2 スタートちてん

 VRMMORPG、従来のネットゲームに存在したMMORPGがさらに進歩した形態と謳われる、この手のゲームシステムはバーチャルリアリティ技術の応用で実現したものだった。人類が仮想空間に第二の実体を持つ事を可能とするこの科学技術は、今や社会機構の隅々にまで拡充している。経済市場のみでなく、医療、教育の場にまで広く実用化された技術であり、ゲームへの転用は後発でさえあった。

 バーチャルネットゲームはまだまだ黎明期にあり、ハード機材は目が飛び出るほどに高額だ。一般の社会人ですらローンで買う代物だが、じわじわと人気は高まっている。四、五年もすれば生産コストを下げた廉価品が出回るだろう。それまでに。

 冬夜には計画があった。恐らく、学校の友人たちの誰よりも抜きん出たはずだ。機材は高価で、そう簡単に入手出来る代物ではない。学生には到底手が届くはずもない。冬夜の学校は上流家庭の子弟が多く、彼の家も御多聞に漏れず金持ちだ。クラスメートの中にも、スタートダッシュを決められる者は少ないに違いない。

 ネットゲームというものは、少数で独占している間がもっとも成長率が高いものだというセオリーがある。大量の新人が参入してくる頃には、冬夜は一握りの上位プレイヤーに食い込んでいる予定だ。


「せっせとアルバイトして、勉強にも力を入れてきた成果だな。」

 自己満足に胸を張る。親を騙した罪悪感はなかった。


 ゲームのオープニングを終了したら、次はいよいよチュートリアル・クエストだ。まずは村へ出なくてはいけない、冬夜は滝の音を背後に歩き出した。

 轟音はプログラムで調節されており、実際の規模に反して耳を塞ぐほどのものではない。意識を向けなければBGMに間違うほどだ。冬夜の向いた先、草原の向こうにはごつごつとした岩棚があり、素朴な木の階段が斜面に連なっている。岩場の向こうはまだ見えなかった。

 階段を登る。自然の地形を生かした段差は不揃いで、いかにもな手作り感に溢れていた。世界観の造り込みに感心しながら、柔らかな土の感触を楽しんだ。コンクリートに埋め尽くされたリアルでは味わえない感覚だ。階段は下りになり、眼下に違う風景が見えてくる。

 岩だらけの土地には、欧州辺りの白亜の壁をもつ家々と赤や橙の屋根が見える。イタリアの観光地のような白い路面が陽を照り返して輝いていた。岩礁に張りつくように展開する村は外国のポートレートの風景に似ている。村の入り口付近には『声』の説明にあったNPCが座り込み、人待ち顔で遠くを見ている。村人の服装はプレイヤーの初期服と同じで色が違う。ハンスの服はベージュと茶色の組み合わせだ。冬夜が近付くと、嬉しそうに振り返り、「お、新入りか。」自動的に喋りはじめた。


 人懐こい笑みを浮かべて、NPCのハンスは冬夜を見上げた。

「ここをまっすぐ行けば村に出る。慌てて村から出るんじゃないぞ。最近はそそっかしいのが多いんだが、まずはじっくり村を歩いてみてくれよ。」

 そう言って、また勝手に手を振って追い立てた。風景の造り込みは凝っているが、人物たちは無難に作られているらしい。冬夜の姿など最初から見えていなかったかのように、NPCは遠くを見ている。冬夜も会話を聞き流して先に進むしかなさそうだった。ここは作り物の世界で、振り向いた冬夜の視線は二度とハンスと絡むことはない。


 岩の間の小路を進んで行くとイタリア風の街角へ出る。谷川に掛かる吊り橋を渡ると小さな広場があり、周囲の家々は遠慮するように縁石に添って並んでいる。陽光に白く光って見える坂の街は、地中海沿岸の村々に似て素朴な造りになっている。観光地に来たような錯覚を覚えた。

 向かって正面には辺りよりも一回り大きな建物がある。ギルド受付所で、その玄関先には大きな姿見の鏡が設置されている。誰も考えることは同じだ。この新しい身体の、ちゃんと起きている姿も見てみたい。先客が数名居る中へ、冬夜も紛れ込んだ。

 青い目をした外人が目に飛び込んだ。鏡の中の青年は、本来の冬夜の顔より二割増程度には大人びていた。右手で顎を支え、じっくりとこちらでの顔を堪能する。ふと気付けば、集まっていた連中はすでに居なくなって冬夜一人が取り残されている。声をかける予定だったのに、出鼻を挫かれた格好だ。他のタイトルと違い、ウィルスナは妙に人の冷たいところがある。

 不機嫌な顔をして、冬夜は受付所から離れた。ここは、仲間と共にギルドを作ったという連中にしか用がない場所だ。まずは村長の家へ向かい、初心者用のチュートリアル・クエストを受けるのが通常のコースだった。


 最初のうちは、ソロで遊べる類のイベントやクエストが沢山ある。徐々に世界に慣れ、知り合いも増えてくれば、パーティで受けることが前提の難易度の高いクエストも受注できるようになる。

 降り立ったばかりの初心者は、村長に話しかけることでようやく『駆け出しの冒険者』という最初の肩書きと、準備金という名目の資金を手に入れることが出来た。資金をどう使うかはプレイヤーの意思に任されている。普通は衣装を替え装備を充実させるものだが、冬夜には別の考えがあった。


 他のプレイヤーを襲って、奪う。

 だから、装備を買って準備するつもりなど毛頭なかった。


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