現実世界

幸せになるために

 目覚めると、私は見覚えのない白い部屋にいた。

 現実を認識していくに従って、此処は病院なのだと知った。

 長時間、眠り続けた後のような、身体に重りを巻きつけられたように動かしにくかった。当然、起き上がる事は難しかった。たまたま側にいた看護師さんが、私に気付いて左肩を叩きながら声をかけて来た。


「もしもし、大丈夫ですか? ここが何処か、わかりますか?」


 声は、出すのが辛かったので、わかるように大きくまばたきした。

 看護師さんは反応を確認すると、病室を出て行った。

 それほど待たずに、お医者様がやってきた。

 声を掛けたり、ペンライトで目を診たり、色々看護師さんに指示しているのを映画を見ているような気持ちで見つめていた。

 少し慌ただしくなった病室に、飛び込んできた人がいた。短く切り揃えられたショートカットの髪を揺らしながら、英梨花えりかお姉様はお医者様を押しのけて私の顔を覗き込んだ。

 その表情は、とても怒っているように真っ赤だった。


茉莉花まりか!! 馬鹿!! もう!!

 茉莉花まで死んでしまうのではないかと、どんなに心配したと思って!?」

「お、お姉さん。まだ処置の途中ですので、病室の外でお待ち下さい」


 聞き慣れた大声に、思わず笑みが零れた。

 話せるようになったら……ちゃんと謝ろう。全てを。

 ……そして、助けてくれてありがとう、とお礼の言葉も伝えよう。



 上体を起こせるまで回復したら、蓮花れんかはお見舞いに来た。

 彼女は、長い間昏睡状態だった私を眠り姫と同一化していた。王子様のキスで目覚めたと信じて疑わなかったので、そういうことにしておいた。


「あのね、ホントはね? レンのおともだちが、たくさんくるはずだったの!

 ウサギの〝ミュー〟 クマの〝ニュー〟 ライオンの〝シグマ〟でしょ?

 それに、シロイヌの〝ユー〟 クロネコの〝イオータ〟とか……。

 ほかにもいっぱい、おみまいしたいって、言ってる子はいたんだよ?

 でも……えりおねえちゃまが、一つしかダメって言うんだよ……」


 小さなリュックサックに、ぎゅうぎゅうにぬいぐるみをつめようとした妹の姿を思い浮かべて、思わず笑ってしまった。


「それじゃあ、誰を連れて来てくれたの?」


 後ろ手に持って、もったいぶっている蓮花に、私は優しく促した。


「どうしても……まりおねえちゃまに会いたいって、言ってたの!」

「――――!! 〝アルファ〟……!」


 こちらの世界のアルファは、彼自身が言ったように、動く事も話す事も出来ないようだった。微笑みを浮かべている彼に、私も笑みを返した


「ありがとう……とても嬉しい」

「おねえちゃま、わるいまほうがとけて、ほんとうに良かったね!」


 ファンタジックと真実の愛を信じる純粋な妹の笑顔が、とてもまぶしかった。



 その時、廊下の方で英梨花お姉様の、ただならぬ声が聞こえた。


「帰って! 今更、何のつもりで来たの!?」

「そんなの……茉莉花のお見舞いに決まっているじゃないか?」


 敵意丸出しの声にも動じない、優しい声。

 私は、表情を歪めた妹の頭を撫でながら、声を掛けた。


「英梨花お姉様、お願い……明亜あくあに会って、話したいことがあります」


 私の声に導かれるように、従兄が顔を出した。

 お見舞いとは思えない華やかな花束を、取り敢えず受け取った。


「……お久しぶりです、明亜。わざわざありがとうございます」

「本当に心配していたんだ。君まで失ってしまったら、僕はとても悲しい」


「まりおねえちゃまをたすけたおうじさまは、あくあさまなのですか?」

「蓮花! 向こうへ行きましょう」


 無邪気に訊ねた蓮花の手を引いて、英梨花お姉様は私に視線を向けて来た。

 私はしっかりと目を合わせてから、小さく頷いた。

 個室で二人きりになったことで、明亜は安堵したのか息を吐いた。


「……あははは。蓮花ちゃんは相変わらずだね。

 王子様って……まあ嬉しいけれど」

「……王子様は、こっちですよ。私を助けてくれた王子様は」


 私は、ビスクドールを明亜の目前に突き出した。


「……あぁ、これ! あれ? 確か……捨てたんじゃ?」

「とんでもない! 大切なお人形捨てるだなんて!

 百合花お姉様と英梨花お姉様から頂いた、アルファを捨てるなんて!」

「……なんか、前に言っていた事と違うね?」

「人の心は変わるものです」

「それにしても、元気そうで安心した。本当に。…………ねえ、茉莉花」

「はい?」

「退院して落ち着いたら、どこか一緒に、二人っきりで出掛けないか?

 茉莉花の行きたいところなら、どこでもいいから」

「何故、二人っきりなのですか?」

「えっ……何故って、だって僕達は、恋人でしょう?」

「私は明亜の従妹です。そして、明亜は私の従兄……そうでしょう?」

「――――そうだったね」


 明亜は、すっ……と視線を逸らすと、そのまま踵を返して病室を後にした。

 私はアルファに視線をやり、それから強く抱きしめた。

 胸に生じた痛みが、和らいで、消えてしまうまで……。



 退院した私はすぐに、英梨花お姉様に頼み込み、百合花ゆりかお姉様が眠る墓へ連れて行って貰った。その日は奇しくも、百合花お姉様の月命日だった。

 まともに葬式も出てない、お墓参りも今日が初めてだったので……少し緊張していた。

 持って来た美しい白百合を活けて、線香を置いて両手を合わせた。


「百合花お姉様……私、現実世界に無事に戻ってこれました。

 絶望の淵にいても、残される妹の事を想いやってくれた……お姉様の優しい心のお陰で、もう一度生き直してみようと決意する事が出来ました。

 私は、まだまだ未熟で弱いです。家族に迷惑を掛けてしまうかもしれない。

でも、いずれはしっかりしたい、強くなりたいと思っています。英梨花お姉様を安心させて、蓮花の良い見本になって……百合花お姉様のような、素敵な女性になりたいです。

 いつか、そちらへいった時……よく頑張ったと、言って貰えるように。

 百合花お姉様と……守人りひとお兄様に。

 大好きなお二人が見守っていると信じて、私、頑張りますね」


 もっと伝えたい事は、きっと胸の奥にある。

 でも声に出てこないので、諦めてゆっくりと立ち上がった。

 ふわっ……と風が、強くて甘い白百合の香りを運んだ。

 風に揺られる白百合は、微笑みながら手を振る百合花お姉様のようだった。


「お姉様……」


 もし、全てを思い出す事を諦めて、異世界へ留まることを決めていたなら……私が今感じている悲しみを、危うく英梨花お姉様や蓮花にも味あわせるところだったのだ。それがどれほど罪深いことか……私にはよくわかる。

 だから、私はもう二度と死という方法で、別の世界へ逃げようと思わない。

 何故なら人は、この現実世界でしか本当に幸せになることは出来ないから。


 思い出した記憶と共に、幸せになるために生きることを約束した私は手を振る百合花お姉様に手を小さく振り返して、踵を返した。

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リメンバー 月光 美沙 @thukiakari

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