21.朝霧の呪い

 集落の雰囲気はいつの間にか随分と殺伐としていた。

 戦士である男たちは武器を作り、訓練に明け暮れ、戦士でもなかったはずの男たちが次々と名乗りを挙げている。

 そんな中で朝霧久也にできることと言ったら皆の健康管理に関してアドバイスしたり、食料・資源の確保と武器の手入れを手伝うくらいだった。一方で拓真は稽古は勿論、武器の改良案など出していると言う。


(まさに「必要は発明の母」だな)


 それまでの拓真は、将来はコレと決めた目標を持たずに文学部を浮遊していただけだったが、最近は誰も話しかけられないような真剣な眼差しで槍などと向き合ったりする。打ち込む何かを見つけられたのはある意味喜ばしいのかもしれない。

 だとしてもこの先、一体何がどうなるのやら――久也は思考を巡らせながら散歩していた。片手には小枝の束を持っている。薄っすらと胡椒に似た味のする枝で、口がさみしい時、他に用途も無く噛むものだ。この世界でのバブルガムみたいな役割だと思う。

 久也の場合はマラリアと思しき熱がやっと引いたばかりなので、なかなか戻らない食欲を刺激する為に噛んでいる。


(ん?)


 当てもなく歩いている内に台地の中心近くに来てしまい、久也は深刻そうに身を寄せて話している夫婦を見かけた。パーム酒を精製している夫婦で何度か関わり合いになっている。


「どうした?」


 眉をひそめつつ声をかけた。


「ヒサヤ……」


 夫の方が先に応じた。


「実は、――が、――――!」

「悪い。もう一回言ってくれ」


 拓真と違ってこちらは天性の「砂の耳」を持たない。数か月暮らしていても未だにヒヤリング能力が追いつかないので、誰が相手でもゆっくりはっきり話してもらう必要がある。

 そうして数分ほど応酬が続いた。互いに通じる表現が見つかるまで何度も試行錯誤した。幸いなことに、二人は根気よく付き合ってくれた。


「……つまり、アンタの母親が数日前の朝から帰って来ないんだな?」

「そうだ」


 夫婦は両手を広げてうんうんと何度も頷く。

 最初は遠くまで一人で食物の採集にでも行ったのかと思ったらしい。そういうこともよくあるので、家族は彼女が自ら帰って来るのを待った。しかし待てども待てども戻らなかった。

 聞けば対象は五十歳を過ぎていても意識が明瞭だったという。道を間違えないのは当然として、複雑なレシピを寸分の狂いなく再現したり、大昔の出来事を旧い順に的確に語ったり、十六人も居る孫を毎度間違えることなく名を呼べたりと、こんなことが起きる予兆を何一つ見せなかったらしい。


「良くない――があったのよ」


 妻がガタガタ震えて呟いた。


「――が何かの呪い――――噂も……」

「何が何の呪いだって?」


 夫の方の言葉に久也はカッと目を見開いた。直感が働いたのだ。これは重要な話だ、と何かの脳内警報が鳴っている。


「明け方の霧が北の民からかけられた呪いだって噂されてるそうだ」

「エッ」


 背後からかかった、深みのある若い女性の(たまに猫が喉を鳴らす音に聴こえなくもない)声に、久也は無意識に肩を硬直させた。声に驚いたのもあるが、言われた内容が内容だったので。


「縁起 わりぃな」

「む? どういう意味だ」


 振り返った先に居た、巫女姫サリエラートゥが首を傾げる。今日も今日とて腹を出した格好をしているが、「そんなんじゃ内臓冷えるぞ」などと今更突っ込む気にはならない。


「俺の苗字ファミリーネームが『朝霧』なんだよ」

「ほう! じゃあこの霧はお前の意思で制御できるのか!?」


 巫女姫は手を叩き合わせ、目を輝かせている。


「いやいやいやいやいや。なんでそうなる。苗字の意味がそのまま異能に繋がるんだとしたら、今頃日本はスゲー事態になってるから」


 久也は右手をひたすら振って否定した。それなら「山川」なんて苗字の人間は山を動かしたり川をせき止めたりできるのか? 全国の「鳥羽」さんは鳥の羽を生やして大空を飛び回れるのか? 「海老瀬」さんは? 「金泉」さんたちはどうだ?

 そして日本以外にも名前に意味を込める国は多々ある。

 なかなか無茶な世界が想像できたので、乾いた笑いを漏らす以外にどうしようもない気持ちになった。


「まあ、今回の件と重なったのはただの偶然だろ」

「そうか。つまらんな」


 心底面白くなさそうにサリエラートゥは口を尖らせる。


「まさかホントにそんなことできると思ってなかっただろーな」

「思わない。が、ほんのすこーしだけ、異渡りならば或いは――と期待した」

「………………さて。本題に戻るか」


 おかしな話は畳むことにする。気を取り直して、久也は夫婦との会話をサリエラートゥにも教えた。

 聴き終えると彼女は顎に手を当てて目を細めた。


「まずいな……」

「ど、どうしてですか、姫さま!?」


 夫婦は彼らの巫女姫に縋るように問い質す。サリエラートゥの対応は冷静だった。二人の肩にそれぞれぽんと手を載せて、ゆっくり伝える。


「どうもこうもない。昨日今日聞いただけで少なくともあと三人は居なくなっている。全員が、夜に寝付いてから朝に家族が起き出すまでの間に、姿を消したと聞いている」

「そんな!」

「一大事ではないですか!」


 久也が受けた衝撃を夫婦が代弁してくれた。

 嫌な予感が的中したのかもしれない。この事件が何を意味するのか、脳細胞をフル活用して考える。


「サリエラートゥ、アンタの経験から見て、北の奴らはこんな呪いをかけられるのか?」


 まず真っ先に確認しなければならない点を突く。

 艶やかな黒い瞳と視線が絡まった。


「私の経験からだと、ありえないな。北の部族は精霊と通じて他者に呪いをかける。性質は、対象の行動を狂わせたり病をかける類のものだ。大抵は滝神さまの守護があれば容易に撥ね退けられる程度の効力だ。誰にも気づかれないように複数人を消す呪いなど存在しないはず」


 大真面目な顔と、オカルト回路全開な返事が返ってきた。

 だが滝神の巫女姫が断言するなら信じるに値するだろう。そして他に判断材料も無い以上、信じるしか選択肢がない。

 今度は久也が顎に手を当てて考え込んだ。


(整理すると……)


 一、連続して行方不明者が出ている。

 二、全員が夜または早朝の内に姿を消している。

 三、この頃変わったことと言えば、明け方に霧が出る日が増えていること。

 四、北の部族は滝クニの人間を人柱にする為に連れ去る・攫うつもりなのは明白。


(じゃあ問題は方法か。何気に日が経っているのも気になる)


 敵がストレートに大軍を引き連れて攻めて来ると戦士たちや集落の民は思い込んでいるが、根拠は伴っていない。会合の日から二週間近く過ぎている。これだけ時間を空けているのは向こうも準備に時間がかかっているからだ、とアレバロロ辺りは言っていたが。

 果たして戦士たちの予想通り、今後は派手な衝突のみが待ち受けているのかどうか。


(朝霧が呪いじゃないにしても、藍谷英は何を仕掛けた?)


 欠片もイメージが浮かばない。

 情けないことに久也自身は件の霧についてはあまり知らないのだ。ここの所マラリア(仮)に臥せっていたのもあって、意識が朦朧としてた日が多かった。午前中にちゃんと起きられたのは一昨日が久しぶりだったくらいだ。

 サリエラートゥやパーム酒の夫婦も日が昇り切ってから起きるタイプなので、直接霧を見ていない。

 久也はひとつため息をついた。


「しょうがない、聞き込みでもするか。悪いが付き合ってくれ」


 通訳係として巫女姫を誘ったら、彼女は腰に片手を添えて快諾した。


「それで問題解決に近付けるなら私はいくらでも付き合うぞ、ヒサヤ」

「頼もしいな。ありがとう」


 そうして地道な情報収集は昼過ぎに始まり、大雨が降り出す二時間後まで休みなく続いた。





 一通り情報が集まったタイミングで雨が本降りになったため、二人は一旦家の中に入った。

 外ではゴロゴロと雷が鳴っている。

 久也は上半身裸にして胡坐をかき、濡れないように死守したメモ代わりの布を取り出して、松明の灯りの下で読み返していた。


「夢遊……気が付けば外に居た……いつも何かリアルな夢を見て覚める……覚めたら周りは真っ白……」

「ふむ?」


 隣で寝そべっているサリエラートゥがメモを覗き込むように顔を寄せてきた。腰周りの布を除けば全裸である。濡れた服を乾かす為には仕方ないとはいえ、この露出少女は全力で無視しないと色々保たないので、極力視界に入れないように努めた。


「メモは日本語で書いたし、読めないだろ」

「なんとなくはわかるような……」

「神力の無駄遣いすんなよ、声に出してやるから」

「わかった」


 とだけ答えると、サリエラートゥが顎を久也の膝にのせてきた。

 突然の温もりと柔らかい感触が落ち着かない。姿勢を変えるべきか悩んで、結局放置することにした。


「真っ白な中、慣れない香りが鼻の奥に残っている……ん? 霧に香りなんてつくか普通?」

「あるとしても水や森の匂いと言った、慣れた香りのはずだ」

「だよな。えーと、白の動き方がヘン……もっと風にのってフワフワ流れてた……」


 この証言をくれたのは確か十歳前後の子供だった。子供は時々先入観抜きで物事を観察できるので、大人よりも信憑性のある証言と考えられる。


「フワフワって抽象的だな。何だ? 湯気?」


 既に散乱した水蒸気でなく、ピンポイントに熱い箇所から上がる湯気ならば動きはふわふわだ。


「水蒸気じゃなくて煙っぽい話だな」


 サリエラートゥが口を動かした。膝の上で顎がもごもごする感触がなんとも気持ち悪い――


「――ってそうか、煙!?」


 閃きの勢いで、顎のことがどうでもよくなっていた。


「煙は水蒸気より分子が小さくて軽いから、動きがふわふわにもなる! 植物を焚いた煙――吸えば幻覚を見る、そんな種類があるってなんかのドキュメンタリーで観た!」

「う、うん?」


 吃驚したのか、サリエラートゥは身を引いた。


(幻覚を使っておびき寄せたのか、藍谷英)


 しかし煙を使うには集落にかなり近付く必要がある。そこまでしたのならいっそ直接攻め込めばいいのではないか? 少ない武力で手間を多くかけたいのか? 何故?


 ――わけがわからん!


 久也は己の黒髪をぐしゃぐしゃに引っ掻き回した。


「だぁ、くそ! これだけわかっても対策は十分に立てられない。居なくなった人たちを捜しに行かないと!」

「同感だ。早速戦士たちと相談してみる」


 適当な上着を羽織り、巫女姫が立ち上がった。

 その左手を、久也はがっしり掴んだ。


「どうした?」


 驚いた表情でサリエラートゥが振り返る。


「俺は一つ、どうしても試してみたいことがある。前から思ってたけど、今こそそれが必要だと実感してる。方法がありそうなら教えて欲しい」

「なんなんだ。改まって」


 久也は一度深呼吸をしてからまた滝神の巫女姫サリエラートゥと目を合わせた。


「滝神と、対話してみたい」

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