お兄ちゃんと先輩さん

 私には一つ上のお兄ちゃんがいる。自慢のーーいや、自慢出来るお兄ちゃんではないけど、嫌いにはなれないお兄ちゃんだ。


 はっきりと言って、お兄ちゃんはなかなかハイスペックだと思う。優良物件だ。


 顔はなかなか整っている。だけどいつも眠そうというか怠そうで、そのせいで目つきが悪いと感じる人もいる。まあでもやっぱり、その点を差し引いても整っているとは思う。

 頭は良い。学年でトップ10には必ず入っているし、私もよく勉強を教えてもらっている。下手な教師よりもわかりやすい。

 運動だってそこそこ出来る。出来なければ中学の成績をほぼオール5にすることなんて出来ない。


 だけど、そんな隠れハイスペックなお兄ちゃんだけど、友達はいない。気取っているとか、見下しているというわけじゃない。ただ、合わないというだけだ。


 まあそのおかげかハイスペックなのだろうけど。時間が有り余るわけだから。


 だけどここ最近、お兄ちゃんの様子がおかしい。普通の高校生っぽいことではありますけど、お兄ちゃんがすると変なこと。


 お兄ちゃんは普段、家にいるときは自室かリビングで本に読み耽ることが多い。その時はコーヒーを入れて、芋かりんとうをおやつに、だらけつつも整った顔は相変わらずの仏頂面でいる。


 しかしここ最近、お兄ちゃんは愚痴るようになった。あまり感情を出さないお兄ちゃんが、というか他人に関心を持たないお兄ちゃんが、誰かに対する愚痴を言うなんて、これはなんの前触れ? 天変地異の?


 と、でもなんだかんだお兄ちゃんが吐露してくれることは私も嬉しいわけで、おかしいなと思いつつも耳を傾けた。


 どうやらお兄ちゃんの平穏に荒波を立てる女子の先輩がいるらしい。バカだとか、めんどくさいだとか。でもお兄ちゃんもなぜか排しきれないようで、手を焼いているようだ。


 これはお兄ちゃんを害する虫として警戒するべきなのか、それともお兄ちゃんに歩み寄ってくれる人と見るべきなのか、判断に迷います。


 まあ、お兄ちゃんが本気で嫌がっているのらお兄ちゃん自身でなんとでも出来る筈だし、私がお兄ちゃんの友好関係にあれこれ突っ込んていいはずがない。私のだって嫌だ。気になるけど。


「飯出来たぞ」

「うん」


 とある休日。兄妹仲も悪くないし、とりあえずは保留としておこう。今はただ、お兄ちゃんが作ってくれた昼食を食べよう。お兄ちゃんのパスタ、昔から好きなんだよね。


「いただきます」

「おう」


 本当に、優良物件なお兄ちゃんだ。



 ***



 お兄ちゃんが、誰かと本の貸し借りをしているらしい。

 というのも五月も終わり六月の序盤。お兄ちゃんがリビングにある本棚から何冊かの本を見繕っているところを見かけた私は、お兄ちゃんに声をかけた。


「お兄ちゃん何してるの? 」

「ん? ああ、貸して欲しいって人がいてな」

「ふーん」


 何気なしに流したけど、これは重大な事件だ。

 だって、お兄ちゃんだよ? お兄ちゃんが誰かにモノを貸すなんて、何年ぶりだろう。私が覚えている限りでも小学生の時、はなんかもう一人極めてた気もするけど。

 そうなると、お兄ちゃんが初めてモノを貸すということになるのかな。うーん、でもさすがにお兄ちゃんでも誰かにモノを貸したことくらいあると思うんだよね。お兄ちゃん誤解されやすいけど優しいし。


 アイスをぺろりとして、お兄ちゃんをぼんやりと見ているとふと思い出しました。


「もしかして、先輩さん?」

「……よくわかったな」

「だってお兄ちゃんが外のこと話すのって、その先輩さんのことだけだし」

「……」


 私が言ったことに気がついてなかったのか、お兄ちゃんは面食らった顔をした。そして、何やら感心深く頷いて、でもため息をつきました。


「お前に、見破られるなんてな」

「ちょっとそれどういう意味お兄ちゃん!?」


 そんなやりとりがあって、夏休みに入ってからもお兄ちゃんは時々本棚を紙袋に詰めて出かけることがある。聞くとやっぱり先輩に本を貸しているみたいで、逆にお兄ちゃんが貸してもらったりもしている。

 お兄ちゃんはどちらかというとミステリ系に偏っていて、借りてくる本を見ると先輩さんは恋愛モノが多い。どうしてこの二人の間で本の貸し借りが成り立ったのか気になるけど、何か琴線に触れるものがあったのだと思う。


 寡黙なお兄ちゃん話して……話しているのかはわからないけど、それでもお兄ちゃんと割と気の合っている先輩さんとやらは、ほかの人と何が違ったのだろう。



 ***



 文化祭。やっぱり私と花の女子高生だし、それなりに楽しみではある。準備はめんどくさいけどそれも笑い合って楽しむのがひとつの正解だと思うし、私はその考え方に賛成だ。


 けど、お兄ちゃんは違う。多分割り振られた仕事は仕事と全うして、クラスの陰に紛れて一人黙々と作業をする。そんな光景が思い浮かぶ。


「どしたのー? にやにやして」

「な、何でもない」


 一緒に作業をしていたクラスメイトに訝しまれる。……私、そんなに酷い顔をしていたのだろうか。


「それよりも早くやっちゃおう」

「……うん。いいけど、突然にやけないでね。ぶっちゃけ怖いから」

「にやけないよっ!」


 だといいねーと軽く流されてクラスメイトは作業に戻った。

 さすがにいたたまれなくなって、細かい作業の気分転換にと視線を教室に巡らせれば、扉の近くにあった机に意識が止められた。

 立ち上がって寄ってみると、私のお気に入りのハンカチが置かれていた。慌ててポケットを確認してみるとそこにあるはずのものがなくて、机のそれがお気に入りだと気がつく。

 いつのまにか落としていたみたいだ。


「声かけてくれればいいのに、お兄ちゃん」


 すぐにお兄ちゃんが届けてくれたのだとわかった。だって名前は書いていないし、誰も気がつかなかった時点でもうお兄ちゃんだ。

 どうせ私がお兄ちゃんと兄弟だってわかるのを避けたんだろうけど。何を隠す必要があるのだろうか。


 私はあることに思い至って、さっきまで一緒にいたクラスメイトに声をかけた。


「あのさーー」



 そして当日。


「お兄ちゃん」


 と、図書室に籠るだろうお兄ちゃんを私は確保して、一緒に文化祭を回ることにした。お兄ちゃんはもう少しシャキッとしてもいいと思うし。

 まあ、荷物持ちとして付いてきてもらってるけど。さすがに恥ずかしいし。


「お前、友達と回らなくていいのかよ」

「明日回る約束してるからいいの」

「そうか」


 お兄ちゃんには悪いことしたと思っていたのに、気遣ってくれた。やっぱりお兄ちゃんは遠回りしてるけど優しい。そう思うとるんるんしてしまう。


 私は機嫌もよく久しぶりの兄妹デートを楽しんだ。それが自校の文化祭というのは振り返えればハードル高いなと思うけど、案外楽しいもので、あっと言う間だった。


 それに、お兄ちゃんの視線を追うと、お兄ちゃんこと見つめて悲しそうな顔をしている女子の先輩も見つけることが出来た。

 きっと件の先輩さんだ。あれはどう見ても脈あり。


 ようやく、お兄ちゃんにも春が訪れるみたいだ。



 ***



 大晦日。お兄ちゃんと一緒に出かけようと思ったけど、どうせ炬燵でぬくぬくとするんだろうと思って友達と出かけることにした。それでも一応聞いてみるあたり、私、最近ブラコンなのではないかと思い始めた。何がきっかけだ?


「元からでしょ。自覚の問題」

「えー……」


 と、友達に聞けばそう返されて私は納得がいかなかった。別にお兄ちゃんが好きなわけじゃない。そりゃ尊敬できるし、たまには構って欲しいなと最近はよく思うようになったけど、やっぱり私はブラコンじゃない。

 ……だってブラコンだったら、こうして今もお兄ちゃんのデートしてる先輩さんの応援なんかしないから。


「ちょっとちょっと。どこ行くの」

「む。今いいところなんだから静かに」

「何が……。ああ、はいはい。ブラコンちゃんに付き合いますよ」


 どうやらお兄ちゃんを見つけた私に付き合ってくれるらしい。この友達、なんだかかんだいってノリがいい。というか流されるがままというか、この脱力感、どことなくお兄ちゃんに通ずるモノを感じる……。


「むぅ……」

「え、なに。あたし見て何唸ってんの」

「別に」


 さすがに八つ当たりが過ぎる気もするので心を落ち着かせる。


『ゴーン』


 そこで除夜の鐘が鳴った。低く響く鐘の音は、喧騒慌ただしい境内にもよく聞こえる。人の声を清めるように広がり、私の耳を支配するようだった。


「あ、あけましておめでとう。今年もよろしく」

「あけおめことよろ」

「雑だなぁ……」


 気の抜けるのは年を越しても変わらないようで、なんだか特別な雰囲気もあっという間になくなった。

 お兄ちゃんのいる方を見てみる。するとちょうどその横顔が見えて、私はああと思った。


 ーーお兄ちゃん、恋したんだなぁ



 ***



 今日はバレンタイン。お兄ちゃんもきっと先輩さんに呼ばれるはずだろう。

 そんな私の読みはあたり、寒い……と渋るお兄ちゃんを叩き出した。


 きっとお兄ちゃんは今日、先輩さんに告白されるだろう。というかなんでまだあの二人は付き合っていないのかと聞きたいくらいだ。いい加減お兄ちゃんの愚痴も惚気に聞こえてきたし、学校で見かける先輩さんの乙女顔にコーヒーが欠かせなくなってきていた。


 まあ、けど今日はやっぱりバレンタイン。とびきり甘い日であっても私は許そう。もちろん妹として、お兄ちゃんにチョコケーキを振る舞う為に今もせっせと準備しているのだけど。


 お兄ちゃんが出かけてどれくらい経ったのだろう。

 一人黙々と作業を進めて、完成したチョコケーキ。お兄ちゃんが作ってくれたものに比べるとお粗末な気もするけど、甘さでは負けない。甘々で帰ってくるだろうお兄ちゃんにとびきり甘いのをくれてやるのだ。


「ただいま」


 そしてお兄ちゃんが帰って来た。さあ、甘々話を甘いチョコケーキをおやつに聞こう。私は嬉々として玄関にお出迎えをした。


 ーーそんな私の認識が甘かった。


「おじゃま、します」


 初心か! とツッコミたくなる、いつもに増して乙女な先輩さん。それもそのはず、あのお兄ちゃんに手を繋がれているのだから。


「コーヒーお願いしまーす」



 ***



 いつの日か、お姉ちゃんが欲しいと思ったことがあった。でもさすがにこの歳でそう強請るわけもいかず、じゃあきっと出来る義姉ちゃんを待つことにしようとお兄ちゃんにいったことがある。


 その時のお兄ちゃんは「無理」なんていって、あまりの即答に家族揃って呆れたものだ。


 でもやっぱり私は欲しくて、あんなことがしたいとか、こんなことが話したいとか色々と想像したしたりもした。


 その時は決まってお兄ちゃんは私だけのお兄ちゃんというのも今思えばあったみたいで、悶々としたのを覚えている。


 けど、先輩さんは義姉ちゃんと呼びたいと思った。

 そして、こんな素敵な恋をしたいとも。



 理想は……お兄ちゃんなのかもしれない。けど、先輩さんみたいになれる自信はない。だからやっぱり私を見てくれる人がいい。私がいいと言ってくれる人がいい。


いや違うかも。心にあるのが当たり前だと思える人がいい。


 お兄ちゃんと先輩さんの根底にあるのはそういったものに思えて、羨ましいと思う。


 だから私は、いつか、ゆっくりと、溶け入るような思いが芽生えればと思う。



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先輩ちゃんと後輩くん ヒトリゴト @hirahgi4

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