忘却を渇望

 夜の暗闇の中、私は、ベッドに腰掛けていた。

 帰って自室に飛び込んでから、動かなかった。

 既に真夜中の三時を回っていた。

 でも眠くはなかったし、食事も摂ってないけれどお腹もすいていなかった。

 涙を流すだけ流し尽くしたら、頭の中も、胸の中も、何にもなくなった。

 悲しみ、苦しみ、後悔、罪悪感、自己嫌悪……。

 抜け殻になった私は、魂まで抜けてしまったのではないかと思い、生きている実感が欲しくなった。机の中からカッターナイフを取り出した。

 出した刃を見て、切れるのか不安になって適当な紙を切ってみた。

 大した力を入れずに切れたので、即座に左手首に刃を当てようとして……赤いブレスレットを見た。明亜あくあの為に作った時、お揃いの代物を身に着けたい一心で色違いのブレスレットを作った。

 ……身に着けているだけで、繋がっていると幸せだったのに。


 私は、何だったの? 私は、明亜にとって、どんな存在だったの?

 好きだった。愛していた。私と同じ気持ちだと……信じていた。

 それじゃ、あの優しい言葉は?

 大切な人だって。特別な人だって。そう言っていたのに。

 優しく頭を撫でてくれたのは? 耳元で囁いてくれた、愛の言葉は?

 ――――私は、明亜にとって特別ではなくて……おもちゃの一つに過ぎない。

 私のような女の子は、明亜の周りには大勢いる。

 もっと早くに気付くべきだったのに。いや、気付いていたのか。

 気付いていたのに、その気持ちに蓋をしてきたのは自分だ。愚かだと思う。


 百合花ゆりかお姉様も、同じ気持ちだったのかしら?

 自分に都合の良い幻想が覚めてしまって……でも現実を直視出来なくて。

 顔を見るだけで幸せ、手を握られるだけで幸せ。会えるだけで幸せ。

 自分をごまかし続けて、苦痛を我慢し続けて、壊れてしまった。

 そして、追い打ちをかけたのは……私。

 百合花お姉様を殺したのは、私。私は、人殺し。


 あぁ、どうして生きているのだろう?

 この世界には、もう私の味方はいないのに。

 ……私は、生きることを望まれていないのに。


 赤いブレスレットは見えた。

 切るべき場所は此処だと、教えてくれているかのようだった。

 私は、刃を当てて切り裂いた。

 じんとした痛みが、神経を伝って脳髄を痺れさせた。

 血が流れ出るのが鮮明にわかった。赤いブレスレットは見えたのに、赤い血は見えなかった……滴る液体は、真っ黒のように見えた。

 人間らしい赤い血じゃないんだ……そうだよね。

 私は、人殺しだもん。実の姉を殺した、人殺し。

 次第に痛みは、どんどん強くなっていき、左腕を痺れさせた。

 床に座り込む。痺れが、激痛と共に、ゆっくりと全身へと行き渡っていく。

 罪深い私へには、こんな最悪の死が相応しい。

 このまま、ここで……誰にも見つからないで、朽ち果てる……。


 ふと、瞼を閉じる前に……部屋を見渡した。

 窓際にある、とても精巧に作られたビスクドールに目が止まった。

 アルファ――――どうして? 私が死ぬところを見に来たの?


『マリちゃん。今日は七歳のお誕生日、おめでとう』

『おめでとう、茉莉花まりか

 いつもの食堂は、二人の姉が折り紙などで飾り付けて、とても綺麗だった。

 テーブルには大きなバースデーケーキ。勢い良く吹き消した7本のロウソク。

『ありがとう! ゆりかおねえさま! えりかおねえさま!』

『七歳になった御祝いに、私達からプレゼントがあるの』

『なぁに? なぁーに?』

『――――はい』

 差し出されたのは、優しく微笑んでいる男の子のビスクドール。

『わあ~きれいなお人形! ありがとう!! とっても嬉しい!!』

『喜んでくれて嬉しいな。大切にしてね?』

 英梨花えりかお姉様は、目を細めながら優しく頭を撫でてくれた。

『マリちゃんもアルファと、きっと……仲良くなれるわ』

 百合花お姉様は、目じりに嬉し涙を光らせながら言った。

『うん! なかよくする! きょうはいっしょのベッドでねるもん!』


 ……視界が、霞んで来た。今のは、走馬灯だろうか。

 どうしてこんなことに。

 私さえいなければ……こんなことには……。

 もう嫌。もう考えるのは嫌。もう何も考えたくない。

 百合花お姉様の死も。私が犯した罪も。何もかも。

 ……忘れたい。許されなくてもいいから、全部わすれて……ねむりたい。

 ぜんぶをわすれて……えいえんに………………。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る