あんよ

「なんだか嬉しそう」

 くす、と、笑みの溢れる口元を手で覆いますと、坊ちゃんは目をまん丸にして首を傾げました。その藍色が一際大きく煌めきます。

 まだ八月にもなっていないのに、気温は高く、熱中症に気をつけなければならないほど蒸し暑く。いえ、まだこの土地は、少し外れたところに田園風景の広がるような片田舎ではありますが。しかし、暑いものは暑いのです。いつもより多めに麦茶を沸かして、私は縁側で朝顔の鉢植えに水をやっている坊ちゃんに声をかけたのでした。

「嬉しい」

「ええ、なんだか嬉しそうです」

 くす、と笑います。こちらを振り向いた坊ちゃんは首を捻りながらぱち、ぱちと目を閉じたり開けたりを繰り返しました。坊ちゃんの手に握られた如雨露じょうろがちゃぽんと坊ちゃんに変わって返事を、というように笑います。

「嬉しい、のでしょうか」

 ちゃぽん。

 坊ちゃんは足元に目を落とし、影を見つめています。

 朝顔の葉の上で、雫がきらりとひとまわり。つるりと葉の上を滑り、溢れて落ちていきました。

 ぐ、と。

 顔を上げて、坊ちゃんはどこかを見つめます。虚ろではない、はっきりとした意志の固い花が、瞳の奥で咲いています。藍色はいつもより一際濃く。

「でも、わかりました」

 声色が、

 初めて。

 坊ちゃんの声色が、明るく、大きく。変わりました。

 坊ちゃんの後ろには、その藍色と全く同じ藍色が一面広がっています。空の色が閉じ込められた瞳は細められた瞼の中に、さらなる輝きを隠し、制帽のつばの影の下で星の光のようにくるくる、と。

「迷子さんの言った通り。案外、こわくありません!」

 その弾ける笑顔は。

 私が見た初めての、迷路さまの笑顔でした。

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