22.「一番醜いのは誰」

 その日は、公原支店長と加藤課長が残って対応に当たるからと、他の行員は定時で帰された。


 僕は帰りの江ノ電の車内で、八坂先輩と飲んだ日のことを思い起こしていた。そして別れ際に僕が八坂先輩の背中を見送りながら思ったことが、ドス黒い色を纏って蘇ってきたんだ。


 あんなふうには、なるんじゃないぞ、てつや——。

 そんな風なことを確かに僕は思ったんだ、あの時。


 それなのに、今日はあんな風に八坂先輩の側に立って、格好つけたことをしている自分っていったいなに?って感じで、どうにもこうにも、許せなくなって思考も息も止めたくなったんだ。

 加藤課長の吐いた言葉は確かに汚く酷いもんだったけど、それは言葉にして八坂さんという人間に直接ぶつけられたもんだったけど、僕の心の中で呟いたアレは、僕にしか知らないだろうし、もちろん八坂先輩だって僕にそんな風に見られてるなんて少なくともあの時は思わなかったろう。


 そう思いだすと、僕は自分が加藤課長以下の酷くセコイ人間にように思えてきて、誰だっていいから、そんなことないよ、みんなそんな風に思っていても、口に出して言わないのは、みんな同じだよ——って言って慰めて欲しくなった。


 僕は、一刻も早くモモコの顔が見たくて、モモコの声が聞きたくて、アパートへの道をいつもの倍のスピードで歩いた。

 ドアの前に立ってみると部屋には明かりは点いてなかった。

 僕は、薄暗い玄関の三和土でへたりこんでしまった。そのまま項垂れて、陽が落ちて真っ暗になっても、そのまま動けずそこにいた。

 それからどれくらい時間が過ぎたのかもわからない。ただ、ドアが開いて、目の前にモモコが立ってて……


 ——どうしたのッ テツヤ?


 僕は、明かりに照らされたモモコの顔を見ると、そのままモモコの腰にしがみつくようにして、慟哭した。

 モモコはわけも聞かずしばら僕のしたいようにさせてくれた。二人して、一平米もない三和土で黙って抱き合ってた———。



 ——そっか……そういうこと、あったんだ


 僕が少し落ち着いた頃合いに、モモコは僕からことの次第を聞いて、改めてまた僕の頭を抱えて胸のあたりに引き寄せて、強く抱きしめてくれたんだ。


 ——情けないだろ? オレ、ほんと……情けないよなっ……


 僕は、ぐちゃぐちゃの顔でモモコにすがるように訊いた。それはきっと、そんなことないよ、大丈夫っ——みたいな優しい言葉が欲しかったんだと思う。


 ——ん、情けないゾ、テツヤ。そんなでこれから先もっとキツイことあるかもしれんのに、乗り切れんのかよッ! しっかりしなよッ! みっともないぞッ!!


 モモコは父親が小学生の息子を叱るみたいに、僕を突き放した。

モモコは目にいっぱい涙を溜めていたけど、必死でそれを落とすまいとし、僕の背中を拳を作ってでゴツン、ゴツンって叩いてくるんだ。


——テツヤ、頑張れよッ、負けるなよーッ 頼むよーッ!!


 モモコの拳が背中に響く度に、僕の中に棲む醜いものが追い払われていくようで、僕の折れかけた心は少しずつ色を取り戻していったんだ。

 もし、モモコが、そんなことないよ、大丈夫——とか、そんな甘い言葉で僕を慰めていたなら、一時はそれで誤魔化せても、きっと僕の心の奥底に巣食う醜いものはまたどこかで顔を出すに違いなかったと思う。


 情けないけど——、僕はモモコに救われた気がした。

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