第四十四話

 4月20日 PM3:00


 俺と大輝がゲームをクリアした翌日。システムは未だミッションの内容の権限しか奪えていない。

 俺は鉄格子で仕切られた廊下を行ったり来たりしていた。鉄格子に突き当たっては回れ右をし、また反対側の鉄格子へ。これを繰り返す。つまり落ち着かないのだ。


「なぁにやってんの?」


 俺は背後からの声に反応した。その時は南西のエレベーター脇の鉄格子に向かっているところだった。俺が振り返ると反対側の鉄格子の向こう側に菊川が立っていた。声の主は菊川だ。


「あ、いや、運動不足解消のためにウォーキングを」

「ふーん。真子ちゃんが上がってくるのを今か今かと待ってたんだ」


 図星です。わかっていたなら聞くなよ。

 そう、1時間前の2時のターンで真子がB2フロアのマンションを出た。恐らく今B2フロアで休憩をしている。この南西のエレベーター脇の鉄格子を挟んで会えるのだ。


「洗濯したりお風呂入ったりしてるんでしょ? 女の子は時間かかるんだよ」


 そりゃ、まぁ、知ってますけど。真子とは2度、地下の休憩を一緒に経験してますから。その時は洗濯もあってか風呂だけで2時間掛かった。


「落ち着かないならしばらく私とお話しようよ?」

「そうだな」


 俺は休憩室側の鉄格子まで行き、菊川と廊下に座って話した。2人の間にある鉄格子はない距離を感じさせる。


「早くこの鉄格子開かないかな」

「本当だよな」

「そしたら郁斗君のこと……」


 ドキッとする。間違っても真子の前だけでは修羅場になるような行動は止めてくれ。俺は菊川と同室になって初めて菊川の気持ちを知って、そして積極的な女子だとわかった。このゲームが菊川をそうさせたのかもしれないが。作戦のことはいろいろあったとは言え、俺は煩悩を抑えるのに大変苦労した。


「一発ぶん殴れるのに」

「なんだとー!」


 全く違った。俺はとんだ勘違い野郎だ。と言うかである。なぜ俺が菊川に殴られる?


「心当たりない?」

「はて? 全くもって」

「ふーん。幼気な処女のスカートの中に……」

「あ……」


 思い出した。菊川を死体袋に入れた後の行動だ。飲用水のペットボトルを股に差し込んだ。


「その様子は思い出したようね」

「はい。思い出しました。けど、仕方ないじゃん」

「仕方なくないよ。前もって言っておいてよ。すっごい恥ずかしかったんだから。黒子がいるから顔に出ないようにって苦労したんだよ」

「卑猥だった」

「一発追加で二発ね」

「う……今のはなしで。ごめんなさい」

「知らない」

「けどなきゃ困るだろ?」

「そりゃ、まぁ」

「股に突っ込んだ水、飲んだのか?」

「三発追加で五発ね」

「……」


 しまった。突っ込んで聞き過ぎた。


「私の名前の読み、知らなかったし」

「う……それはごめん」


 それについては大輝も真子も知らなかった。2人とも「みらい」だと言っていた。それにサッカー部のマネージャーは菊川のことを「みぃちゃん」と呼ぶ。知らなくても仕方がない。


「これからも名前で呼んでくれるならそのことは許してあげる」

「……えっと……真子がいない所だけでいいなら」

「しょうがない。それで手を打とう」


 この菊川は、いや未来は面倒見がいいだけあって料理がうまい。それこそ家事能力全般が高いのだろう。この日の昼から、鉄格子で仕切られた隣のグループが、俺の分の料理も作ってくれることになった。そして先ほどその一食目をいただいた。未来が作ったらしく絶品だった。

 俺のグループ(2体の黒子と近藤だが)にはこの昼から俺の食事を断っている。夕食は木部が頑張ると張り切っていた。大輝にうまいと言わせたいそうだ。


「きく……、未来って料理うまいんだな」

「ほうほう、苦しゅうない。もっと褒めたまえ」

「一度しか言わん」

「なによ、もう。郁斗君においしいって言ってほしくて頑張ったのに」

「食べてる最中、何回もおいしいって言ったじゃん」

「まぁ。嬉しかったけど」


 俺と未来は廊下でこの鉄格子を挟んで一緒に昼食を取ったのだ。真子がゴールするまで俺の隣の席を貸してもらうなんて訳の分からないことを言っていた。真子に断りもなく。いや、お伺いを立てられたら修羅場と化すから止めてほしいが。


「その……。どうしようもなかったとは言え、安置室に籠らせちゃって悪かったな」

「ううん。結果は助けてくれたじゃん。むしろお礼を言いたいくらいだよ。ありがとう」


 無理をしている。感謝の気持ちこそ本物かもしれないが、1日半未来は安置室にいた。未来が運ばれる前にはその前日に死んだ敦の遺体があった。それに本田の遺体も……

 それに未来が運ばれたその日には園部、牧野、卓也、正信の遺体も運ばれた。安置室を出られた時点で本田の遺体は3日が経過していたはずだ。木部と田中も含めて心中察する次第だ。


「食事はどうしてたんだ?」

「まぁ、あの中で食欲はね……。郁斗君がくれた水とポケットに入ってたお菓子だけで十分だったかな。あいちゃんと利緒菜ちゃんもポケットにお菓子入れてたから分け合ったし」

「そっか」


 この後俺と未来は何でもない雑談を2時間ほど交わした。するとエレベーターが『チン』と言う音を立てた。


「さて、お邪魔虫はそろそろ退散しますかな」

「ありがとな、未来。話せて楽しかった」

「いえいえ。今からは真子ちゃんと楽しんで」


 俺は未来の背中を見送ると反対側の鉄格子まで移動した。左に見えるエレベーターの扉。その奥から再び『チン』という音が鳴った。そして……


「真子」


 真子がエレベーターから降りてきたのだ。


「いっくん」


 真子は荷物を床に置くと鉄格子まで寄ってきて、俺の手を掴んだ。俺たちの両手は鉄格子を越して指を絡めて結ばれた。真子は顔を歪めて泣いている。B1フロアで真子と別れた時に、エレベーターが閉まる直前に聞いた真子の泣き声を思い出す。


「なんなのよ、この鉄格子」

「この鉄格子の開閉システムがどうも壊せないんだよ」

「こんなもので私といっくんを分断して」

「1Fは入室してから出るまで3日と2ターンかかる。それまでの辛抱だ」

「出たらまたいっくんとギュってできる?」

「あ、いや……。出口、俺の後ろの鉄格子の先なんだよね」

「もう、なんなのよ」

「とりあえずキキが帰って来るまでは……」


 真子がお怒りだ。この後もキキの悪口ばかりを言う。キキは大量殺人犯だから帰ってきたらこんなものじゃ済まさないけどな。


「早くに上がってきたんだな」

「1Fに来たらいっくんに会えるかなと思って」


 嬉しいことを言ってくれる。俺と真子はこのまま廊下に座り話し始めた。鉄格子の間に手を通し互いに片方の手は繋いだ。

 この時、1Fでの成り行きは話した。死んだプレイヤーと生きているプレイヤーの名前も。死んだプレイヤーは見た話、聞いた話を真子に伝えた。真子は時折涙ぐみながらも全てを聞いてくれた。


 そして雑談に移行し、2人の雰囲気も随分綻んだ頃。


「いっくん、これ。繋いじゃおっか?」


 そう言って真子が鞄から取り出したのは俺と一緒にミッションをした時の手錠だ。


「繋いだらゲーム進められないじゃん」

「鍵あるから大丈夫だよ。へへ」


 真子がはにかむと俺と真子の手首に手錠を掛けた。その後もお互いにしっかりと手は握った。


「そう言えばいっくん、未来ちゃんと同じ部屋になって一夜を過ごしたよね?」


 ギクリ。心臓から正にそんな音が聞こえそうだ。


「あぁ、まぁ。ちなみに菊川は『みらい』じゃなくて『みく』らしいぞ」

「そうなんだ。知らなかった。プラスチックカードの不正って誰が思いついたの?」

「あぁ、それ俺」

「へぇ、凄いじゃん」


 取り越し苦労だったようだ。


「今まで誰もやらなかったよね? 知ってしまうとこんな簡単なことって思うけど」

「いや、むしろ良かったかも。早まったことして不正がバレるより。その端末、脈拍計測器が付いてるから。例えばカードを差し込んで毒針を遮断すると映像では生きてるのに、計測器が止まるからバレるんだよ。そんなことになったら確実に殺される。うまくいったとしても生きて脱落したら安置室でずっと過ごさなきゃいけない」

「そっかぁ、脈拍計測器なんて付いてたんだ。1Fのミッションって全部『1Fミッション』としか表示されないし、映像も来ないから全く何をしてるのかわからなくて。それで絶対人が死んじゃうし、すごく怖かったんだよ」


 そりゃそうだろ。見えない不安は絶対にあったはずだ。


「で?」

「ん?」


 で? とは?


「未来ちゃんと一夜を過ごして浮気しなかった?」


 取り越し苦労ではなかった。笑顔で質問をする真子が怖い。いや、と言っても俺にとっては不可抗力だ。作戦のこともあったし、手を出された方だし。そんなこと口が裂けても言えるわけないが。


「ナンモナイヨ。ハハハ」

「未来ちゃんって可愛いし、サッカー部手伝うことよくあるからいっくんと親しいし、心配してたんだよね」

「ダカラナンモナイッテ。ハハハ」

「そっか、そっか。良かった。もしなんかあったらこのゲームに代わって私がいっくんを殺してたかも」

「……」


 冗談にならない。笑えない。笑顔で言っている真子は絶対に本気だ。

 そうこうしていると夜の7時になった。


「ご夫妻、ご飯作ったよ」


 木部が食事を作って持って来てくれた。と言っても真子がいる場所とは反対側の鉄格子までだが。俺達は手錠を外し、俺が食事を受け取ると真子の分を真子に渡した。


「あいちゃん、ありがとう」

「いえいえ」


 久しぶりに真子と一緒に食べる食事。薄暗い廊下で鉄格子越しだが。それでもやはり気持ちが違う。


「おいしいね」

「あぁ。大輝にうまいって言わせるって張り切ってたから」

「健気だ」

「真子は料理しないのか?」

「……」

「……」

「おいしいね」


 うむ、とってもわかりやすいお返事だ。この質問はもう止めておこう。面倒見のいい未来と真子だが、こんなところに差があるものだな。おっと、他の女子と比べちゃいかん。


 食事が終わると真子が仕切りに奥の鉄格子の先を気にし始めた。奥とは大輝達のいるグループだ。


「さっきから何気にしてんの?」

「ん? 誰も来ないかなぁって」

「ん?」

「キスしたい」


 かぁぁぁぁぁ。このお姫様は何て可愛いことを言うのだ。そんなこと言われて断るわけがないじゃないですか。

 俺は鉄格子の間に顔を挟み真子とキスをした。あぁ、ずっと触れたかった真子。やっと、やっと。1Fのマンション内で誰にもミッションが課されなかった時は、その安心感から極度の暇と戦っていた。そんな時はよく真子との行為を思い出して自分を慰めたものだ。

 真子とイチャイチャ過ごしていると時間は夜の9時50分になった。真子がスタート部屋に入室すべく一時お別れだ。真子は目に涙を溜めていた。そして、


「ゲームマスター室で見守っててね」


 と言って真子はマンション内に入って行った。俺は真子を見送ると真子の余韻に浸るように立ち尽くし、スタート部屋の扉を見つめていた。


「イチャイチャタイムは終ったか?」


 背後から俺の余韻を壊す大輝の声。寂しくもあったが、いい気分でもあったのに。


「なんだよ?」

「こっちベッドが2つとソファーが2つしかねぇんだよ。今は4人だからいいけど。これから人が増えると寝床が足んねぇんだ。プレイヤーに1Fの毛布を2、3枚持って移動して、そのまま出口を出ろって指示してくれ。できるだけ万遍なく部屋通過すれば6人で結構持って来れるだろ? お前が次の部屋を指示してやれ」


 そんなこと、この次のターンで陽平と佐々木が上がって来るのだから、その時からでいいじゃないか。

 俺はぶつくさ文句を言いながらゲームマスター室の館内放送のマイクに向かった。

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