狐と二人と稲荷寿司

無月弟(無月蒼)

狐と二人と稲荷寿司

 いつからだろう。気が付いた時には毎朝山を下りた先にある神社を訪れるのがボクの日課になっていた。それは今日みたいな冬の寒い日だって例外じゃない。

ボクの名前はチビ。この神社の裏山に住んでるフワフワでモフモフな狐だ。

「チビ、今日も元気だな」

 そう言ったのはこの近くにある高校に通う男の子、蓮君だ。この蓮君がボクの名付け親。人間に比べたら狐なんてみんなチビなのだから、もう少し良い名前を付けてもらいたかったけど、まあ良いや。ほら、今日もボクのモフモフな体で癒してあげよう。

「こらチビ、足にすり寄るな。くすぐったいって。慌てなくてもお前の目当てはこれだろ」

 そう言って蓮君は鞄からタッパーを取り出して蓋を開けた。その中に入っていたのはボクの大好物、稲荷寿司だ。早く食べたい。そう思って蓮君を急かしたんだけど。

「水野君、だよね?」

 不意にそんな声がした。ボクと蓮君が揃って声のした方を向くと、そこには蓮君と同じ学校の制服を着た女の子が立っていた。

「谷木さん?どうしたのこんな所で?」

「えっと、偶然水野君が神社に入って行くのが見えたから、ちょっと気になっちゃって」

 水野君?ああ、蓮君のことか。で、この女の子は谷木さんっていうのか。どうやら二人は顔見知りらしいけど、そんな事より早く稲荷寿司が食べたい。

「ああ、俺はコイツ用があってな」

「コイツって?ああ、狐!」

谷木さんはようやくボクに気づいたようだ。ボクの前まで来てしゃがみ込む。

「可愛い。何、もしかして毎朝この子にご飯あげてるの?」

「入学したての頃、朝たまたまここに寄ったらコイツがいて、持っていたパンをあげた。それ以来たまによっては餌づけしてたけど、いつの間にか日課になったんだよ」

「そうなんだ。ねえ、狐って何食べるの?」

「基本何でも食うと思うけど、最近はコレ」

「稲荷寿司か。でも昔話ではよく聞くけど、実際の狐ってこんなの食べるの?」

「俺も最初はどうかと思ったけど、チビはちゃんと食べるぞああ、チビっていうのはこいつの名前な。ちょっと見てな」

 そう言って蓮君は稲荷寿司を一個、ボクの前に差し出した。ようやく食べれる。ボクは差し出された稲荷寿司にかぶりついた。

「本当だ。美味しそうに食べてる」

「谷木もあげてみる?」

「良いの?やるやる」

 そう言って今度は谷木さんが稲荷寿司を差し出した。もちろんそれも食べる。

「食べてる。水野君、毎朝こんな事してたんだね。これで水野君のお弁当によく稲荷寿司が入ってる理由がわかったよ」

「何で谷木が俺の弁当を知ってるんだよ?」

 そう言ったとたん、水野さんは頬を染めた。

「そんなの教室で食べてたら分かるよ。皆言ってるもん」

 二人のやり取りをボクはじっと見つめる。蓮君は気付いていないみたいだけど、きっと谷木さんは蓮君のことをいつもよく見ていたのだろう。ああ、青春してるなあ。

「ねえ。私もここにきて良い?」

「まあ、チビが嫌がらなければ……」

 どうやら照れているらしい。よし、ここは一肌脱ごう。そっと谷木さんにすり寄った。

「チビ君懐いてくれた。嫌じゃないみたい」

 谷木さんが笑顔になる。たぶんボクよりも蓮君と会えることの方が嬉しいんだろうな。

「来るのは良いけど、遅刻しないようにな。そろそろ行かないとヤバイぞ」

「あ、本当だ。それじゃあチビくん、またね」

そう言って二人は駆けて行った。もし谷木さんもご飯を持って来てくれたら、朝食は豪華になるかもしれない。

(ボクのご飯のためにも、どうか二人が上手くいきますように)

 ボクは人間の作法にならって、神社の神様にお祈りをした。


 結論から言うと、ボクの朝ご飯が豪華になることは無かった。たしかに谷木さんはパンやソーセージをくれたけど、正直蓮君の稲荷寿司の方が美味しかった。しかも蓮君は食べ過ぎるのは良くないって言って、ボクにくれる稲荷寿司の数を減らしてしまったのだ。

 ボクは抗議したけど、なぜか人間はボクの言葉が分からないようだから気付いてもらえなかった。

 そんなボクから見ての事だけど、どうやら谷木さんは蓮君のことが好きらしくて、蓮君の方も満更ではなさそうだ。毎朝神社で他愛もない話をしては二人して笑っている。

 だけど、二人はまだ付き合ってはいないらしい。二人が夏服になった頃、いつもより早く来た谷木さんが「今日こそ水野君に告白する」と言ってたけど、その後来た蓮君を見て緊張してしまい、結局言い出せなかった。

 学校で告白するのかなとも思ったけど、次の日来た谷木さんが「告白できなかったよー」とボクに泣きついた。狐に愚痴るより友達に相談した方が良いような気もするけど、可哀そうだから最後まで話を聞いてあげた。

 蓮君も意識しているようだからさっさと告白しちゃえば良いのに。まあ、ボクは毎朝稲荷寿司が食べられるならそれで良いや。

 蓮君が稲荷寿司を持って来ては谷木さんと二人でボクに食べさせる。そんな毎日がこれからもずっと続いて行くと思っていた。


 最近寒くなってきた。気がつけば蓮君や谷木さんも冬服に戻っている。神社に来るのが二人に増えてから、もう一年が過ぎていた。

「お前元気だな、寒くないのか?」

 いつものように蓮君が現れる。もちろん寒いけど、それよりも今は朝ご飯だ。稲荷寿司が出されるのを待ったけど、何故だろう?今日の蓮君はなんだか寂しそうな顔をしている。

「ごめんなチビ。明日からは稲荷寿司をあげられないんだ」

 ああそうか、明日は土曜日だ。土日は学校が休みだから。けど月曜日になったらまた食べれるんだし良いや。そう思ったけど。

「俺、明日引っ越すんだ」

一瞬、蓮君が言った事の意味が分からなかった。引越しって、遠くに行っちゃうって事だよね。遠くに行ったら当然稲荷寿司を持ってこれない。じゃあ、ボクの朝ご飯はどうなっちゃうの?ショックで固まっていると。

「水野君、チビ君おはよー」

 明るい声を上げて谷木さんが現れた。谷木さんどうしよう、ボクはもう稲荷寿司を食べられないの?

「あれ、どうしたのチビ君?そんなにすり寄ってきて。水野君に苛められた?」

 違うよ、どうして分かんないの?というか、谷木さんはどうしてそんなに平気そうな顔をしているんだろう?谷木さんだって蓮君と会えなくなっちゃうんだから悲しいでしょ。

 そんなボクの心中など知らない蓮君が、稲荷寿司の入ったタッパーを手に近づいてくる。

「たぶん俺が中々ご飯をあげなかったから谷木にねだったんだと思う」

「そっか、チビ君食いしん坊だね」

 違う、そうじゃないよ。何てもどかしいんだ。とりあえず稲荷寿司は食べるけど。モグモグ、うん美味しい。

 けどこれが最後かと思うとやっぱり寂しい。谷木さんがボクの頭を撫でるけど、今は愛想を振りまけるような気分じゃない。

「あれ、なんだかチビくんご機嫌斜めだね。どうしたのかなー?」

 そう問いかける谷木さんを、蓮君が見る。

「なあ、谷木……」

「何?」

「いや、何でもない」

そう言って蓮君は黙ってしまった。谷木さんは首を傾げたけど、すぐにボクに向き直る。

いや、何でもないわけないでしょ。もしかして蓮君、引っ越すこと言ってないの?

谷木さんの態度を見ると、どうやらそれは間違いないようだ。谷木さんは考がすぐに顔に出るから、蓮君が引っ越すと知っていたらこんな風に笑っていないだろう。

「そろそろ行こうか」

「うん。じゃあねチビ君」

 そう言って二人はいつものように行ってしまった。ああ、さようならボクの朝ご飯。

 それにしても、蓮君はちゃんと谷木さんに引っ越すことを伝えるのだろうか。もし何も言われないままなら、谷木さんはとても悲しむだろう。それを思うと、稲荷寿司が食べられなくなる事以上に、胸の奥が痛くなった。


次の日、ボクは蓮君の家の前に来ていた。家の前には引っ越し業者のトラックが止まり、家から次々と荷物が運ばれて行く。

本当に行っちゃうんだな。寂しさを覚えながら、そっと庭の方へと回った。

家の中を見てみると蓮君の姿がある。忙しそうに荷物を運んでいる蓮君だったけど、なんだか元気が無いような気がする。

考えてみれば蓮君からご飯をもらうようになってから一年半経っている。そんなに長い間顔を合わせているんだ、蓮君がどうしてあんな顔をしているのかくらい察しが付く。このまま行っちゃうなんてダメだ。でもそれを伝える術が無い。

ここにいてもどうしようもない。ボクはしかたなく神社へ戻ることにした。

神社の前の階段まで歩いてきた時、ふいに階段の上から声がした。

「あ、チビ君。こんな所にいた」

 上を見上げると、そこには谷木さんの姿があった。

今日は土曜日なのにどうしてと思ったけど、たぶんこれから部活なのだろう。

「待っててね、今ご飯あげるから」

 そう言って鞄からパンを取り出す。ご飯は食べたいけど、今はそれどころじゃないよ。

「そんなに慌てない。来るのが遅かったから、よっぽどお腹すいてるのかな?」

 谷木さんは手袋をした手でボクの頭を撫でてくる。そうじゃないよ、どうして伝わらないんだろう。こうなったら仕方が無い。ちょっと痛いけど、谷木さんごめん。ガブッ!

「痛っ」

 痛がる谷木さんを見て少し心が痛んだ。ボクは差し出された谷木さんの手に噛みついて、つけていた手袋を奪い取っていた。

「酷いよチビ君」

 谷木さんが睨んできたけど、ボクは後ろを振り返り手袋をくわえたまま走りだす。

「あー、私の手袋―」

 予想通り谷木さんは追ってきた。ボクは捕まらないように逃げる。

「こらー、待ちなさーい、イタズラ狐―」

 谷木さんが追ってくるのを見ながら、蓮君の家へと走る。家まで来ると、ちょうど荷運びをしている蓮君が外に出てきていた。

「あれ、チビ。こんな所でどうした?」

蓮君はボクに気づく。そして――

「谷木?」

 ボクを追いかけてきた谷木さんにも気付いた。谷木さんも蓮君に気づいて足を止める。

「水野君?」

 さっきまで声を上げて走っていた子とは思えないくらい大人しくなる。

「何でここに?」

「チビ君に手袋とられちゃったから追いかけてきて。水野君の家ってここだったんだ」

「ああ。今日までは、だけどな」

「え?」

 谷木さんの表情が凍る。蓮君の言葉と家の前にある引っ越しのトラックを見て状況を察したようだ。

「今日引っ越しで、学校も転校する」

「そんな……」

 谷木さんの顔に影が落ちる。

「悪い。谷木には言わなきゃって思ってたんだけど、言い出せなかった」

「そう…か、まあでも良かったよ。行く前に知れて。チビ君、もしかして知ってて連れてきてくれたのかな」

 いや、他にもっと言う事があるでしょ。そんな谷木さんを見て、蓮君が言った。

「なあ、ケータイの番号、教えてくれないか?」

「え?」

 谷木さんは驚いてたけど、ボクも驚いた。この二人、付き合うどころかケータイ番号すら知らなかったのか。谷木さんに断る理由もなく、二人は番号を交換する。

「ありがとう。これでいつでも話せる」

 蓮君は嬉しそうに笑い、谷木さんもつられて笑顔になる。ボクはくわえていた手袋を置いてそっとその場を離れた。


 次の日もう一度蓮君の家に行ってみたけど、もう誰もいなかった。蓮君がいなくなったのも寂しかったけど、ボクにはもう一つ切実な問題があった。

(お腹すいたー)

 つい習慣で神社に来てしまったけど、さっきからボクのお腹はグーグー鳴っている。今までは蓮君が稲荷寿司を持ってきてくれたけど、今日からはそうはいかない。蓮君が来ないとなると、谷木さんもきっと来ないだろう。

仕方が無い。最近サボってばかりだったけど、野生に戻って山で食べ物を探すしかない。そう思って神社を出ようとしたその時。

「おはようチビ君」

 声のする方を見ると谷木さんの姿があった。ボクは大喜びで谷木さんに駆け寄る。

「お腹すいてるでしょ。今日はこれを持ってきたわ」

 そう言って谷木さんは鞄からタッパーを取り出す。その中に入っていたのは稲荷寿司だ。

「水野君の作った方が美味しいとは思うけど、食べてくれる?」

 食べる食べる。僕は差し出された稲荷寿司を夢中でかじった。

 モグモグ。確かに蓮君の方が美味しかったけど、まあ良いや。続けてもう一個食べ、三個目に手を伸ばそうとした。

「これ以上はダメ、残りは私のお昼ご飯なの。あんまり食べ過ぎるとチビ君じゃなくメタボ君になっちゃうよ」

 なったって良いもん、食べるもん。でもそんなボクの心の叫びは届かず、谷木さんは稲荷寿司を片づけてしまった。

「また明日も作って来てあげるから」

 本当?それなら我慢しよう。

「ありがとね、水野君を会わせてくれて」

谷木さんがそっとボクを撫でる。どうやらボクの朝ご飯はもうしばらく安泰みたいだ。

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