第4話 恵瓊の思惑

「拙僧は、この身ひとつで逃れますでな。残った軍勢の始末、お願いいたしましたぞ」


 儂は毛利勢の本陣を訪ねると、広家殿に後始末を頼んでいた。


「本当によいのか? 今なら拙者が内府殿に取りなしてもよいのだぞ」


 そう尋ねてくる広家殿に、儂は内心で失笑した。広家殿は誠に善良なお方だ。だが、その素直さでは到底内府殿には対抗できぬぞ。毛利家への最後のご奉公として、少し注意しておくかのう。


「くれぐれも、左様なことはなさらんでくだされ。よいですかな、広家殿、これから少しでも舵取りを誤れば、毛利の家は危うくなりますぞ。拙僧などのために毛利家を危険にさらすことはなりませぬ」


「なんだと!? だが、我が勲功は……」


「左様。広家殿の勲功は非常に大きい。ですが、それは広家殿ご本人の勲功。毛利家の勲功ではございませぬ」


「どういう意味か!?」


「内府殿のことです。必ずや広家殿報いるでしょう。左様、三十万石は堅いでしょうな。ですが、必ずや毛利家の力は削ぎにかかってくるでしょう。百二十万石の安堵など、まず通りますまい」


 それを聞いた広家殿はいきりたって反論してきた。


「馬鹿な、本領安堵の約束がある! 内府殿は律儀なお方。約定を違えるはずがない!!」


 その通り一遍の考え方では毛利家は危うくなるのう。ここは厳しく言って聞かせねばな。


「考え違いでございますよ。内府殿の律儀は、ときの天下人に対して発揮されるもの。考えてもご覧なされ。太閤殿下がお亡くなりになったら、さっさと殿下のご遺命など反故にして諸侯と通婚を始めたではございませぬか。ご本人が天下人になったあとも律儀の看板をかけ続けるなどとは考えぬがよろしい」


「で、では?」


「間違いなく、敵対したことを理由に改易を申しつけてくるでしょうな」


「改易!? 我が毛利家を潰すというのか?」


 おっと広家殿、あまり興奮なさるな。そんな風に冷静さを失っては内府殿の思う壺にはまりますぞ。まあ、落ち着いてもらうために、さっさと解決策を伝えるとしようか。


「ですが、内府殿もそれが通るとは考えておらぬでしょう。広家殿の勲功と引き替えにお家の存続を認める。そのあたりが落としどころでしょうな」


「つまり……」


「三十万から四十万石あたり、四分の一残れば御の字でござろう。それと、安芸は取られるでしょうな」


「そんな……」


 内府殿のやり口からして、毛利家自体を潰そうとして窮鼠にするよりは、絶対に逆らえない程度の所領を残して飼い殺しにする方を選ぶはず。それも、毛利家の本貫ほんがんである安芸からは切り離すはず。この読みは、まず外れることはないであろう。


 と、ここで儂の読みを聞いて半ば呆然としていた広家殿が、あることに気付いて、改めて儂に食ってかかってきた。


「そこまで読んでいたのに、なぜ内府に味方することを拙者に勧めたのだ!?」


 その詰問に対して、儂は自信たっぷりに答えた。


「毛利家百年の安泰のためでございますよ」


「なに!?」


「考えてもご覧なされ。次の天下人として、内府殿以外に誰がおりますかな? まさか、我が殿などとはお考えではないでしょうな。それは、元就様のご遺訓にも反しますぞ。なぜ元就様が、いちいち『天下を争うことなかれ』などと言い残されたのか。殿の器量を知っておいでだったからでござろう」


「……」


 主君、輝元公への評としては酷かもしれぬが、広家殿にも異論は無いようで、無言で続きを促している。


「そして、内府殿は百二十万石などという大国の存続を許すような方ではございませぬよ。徳川家の危険になるような要素は、すべて潰そうとするでしょう。百二十万石のままの毛利家では、どんな言いがかりをつけて潰されるかわかったものではありませぬな」


「……まさか!?」


 どうやら、広家殿にもご理解いただけたようだ。


「左様。四十万石にも満たない程度の家なら、内府殿の、いや、今後少なくとも百年は続くであろう徳川家の天下において、存続を許されることでしょう」


「そのために、そなたはあえて殿を内府殿に敵対させたのか!」


「いかにも。その責めは拙僧一人が負いますでな。そのためにも、拙僧一人で逃げ出す方がよいのでございますよ」


「恵瓊殿……」


 先ほどまでの憤りはどこへやら、感動の面持ちで儂を見る広家殿。やはり素直なお人だ。だが、だからこそ改めて釘を刺しておかねばなるまいて。


「広家殿、拙僧の道はむしろ楽な道ですぞ。六条河原で斬首されるか磔にされるにせよ、所詮は一時の苦しみ。拙僧の苦痛はそこで終わりになり申す。ですが、広家殿はこれから家中の目の見えぬ者どもに『天下を取れる機会を与えられながら、それを見逃してお家を没落させた張本人』とそしられながら、あの狡猾な内府殿を相手に毛利家を守るという茨の道を行かねばならないのですからな」


 それを聞いて一瞬呆然とした広家殿だったが、すぐに気を取り直して、力強く答えてくれた。


「それが何ほどのことか! 拙者も覚悟を決め申した。誰に誹られようがかまい申さぬ。拙者が、必ずや毛利家を守り抜いて見せましょうぞ!!」


 それを聞いて、儂は大きく頷くと、最後の覚悟を伝えることにした。


「お頼み申しましたぞ。それでは拙僧は逃げ出しまする。これから、なるべく無様に命長らえようと最後まであがく所存にございますれば」


「はて、なぜに? そなたほどの禅僧なれば、命を惜しむようなこともあるまいに」


 広家殿の評価はいささか過大ではあるが、儂とて一応は六十年にわたって修行をしてきたのだ。悟りの境地に達したなどとは口が裂けても言えぬような生臭坊主ではあるが、この命が惜しいわけではない。


「拙僧が無様にあがくほど、世人は拙僧の評価を下げ、西軍についた拙僧の見通しの誤りだと思うでしょうほどに」


「……拙者のために、そこまでしてくださるか」


 儂が口にした理由に、広家殿はさらに感動した面持ちになって、頭を下げる。いやまあ、この理由も決して嘘ではないのだが、実のところ、それがすべてというわけでもない。


 安国寺の名を汚すことは恵心師にもほかの先達にも申し訳ないが、戦場往来の生臭坊主など悟りの境地からは遠いということは示しておいた方がよかろうとも思ってのことなのだ。これからは平和な時代が来るのだ。坊主が戦に関わるようなことをしたら末路は無残なことになると示しておくのも、禅坊主の端くれとして、なしておかねばならぬことであろうよ。


 広家殿に別れを告げると、儂は東軍の兵士や落ち武者狩りの農民などに見つからぬように、乞食坊主に身をやつして京の方を目指して歩き出した。

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