思い出した過去
恋心と心の闇
目の前の光景には、現実感がなかった。
何もわかってない
「おねえちゃま、どーしたの?」
この場にそぐわない無邪気な口調で、蓮花が言った。
「ゆりおねえちゃま、ぶらんこ……」
手を伸ばそうとした蓮花を、私は近づいてその手を掴んで引っ張った。
そして、部屋の外に出した。
慕っていた姉の死を伝えるべきか、どうしようか迷いながら、私は蓮花と目を合わせた。蓮花は表情に怯えを見せていた。
あれが死体だと、わかったから? いいや、違う。怖いのは、私だ。
手を引かれて部屋を出されたので、また怒られると思ったのだろう。
つい三日前も、大声で怒鳴りつけた事がある……。
「……蓮花。部屋に戻りましょう」
涙に潤んだつぶらな瞳から目を逸らして、私は連れていこうとした。
蓮花は、私の手を振り払って、長い廊下を駆けて、階段を一人で掛け降りてしまった。追いかけようかとも思ったが、すぐにやめた。
その時、部屋の中から叫び声が聞こえた。
「触らないで!!」
英梨花お姉様の声だった。慌てて室内に向かうと、明亜が死体の前にいた。
そして、般若のような形相で掴み掛かっている英梨花お姉様。
「触らないで! お姉様に触らないで!」
「だって、このままは……下ろしてあげないと」
「触らないでって言ってるでしょ!?
あなたのせいよ! あなたのせいで、お姉様は死んだの!!
お姉様を死に追いやった、あなたに指一本たりとも触って欲しくない!!」
「英梨花……ちょっと落ち着こう?」
「来ないで! 出で行って! この屋敷から、今すぐ出て行って!!」
英梨花お姉様の声が刃に変わり、心をズタズタに切り裂いた。
私じゃなくて、明亜に向けて言っている言葉なのに。
いいえ、違う。これは、私。私に対して言っている言葉。
私のせいで、百合花お姉様は死んだ。
私が、百合花お姉様を死に追いやった。
強烈な眩暈を感じたと思ったら、世界が暗転した。
ちょうど一年前――――私は、生まれて初めての恋をした。
相手は、三つ年上の従兄……明亜。
多くの女性が憧れる理想の男性だな、と昔から思っていた。
あまりにも完璧すぎだって、童話の王子様のようだねって……友人達が興奮しながら語るのを、笑って聞いていた。
運命で結ばれるお姫様じゃないと近づくことも許されない存在に、親戚関係だから気安く交流を持てるのは、幸運なのかどうなのか、わからなかった。
そんな彼に、恋をするなんて思わなかった。
いつから好きになったのだろう。気付いたら目で追っていた。
きっと……もしかしたらいたかもしれない〝兄〟への切望が、身近で兄らしく魅力的に振る舞う従兄を、ことさら素敵に見せたのかもしれない。
でも、好きな人の姿を追い続けて、すぐに気付いたことがあった。
百合花お姉様と明亜が交際している事実……。
知った日の夜は泣き明かして、翌朝は目を腫らしたまま一階へ降りた。
「おはよう、
泣きすぎて頭がボゥとしていた。
いつもより機嫌が良さそうな英梨花お姉様の声も、右から左に抜けた。
「まりおねえちゃま! レンね、きのう、まほうつかいだったんだよ!」
「……え?」
「まほうでね? おかしを、いっぱい出したんだよ!
キャンディーやチョコレートやマシュマロ……いーっぱい! えへへ」
「……そうなんだ」
笑顔で両手を振り回して、朝から元気いっぱいの蓮花も適当にあしらった。
いつもよりそっけない私の対応に、蓮花は小首を傾げた。
「あれぇ? まりおねえちゃま……?」
「――――レンちゃん。自分の席について、お食事を始めましょうね」
周りをウロつく蓮花に、百合花お姉様は静かに言った。
私の様子を見て、具合が良くない事を察してくれたのだろう。
私は、目の前に並べられた朝食から、姉の方へ視線を向けた。
上品な微笑みを浮かべる百合花お姉様は……淑女と呼ぶに相応しい。
聡明で心優しくてお淑やかで……褒める言葉は、全てが当てはまる。
だから彼とも……明亜とも、お似合いだと思う……。
……………………。
どうして、お姉様なのだろう? 他の女性だったなら、すぐに諦められた。
恋人は無理でも従兄妹関係であることは不変なのだから、今まで通りに仲良くする事は出来る。それだけでも恵まれている、と……。
でも恋人は、私のお姉様だった。私が憧れて、大好きだったお姉様だった。
仕方ないと諦めて眺めるには、あまりにも近い距離だった。
このまま順調に交際が続けば……二人は、いずれ婚約するかもしれない。
結婚したなら、明亜は私の義理の兄になるのだ。
私が望んでいた〝兄〟が、手に入る……?
枯れたと思っていた涙が溢れてきて、慌てて食堂を飛び出した。
後ろで英梨花お姉様が何か叫んでいたが、無視して駆けた。
自分の部屋に戻って、ドアを背中で押さえつけて、そのまま座り込んで衝動に任せて泣いた。
初めての恋。人を好きになる事の素晴らしさ。想いが叶わない苦しさ。
人生で、こんなに涙を流したのは……生まれて初めてだった。
ドアをノックする音で、私は我に返った。
泣き疲れて、眠ってしまうなんて……何年振りだろうか。
「――――どうぞ」
慌てて立ち上がり、タオルハンカチで顔を拭いながら、声を掛けた。
ドアが開いて、誰かが入って来た。
目をこすっていた私は、誰が入って来たのか見えなかった。
「大丈夫かい? ……茉莉花?」
「……えっ!?」
慌てて目を開けると、明亜だった。
「どうして!?」
「お昼だから呼びに来たんだけれど……僕じゃ、嫌だったかな?」
「そ、そんな!? あっ」
いきなり右足から力が抜けて、前のめりになった。
目の前に、衣装ケースの角が迫った。
明亜が咄嗟に抱き止めてくれたから、何とか事なきを得た。
「本当に大丈夫かい!? 百合花さんから聞いたけど、具合が悪いんだって?
食事を部屋まで運ばせようか? 階段を下りるのも辛いだろう?」
「………………」
「さ、ベッドに横になって待っててね。
今すぐランチを持って来てあげ、るから……? 茉莉花?」
「ご飯いらない。此処にいて。私の傍にいて」
離れようとした彼の服の袖を掴んで、そんな事を口走っていた。
はっと口を噤んだ後は、言い終わった後だった。
お姉様の恋人に、好意を伝えてしまうなんて……!
「わかったよ、茉莉花。今日は、ずっと傍にいてあげるよ」
「え?」
「早く具合が良くなるといいな。茉莉花は、僕の大切な人だから」
「た、大切な人? ほ、本当ですか?」
「もちろん本当だよ」
優しい声で紡がれた言葉が、とても嬉しくて。
大きな手のひらで頭を撫でられるのが、とても嬉しくて。
大好きな人が、自分だけを見つめている時間が……とても幸せだった。
幸せを感じながら、私は思ってしまった。
――――百合花さえいなければ、明亜と付き合えたのに……。
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