見て、なんて言うのは一人しかいるわけないじゃないか。


「ありがとうございました」

「え? いえ」


 戸惑っている店員さんを置き去りにして、私は歩き出した。


 きっと、私は小関に連絡をするだろう。ひょっとしたら今夜にでも。


 そして私は、私たちは、たぶん何回も、炊飯器にいろいろな物を投げ込んではスイッチを押す事になるんだろう。その結果は、凄くおいしかったり、まずかったりするんだろう。ひょっとしたら捨ててしまう程に。


 でも、私たちはまたスイッチを押すのだろう。どんな物ができあがったとしても、蓋を開けるその時間は、きっと愛おしい物になるのだから。

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