【短編】強い眼差し

終夜 大翔

強い眼差し

「存在した時間も空間も違うのに一緒にいられるなんて、一種の奇跡だよね」

「あり得ないことを当たり前にしたんだ。これは、きっと必然だったんだ」


「あなたは、ここにいる」

 少し嗄れたような声でそういって、キミは自分の横に手を伸ばす。そこには虚空しかないんだけれど、オレはそこになぜかいるんだ。

 夏の夕焼け。朱く染まった高校の屋上。彼女は、セーラー服を身にまとい凛然としていた。その姿が物悲しくもあり、強くも見える。まるで、鍛えられている途中の鉄のようだ。

「そう、人は他人に居ると認識されることで存在できる。だから、逆も然り。他人がそこにあなたがいると思えばそこにあなたはいる」

 彼女以外にオレを認知できる者はなく、する者も、したいと思う者さえいなかった。理由は単純、知らないからだ。大方の人間に必要とされていないこともわかっている。

 更に言えば、オレは自分がなんなのか、何者なのか、それすら掴めていない。わかっているのは、オレは彼女に認識されてはじめて意識を持ち、ここにいるらしいってことだけだ。

 容姿? そんなものわかるはずがない。オレは居るだけのモノだからだ。容姿なんて言う上等なものから性格、過去、嗜好、趣味、思考傾向、なに一つわからない。

 自分のことがわからないはずがないって? じゃあ、逆に問うが、君たちは君たちが言うほど自分というモノを理解出来ているだろうか。

 そら、みたことか。大なり小なりわからないモノなんだよ。それの程度が人よりわずかばかり大きいだけなんだ。

「そう? わずか?」

「辛辣だね、ずいぶん。そうさ、こんなこと些細なことさ」

 オレは鼻で笑ってやった。鼻があるのかも不明なこの身ながら。

「オレの存在理由に比べれば、オレに関わる何事も些細なんだよ」

「それは失敬」

 彼女はさっぱりしている。そこは、非常に利点だと思う。

「それにしてもあなたは哲学者?」

「なんでだよ?」

「ずっと、考えごとしてる」

「他にすることがない。正確には出来ることがない」

「しかも、自分は何者か? まさしく、人生の命題だよね」

「そういうキミは己が何者であるか、考えたことはないのか?」

「ある。ずっと、生まれたときから考えてる」

「生まれたときから? 大げさだな」

「そうね、大げさかも。でも、それぐらい長く考えてるよ」

 オレは、その少し嗄れた声があまりに真剣で悲哀に満ちていてなにも言い返せなかった。


 ふと気がつくと、オレはまた彼女の横に存在していた。

 気づくまで自分がなにをしていたのか、まったく思い出せない。オレにだって、朝が来て昼が来て夜が来るはずなのに。その過程をなにひとつ思い出せずにいた。

「本当? あなたにも朝が来て夜が来るって」

「いや、来ないやつの方が珍しいんじゃないか?」

「あなたは、その珍しいやつに入ってるという可能性は考えないの?」

「だって、オレそこら辺にいる凡人だぞ? そんな特別なこと起きるかよ……」

 そこまで言ってはっとした。

「誰と、比べて、凡庸なの?」

 彼女の声はあまりにゆっくりとオレの常識を浸食していった。

「そうだ。なんでオレは、凡人なんて思い込んだんだろう。自分が何者かもまったくわからないのに」

「そう、あなたは特別かも知れないし、他ならぬわたしがそう願っているかも知れないのに」

「キミが願う? なぜだ?」

「それは、ひ・み・つ」

「なんで、真顔? しかも、なぜに乙女チック?」

「いいじゃない! わたしが乙女チックだとなんか問題でもあるって言うの? あるならA4の紙上げるからまとめなさいよ! 書けないだろうけど!」

 急に険しい声になる彼女。なにか琴線に触れたらしい。このままなにかを聞き出したいところだ。だが、オレはそれ以上踏み込めなかった。


 また、気がつけば、オレは夕刻の屋上に彼女と二人で佇んでいる。佇む身体がないので、眺めているか正しい表現だろうか。

「好きなのか、夕焼け?」

「好きよ。暖かくて、真っ赤で、命の充電をしているかのようで」

「命の充電ね。オレが哲学者なら、キミは詩人か?」

「そういうのもありかもね。でも、なんでも名前をつけて枠に放り込むのはどうかと思うけど」

「人間、正体不明が一番怖いんだよ」

「あなたは自分が怖い?」

「ああ、怖いね。最大級に。ちびって夜も眠れないくらいにはな」

「そう? そんなことないと思うけど」

「オレは、なんなのか。一体全体摩訶不思議。この時間の屋上でしか生きていない。それは恐ろしいことだろ」

「どうして?」

「どうしてって……。おまえがここに来なくなったらオレはどうなるんだよ」

「また、別の場所で湧くと思うよ」

「オレは温泉か!」

「そうかもよ? 正体不明なんでしょ? 話す温泉。ぷっ。いいと思うよ」

 そういって、彼女は噴き出して、腹を抱えて笑った。

「そんなにおかしいことかよ」

「ふふふ、あーおかしい」

「キミはさてはオレの正体を知っているな?」

「さて、どうかな。わたしも自分というのがよく分かっていないから」

「でも、人間自分より周りのことの方がよく見えることもあるんじゃないのか」

「じゃあ、わたしはあなたが見たままの人間じゃないかな」

 凛とした立ち振る舞い。少し嗄れたような声。女子の標準くらいの体格にロングの髪。髪は染めていない。目は、哀愁を漂わせているが弱さを感じさせない。

 なにを目的に、どう生きているかなんてまったく想像もつかなかった。

「わからん」

 オレは、自分で考えることを放棄した。

「情けないのね」

「好きに言え」

「じゃあ、また明日」


 次の日は、夕立の中だった。そこで、傘を差しまた屋上に佇む彼女。

「律儀に、こんなときまで来なくてもいいじんじゃないか?」

「誰かさんが寂しいと泣くんじゃないかと思って」

「オレは、そんなことで泣かねえよ!」

「むきにならないで。本当だと思われるよ」

 確かにそうだ。オレは、深呼吸する。泣くとか深呼吸なんて肉体がなくても出来るんだということを発見することができた。

「毎日、なにしに来てるんだ?」

「毎日じゃない」

「毎日じゃない? じゃあ、オレは普段なにしてるんだ?」

「よかったら教えて」

 悪魔かこいつ。

「ここに来るのは、あなたと話をしたいから、じゃダメ?」

「そいつはかまわねえけど、結局オレってなんなんだ?」

「鏡を見てみれば?」

「鏡? 身体が認識出来ないのに?」

「そう鏡。人間にとって一番の鏡は他人」

「ずいぶん、哲学的で詩的だ」

「キミを見る限り、オレは特に興味を引く人間では無さそうだ」

「人間? 本当にあなたは人間?」

 雨粒が傘を叩く音だけがいやにはっきりと耳の中で響いていた。それがあまりに軽やかで現実味を失わせていく。

 まただ。彼女の言葉がオレの常識の範疇を侵してくる。オレは、人間なのか? そう問われたことなどない。だって、オレは人間であるところの彼女と意思疎通をしているじゃないか。

 人間と言葉で意思疎通できる生きモノを人間以外にオレは知らない。だが、なんだろうこの漠然とした不安は。

 もし、この世に人間以外が生きている可能性があるとしたら、オレはそれなのかも知れない。でも、なぜか、オレは人間であることに執着したいと思っている。

 こうして、彼女と会話出来ているのが今は至上の喜びだ。もしかしたら彼女はオレが人間じゃないから構ってくれる奇特な人間か、もしくは人間に見える非人間なのかも知れないけれど。

「また、考えごと?」

「今、自分の常識を洗いざらい疑ってみた」

「結果は?」

「自分が人間ではない可能性があること。同様にキミもオレが知ってる生物ではない可能性があること。その二点が気になった」

「で? もし、わたしたちがそのどちらかか、両方だった場合、あなたはどうするの?」

「どうもしない。仮に自分が鬼や魑魅魍魎の類だったとしても、キミは襲わない」

「それは、襲えないからじゃなくて?」

「違う。意志のある一人のいや、一つの生きモノのとして誓おう」

「では、尊重しましょう。それで、あなたは自分がなんなのかわかったの?」

「いや、とんと思い出せない」

「そう」

「やけに、さっぱりとしてるな」

「どちらでもいいもの、そんなこと」

「どちらでもいいって、結構重要なことだと思うぞ」

「いいの! いいったらいいの! あなたはあなた。わたしはわたし。それでいいじゃない? それのなにが不満なの?」

 また、声を荒げる彼女。この正体についての問答は実は彼女にこそ必要なんじゃないのだろうか。

「不満ではないよ。いささか、不安なだけだ」

「不安?」

「そう不安。どちらかが特殊な状況の場合この関係が壊れてしまうのではないかという不安だ」

「詮無いことよ。この関係は壊れない。壊れてもらっては困るのよ」

「……恐縮です?」

「自惚れないで。あなたとの関係については保証しかねるわ」

「それは、どういう……?」

「どうもこうもないわ。あなたの指す関係とわたしが指す関係は違うモノってことよ」

「なるほど。オレが足掻いたところで状況は変わらないってことか」

「そういうこと」


「キミは、この学校で学んでいるのか?」

「当然ね」

「何年生なんだ? オレは、高校いや、大学の2年だったと思う」

「思う?」

「自信はないんだ。なぜかね。自分の歳とかも自信がない」

「そう、いいことね」

「どこら辺が?」

「自分の年齢をさほど気に病んでいない証拠じゃない」

「そういうキミは?」

「…………ひ・み・つ」

「もう女性の恥じらいを覚えてきているのか。早くないか?」

 しかも、また真顔だった。いやむしろ、怒気さえはらんでいるかのようだった。

「キミは、なんの教科が好きなんだ?」

「当ててみなさいよ」

「わかるわけないだろう」

「一個目を言う前から諦めるの? そういう諦めの早さは正直羨ましい。……心に浮かんだ教科を言ってみて」

「……数学?」

「あら、正解。言ってみるものでしょ?」

「キミの好きな教科二番目は物理だったりする?」

「それは微正解。数学と物理は同じくらい好き――」

「――数式さえあれば、他にはなにも必要ない?」

「ご明察。ああ、まるで心の中を読まれてみてるみたいだわ」

 これには、オレの方が唖然としてしまった。自分でもなんで、そんな文言が口を突いたかわからない。ただ、心に浮かんだ、いや浮かぶ前に口にしていた。そんな感じ。

 非常に、不気味だ。

 身体は無いけど、あったらきっと冷や汗が流れてたと思う。

 ここで、オレは唐突に自分がなにモノか思いついた。それは、非常に嫌な思いつきだ。仮にこれがあってたら、彼女はなんというか、不幸なのだと思う。

「なあ、オレってキミのドッペルゲンガー、なのか?」

「なーに、藪から棒に。どっからそこに行き着いたの。わかってる? わたしは女で、あなたは推定男。そこから違うでしょ」

 元から意思の強そうな目をしていたが、さらに力が加わって迫力が出てきた。それが、虚空に霧散しているオレを的確に捉えている。

「キミは、男に生まれたかった。そして、数字の世界で生きていたかった。それだけをする計算機のような存在になりたかった。違うかい?」

 自分はドッペルゲンガーでもただのドッペルゲンガーではない。彼女の理想の姿なのかも知れないと直感的に思った。

「そうよ。よく知ってるわね。予習も役に立つのね」

「予習?」

「そう、予習。やらないの?」

「覚えてないが、オレはそんなに律儀にはやって居なかったと思う。オレがキミのドッペルゲンガーじゃ無い証拠かな?」

「そうね、わたしは予習復習をやれる人になりたかった。『律儀』に、『言われたこと』を『やる』人間になりたかった。それ以外はしたくなかった。考えるのが面倒だったから」

 オレは、言葉を無くした。自分とは全然違う。では、自分はどこから彼女の心の内を読み取ったのだろう?

「さあ、むつかしいことは明日にして。今日はもうおやすみ」


 次の日も、夕刻。屋上。セーラー服。強い眼差しに弱気な影が映り込んでいる。

 一面の赤に染まった風景。そこにいた彼女は燃えるようにでも確然と美しかった。

「こんにちは。どう? よく眠れた?」

「わからないけど、気分は非常にいい」

「そう、じゃあ。連れてって」

 その細い腕と、凶暴なまでに美しいと相手に思い込ませる指を伸ばしてオレへと向けた。

「どこへ?」

「どこへでも」

「どこへでもと言われても、オレ身体がないんだよね。この付近にも詳しくないし」

「まだ寝ぼけてるの?」

「いや、起きてるけど」

「じゃあ、自分がなにをしにきたか思い出しなさい。もうわたしは、あなたへ干渉はしていないから思い出せるはずよ」

「う……ん?」

 ああ、そういえば、誰かにここへ来るように言われて来た気がする。なにか、目的があったんだ。なんだっけか。

「わたし、あなたのこと好きかも」

 彼女は、伏し目がちにそう言った。

「へ?」

「本当は、わたしはあなたをこっち側に呼ぼうとしてた。でも、あなたと過ごした時間が邪魔をして呼べなくなった。数式さえあれば他に必要なモノなんて無い。そう思ってた。でも、今は違う。わたしにはあなたが必要。だから、わたしを連れてって」

 そうなおも腕を伸ばしてくる。オレに腕はなかったはずだけど、その手を確かに掴んだ。掴んで引っ張り上げる。すると、彼女の足は屋上を離れ、空へ。

 夕陽で真っ赤に染まった空に、オレと一緒に落ちていった。


「う、うーん」

 オレは、まず重力を感じた。人間の身体とはかくも重いものだったか。

「教授、起きましたよ!」

「おお、よくやってくれたね。もうダメかと思ったが、無事に帰ってこれてなによりだ」

 見慣れた白髪の老人、教授が裏表のある感じの笑顔で迎えてくれた。

「ここは?」

「うん? まだ、寝ぼけているのかな。それとも、ダイブした後遺症かな?」

「ああ、いえ、思い出しました」

 ここは、電算機器研究所だ。この教授は、人間の脳の処理能力をコンピュータに応用するために、一人の人柱を立てた。最初は、調子がよかった。だが、途中で人柱の子がストライキを起こした。

「はっ、彼女は? 彼女は目を覚ましたんですか?」

「それがね、実に残念なことに目を覚ましてしまった」

 悔しそうに言う教授。オレは、身体中の電極を引き剥がしベットから転がるように降りて別室に向かう。

 もう何日居たかわからないが、身体は衰弱しきっていた。数メートルの廊下でも辛い。でも、今はとにかく彼女に会わなければ。

 オレに向かって差し伸べられた手を取らなければならない。

 オレは、ICUに飛び込んだ。

 そこの奥には、彼女が寝ていた。意識はない様に見える。規則正しい脈拍と呼吸。連れて帰られなかったのかと後悔をはじめたとき、彼女は正常な脈拍と呼吸を維持したまま起き上がる。

 その強気な目と意志をもってこちらに手を伸ばした。

「こんにちは。顔と身体のあるあなたも嫌いじゃないわよ」

「ああ、キミの眼差しと言葉は相変わらずきついな」

 今度こそ、オレは彼女の手を取った。

<了>

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