雨夜ノ品定メ

一視信乃

雨夜ノ品定メ

 雨の降る夜、僕はひとり、街路樹の下で佇んでいた。

 そのとき、「きゃー!」という女性の悲鳴が響いた。

 やっぱり出やがったな。

 濡れるのもいとわず、声のした方へ走り出す。


 コンビニの角を覗くと、最初に傘が目に入った。

 細い袋小路の入り口をふさぐように転がった、真っ赤な傘。

 その向こうでスーツ姿の女性が、尻餅をついている。

 声の主はきっと彼女だろう。

 そして、その前には、黒い四つ足の巨大な獣。

 いや、獣の形をした黒い影のようなものといった方が正確か。

 あれは、悪霊の集合体で、本来は明確な意志など持たぬはずだが、ここ最近はどういうわけか、若い女性ばかりを選んで襲っている。

 コイツを調伏ちょうぶくするのが、僕に与えられた仕事だ。


 僕は傘をけ、女性の前に立つと、両手を組んで人差し指を立て、不動根本印――火界の印を結んだ。


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 不動明王の小咒しょうじゅを唱えると、目の前にぼっと赤い炎が現れ、それは瞬く間に獣を包み込む。

 雨でも消えることはない、不動明王の大火炎。

 悪霊のみを焼き尽くす、清らかな神の火だ。

 達磨だるまになった獣は、耳をふさぎたくなるような咆哮ほうこうを上げ、激しくもだえしていたが、やがて地面にくずおれ、そのままぴくりとも動かなくなった。

 僕はあんの息を吐き、印を解く。


「大丈夫ですか?」


 女性の方に向き直ると、彼女は炎を見つめたまま鋭く叫んだ。


「まだよっ!」

「えっ?」


 振り向くと、炎をまとった獣が、立ち上がるところだった。

 そうして、水を払うようにぶるりと身体を震わすと、一瞬で炎が消える。


「ばかなっ……」


 僕は再び印を結ぼうとするが、それより早く、彼女が動いた。


「カン」


 彼女の口から放たれたのは、不動明王のしゅ

 すると再び、炎が生じる。

 僕が喚んだのより強力な浄火は、そぼ降る雨を金色こんじききらめかせながら、あっという間に獣を焼いた。

 焼き尽くした。

 炎が滅し、暗さに目が慣れてくると、獣がいた辺りの路上に男が倒れているのに気付く。


「以前、この辺りに出没していた変質者ね。霊にかれ、あんな化け物になってまで若い女性だけを襲い続けるなんて、すごい執念だわ」


 いつの間にか隣に立っていた女性の顔を見て、僕は驚きの声を上げた。


「先生っ!」

「詰めが甘いわよ、見習いくん。私じゃなかったら、どうなっていたかしら」

「すみません」


 僕は、慌てて頭を下げる。

 彼女は、僕にこの調伏を命じた張本人であり、僕の師匠でもある高名な術者だ。

 ものすごい美人でスタイルもよく、僕と同じ二十歳そこそこにしか見えないが、実は僕の母親でもおかしくないようなお年なのだとか。


「でも、私への気遣いを見せたのは悪くないわ。ギリギリだけど合格よ」

「それじゃあ」

「ええ。無償の見習いから、バイトへ昇格ね」

「ありがとうございますっ」


 生まれながらに持っていた、不思議なものを見聞きする力。

 ずっと気味悪がられるだけだったけど、これでやっと、人様のために役立てることが出来る。


「それにしても、しつこい雨ね。イヤになるわ。ああ、もうっ、セットした髪もぐちゃぐちゃだし、スカートも染みになっちゃうじゃない」


 そういえば、先生の傘は、道路に転がったままだ。

 拾い上げると、パチリと静電気のようなものが走った。

 どうやら、この傘に術をほどこし、人避けの結界を張っていたらしい。

 でも、そんなものもう必要ない。

 傘も本来の役割に戻っていいはず。


「どうぞ」


 年甲斐もなくぼやき続けてる先生に、僕は、小さな笑みを浮かべながら、傘を差し出した。

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雨夜ノ品定メ 一視信乃 @prunelle

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