第六章 危険な女

水蜜糖のような甘いひと時、ラブホテルから出て……。

ふたたび僕のパジェロEXCEEDに乗ってきたキリちゃんは、せっかくだから伊吹山の方へドライブに行きましょうという。

まだ、時間は正午を少しばかり過ぎたくらいだ。僕は空腹なので、どこかで食事でもしないか? と、キリちゃんに持ち掛けたが……是非、見たい珍しい高山植物がこの先に群生いるので一緒に見たいと言うのだ。

日が暮れたら見えないからと、行先を急かされた。

その高山植物(僕には興味がない)を見にいってからでも、食事はいいかと思いキリちゃんの意見に従う。

惚れた弱みでキリちゃんには、何ひとつ逆らえない僕だった――。


パジェロのカーナビをキリちゃんが勝手にイジって目的地を設定した。

僕は訳も分からないまま、カーナビが指示する場所へとハンドルを握り運転をする。それにしても、ずいぶんと険しい山道へ入るんだな?

おおよそ……地元の林業の人しか知らないような、けもの道へパジェロが入っていく。四輪駆動でないとこんな山道は絶対に無理だ。

ふと、疑問に思った……キリちゃんにリアルで乗っている僕の車(パジェロミニ)の話をしたっけ?

どうして、こんな険しい山道を走らせるんだろう?


曲がりくねったカーブを走り、どんどん林道から外れていった。そして道の行き止まりには、見渡すかぎり青紫の花畑があった!

こんな山の中に、こんなきれいな花が群生しているとは思わなかった。


「ここは誰も知らない秘密の場所よ」

「すごいなぁー、紫のきれいな花だ!」

その花は濃い青紫で平安時代の貴族のかんむりのような形の花だった。実家の母親が庭で育てている釣鐘草つりがねそうにも少し似ているが、初めてみる花だった。

「わたし、大学は薬学部で漢方薬とか研究していたのよ」

「仕事は薬剤師さん?」

「そうよ」

「へぇー、キリちゃんって頭良いんだね」

何気なく、僕が花に触ろうとした瞬間、

「触らないで!」

キリちゃんがきびしい声で制止した。

「えっ!」

慌てて飛び遠のいた僕は、ビックリしてキリちゃんを見た。

「その花は毒があるのよ」

「……え、ええっ!?」

「車に戻りましょうか?」

「うん……」

僕の頭の中で、あの花はいつかパソコンの検索で見たことがあるような気がしたが……。

あの花はなんだろう? ――どうしても思い出さない。

パジェロに戻った僕らはしばらく取り留めのない会話をしていた。主に僕の仕事のことや家族ことなどキリちゃんに話す、予備知識として知っていて貰いたいと思って……。

もしかして……さっきのセックスで子どもがデキたら結婚するつもりだったし、デキてなくとも、僕はキリちゃんと結婚したいと思っていた。


セックスの最中にキリちゃんは何度も「赤ちゃんが欲しいの」とか「あなたの種で妊娠したい……」とか、喘ぎながら何度も呟いていた。余程、彼女は子どもが欲しいみたいだった。

――それとも、一種の性癖なのかな?

『妊娠』というキーワードで絶頂感を感じるとか、そんなフェチ? ますます不思議なキリちゃんだけど、そんな彼女に惹かれていく僕だった。


車の中でしゃべっている最中にキリちゃんの携帯電話が鳴った、マナーモードだったのでバイブの振動だけだが、パピヨンの中で揺れている。

バッグから携帯を取り出して、メールを確認してからパチンと閉じた。

「さて……」

そう呟くと携帯をバッグにしまい、僕の方を見て……。

「ねぇー、喉が乾かない?」

キリちゃんが明るい声で訊いた。


彼女は自分のバッグから缶コーヒーとエビアンを取りだした、そして缶コーヒーのプルトップを外すと僕に手渡した。

スレンダーな体型を保つためにダイエットに気を使っているらしい、キリちゃんはミネラルウォーターしか飲まないようだ。

丁度、お腹も空いていたし喉も渇いていたので、その缶コーヒーを一気に飲みほした。飲み終わった僕を、じっと見ていたキリちゃんは……。

「美味しかった?」

と訊いたので、

「うん、喉渇いていたから……」

にこやかに僕は答えた。

「10分ほど……わたしの話しを聞いてよ」

「10分? いいや何分でも聞くよ」

そう答えるとキリちゃんは携帯の時計をチラッ見てから、しゃべり始めた。



「けっして誰にも言わないでください」

そういって、彼女は唇の前に人差し指を立ててシィーと合図をした。

「実はしょうちゃんがネットでいつもチャットしてたのは、わたしじゃなくて……」

「ん?」

「わたしの夫なの」

「へ……?」

はぁ? 意味が分からない。

「だから、夫なのよ」

「えぇ―――マジ?」

嘘? なにいってんだ? キリちゃんは離婚して独身だって言ったじゃないか、それは嘘だったのか?

「うちの夫はネットで女の振りして男の人と遊ぶのが趣味なんです」

「ネカマ?」

キリちゃんの言葉に耳を疑った。

まさか、自分がそんなベタなネットのトリックに引っ掛かっていたとは……信じたくもない!


「わたしたち夫婦は結婚して5年経つけど、セックスは年に数回しかしたことないんです、しかも、ここ1年は全くナシで……そのせいで子どもが作れないの」

「セックスレス?」

「わたし、どうしても赤ちゃんが欲しいんです! 夫は抱いてくれないこと以外は素晴らしい人なんです」

「…………」

何いってんだ? そんな夫なら別れてしまえばいい、僕ならキリちゃんを満足させてあげられるのに……。

「わたし、ネットで夫とイチャイチャしている男たちにすごく焼きもちを妬くんです!」

「だって、こっちは女だと思っているから……」

ネカマに騙されていた自分が悔しくて、チッと舌打ちをする。

「男だろうと女だろうと……わたしから夫の愛情を奪う人間は殺したいほど憎い!」

「なにいってんだよ、キリちゃん……」

「夫に抱いて貰えなくて、赤ちゃんが産めなくて、わたしがこんなに苦しんでいるのに……ネットで楽しいそうに、わたしの夫とラブラブしてるなんて許せないわ!」

明らかにキリちゃんの様子が変だ! ギラギラした目で異常に興奮している。


「だからぁー、そんな夫とは離婚して僕と結婚すればいいじゃん!」

「嫌よ! わたし夫を愛しているの! 夫以外の男なんかぜんぶクズよ!」

「何だよ、それっ、ふざけんなっ!」

キリちゃんの言い方が頭にきて、僕は声を荒らげた。

「夫の代わりに夫の恋人の男とセックスして赤ちゃんを産んだら……きっと夫も喜んで、一緒に育ててくれるわ」

夢見るように、うっとりした顔でキリちゃんがいう。

「僕の気持ちはどうなるんだ? おまえら夫婦に騙されて、あげく種馬がわりかよ?」

「いいじゃない、最後にいい思いしたんだから……気持ち良かったでしょう」

ウフフッと妖しい笑い声を洩らす。そのキリちゃんの姿が突然ぶれて目に映る。

「ほらっ、見て、しょうちゃんの遺書よ」

白いコピー紙を僕の顔の前でひらひらさせる。



     ― 遺書 ―

   愛するOO子を事故で亡くし、僕は生きる望みを失くした。

   もうすぐ結婚式の予定だったのに、一緒にドライブ行こうと買った

   パジェロミニ EXCEEDの助手席は、彼女のために空けておくよ。

   ひとりじゃあ、寂しくて生きていけない。

   もう死にたい、僕は死ぬしかないんだ。

   OO子のいない世界なんか、なんの希望も持てないから。

   パジェロミニ EXCEEDに乗って、彼女の世界へ旅立ちます。


                           Syochan85



それは1年ほど前、恋人を亡くした直後に酒を飲んでヤケクソになって書いた遺書だった。

僕のブログの日記のどこかに書いたものだが……。

どうして? キリちゃんが知っているんだろう? たしか非公開になっていたはずなのに……。


「……で、僕はどうなるんだ?」

さっきから、頭がフラフラして意識が朦朧もうろうとなってきた。

「わたしカマキリだから、交尾した雄は食い殺さないと気が済まないの」

「嘘だろう? なんで……」

「トリカブトで殺した雄はこれで3匹めよ!」

「トリカブト……」

そういえば、さっき見たあの花――あれはだったんだ。

あははっとキリちゃんの笑い声がかすかに聴こえる。なんで、なんでぇー僕がそんな不条理な理由で殺されなくっちゃいけないんだ……あぁー意識が遠のいていく……。

もう……ダメだ……。



男がハンドルにうつ伏して動かなくなるのを見定めてから、女は携帯を取り出し通話を始めた。

「もしもし、あなた? もう死んだわよ」

「…………」

「ちょうど10分でトリカブトが効いたみたい、苦しまずに逝ったから……」

「…………」

「どうしたの?……泣いてるの? 今度こそ、彼の赤ちゃん産むから泣かないで……お願い」

「…………」

「早く迎えに来て、死体と一緒は嫌よ!」

「…………」

「そこからなら、後10分くらいで来れるでしょう?」

「…………」

「うん、待っているから……そうね、すごく喉が渇いたわ」

そういうと手に持ったエビアンのミネラルウォーターを勢いよく女は煽った。


「あなた愛しているわ」


そういって彼女は携帯を切った。――そしてミネラルウォーターを飲みほした。

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