深夜のご飯

 鍵を開ける音がして席を立つ。時計は日付が変わって二十四時半過ぎを指している。

「ただいまあ」

 恋人の間延びした声。玄関を覗き込むと、文字通りにくたびれた恋人が立っている。肩を落としうなだれているせいか、少し身長が縮んだようにすら見える。

「おかえり。夜っつうから待ってたけど終電ギリじゃんこの時間」

「危なくまた帰れなくなれそうだったんだ。先輩が逃がしてくれた」

 靴を脱いでいる恋人から鞄を受け取りながら、逃がすという言葉の使い方に苦笑いをこぼす。今回のシステムトラブルはどうやらかなりの強敵らしい。

「ね、何か食べたい」

「うん? 夕飯食ってねえの?」

「コンビニのおにぎりは食べたんだけどさあ」

 もう康平のご飯じゃないと満たされなくて。言いながら、胃の当たりを押さえて眉根を寄せる。わざとらしい仕草が若干楽しそうではあるものの、顔色はやはり良くない。

 夕飯と思って作ったのは竜田揚げだった。徹の好物だが、流石にこの時間に揚げ物を食わせるのは負担が大きすぎる。消化に掛かる負担はできるだけ抑えて、体力の回復が効率的になるような夜食。冷蔵庫の中にあるものを頭の中でざっと並べる。

「じゃあ何か作る。その間に風呂入ってこい、お湯溜めてあるから」

「無いならいいよ?」

「腹減ってんだろ。風呂場で寝るなよ死ぬぞ」

「ありがとう。寝てそうだったら起こしに来て」

 徹がネクタイを緩める。襟元から覗く首筋にほんの少しだけ情欲が疼く。だがそれよりも、今は飯だ。


 レタスをざく切りにして洗い、適当に水分が残ったまま皿に移してレンジにかける。

 パックから小さな豆腐を取り出してお湯に浸ける。鍋に水、顆粒だし、チューブの生姜、醤油、みりんを注いで温める。味付けは薄く柔らかく。ネギも欲しかったが、無いものは無い。

 蒸し終わったレタスをレンジから取り出し、代わりに冷凍保存してあった鮭の切り身を解凍する。レタスには梅干し、ポン酢、ごま油の合わせ調味料を和えておく。

 沸いた鍋に水溶き片栗粉を注ぐ。とろみが付いたところに溶き卵を加えて火を止める。

「徹、起きてる?」

 風呂場に声をかける。返答がない。まさか寝てるんじゃないだろうなと思い覗き込むと、丁度頭を洗っているところだった。

「何覗いてんの」

「胸を隠すな胸を。無いだろそもそも」

「康平のえっち」

「今さら裸なんか覗くかよ」

 少し笑って浴室を後にする。レンジから解凍完了の音がする。解凍の終わった鮭をフライパンに移し、酒を注いで火にかける。


 蒸しレタスの梅和え、豆腐のあんかけ、鮭の酒蒸し、それから白米。食卓に並んだ料理を見て、徹はわかりやすく目を輝かせた。

「すごい、これ今作ったの? こんなに?」

「大したもん作ってねえよ、ほぼ温めただけ」

「でもすごい。嬉しい、康平のご飯」

「全部は食わなくていい。しんどくない量だけ食って、眠くなったら寝ろ」

「うん。いただきます」

 徹はいそいそとテーブルの前に座り、箸を持ってぴったりと手のひらを合わせた。徹は食事を摂る前にかならず手を合わせる。そうされると、自分が作ったものが徹にとって喜ばしいものなのだという気がして嬉しくなる。手を合わせ口元を緩めて机に並んだ料理を見る、徹の目が、好きだ。

「わざわざごめん、夜遅いのに」

 言いながら順序立てて料理に箸をつける。さすがに勢い良く食べるだけの体力はないらしく、少しずつ静かに料理を口へ運ぶ。風呂に入ったせいか少し顔色が良くなったものの、まぶたは少し重そうだ。瞬きが長い。

「いいよ。頑張った奴にはご褒美。明日は?」

「午前半休もらった。午後から仕事」

 半休も何も既に午前に入っているわけで、それは半休というよりはただのインターバルだ。帰宅して、風呂入って飯食って寝る。それしかできない時間。

「つうかそもそも明日は土曜だ。休日出勤の間違いだろ」

「あれ、そうだっけ」

「大丈夫かよほんと」

「納期ありきなら日付は気にするんだけどね、今回みたいに障害対応だとそのへんはあんまり関係なくなっちゃって」

 話しながら食べ進め、皿は少しずつ確実に空になっていく。全部食べなくていいとは言ったが、やはり全部食べてもらえればそれだけ嬉しい。恋人のこの顔を三日ぶりに見ることができるならば、深夜に簡単な食事を作ることなんかは苦ではない。

「うまい?」

「おいしい、幸せ」恋人はゆるく相好を崩す。呂律が怪しい。「昨日のお弁当もおいしかったけどー……温かいご飯を康平の顔見ながら食べられるのは格別」

「口説くのがうまくなった」

 ふふふふと小さく返す声が甘い。最後の一口が口に運ばれるのを待って、皿を流し台へ移す。米は冷凍があるから、夕方作った竜田揚げは弁当箱に詰めて明日持たせてやろうと思う。

「じゃあまだお預けだな。期待してたんだけど」

 何がとは言わなくても伝わったようで、徹は困るような笑うような曖昧な顔をした。

「ごめん」

「次の休みにたっぷり搾り取ってやるよ」

「お手柔らかに」

「言える立場か。ほら、とっとと歯磨いて寝ちまえ」

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ご飯食べよ 豆崎豆太 @qwerty_misp

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