Ⅱ 並ぶの苦手なんだよな
国の北東から流れ込む巨大な河川と肥沃な森林に囲まれたアメジストの都は、
「そっか。あれだけ多いってことは今日は大市場の日なのね」
「大市場?」
「うん。都では月に四回、広場で大規模な市場が開かれるの。普段の定期市と違ってこの日は交易が主な目的。領内はもちろん、地方からも行商の人たちが出店や買い付けに集まってくるから街は人で大賑わいのはずよ」
「ふーん、だからあんなに並んでんのか。昨日はそうでもなかったのにな」
都の市壁へと伸びる街道はいつくかあり、圭介たちが今歩いているのはその内の一つである川沿いの寂れた細い下り道だ。途中、遠方に人の姿がまばらに目につくようになったので、都まであともう少しかと思っていたその先に、今度はずらりと並ぶ列の群れが目に飛び込んできたのだった。
「あんなもんじゃないわよー。この時間に入都の検査を受けてるってことは、あそこにいる人たちは何らかの事情で遅れてきたか、もしくは午後から出回るような品を扱っているか狙っているか、そのどちらかってことね。市場自体は朝早くからやってるもの。もちろん商人以外の人たちも大勢いるから、中に入ると驚くわよきっと」
「うえ、マジかよ。まともに買い出し出来るんだろうなそれ」
「ふふっ、どうかしら。でも食べ物と照明くらいなら広場の市場じゃなくても買えるし、大丈夫じゃない?」
げんなりとした表情を浮かべる圭介の横で、川べりのぎりぎりを楽しむかのように歩くエメラルドはあの長い列を見ても平気でいる。
それが当たり前のことなので慣れているのか、あるいはもともと抵抗を感じない性格なのかはわからないが、今みたいな雰囲気であれば昨日の内に買い出しを済ませることができたのにな、とつい考えてしまう。
「うーん、つっても、せっかく来たんだったらその市場で買い物をしたいよな。なんか珍しい食い物とか売ってそうだし」
「午後からでも食材を扱ってるお店は多いわよ? 新鮮な状態をお望みなら、ちょーっと値は張るけどね」
「ん? ああ、いや。新鮮な物よりはどっちかっつーと日持ちするほうがいい。さっきも言ったように食事は基本的に外で済ませるつもりだからな。持ち帰るのは家の中で保存が利くようなやつじゃないと困る」
冷蔵庫が使えない以上、仕方がない。
圭介が言うと、エメラルドは腕を組んでそうねえ、と頭を捻り始めた。
「珍しい食べ物……腐らせてもダメ………………あ、そうだ。葡萄とか!」
「は? 葡萄?」
思わず聞き返してしまった。
「そ、葡萄! えへへー、オズは知ってるかなあ、あの甘くて甘くて美味しい果物」
「…………知ってるよ」
珍しくないことも、ついでに足が早いことも。
どんな珍しい食べ物の名前を聞かせてくれるんだろうと期待していたらこれだった。
「あ! オズも知ってるのね!」
だが、喜色満面といった様子でこちらに飛びついてくるエメラルドは、そんな圭介の冷ややかな視線には気付いていないらしい。
「この国ではね、葡萄作りが盛んで、ちょうど今が収穫期に入った頃なの。今年は天候にも恵まれてたし、全体的に作物が豊富に育ってるみたいだから、葡萄もきっと美味しく実ってるに違いないわ。あのつぶつぶで水気の多い香り豊かな食感と色合いはまさに果物の魔法石……」
そう語り、頬に手を当てながらうっとりした表情を浮かべるエメラルド。若干涎が垂れているように見えるのは気のせいだろうか。
しかし、
「きっと市場ならすでに出回ってるはずよ、オズ」
ずい、と急に真剣な顔つきで迫ってきた。そこで圭介は初めて葡萄を買えとねだられていることを察する。
「い、いや……別に買っても、いいけど……」
「ほ、本当!? やった!」
マスカットのほうが似合うんじゃないかというくらいに大きく見開かれた緑の瞳に気圧されてしまった。それでなくとも真正面からの距離の近さには慣れていない。
「いいけど、日持ちはしねえだろ、葡萄。俺の説明はなんだったんだ」
だから、そんなことですぐに顔を赤くしてしまうのがちょっとだけ悔しくて、嬉しそうに跳ねるエメラルドに対して言った台詞がそれだった。
「大丈夫、今日中にぜーんぶ食べるから!」
ただ、どうにもこの魔女には勝てる気がしない。
「…………なるほど、それなら腐る心配はないな」
圭介はため息をついた後、でしょ?と得意気な笑顔でいるエメラルドを放ってしばらく視線の先にある列の群れだけを追うことにしたのだった。
♦︎ ♦︎ ♦︎
「……変ね」
エメラルドがぽつりと呟いた時、圭介もちょうどその様子に違和感を感じ始めていた頃だった。
「ああ、積荷や所持品の検査ってこんなに時間がかかるもんなのか?」
そう言ったのは、二人で市壁に入る待ち列に加わってからもう大分時間が経っているにも関わらず、前へ進む流れがあまりに遅すぎるせいで、列が一向に縮まる気配を見せていなかったからだ。
「ううん、いつもはもっと短い間隔よ。そもそもそういうのはここに来るまでの途中の関所で何回か済ませてるはずだもの。あそこで行うのは基本的には通行証と素性の確認だけ。それに、あれ見て」
エメラルドが指を指した先には、列の先頭辺りで警備隊士らしき男たちに背を押され、どこか別の場所へ連れて行かれる一群の姿があった。
女の人だけだ、とすぐに気付いたのは、皆揃って顔を隠すようにフードを被っていたものの、同じように全員が長い丈のスカートを履いていたからだ。
どうやら女性は個別に検査をされているらしい。それを察したのか、エメラルドは怯えた顔で圭介を見上げた。
多分、ジェイルたちから尋問を受けた時のことを思い出したのだろう。それにいくら女王お墨付きの魔女とはいえ、エメラルドの胸元には誰も見たことがないという希少な魔法石が今でもぶら下がっている。もし身体を調べられれば一発で見つかるだろうし、検査を行う者が城での事情を知らなければまたぞろ厄介なことになるに違いない。
だから、圭介は胸の辺りをぽんと叩いて言った。
「心配すんなって。いざとなりゃこれがある」
オリガから貰った特権状だ。
もともとこういう状況に陥った際を見越しての含みもあったはずなので、ここで出しても問題ないだろう。面倒が起こる前に、これを使って無理矢理押し通ればいい。そう考えた圭介は、まだ不安そうにしているエメラルドを安心させるため、パーカーに付いてるフードを掴んで頭に被せてみた。
「みんなこうしてるみたいだぞ」
少し意地悪気にそう言ってやると、いくらか気が紛れたのか、エメラルドは苦笑いしながらもう、と口を尖らせる。そんなエメラルドの可愛らしい姿を見て圭介もつい笑みを零したのだが、それにしても一体どういう状況なんだろうかと再び列のほうへ目を移した。
相変わらず遅々として進まない流れ。
やがてしばらくした後、いよいよ圭介たちの番が回ってきたのだった。
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