第9話 【リサ】9月30日(木)

 あいつらとの約束の日。

 お昼にトールと待ち合わせて、東向島にあるホームセンターに向かった。そこでスコップをふたつ買った。わたしはスコップとシャベルの違いもよくわからない。

 さっそく庭に降り立ってみる。広さは六畳ぶんくらいあるだろうか。隅っこの一角が、土が盛り上がっていて小さな花壇のようになっている。わたしの頃はあんなものなかった。タケシの趣味か、それともミキの趣味なのか。ただ数本植えてある花はしおれて元気がない。

「固いぞ、これ」

 トールがつま先で地面を削っている。地面はびくともしていない。土の種類とかは知らないけどとにかく固そうなのはわかる。

「これ、全部掘り起こすんだよね……」

 トールが困ったような顔で笑う。

「うん。沖縄で農作業したいって言ってたじゃん」

 わたしは満面の笑みを向けた。

 軒下から向かいの壁まで漏れのないように一列に掘り進めることにする。一畳掘るのに三十分かかったとしても、四時間もあれば終わるだろう。

 今日、お金は見つかる。わたしの直感が迷いなくそう告げている。

 庭掘りはトールに任せて、わたしは街に出た。自分の部屋の合鍵を作って、不動産屋に向かった。そこで解約手続きを済ませ来月分の家賃を現金で支払った。

 ケンジがなぜ金を取りにこないのか。その答えはなんとなくわかっている。トールが言っていたように、ケンジはきっと、もういない。彼はわたしと張り合おうとせずに身を委ねていればよかったのだ。でも、もう遅い。

 陽も落ちた頃、部屋に戻ると、トールは畳の上で眠っていた。庭を覗くと半分も掘った形跡がない。

「ごめん、ちょっと休憩のつもりだったんだけど……」

 トールは朝まで夜勤をしていて眠っていないと言い訳した。わたしはこの男をどう扱うべきか考えた。与えるべきはアメなのかムチなのか。

「見つからなかったらどうするつもりなの?」

 トールは黙ったままでいる。ふてくされたような顔が腹立たしい。

「きっとあいつらはトールのことも調べあげてるから追い込みかけられると思うよ。わたし、ずっと尾けられてるみたいだから」

 表情が一瞬にして変わり、そわそわし始めた。ようやく当事者意識が湧いてきたのだろう。やっぱりこの男は小物だ。

「この場から、どうやって逃げようか考えてるの?」

「そんなわけないっすよ……」

 心の内を見抜かれて繰り出すアホみたいな笑い顔。そこでとっても甘いアメを投入してやる。

「いいよ、逃げようよ」

「……え?」

「今日、一千万出てきたら、一緒に逃げようよ」

 絶句。頭の中で必死に深読みしているのがわかる。

「騙し、なしですよね……」

「うん。考え変えた。それに、トールがいてくれれば逃げ切れる気がする」

「…………」

 トールの顔にみるみる生気が戻ってきた。どうやったらこんな単純な大人に育てるのだろう。

「だから、お願い。もうちょっと頑張ろう」

 頷いてトールが立ち上がる。

「直感が花ひらいた」

「……なにそれ?」

「アップルのジョブズの言葉。俺の直感が庭に何かあるとビンビンに告げてますよ」

 わたしは思った。この男がバカなんじゃなくて、わたしが利口なだけなのだ、と。


 よく考えてみると、掘り出した土を置く場所を考えて掘らねば効率的じゃないことがわかった。一列掘って、その穴に次の列を掘った土を戻す。そうすれば埋めもどす必要がない。

 トールは懸命にやってくれている。ただ土が本当に固そうだった。それでも、今のトールはすごく前向きでやる気に溢れている。

 六割がた掘り進めたけれど、何も出て来なかった。空はとっくに暗くなっていて、焦る気持ちがないといえば嘘になる。

 時刻は八時半になろうとしていた。

「リサさん、闇雲に掘ってたら間に合わない。あたりをつけよう」

 トールが自主的に仕切りはじめた。でも、解決に導くアイディアを生むのはわたしだ。

「……一回、掘ったのなら、そこの土は柔らかくなってるはず。どこか色とか変わったような場所はない?」

「それだ。掘る前に確かめればいいんだ!」

 わたしの指示を受け、トールが手当たり次第スコップで地面を突き始めた。

 窓際に立ち、もう一度庭全体を見回してみる。隅っこの花壇に目がとまる。思えば、あそこに積まれた土はどこから持ってきたのだろう。

 閃いた。そんな気がした。これも直感だ。

「トール、あの隅っこ! 花のところ!」

 トールはすぐに移動してスコップをいれる。そして言う。

「……土が柔らかい。ビンゴかもしんない!」

 いよいよ見つけた――。あの下にわたしの希望が埋まっている。

 この後に起こりうる展開を思い描く。すると急に気になって電話機のところに向かうと、わたしの家からの着信があったことに気がついた。それも、何件も。

 慌ててかけかえす。もしかしてタケシが不穏な動きをしようとしてるのかもしれない。

 ワンコールでタケシは電話に出た。

「ちゃんといたね。よかった」

 わたしは心からほっとしたような声を出した。タケシはなぜか洟をすすりはじめた。

「……サリナ」

「ん?」

「ふたりで、どこか遠くに行かないか」

 いきなり言われた。もしかして、なにか怯えるようなことをあいつらにされたのかもしれない。

「どうしたのいきなり」

「いきなりなんかじゃない。あの公園で、同じスカイツリーを見ていた時から決まっていたことなんだ」

「……いいよ」

 わたしは優しく言った。今晩はタケシをあの部屋に釘付けにしておかなきゃならない。

「じゃあ、今すぐに――」

 とタケシが言いだしたところで、庭からトールが呼びかけてきた。

 顔を向けるとトールは目を見開いて地面を指差している。

「ごめんまたすぐかけ直す。だからちゃんと家にいてね」

 電話を切って小走りに庭に出る。

「リサ、これ……」

 駆け寄ってトールの指す先を覗き込むと、壁際の土の下からゴミ袋が顔を出していた。うっすらと中身が透けて見える。その脇で、しおれた花が土にまみれている。

 やっぱりあった。わたしの直感は間違えていなかった。

 そうなると、わたしがやることはすでに決めていた。

「トール。ここからはあたしがやるよ。だから先に家に戻ってて」

「……なんで? やるよ、最後まで」 

「違うの。掘り出したらすぐに逃げなきゃだから、荷物をまとめておいて。九時を過ぎるとあいつらは必ず動き出す。だから早めに手を打たないと」

「……いやだ」

「なんで? 時間がないんだって。必ず連絡するから」

「……俺が掘る。俺が自分で掘り出すんだ」

「勘違いしてんなよ」

 このひと言で黙らせた。トールは突っ立ったままきつく目をつぶっている。

「いい? あんたは会社員ができずにホストになって、それでもダメで今は配達員でしょ? あんたの選択は全て間違えてるの。だからあたしを信じろ。きっといい方に転がしてみせるから。あんたみたいなグズは意見する権利なんかない。ただ言われたことを言われた通りにやればいいの。そうでしょ?」

 トールは目を閉じたまますべてを拒絶するように顔を震わせている。でも、その耳はしっかりとわたしの声を捉えているはずだ。

「教えてあげる。トールは部屋に上がって手を洗ってすぐに自宅に戻る。それで大事なものをまとめて、わたしの連絡を待つ。どう? あんたの花開いた直感はどっちが正しいって判断してる?」

 歯の間からシューシューと息が漏れている。もしかしたらこの年上の男は涙をこらえているのかもしれない。

「俺は……、一発かまさなきゃ変われない」

 トールが呻くように言葉を絞り出した。

「そうだよ。だから二人で一発かまそうって言ってるんじゃん」

「……一発かまさないと、俺は変われないんだ」

「変われるって。あたしと一緒なら」

 わたしはトールの背中に手を添えて優しく押し出してやる。トールは部屋に上がらずにスコップを持ったまま建物の脇を抜けていった。

 たやすい。トールもタケシもしつけやすいペットにすぎない。ペットだと思うと多少の愛着も湧いてくる。


 わたしは掘った。汚れても臭くても疲れても、懸命に掘った。

 金を手に入れたらまずは高崎に向かう。妹を説得して、一刻も早くとにかく西へ向かう。そしてその見知らぬ土地でわたしはまたうまくやる。美容師の妹に店を持たせてやってもいい。

 やり直す。いや、始める。自信はある。どうせ、その見知らぬ土地の人間だってたやすくしつけられる

 ゴミ袋を引っ張り出した。中にはリュックが入っているようだ。ほんの少し、嫌な予感がした。

 ケンジはこんな女っぽい色使いのリュックを持っていただろうか。

 いや、それこそがカモフラージュだ。ケンジを一番理解しているわたしでも疑うのだから、誰もケンジのものだと思わない。

 三重になっていたゴミ袋を引き裂くと、嗅いだことのない不快な臭いがした。

 開けるな――。

 ふと、そんな言葉が頭を過ぎる。これも直感の一種なのだろうか。

 かまわずにリュックのジッパーを引く。中から溢れでた香りは希望に満ちた芳醇なものではなくて、わたしはリュックを放り投げてしまった。

 やっぱりわたしの直感は正しかった。

 リュックからはみ出しているのは人間の頭髪だ。黒縁メガネのつると思しき部分も顔を出している。

 ――タケシは庭に隠す。

 瞬時にタケシの病的な顔が浮かぶ。追い詰められればネズミも猫に噛み付くということか。

 なんとも言えない怒りがこみ上げる。驚きの感情よりも、あんなクズ男に出し抜けにされたことへの怒りの方が上だった。

 終わった。完全にそう思った。一千万なんて、ここにはない。

 携帯が鳴った。表示は「公衆電話」だった。

「もう九時になる。見つかったか?」

「あんたたちが欲しいものは見つからなかった」

「気になる言い方だな。家にいるのか?」

「いるよ。遠慮なくどうぞ」

「ずいぶんと潔いな」

 潔い。たしかに清々しくすらあった。

「ねえ、ほんとはもともとないんでしょ?」

「……なにが」

「ケンジもお金もないんでしょ」

「それは知らないが、俺たちには事実より優先するものがある」

 わたしはそのまま電話を切って、自分の家の電話番号を鳴らした。時刻は九時ぴったりだった。

「もしもし、サリナ」

 タケシの声を聞いてもなんとも思わなかった。後ろでインターホンが鳴っている。ちゃんと時間通りに働くあいつらの生真面目さに感心した。

「よく聞いてほしいんだ。今回のホーム・エクスチェンジで僕たちはお互いの――」

「誰か来てるんじゃない?」

「どうでもいいよ。僕が言いたいことは――」

「よくない。出てみて」

 頭の中が空っぽで何も考えられなかった。じっと受話器を耳に当てたままでいると、「サリナ!」と刺さるような声がした。

「誰だった?」

「ヤバイ、乗り込んできた。あいつらケンジって名乗ってもぜんぜんビビってない。どうしよう、サリナ……」

「どうしたらいいかね」

「そんなのんきにしてる場合じゃないんだよ!」

 タケシが怒鳴った。こんな男でも逆上すると人を殺してしまうのだ。公衆電話の言葉を思い出す。殺される人と人殺しは大差ない。

「黄色い線を超えちゃダメじゃん」

 わたしの呟きはタケシには聞こえなかったようだ。聞こえてたとしても理解できないだろうけど。

「……そうだ、警察だ。サリナ、一回、電話を切るよ。きみは危険だから絶対にこっちに近づかないように」

 笑えてきた。どのツラ下げて警察と話すというのか。

「警察に電話して大丈夫なの?」

「は?」

「あたしだってさ、最初は、本当に見つけて助けようと頑張ったんだよ」

「……見つけたじゃん。サリナは、頑張って、あの時、あの場所で、僕のことを見つけ出したじゃん! そこから僕たちは始まったんじゃん!」

 タケシには自分の罪をわからせてやらなきゃいけない。別れた女を殺したことじゃない。わたしの求めることに応えられなかった罪だ。

「あたしが必要だったのはあんたじゃなくて、ケンジが住んでたこの部屋だったんだよ」

「え……」

「最初から怪しいとは思ってたけど、まさかここまでのサイコ野郎だったとはわたしの見立ても甘かったわ」

「……騙した、ってこと?」

「自業自得でしょ」

「……僕はサリナを騙したりしてない」

 その一言にわたしは切れた。一瞬でも、自分の人生に希望を見出してしまった自分に。

「ふざけんな! あたしは全部、庭を掘り返したんだよ!」

 電話の向こうが騒がしくなった。わたしの部屋に異物が混入してきている。いや、もうわたしの部屋じゃないのか。

「エクスチェンジ。交換したんだよ、あたしたちは」

 タケシにそう言って電話を切ると、止められない笑いが込み上げてきた。

 音のない空間で考える。

 やっぱりケンジはわたしと離れるべきじゃなかったのだ。

 そして、わたしもケンジと離れるべきじゃなかった。

「……ケンジ」

 あえて声に出してみる。やっぱりわたしはケンジのことを愛していた。

「俺を舐めるなよ」

 背中の方で声がした。聞き覚えのある言葉に「嘘でしょ」と自分に言い聞かせるように声に出す。そして、勢いをつけて玄関を振り返る。

「ケンジ!」

 わたしの目に映ったのはスコップを振り上げたトールの姿だった。

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エクスチェンジ 大橋慶三 @keizo

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