蛮族が嫁

クファンジャル_CF

蛮族が嫁

赤茶けた大地だった。

吹きすさぶ風は乾ききっており、巨岩が転がっているほかは何も見当たらぬ。そのような荒野である。

にもかかわらず、歩いている者はいた。

異様な姿であった。頭にかぶっているのは角を側頭部から伸ばしている水牛の頭蓋骨。しなやかに引き締まりながらも豊かな曲線を同居させた肉体は、最低限を獣皮で覆われただけ。手にしている杖はねじ曲がり、装飾が施された枝からなっていた。腰に付けた水袋は恐らく草食動物の臓物から作られたのだろう。そして、小さなポーチと背負い袋。足には何もつけておらぬ。

それが、の姿であった。

ふわふわとした髪をなびかせながら歩く彼女は、魔法使いに違いあるまい。

地平線の彼方。

夕日が沈みつつあるのを見た彼女は、野営するべく手ごろな岩陰を見つくろった。


  ◇


先客がいた。

分厚いローブは昏い色。フードで顔を深く隠し、傍らには剣。大剣である。金属は貴重だった。それをふんだんに用いて作られた武具。

女は、剣に宿る強烈なまでの霊気を感じ取っていた。男がまとう、ただならぬ雰囲気も。

彼は焚火にあたっていた。燃料はそこらに生えている草。このあたりのそれは油脂を含んでおりよく燃える。そしてもうひとつ、獣の糞である。

「火に当たらせてもらってもよいかな」

女は言葉を口にした。深く、響く声であった。

ローブの人物―――おそらく男は、首肯。

ありがたく、女は腰かけた。

「冷えるな」

「ああ」

女は、背負い袋から燻製肉を取り出すと、口に含んだ。カチカチに固くなったこれは、長い時間噛みしめなければ嚥下できぬ。

対する男は、水袋の中身を飲んでいた。酒であろうか。ちびちびと舐めている。

やがて陽光が去り、天に星が現れ始めた。太陽神が眠りへとつき、星神が目を覚ましたのだ。

そして、この時間の支配者はそれだけではない。

暗黒神。闇の神々の盟主たる邪神の時間でもある。

「どこへ行く?」

男が訊ねた。

女は、何と答えたものか思案した挙句、答えた。

「ひとまず荒れ地を抜け、人里を目指しておる。人を探していてのう」

「そうか」

「そなたは?」

狩りハンティングだ」

「ほう?」

女は、男の返答に興味を持った。彼の装備は狩りというのには少々不似合いである。飛び道具の類を持っておらぬではないか。

やがて。

男は水袋の口をしっかりと閉じると、腰に付けた。更には大剣を左手で掴む。

女も、同時に身構えた。

「―――獲物が起きたようだ」

「獲物の真横で酒を呑んでおったのか。なんと剛毅な」

立ち上がった二人が見つめる先。

つい先ほどまで風よけにしていた巨岩。それが、震えた。

どころか、そいつはいくではないか。

「―――変身巨人トロゥルか」

闇の種族の一体。岩のような体を持つそいつは、昼間にはただの岩のように見える。見分ける術はない。

だが、太陽が沈み、夜の帳が降りた頃、動き出す。闇の魔力によってその肉体を変幻自在に操り、人の類を食い殺すべく活動を再開するのだ。

ゆっくりと立ち上がったそいつは、毛むくじゃらの顔をこちらへと向けた。

信じがたいほどに大きい。ちょっとした館ほどの図体はあるだろう。よくぞここまで育ったものだ。普通、変身巨人トロゥルとはここまで大きくはない。せいぜい半分ほどである。


―――GUUUUUUUUUUUOOOOOOOOOOOOOOOOOO!


咆哮と共に、そいつは腕を一閃した。

豪風のごとき一撃。ただの一撃で城壁すら破壊しかねない威力が、男女へと襲い掛かる。

横薙ぎのそれは、男に直撃。

―――その瞬間、真上に跳ね上がった。

男が抜き放った大剣。それによって受け流されたのだ。

恐るべき技量だった。

感心した女は、腰のポーチへと左手を伸ばす。中にしまい込まれた触媒へと触れるために。

準備を整えた女は、印を切り、右手の杖を掲げ、そして呪句を唱えた。力ある魔法の言葉。万物に宿る諸霊へと、助力を誓願する。

女が虚空からのは、雷光だった。稲妻ライトニングボルトの名で呼ばれる秘術を、彼女は投射。

音の四百倍の速度で、稲妻は襲い掛かった。

強烈な一撃は変身巨人トロゥルの頭部を直撃。黒焦げとする。

「どうだ?」

だが。

べりべり、と炭化した表層がはがれ落ちると、中から出てきたのは傷一つない頭部。

変身巨人トロゥルの肉体は変幻自在である。殺すのは生半可な方法では不可能だった。


―――GURRRRRRRRRRUUUUUUUUUUUUOOOOOOOO!


頭ひとつぶんだけ小さくなったそいつは、猛り狂う。

反撃は強烈であった。

真上から振り下ろされた足は、まるで大瀑布。

女がぺしゃんことならずに済んだのは、男が庇ったからであろう。彼は手にした剣の腹で、敵の一撃を受け止めていたのだった。

「―――こいつは俺の獲物だ」

「そのようだな」

じりじり、と押し込まれていく男。その手にしている刃が、黄金色であることに女は気が付いた。青銅で作られているのだ。

魔法文字が刻まれた刀身に宿る強烈な自我を、女は確かに認めた。

男が、言葉を口にする。器物に宿る霊へと命令を下す、魔法の言葉を。

剣は、それに応えた。

その威を持って周辺に存在するへと下された命。すなわち、まだ燃え盛っていた焚火に対して魔剣が与えた命令は、以下の通りである。

変身巨人トロゥルを殺せ、と。

炎が膨れ上がった。かと思えば、それは変身巨人トロゥルの全身へと絡みつき、焼き払っていく。

奴の魔力は形を変えるものであって、失った肉を再生するものではない。

炎が引いた時、変身巨人トロゥルの大きさは随分と小さくなっていた。

ほとんどの魔力を失い、岩となりかけているそいつ。

そこへ、大剣が振り下ろされた。

闇の怪物は、真っ二つに断たれた。


  ◇


「見事。そなたにしよう」

「うん?」

戦いが終わった後。

女の言葉に、男は怪訝な顔をした。

「言ったであろう。人を探している、と」

「ああ」

「わらわが探していたのは強き男よ。

我が部族は今、北方より攻め入る闇の種族によって圧迫されている。それをはねのけるためには、一族に強き血を入れる必要があるのだ。そなたを我が夫として迎えたい」

「……俺は忙しいんだが」

「ならば気が変わるまで、どこまでも付き合うとしよう」

「……やれやれだ」

男は―――魔剣鍛冶の魔法使いである男は、ため息をついた。

これは大変そうだ、と。

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