第三十五話

 閉まりきった扉を俺は菊川と見つめた。取り返しのつかないことになった。2人で生きられる方法はどうしてもないのか?


『ジリリリリッ』

『同室1室確認。ミッションを発令します。モニターをご覧下さい』


 無情にも鳴る警報音とアナウンス。そして表示されるテロップ。


『波多野郁斗、菊川未来。1Fミッション』


 あぁ……なんということだ。俺と菊川の身に1Fのミッションが課されてしまった。生存者を1人しか認めない絶望的なミッションだ。


「最低だよね、私。瀬古君の話ちゃんと聞いてれば避けられたのに。郁斗君、謝って許されることじゃないけど、本当にごめん」

「あ、いや……」


 そう、菊川は俺のことを名前で呼ぶ。菊川は他クラスにいるサッカー部のマネージャーと仲が良く、頻繁に部活に顔を出す。

 本人は正式部員のマネージャーではない。しかし試合の時などはよく手伝いにも来てくれる。かなり助けてもらっている。だから普段部活で、名前で呼ばれている俺を名前で呼ぶようになった。一緒のクラスになったのは2年になって初めてだ。


「本当にごめん」


 菊川はとうとう泣き出した。なんとか考えなくては。どうにかしなくては。できるのか? いや、しなくてはいけないだろ。


「私、郁斗君を殺すつもりないから」

「そんなの俺だって一緒だよ」

「けどそれじゃ2人とも死んじゃう。真子ちゃんに申し訳ない」

「そうは言っても……」


 やはり腹を括るしかないのだろうか。打開策がない以上、それしかないだろう。


「もうなったもんはしょうがないよ。お互いあと7時間半の命だ」

「うぐっ、うぐっ、ごめんなさい。ごめんなさい」


 しばらく部屋に菊川の嗚咽が響いた。あと7時間ちょっとだとわかっていて寝られるわけがない。何もできない。無力だ。


「郁斗君、そっち行ってもいい?」

「ん? あぁ」


 菊川は泣き止むと言った。俺はこの時、東の壁の南端に背中を預けて床に座っていた。菊川は東の壁の北端に体を預けて丸まっていた。その体を起こし俺の横に来た。菊川は肩が触れるほど近い距離で腰を下ろした。少し動揺する。菊川は少し俯いている。


「真子ちゃん初めてだった?」


 いきなり何の話をするのだ。


「うん、まぁ」

「郁斗君は?」

「う……ご想像にお任せします」

「そっか。真子ちゃんは郁斗君の初めてを奪ったんだ」


 想像力が的確で何よりです。そもそもその言い回し、性別が逆だと思うのだが。と言うか、何なのだ、この話題は。


「いいなぁ、真子ちゃん」

「彼氏ができたこと?」

「それもだけど。郁斗君とキスしたり、初体験の相手が郁斗君だったり、彼氏が郁斗君だったりっていうことが」


 えっと、話がよく見えません。


「真子ちゃんって中学の時に郁斗君に告ってたの?」


 1ターン目のミッションで完全に皆にバレてしまっている。


「うん、まぁ」

「2人は中学一緒だっけ? いつから好きだったの?」

「うん、中学一緒。――真子は中3になってからすぐに好きになったって言ってた。俺は中学の卒業前かな。その前から気になってはいたけど」

「はぁ……」


 何の溜息だ? リア充に対する嫉妬か?


「真子ちゃん可愛いし、知り合い歴も好きな期間も長いから、最初から勝ち目なかったんだな。そもそも2人は両想いだったわけだし」

「誰が誰に勝つんだよ……」


 そこで菊川の話は止まった。菊川の話題の意図がわからん。そしてこの沈黙が嫌だ。


「菊川は彼氏いないのかよ? もてそうなのに」

「それ本気で言ってくれてるの?」


 菊川が俺の言葉に反応し顔を上げた。俺、そんなに変なことを言ったのか?


「そりゃ、まぁ。可愛いし面倒見いいんだからそれなりにもてるだろ」


 俺がそう言うと菊川ははにかんで、立てていた膝で頬を挟んだ。面倒見がいいのは部活で見ていて知っているし、容姿だっていいと思っている。嘘ではない。


「そっか、郁斗君から私はそう見えてたんだ。――いないよ、彼氏」

「そっか」


 やけに嬉しそうな顔をする菊川。褒めてくれる人は他にもいるだろうに。


「真子ちゃんからの告白ずっと返事してなかったの?」


 話が真子に戻ってしまった。


「うん、まぁ。すれ違いがあって1年以上な」

「1年?」


 菊川が声を上げた。そんなに驚くのか。やはり俺はそれほどのことをしていたのか。


「中学のときの告白って書いてたもんね。……もしさぁ、私が1年の時に郁斗君に付き合って、って言ってたらどうしてた?」

「え? 菊川が?」

「うん」


 考えたことがなかった。1年の時に他クラスの女子に告白をされた時は、真子以外の女子を好きになれるとは思えず断った。もしそれが菊川だったら、か……


「受けてた……かもしれない」

「本当?」

「わかんないけど」

「そっか、そっか。脈はあったんだな、残念」


 脈があったと言うのか、それは。なってみないとわからん。今は真子がいるから誰であろうとお断りだ。厳密に言うと当時も心の中には真子しかいなかったのだが。


「何が残念なんだよ」

「もうちょっと勇気出してれば良かったなぁって」


 揶揄っているのだろうか。女とはよくわからん。


「私もね、郁斗君のことが好きなんだよ」

「は?」


 なんですと? 聞き間違いか? あぁ、そうだ。聞き間違いだ。


「私が郁斗君と知り合ったのは高校入ってからだし、好きになったのも1年の途中からだから真子ちゃんには及ばないけど」


 聞き間違いではなさそうだ。揶揄っているわけでもない……よな?


「これは絶対内緒なんだけど、不人気投票で私、郁斗君に入れちゃった」


 菊川だったのか、俺に入れたもう1票は。


「その時、他の子と隣同士の部屋で動いてたから、恨み買わないかハラハラしたよ。けど他にその子に入れてくれた子がいたみたいで誤魔化せた」


 おいおい……それってかなり危ないだろ……


「あれ毒針が刺さると思っただろ? それに真子が俺に入れるって思わなかったのか?」

「うん。けどどうしても郁斗君を死なせたくなくて」

「……」

「1ターン目のミッションで真子ちゃんが郁斗君を好きだって知った時は衝撃だったな。こんなに可愛い子がって。しかもその後のミッションで郁斗君が真子ちゃんにプロポーズしちゃうし」


 プロポーズって……。真子にも言われたが、やはりあれはプロポーズなのか。けどごめん、真子。俺はもう死から逃げられない状況だ。


「なぁ、この端末って毒針防げないのかな?」


 死を考えた途端、とてつもなく怖くなった。真子を守りたいのに。まだまだこれから真子と一緒にいたいのに。こんな所で死んでたまるか。


「無理にいじると壊れるよ? それ壊したら備品破壊で失格になるし。それにそれ、脈拍計測器もついてるから、毒針で死ななくてもゲームマスターにはわかるよ?」

「脈拍計測器?」

「うん。この端末、手の甲の側じゃなくて手のひら側に付いてるの理由があると思わなかった? 端末の裏で脈が取れるようになってるんだよ」

「針のためにこの向きかと思ってた。つーか、それで防水ってどんだけ技術力高いんだよ」

「本当だよね」


 俺は過剰な力を与えないように気を付けながら、端末をいじくり回してみた。やはりどこにも隙がない。ただ腕との隙間から毒針の針孔は見えた。腕と端末はかなり密着していて辛うじて見えた程度だ。針は薄い防水シートを突き破って刺さるようだ。針孔からして注射針くらいか。


「それ何?」


 俺は菊川の鞄から見えていた薬のような物を見て言った。


「あぁ、これ? ビタミン剤。飲む?」

「いや、いい」


 俺は鞄から財布を取り出してみる。中からはポイントカードやレンタルショップの会員証。現金はあまり入っていない。高校生の財布事情なんてこんなものだ。そんな俺の行動に菊川が何をしているのかとしきりに聞いて来るが曖昧な返事で流した。


「ねぇ、郁斗君?」

「ん?」

「少しだけ私の我儘聞いてくれないかな?」

「なに?」


 それは突然だった。時間ももう日付が変わった頃だ。消灯された常夜灯の薄暗い部屋の中でのことだった。菊川が徐に言ったのだ。


「キスとエッチがしてほしい」

「は? 冗談だろ?」

「男女2人きりの密室で、冗談で女の方からこんなこと言えないでしょ」

「……」

「私どっちも経験がないの。どうせ死ぬなら経験してから死にたい。真子ちゃんには申し訳ないけど、モニターが点いてるわけじゃないからバレないし、せっかく好きな人と最後を迎えられるんだから」

「えっと……」

「ダメかな?」


 菊川の目は真剣だ。好きだとも言ってくれた。確かに冗談でこんなことは言えないだろう。どうする俺。俺には真子がいる。けど、もうすぐ俺は死ぬ。

 俺は菊川の手を引いて立ち上がった。そして菊川をマットに寝かせた。毛布を被ると俺は菊川の首筋に唇を寄せた。


 4月15日 AM5:30


 部屋の照明が点いた。俺と菊川は寝ていない。眠れるわけがない。人生あと30分だけなのだから。俺たちはずっとマットの上にいた。

 すると菊川が徐に立ち上がった。2人とも服は着ている。俺は体を起こし菊川の行動を見つめた。すると菊川は壁に掛かっていたカプセルの瓶を手に取った。


「ちょ、何してんの?」


 俺は慌てて聞いた。菊川はその中からカプセルを1つ取り出すと俺を向いた。


「郁斗君はね、これからクラスのムードメーカーになるの。部活でそうあるように。だから郁斗君は必要な人なの。周りの皆に勇気を与えられる人なの。だからまだ死んだじゃいけないの」


 そう言うと菊川は勢いよく顔を上に振り、カプセルを呑み込んだ。


「ばっ、やめろ。吐き出せ」


 俺はそう叫ぶと菊川に飛び寄った。


「どうせあと30分の命だよ。このミッション1人は生きられるんだから。死ぬのは1人で十分。郁斗君は生きて。私はもう十分幸せだよ。最後に好きな人と一夜を過ごせたから」

「吐き出せ。吐き出せよ」

「私は耐えられないんだよ。大好きな人が死ぬのも、サッカー部の部員がこのクラスからまた死ぬのも。元気君の時だってずっと涙が止まらなかった。ごほっ、ごほっ……」


 菊川は咽返ると床に膝をついた。俺は菊川を抱き寄せた。そして何回か咽た後、菊川は完全に体を俺に預けた。


「もうしゃべるなよ。今取り出してやるから。な?」


 俺は菊川の口に指を突っ込もうとした。しかしそれを菊川が制した。


「やめて。それは正しい判断じゃない。1人でいいの。そうすれば1人は生きられるの。サッカーだって判断力が大事でしょ。私は、ごほっ、ごほっ……もう、助からない、から……」

「菊川、菊川」


 女子の前で男の俺が泣くのも、顔がぐちゃぐちゃになるのももうお構いなしだ。


「郁斗君、最後のお願い。名前で呼んで」

「みらい」

「違うよ、みくだよ」

「ごめん、みく。死ぬなよ、みく」

「郁斗君、大好きだよ。最後の夜をありがとう」


 その言葉を最後に菊川の力が抜けた。そんな、そんな……


「未来、みくーーーーー」


 俺は菊川を強く抱き寄せた。垂れ下がった菊川の左腕。俺はそれを掴んだ。華奢な腕だ。精力的に部活を手伝ってくれていた腕だ。端末がごつごつする。正式部員じゃなくても菊川はマネージャーなんだぞ。マネージャーの腕は神聖なんだぞ。神聖な菊川の腕にこんなもの取り付けやがって。くそ、くそっ……


『ジリリリリッ』

『脱落者確認』

『菊川未来脱落』

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