第四章 対峙 一

第四章 対峙



「…………」

「…………」

 今日は土曜日。学校は休みだ。

 昨日の夜、あの後『俺からいろいろと相談したい事がある。月城さんのこととか、色々と、なるべく早めに』『じゃあ明日私の家で』というやりとりがあり、そんなわけで俺は今、響子の部屋にいる。

 時刻は午前十時。

 ちなみに、今の響子の格好は、短パンにTシャツというこの上なくラフな服装だ。まさか寝間着のままなんて事は、流石にないよな。

 それにしても、ここに来るのは小学生の時以来だろうか。当たり前だけど、そのころとは机の位置とか本棚の中身とか、随分と様子が変わっている。

 大げさにならない程度に部屋の中を見渡しながら、とりあえず床に腰掛ける。響子も無言のまま床に腰掛け対峙する。

 さて、どこからどう話すべきか、そんなことを考えながら視線を合わせては反らすこと数回。そんな若干気まずい沈黙を最初に破ったのは、響子の方だった。

「明、私から一つ頼みがあるんだけど」

「何だ?」

「昨日のことを忘れてほしいだ」

「どういう意味だ?」

「まず、私と明は友達同士だ。明は私が人狼だって事を知っている。明は私の味方で、私は明の味方だ」

「ふむ」

 この辺りは俺の発言についてのような気がしたので少々むず痒い。まあ、面と向かって響子からそれを言ってもらえたことは、正直に言って嬉しかった。

「だから私は明のことを屋上に呼びつけて、妙なことを言ったりしていない」

「おう」

「だ、だから明は、き、昨日屋上で、何も見ていない。見てないんだ。別に私は唐突に服を脱ぎだしたりとかしてないから、だから忘れろ、オッケー?」

 ……ああ、なるほど。

 割と暗かった上に、あの時の俺の心はほとんど恐怖に支配されていたが、それでも確かに覚えている。思春期の男子を侮るなよ。恥ずかしいから無かったことにしてほしいという、響子の気持ちは分かる、だけど。

「……すまん、無理だ」

「……やっぱ無理?」

「うん、無理」

 無理な物は無理だ。何となく申し訳ないような気がするけど、こればっかりは仕方のないことだ。多分、この記憶は墓場まで持って行くだろう。

「私にだって羞恥心という物があるんだよ? 女の子なんだよ? 基本的には平凡な女子高生なんだよ?」

 僅かに目を潤ませながら、上目遣いで懇願するように言う響子だが、そんなことをされても困る。それに、多分七割くらいは演技だ。基本的にという言い回しが若干の自虐を帯びていたが、そんなことはこの場合関係がない。それはそれ、これはこれ。

「すまない響子、俺だって男の子だ。間違いなく平凡な男子高校生だ」

「うわー、う―」

 響子は床に倒れ、頭を抱え、ゴロゴロと左右に転がる。斬新なリアクションどうもありがとう。でもそれは、あんまり人前でやらない方がいいぞ。

「……まあ、その、一応謝っておく。ごめん」

「いや、確かに、明が悪い訳じゃないんだけどさ……。まあ、いっか、明だし」

 なんか前にも同じ事を言われた気がするけど、うん。やっぱり地味に傷付くな、それ。

「あーチクショウ、このラッキースケベめ。何なんだよもう、明のバカ、コレで何回目だよ」

 バカとか言われても困る。全般的に俺は悪くない。ラッキースケベについては否定しない。

「最初は旧地下鉄でか? そういえば、あの時は助けてくれてありがとう。響子が来てくれなかったらかなりヤバいことになってた」

 そう、あの時はかなり危なかった。響子が助けに来てくれなかったら、俺は今頃、あの屍喰鬼たちに殺され、喰われていたかもしれないのだから。いや、今になって冷静に考えてみたら、マジでヤバかったんだな。

「いいよ、お礼なんて。でもまあ、明も迂闊すぎるとは思うけど。あと、人狼状態はノーカウント」

「そういうものなのか?」

「あの状態になるとね、羞恥心とか割とどうでもよくなるんだ。思考が戦闘用になると言うか、もちろん昨日明が教えてくれたとおり、ちゃんと理性は働いて制御は出来ているみたいなんだけどね。それでもやっぱり『人間的』じゃなくなる部分があることは確かだよ」

 まあ、そうだよな。どんな言葉を重ねようと、人狼状態の響子が人間じゃない、超常の存在だということに変わりはない。

「……それにさ、明」

「ん?」

「明はあれを見て人間の、女の子の裸と認識できるわけ?」

「いや、別に」

 全然、全く。性別を女と認識していても、人間とは認識していない。俺にはそこまでアブノーマルな趣味はない。

「そう、ザックリとした返答どうもありがとう。少し安心したけど、若干悲しいかな」

「それは兎も角、そろそろ本題に入っていいか?」

 雑に流すのも申し訳ないが、俺からも色々と話しておかなきゃいけないことがある。響子の命に関わることが。

「ん? ああ、月城さんの正体が吸血鬼だとか、そういう感じの話?」

「気が付いていたのか」

 不思議じゃない。そもそも月城さんの場合、吸血鬼化しているときに姿が劇的に変化するわけでもないのだ。

「まあ、確証はなかったんだけどさ……。そっか、本当にそうだったんだ」

 響子は少しだけ残念そうに言った。

 それから、俺は響子に話した。最初に廃工場で月城さんを目撃したあの日から、朧との接触、そして月城さんについて。俺の置かれている状況や朧の目的について、知っていることを全て話した。


×××


「……そっか」

 俺の話が終わると、響子はため息と一緒に言った。

「何か隠してるな、とは思っていたけどさ。そっか、明も色々あったんだね」

 何か隠してることはバレていたらしい。

「朧は間違いなくお前の命を狙っている。理由は全く分からないけど、俺がどう説得しても響子へと月城さんを差し向ける。それだけは確実だ」

「救済者と名乗る、どう見ても怪しい格好の違法薬物バイヤーで、何故か私たちみたいな存在について詳しい。そして私、というか獣化能力者という存在に対して並々ならぬ殺意を抱いている。挙げ句、命令に対して忠実な吸血鬼少女が配下、か」

「改めて第三者の口から聞くと訳の分からん奴だな。何で自分がそんな奴の言葉を信じていたのか分からなくなる」

 孤立した状況の人間は差し伸べられた手を握り、それにすがるしかない。言い訳じみているかもしれないが、あの状況では朧のことを信じるほか無かった。

「……それにしてもさ、連続失踪事件、屍喰鬼の増加、朧と月城瞳の出現、自殺薬、救済、吸血鬼への崇拝、獣化能力者への憎悪……。何か、嫌な繋がりかたをしそうなキーワードばっかりだよ」

「全部が全部関係あるとは限らないけどな」

「ある程度は関係があるはずだけどね。それで明はいったいどうしたいの? 話を聞く限りだと、その朧って奴は今日の夜にでも月城さんを使って私のことを殺したいみたいだけど、もちろん私はそれに対して全力で抵抗するつもりだよ。それに対して、明はどういう立場をとるのかな、ってこと」

「それについては明確に決めてるんだけどさ、少しばかり協力してほしいんだ。まあ、これが今日の本題なんだがな――」


×××


 その日の夕方、俺は朧へと電話をした。

「今日の午後十時、最初に会った廃工場へ来てほしい。その時、響子のことについて答える」

 そう伝えた。

 朧はそれに対して、特に驚いたような雰囲気もなく、いつものように応答した。俺が何を考えているのか、何をしようとしているのか、それを朧は気が付いているかもしてない。

 だけど、それは仕方がないと割り切ることにする。朧がどんな行動をするのかは関係ない。もうここまで来たら、後戻りするわけにはいかない。準備はすでに整えた。響子は俺の無茶なわがままを許してくれた。俺は覚悟をすでに決めた。後悔はない。後悔しないために出来ることを、出来ると思ったことをやるしかない。


×××


 土曜日午後十時。

 俺は時間ちょうどにあの廃工場へと足を踏み入れた。最初に月城さんを目撃し、そして最初に朧に出会ったあの場所だ。

 月明かりと遠くで輝く街明かりだけでは不安どころの騒ぎではないので、しっかりと懐中電灯をもってきた。それでも心許ないことに変わりはないが、そもそもこの時間を指定したのは俺なのだから、誰かに文句を言うわけにもいかない。

 朧は先に来ていた。予想通り隣に月城さんを連れている。

「君の方からこのような申し出があるというのは少々意外だったよ。覚悟は決まったかね、賀上君」

「単刀直入に言います」

 俺は朧の姿を正面から見据えながら応えた。

「すみません、朧さん。どうしても響子のことを殺すって言うなら、俺は、これ以上貴方達とは組めません」

 少しの沈黙の後、朧は演技じみた大袈裟なため息と共に言った。

「そうか、残念だよ賀上君」

 響子の名前が出た瞬間、月城さんは僅かに反応したが、それ以上のリアクションはなかった。

「もういい……。殺せ、瞳。彼はもう用済みだ」

 朧のその言葉と共に、月城さんの髪が白銀へと、両目は真紅へと変化した。俺がそのことを認識した時は、すでに彼女が手にしたナイフを煌めかせながら俺へと迫ってきていた。

「最初から、俺を始末するつもりだった、そういうことですね」

 いっさいの躊躇無く、俺の命を奪おうとする月城さんの刃が接近する。

 ……だが、俺は動かない。この展開は予想通りだ。

「やらせるかーっ!」

 叫び声と共に闇の中から白銀の巨体が躍り出た。

 狼の力を持った獣化能力者、狗井響子。

 LLサイズのTシャツ上からでも分かるほどに隆起した筋肉と、人とは根本的に異なる暴力的な闘志を纏い、月城さんの前へと立ちはだかる。ナイフの一閃を躊躇い無く左腕で受け止め、右の拳で反撃の一撃を放つ。

 とっさの判断で月城さんは後退、紙一重で反撃の拳を回避する。

「響子、頼んだぞ!」

 響子は拳を突き出したままさらに一歩踏み込んだ。そして拳を開き月城さんの服の胸ぐらを掴む。そのまま力任せに引きずり寄せ、さらに左手で月城さんの右手首を掴み、ナイフによる反撃を封じる。

「了解したよ、明っ!」

 そう応えるのと同時に地面を蹴り、垂直跳びで上昇すると、そのまま廃工場のぶち破り、月城さん諸共この場から姿を消した。今この場にいるのは、朧と俺だけになった。

「随分とあっさり殺そうとしましたね。最初からそのつもりだったのか?」

「知る必要はない。だが、愚かな決断と言わざるを得ないな」

 朧はそう言いながらサングラスを投げ捨てた。次いでポケットから無造作に注射器を取り出し、慣れた手つきで自分の首筋へと突き刺す。

「あの獣化能力者は瞳が始末する。賀上君、君は私が直々に手を下すとしよう」

 朧の放つ殺気が徐々に人間離れした物へと変化していく。

 肥大化する肉体と獣の眼光。緑色へと変質する皮膚。鋭く尖った牙。響子が人狼になるときとよく似た変身。でもこれは人狼と言うよりもむしろ……。

「朧、あんた、屍喰鬼だったのか」

「屍喰鬼ではない、吸血鬼だ。今は至らず不完全な存在だが、いずれ吸血鬼となりこの世界の真の王として、あるべき正しい秩序と法則を示す、大いなる救世主だ。弁えろ、愚かなる人間め」

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