現実に絶望を見る

 あれから三日・・・。

 何度カイル様に抱かれても数日後に控えた婚約発表パーティへの憂鬱は消えず、寧ろ肥大化していくばかり。朝になってカイル様が公務で出かけている日には外されている拘束具と手首に残る痕を見て、深いため息を吐く日々が続く。時計を見ると、あと五分くらいでミシェルが起こしに来るだろう。またあれこれうるさく言われるのも面倒だから、着替えは済ませてしまおうとクローゼットを開けた。


「・・・え?」


 クローゼットを開けてすぐ異変に気付く。私の服が・・・ない。代わりに仕舞われていたのは一度も着たことのない洋服ばかり。・・・嫌な予感がする。このクローゼットの隅に仕舞っておいたローブは何処?


「・・・失礼します。・・・あら、お嬢様!起きていましたのね」

「ミシェル・・・」

「はい、何でしょうか」

「ここに仕舞っておいた黒いローブ・・・知らない?」


 そう言った瞬間、ミシェルの顔が強張った。嫌な予感が膨れ上がる。


「ねぇ!知らない!?」

「・・・」

「あのローブ、すごく大切なものなの!・・・ねぇ!ミシェル!」

「っ!申し訳ございません!」

「・・・ミシェル?」

「あの黒いローブは・・・破棄いたしました。カイル王子の命令で」

「・・・!?」


 何となく、二割くらいはミシェルがやったのではないかとは思っていたけれど、こうも簡単に白状されては、私も逆にどうしたらいいのかわからない。蚊の鳴くような声で「どうして・・・?」と絞り出すのがやっとだった。


「他のお洋服も・・・明るい色の服は町の男性を誘惑するからと、破棄しろと命じられました。あのローブは・・・お嬢様が男性用のお洋服を持っているのが不快だと・・・それで・・・」

「・・・」

「良くないことだとは存じておりました!けれど!私にとってカイル王子の命令は絶対でございます!」


 ・・・。

 頭の中が真っ白になった。あのローブは十年前にあのマジシャンの魔族からもらった物だった。十年前、お金も親も家も無かった時、花屋から薔薇を盗んでそれを売っていた時の話だ。寒いだろうと私の肩に自分のローブを被せてくれたのだ。そう、私の初恋の人との唯一の繋がりだったあのローブが・・・ミシェルに捨てられていたと。

 いきなりの事過ぎて、脳みそが処理をしてくれない。そりゃあ二割くらいは察していたとしても、心のどこかでは「まさかそんなはずはない」と否定していたからこんなにダメージが大きいのだと思う。今はもうなんて言葉をミシェルにぶつけるべきなのか、咄嗟には出てこなかった。ミシェルも必死に言葉を探しているようだけど、カイル様の命の元と開き直られてしまったら・・・ふつふつと沸上がる憤りが壊れかけの川のように少し、また少し・・・そしてそれは徐々に量を増して怒声となって喉から出てくる。


「・・・何よ。カイル様の命令だったら妃になる女の私物も処分するというの?普通いけないことだってわかっていたら注意するものじゃないの?」

「私はカイル王子のお世話係であり、教育者ではありません。・・・もし教育を任されていたとしても、あの方に指示できるのは王様と御后様だけでございます」


 ・・・。それをその王子の妃になる女に言う?そんな風に言われたらもう完全にいいわけや開き直りじゃない。・・・こんな女に私の大切なものが捨てられたの?こんな、カイル様のことしか頭にない木偶人形に・・・。


「・・・そう。カイル様の命令が全てなのね」

「・・・はい。左様でございます」

「だから、私のこの手首の痕も見てみぬふりをしていたの・・・私が苦しんでいた時も王子の愛し方はこうなんだと!・・・もし私がカイル様に首を絞められて死んだとしても、あなたはそれでいいと思っていたのね!」

「っ!そ、そこまでは!」

「もういい!そんなことを思っている使用人がいる城なんか居たくない!」

「待ってくださいお嬢様!」

「嫌!離して!」

「お願いです!行かないで下さい!・・・あなたに居なくなられては困るのです!カイル王子が・・・!」

「カイル王子カイル王子って!そんなに彼が好きならあなたが傍に居てあげればいいでしょう!?」

「あなたじゃなきゃ駄目なんです!・・・カイル王子の愛はどれだけ歪んでいようとそれは本物の愛なんです!あの方の愛情はあなたの為だけにある!あなたじゃないとカイル王子は幸せになれません!」

「・・・そんなこと言ったら私が機嫌を直すとでも?・・・どこまで私を縛れば気が済むの!?・・・こんなことになるなら、十年前のここのパーティなんて忍び込むんじゃなかった!」

「エマお嬢様・・・そんなこと・・・」

「私の自由を奪う人なんか・・・好きになれるわけないでしょ?それが王子でもあなたでも・・・」

「・・・」


 ミシェルの私の腕をつかむ力が緩んだ。その隙にするりと抜けだし、城を飛び出した。後ろは振りかえらなかった。もし追われていたらと考えると怖かった反面、追われていなかったことに所詮私はその程度の存在だったのかという悲しみとも諦めともとれるよくわからない感情を抱きつつ、ただ自分のあるだけの体力を走ることに費やした。味方ではなかったけれど家族のように接していた人、それがミシェルだったけれど、最初からあの人の中にはカイル様しか居なかったのだ。彼女にとっては私はあくまでついでで、それがとても虚しかった。この十年間、彼女と過ごした日々は何だったのか・・・仲間意識なんかなくたって十年も一緒にいればどんなに小さくても情は湧く。


 気がついたら私は、中央公園近くの路地裏をとぼとぼ歩いていた。私にとっての思い出の場所だ。十年前に薔薇を売っていた時の思い出・・・。そこであの人と・・・マジシャンと出会った思い出の場所。今はもう手元にないローブを思い出すと、この思い出の景色を見ても涙が溢れるばかり。・・・会いたい。また昔みたいに突然姿を現してはくれないだろうか。そもそもまだソニアにいるのだろうか。


「っ・・・ひっく・・・ぐすっ・・・」


 涙が止まらなくなって、真っ暗な路地裏の真ん中にぺたりと座り込んでは泣きつづけた。もう嫌・・・ミシェルもカイル様も嫌い。私を玩具としか、物としか見てくれない二人なんて大嫌い。

 それに、私にはこういう場所がお似合いなんだ。王族の城は綺麗すぎた。無理に背伸びして、着飾って・・・そんなことで慣れない場所が居場所になるわけないのだ。やっぱり私には狭くて薄暗くて、丁度こういった路地裏のような・・・そんな場所の方が落ち着く。

 なんだか眠くなってきた。最近特に夜は寝かせてくれないからだろうか、睡眠不足のツケが今になって表れたようだ。このまま寝てしまおうかと、薄汚い壁に寄り掛かる。・・・すると、私の膝に何か物が置かれる感覚に、パッと目を開いてしまった。するとそこには・・・。


「よ。んなとこで寝てんな。またレイプ魔に襲われても知らねぇぞ」

「っ!?」


 前に私を強姦集団から助けてくれたあの淫魔がそこにいた。彼はよっこいしょと私の隣に座る。・・・今日は前より落ち着いているようだ。目も泳いでいない。


「散歩してたらここから誰かの腹の音が聞こえてよ・・・煩ぇなって思ってたらお前だったのか」

「えっ!や、やだ・・・そんな」

「ははっ。煩ぇのは嘘だけど。ほれ、食えよ」


 そう顎で指されたのは私の膝にいつの間にか乗っていたサンドイッチ。


「で、でもこれ・・・あなたの朝ご飯なんじゃ?」

「ん?まぁ美味そうだったから買ったんだけど、どうせ魔族の俺がそんなもん食っても腹は満たされねぇし、やるよ」

「じ、じゃあ!はんぶんこ・・・しましょ!」

「・・・あ、あぁ。さんきゅ」


 生ハムとチーズ、そしてトマトが挟まった美味しそうなサンドイッチを二人で頬張る。その間も私は目の前の彼をじっと見つめていた。

 とても綺麗な赤い目だ。顔もすごく整っていて、髪も肩まであるけれどもっと伸ばしたら女性と間違えそうなくらいに美しい。ただ、どこもかしこも細くて不健康そうだなとも思った。この前私を力ずくで押し倒しただけの力がある身体には見えない。いくら私が小さいとしても、だ。


「・・・何だよ」

「えっ!?」

「そんなに見てんなよ。穴あくだろうが。身体に」

「あぁっ!ご、ごめんなさい!」

「珍しいか?俺みたいな生き物が」

「いえ・・・十年前にあなたに似た魔族を見ていますから、珍しいからと見ていたわけでは・・・」

「そっか。そうだったっけ」

「はい」


 沈黙が続く・・・。


「・・・チェスター=ガーランド」

「え?」

「お前が出会った魔族の名前だよ。俺の親父だ」

「えっ!?・・・うそ!」

「嘘じゃねぇよ。この間は流石に唐突過ぎて咄嗟に隠しちまったけど・・・お前の手に親父の魔力が残っていたのを後から思い出してな。親父と握手かなんかしたのか?」

「マジックを見せてくれるって言って・・・手を握った」

「それか。ったく・・・女なら何でもいいのかよ。あのロリコンオヤジ」


 なんだか・・・あまりあの人を好きじゃなさそう?明らかにウザったそうに話す目の前の淫魔に私は何故だか委縮した。


「で、でも!あの人のおかげで私はあの日飢え死にせずに済んだんです!」

「あっそう・・・。そりゃあよかったねぇ」

「あ、あなたはあの人が・・・チェスターさんがどこにいるかご存知ですか?」

「・・・あぁ。まぁな。・・・知りたいのか?」

「っ・・・!はい!」


 その時私は初めて顔を上げて彼を見た。あの人の居場所がわかると思うと胸いっぱいになって、早く言葉の続きを聞きたいと思ったからだ。城を抜け出してよかった。これで私はあの人に会える!そう思いながら彼の赤い目を見つめた。

 すると目の前の彼はニヤリと口角を上げた。・・・それから三秒間くらい、時間が止まったような気がした。なぜなら・・・。


「死んだよ」


 次に発せられた彼の言葉は、私の思考を止めるには十分すぎたから。


「え?」

「だから・・・死んだよ。十年前に」

「う・・・うそ」

「嘘だと思うんなら、ずっとここで待ってれば?お前がババアになっても、来やしねぇよ」


 ・・・どうして。


「どうして・・・そんな言い方をするんですか・・・?あなたは私を助けてくれたいい人なのに」


 いまだに頭が回らない私は、今咄嗟に思ったことを口に出すだけで精一杯になった。


「お前を助けたいい人?お前何言ってんの?お前を助けた事実と俺が本当の事を話すことになにか関連性でもあるのか?」

「・・・」

「死んだ奴をいつまでも思っていたって会えやしねぇのは人間も魔族も一緒だろうが。俺はお前が好きだった魔族と違って現実主義でな。・・・知らなきゃよかったんなら最初から聞くなよ。お花畑のお嬢ちゃんよ」

「なっ・・・!」

「それに俺はお前を助けた覚えはねぇんだよ。大体あのレイプ魔集団は俺とグルだしな」

「えっ!?どういう・・・ことなの?」

「あいつらは確かに街を脅かすレイプ魔だ。でもそれは俺の指示の元。俺があいつらから女を助けるふりをして油断したところを喰うんだよ。んで、用済みになった女の身体をあいつらが慰みに使ってる。レイプ魔も蓋を開けりゃあただの変態だよな。死体同然の女をダッチワイフにしてんだからよ」


 ・・・。

 目の前が真っ暗になった。私が十年間想いを寄せていたあの人・・・チェスターさんはもう亡くなっていた。息子である目の前の彼は私の反応を楽しむようににやにやしながら明かした。・・・あんまりだ。その事実も、あの言い方も・・・あんまりだ。

 それに、彼はレイプ魔?あの男の人たちと繋がっている?じゃあなぜあの時私を襲わなかったのだろうか・・・なんて、もうどうでもいい。そんなことを知ってももう何もならない。

 あの人とはもう会えない。そのたった一言で、私はもう絶望の果てだった。


「へぇ・・・お前笑った顔より歪んだ顔の方がずいぶん色気も増して良いぜ?・・・興奮してきた」


 そう言って私を組み敷く目の前の魔族ももうどうでもいい。食べたければ食べればいい。魔族は確か寿命という概念が無かった気がするから長く生きる生き物にとって、たった十九年しか生きていない私の身体は美味しくないかもしれないけど・・・。


「・・・」


 自暴自棄なことを沢山考えていたら、私はある違和感に気付いた。目の前の彼は、私の身体を貪ろうと口を開けたのだろう。しかし、その動きのまま止まった。私は組み敷かれたまま彼を見ようと視線を下にやると、丁度上目遣いで私を見る彼とばちっと目が合った。彼は驚いたような、よくわからない顔をしていた。


「・・・なにこれ」

「え?・・・あっ!やめて!」


 乱暴に胸元をはだけさせられる。抵抗する時間を与えてはくれなかった。それは、力で押しつけられていたからというわけではなく、彼の表情がどんどん驚愕に歪んでいったから。

 胸が露になってやっと彼の表情の意味に気付いた。毎晩カイル様に抱かれた痕、それは普通の人間が施すよりも異常に多く、濃いものであったことに彼は狂気すら感じ取ったのだろう。心なしか、怯えているようにも窺える。

 すると、「お前・・・誰かに虐待されているのか?」と震える声で問いかけてきた。虐待・・・あの行為の痕を第三者から見たら愛情とはとれないらしい。それもそうかもしれない。だって、普通の人なら愛している異性の身体に縄や鎖の痕、引っ掻き傷、果ては殴打したような痣まで付けない。

 労わってくれているのだろうか、気がついたらまるで壊れ物を扱うように彼の手つきが優しいものに変わり、私の身体に残る痛々しい傷や痣を撫でていた。・・・けれど、そんな優しさは要らない。ましてや私を絶望に追いやった魔族からの同情なんか、要らない。

 私は力が出ない腕で、力いっぱい彼を突き飛ばし、乱れた服を直した。


「ぁっ!・・・わ、わりぃ」

「用はそれだけ?あの人が死んだって伝えて気は済んだ?なら、さよなら」

「あ、待て!」


 あなたの声ももう聞きたくない。この場所には私が安らげる場所はもうないのだろうか。既に棒になっている足をそれでも必死に動かしながら、そう思っていた。

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鳥籠に咲く薔薇 氷山アヤ @ayanest

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