第3話 悲劇は奇跡となった(後)

 日が昇って間もない早朝のことだった。フェマーの部屋にも眩しいほどの光が差し込み、白い床や壁をいっそう輝かせている。

 ほぼ身支度を終えたフェマーは椅子から立ち上がり、最後の仕上げとばかりにマントを紋章で留めた。これを身につけることを、多くの子どもたちは夢見るのだという。そして大抵は大人になると、現実を知って落胆する。悲しい成長だ。

「大人って残酷ですね」

 フェマーは独りごちると、壁に掛けられている小さな鏡へ一瞥をくれた。すると忽然と、戸を叩く音がした。大きな拳が立てる硬い響きだった。女のものではないだろう。

 彼は「はい」とだけ短く答える。ゆっくり開いた扉の先へ目を向けると、初老の男がたたずんでいた。灰色の髪を無造作に刈り込んだ背の低い男性だ。髪と同化するような鈍色の衣服に身を包んでいる。

 フェマーはマントを翻して扉へ向き直ると、静かに一礼した。男は部屋へ一歩入り、同じように頭を下げる。

「フェマー殿ですね」

「ええ、そうです」

 やや掠れた男の声に、フェマーは頷いてみせる。顔を上げた男は瞳をすがめ、後ろ手に扉を閉めた。フェマーは頬へと落ちてきた艶のある髪を耳にかけて、人好きのする笑みを浮かべる。そして躊躇う男の口元を見つめた。沈黙の中、向き合う二人の間に張り詰めた空気が漂う。

「何かご用ですか?」

「少し、お話がありまして」

 男は何かを気にしているのか、しきりに周囲へと視線を巡らせていた。フェマーは気のない声を漏らしながら、それに倣うように辺りを見回す。

 テーブルと椅子、小さな棚とベッド、鏡しかない簡素な部屋だ。とても大国の使者を通すような場所ではない。だが表現しがたい空気とも気配ともいうべき何かが、この部屋――いや、教会には満ち溢れている。

「何でしょう?」

「まずはお座りください」

 数歩近づいてきた初老の男は、用件を切り出す前に椅子を勧めた。「長くなるのですね」と笑ったフェマーは、素直に椅子に腰掛ける。華奢な見た目に反して座り心地はよい。ニーミナにはそういった物が多かった。マントを留める紋章に触れてから、フェマーは肘掛けに手を載せる。

「お話を聞く前に、あなたの名前を教えていただいてもよろしいでしょうか?」

「これは失礼致しました。ホランティオルと申します」

「それではホランティオル殿、お話とはどのようなものでしょうか?」

 フェマーは頭を傾けた。初老の男――ホランティオルはもう一度辺りへ視線を配ると、硬い表情のまま軽く相槌を打つ。

 フェマーはなんとなしに、この男がカーパルの傍にいたかどうかを思い出そうとした。カーパルの近くにいる男たちは、何故だか似た容姿の者が多い。いたような気もするが、全くの別人だったようにも思えた。

 フェマーが黙して待っていると、意を決したようにホランティオルは口を開いた。重々しい低い声が部屋の空気を揺らす。

「実はフェマー殿のお耳に入れたい情報がありまして」

「ほぅ」

「カーパル殿はおそらく、古代兵器を渡すような真似はしないでしょう。その実在を告げたとしても」

「おお、そんなことを堂々と口にしてしまってよろしいんですか?」

「かまいません。カーパル殿にはもうついていけません」

 ホランティオルは勢いよく首を横に振った。傍目にはやや演技的に映るだろう仕草を、フェマーは冷ややかな眼差しで見つめる。眉根を寄せたホランティオルはわずかに視線を下げた。目元の皺が深くなり、苦渋の色が増す。

「私は息子の記憶をも失っています。もうこれ以上、失いたくはありません」

「そうですか」

 唇をきつく引き結ぶホランティオルとは対照的に、フェマーは口角を上げた。そして肘掛けに頬杖をつくと「それで」と話を促す言葉を舌に乗せる。穏やかな声音ではあるが、一種の威圧感が滲み出ていた。ホランティオルは顔を上げ、眉尻を下げる。

「正直に言いまして、我々はあなた方の望むものを持っているのかどうかもわからないのです」

「私たちが欲しているのは、古代兵器、そしてその情報だと申し上げたはずですが?」

「動かせない物でもよいのですか? 我々のもとにあるのは、使えない兵器ばかりだ」

 本題に踏み込んだホランティオルへ向かって、フェマーは「と、言いますと?」と聞き返した。その鋭い響きにホランティオルの顔が曇る。だがすぐに気を取り直した様子で彼は再び口を開いた。

「ニーミナにあるものは動かせない戦艦、ごくまれに威力を発揮する武器くらいしかない。……本当に古代の物ですから」

 沈鬱な表情で告げるホランティオルに、フェマーは感嘆の声を漏らした。それから頬杖を解くと、細い顎に指先を当てる。垂れた焦茶色の瞳がやおら細められた。唇を引き結んでいるホランティオルへと、フェマーは穏やかな口調で問いかける。

「本当に古代の物……それはつまり、第一期の物ということですよね? 時折は動かせるのですか?」

「ごくまれに、です。それも限られた者にしか使えない」

 少しずつ切り込んでいくフェマーを見やり、ホランティオルは大仰に首を横に振った。今まさにこの世の終わりだとでも言わんばかりの表情を浮かべ、ついで苦々しいため息を吐く。

 一方、フェマーの表情は明るい。窓から差し込む白んだ光に照らされ、その瞳は輝いている。フェマーは口の端を上げると軽やかに尋ねた。

「それは誰なんですか?」

 そこに威圧的な響きはなかったが、重々しい静寂が一瞬で室内に満ちた。床の一点を睨みつけたホランティオルはしばし迷うように歯噛みする。それでも何も言わずにフェマーは待った。窓の外から、風に揺られた枝の奏でる甲高い悲鳴が聞こえてくる。

「四人いました。しかしそのうち二人は、実験中に亡くなりました」

 ホランティオルは言葉を絞り出した。背もたれから背中を離し、フェマーは「四人」と小さく唱える。それに応えたつもりなのか、それとも自身の中で何かを納得させているのか、ホランティオルは機械的に数度首を縦に振った。

「三人目はカーパル様の姪、ウルナ嬢です。最後の一人はスケイという少女ですが、まだ十歳です」

「あー、あのウルナさんがその一人なんですか。だからなんですか。さすがに、十歳の少女を使うわけにもいきませんよね」

「ウルナ嬢とは、もう会われたのですか?」

「ええ、少しだけ」

 問われたフェマーは微笑んだ。そして肘掛けに再び頬杖をつき、頭を傾ける。ホランティオルは複雑そうに眉根を寄せ、安堵の吐息にも似たため息を漏らす。それから辺りに視線を彷徨わせて肩をすくめた。

「そうでしたか。それで、まさか、フェマー殿はウルナ嬢を……?」

「動かすためには、それしか方法はないのでしょう? 仕方ないじゃないですか。他の星に支配されてはどうしようもありません。大体、今まで目をつけられていなかったのが不思議だったのですよ。まあ、こんな星を奪ったところで利は少ないでしょうけどね」

 フェマーの投げやりな言葉に、ホランティオルはさらに顔をしかめる。しかし反論はしなかった。

 資源も底を突きかけているこの星が、他の星にとって魅力的に映るかと問われたら、誰もが否と答えることだろう。技術もない。知識もない。せいぜい土地がある程度だ。その土地さえ、毒されている部分も多い。まさに死にかけの星だった。それはフェマーはもちろんのこと、ホランティオルも理解している。

「それで、そのごくまれにというのは、何か条件でもあるのですか?」

 さりげない口調で、フェマーは最も気になったことを尋ねた。力無くうなだれかけていたホランティオルは、弾かれたように顔を上げる。床を見つめていた双眸が、おもむろにフェマーへと向けられた。疑心と期待の入り交じったホランティオルの眼差しを、フェマーは真正面から受け止める。

「何かわかっているのですか?」

「条件……今のところ我々が把握しているのは、心が強く揺さぶられた時ということくらいです」

「――心」

「怒りや恨み、悲しみが力を引き出す鍵となることが多いようです。それを決定的なものとして位置づけたのがカーパル様でした。あの時、悲劇は奇跡となった。条件について一番よく知っているのはカーパル様なのです。ですから我々は、なかなかカーパル様を止められない……」

 ホランティオルはきつく眉根を寄せた。フェマーは瞳をすがめると、自らの薄い唇を指先でなぞる。

 もう一度、ホランティオルは探るように周囲を見回した。フェマーもまたつられて辺りを見やる。誰もいないはずなのに、得も言われぬ気配が常に漂っているから、この教会は不思議だ。どことなく落ち着かない空気を払拭したくて、フェマーはわざとらしく苦笑する。

「なるほど。わかりやすいようでわかりにくい。それはまた曖昧な条件ですね」

「だから難渋しているのです」

「そうですか。では、そのカーパル殿の事件について、もう少し詳しく聞かせていただけませんか?」

 拭いきれぬ違和感を葬り去りたくて、フェマーは軽い調子で尋ねる。ほんの少し躊躇したホランティオルは、一度固く瞳を閉じてから口を開いた。彼が両腕を抱え込むと、鈍色の上着が衣擦れの音を立てる。

「あれは……何年前のことでしょう、カーパル様が今のウルナ嬢よりもまだ若かった時のことです。当時、我々の間で古代研究について意見が割れていまして。一触即発状態でした」

 目を開けたホランティオルは、即座に天井を見上げた。ねめつけていると言ってもいいくらいの眼光だった。フェマーは「きっと美しい少女だったのでしょうね」などと本筋とは関係ないことを口にし、相槌を打つ。それを聞いているのか聞いていないのか、ホランティオルは一定の調子で首を縦に振った。

「紛糾した話し合いの最後の議論は、カーパル様の処遇についてでした。彼女の家系は代々『力』と相性がよいことがわかっていまして。その中でもカーパル様は特別で、十代半ばからその片鱗を見せていました。そのため、今を逃してはなるまいとする一派と、家系を維持することに重きを置く一派が、互いに譲りませんでした」

 ホランティオルの話に「なるほど」とフェマーは頷く。古代兵器を動かせる者が限られるのならば、どちらの主張も理解できた。可能性に賭けるか、慎重に行くか。どちらを選んでも得られるもの、失うものがある。

「事件が起きたのは、ある冬のことです。カーパル様が遺産の一つである短剣の力をどうにか引き出そうとしていた時、強行派が動き出したのです。彼らはカーパル様を無理やり連れ去ろうとしていました。そのために第三期の遺産を持ち出していました。ですがその遺産が、突然暴走したのです」

 その時のことを思い出したのか、何かを振り払うようにホランティオルは激しく頭を振った。短い灰色の髪が揺れる。

 フェマーは「暴走」と呟いた。遺産を扱う上で避けることのできない事態だ。どの国の誰もが、それを最も恐れている。

「遺産から乱射された弾に何人もの人間が殺されました。強行派の人間も巻き込まれました。その場にいる人間全てが死に絶えるまで、遺産は暴走し続けるものと思われました。ですがカーパル様は、そこで短剣の力を引き出したのです。剣は全ての攻撃から人々を守る膜――結界を生み出しました。弾のほとんどが尽きるまで、カーパル様は堪えました。あれだけでも十分な奇跡でした。ええ、十分だったのです」

 天井を睨みつけていたホランティオルは、今度は脱力して顔を伏せる。そして組んでいた腕を解いた。

 それからしばらくは、部屋の中を沈黙が満たした。口にするのさえおぞましいとでもいうのか、ホランティオルは何度か言いよどむ。だがフェマーは無理に先を促そうとはせず、辛抱強く待った。どれくらいそうしていただろうか? ようやくホランティオルは顔を上げ、フェマーを見やる。

「事件は、そこでは終わりませんでした。カーパル様が力尽き膜が消えた時、最後の数発が彼女目掛けて放たれました。それを傍にいた彼女の恋人が庇って被弾しました。即死でした。無残な姿で倒れ伏した恋人に気づいてカーパル様が絶叫し――そして奇跡が起きたんです」

「奇跡?」

 ホランティオルの声に力がこもった。突然飛び出してきた曖昧な表現に、フェマーは首を捻る。先ほど口にされた「奇跡」とは明らかに響きが違った。そこには確かに、畏怖が滲んでいた。頷いたホランティオルは、言葉を選んでいるのか慎重に口に開く。

「あれを、我々は女神の嘆きとも呼んでいます。カーパル様の悲しみと世界が共鳴したかのようでした。この国そのものが泣いているようでした。それは、まさに、書物に記されているものと同じ現象でした。力は世界をも震わす。世界をも揺るがす」

「――ほう」

「あの現象は、体験した者にしか表現できません。いえ、それでも足りません。世界そのものに影響を与える力というものを、あの日我々は感じ取りました。その件を含め、我々は一連の出来事を奇跡と呼んでいます」

 伝えたいことは全て説明したと言わんげに、ホランティオルは大きく息を吐いた。それはすぐさま冷たい部屋の空気に溶け込む。

 フェマーはホランティオルの言葉を口の中で小さく唱えて、破顔した。今、人々が欲しているのは、そういった奇跡だ。そんな彼の様子をホランティオルは怪訝そうに見つめ、首を傾げる。

「フェマー殿? あの……これくらいでよろしいでしょうか?」

「ええ。理解し切れているかどうかはわかりませんが、希望が全くないわけではないことがわかりました。今はそれで十分です」

 フェマーは意味ありげに相槌を打つと、くすりと笑い声を漏らす。そして大切な紋章をそっと指先で撫でた。ホランティオルは息を呑み、ついで口をつぐむ。

 対照的な二人は互いに動くことなく。外を吹き荒れる風の呻きが、重々しい静寂を強調した。それでも部屋に満ちる何かは消え去りはしなかった。

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