離れゆく愛

 リヒトに背中を押されて自室を出て、即座に振り返ると彼を閉じ込めるようにドアが勢いよく閉まると同時に、壁に吸い込まれるように消えた。

 私の部屋は、私の目の前で完全に消えてしまった。

 壁は、そこにドアがあった事など無かったように、冷たいままだった。

 しばらく両手でオルゴールを抱えたまま、呆けたように立ち尽くしていた。


 呆然としていた私を我に返させたのは、誰かの泣き声だった。

 声を辿ると《ぬいぐるみ部屋》からだった。

 私は、自分の部屋があった壁の前にオルゴールを置いて、それから泣き声が聞こえる部屋まで向かった。

 胸を切り裂くような悲痛な泣き声に、私はすぐに部屋のドアを開けた。


「レンカ――――ひっ!?」


 部屋の有り様を見た瞬間、私の思考は停止した。

 綺麗に並べられていた大量のぬいぐるみ……それら全てが両手足、頭を切り離されて、腹を裂かれて中身を全部出された状態で、バラバラに部屋に散らばっていた。布と綿の山の真ん中で、レンカがこちらに背中を向けて泣いていた。

 全身を震わせ、泣きじゃくる妹に違和感を覚えながらも、声を掛けた。


「レンカ……」

「ひっく……マリおねえちゃま……ぅっく……」

「一体、何があったの?」

「マリおねえちゃま……レンは……もう、おままごと、できません……」

「おままごとできない? どういうこと?」

「……おえかきも、できません」

「どうして?」


 よく見れば。ぬいぐるみの残骸に紛れて、千切られた紙があった。

 レンカが描いた、ファンタジックの絵も台無しになっていた。


「一体、誰がこんなヒドイ事をしたの!?」

「……うぇ……うっ……ぅぅ……」


 レンカは泣いてばかりで、話にならない。

 近づいて泣き止ませようと思ったが、足の踏み場もないほど、ぬいぐるみが撒き散らされている。

 それに切り離された頭と目が合う度に、彼らに言われた残酷な言葉が甦る。


 『鋭い、よく切れる大きなハサミで』『腕を、足を、首を切り落として』

 『腹を切り裂いて中身を出して』『目を抉って』『顔をズタズタにして』

 『泣いても喚いても謝っても、全身をバラバラにしてやる』


 そして、ぞっとした。彼らは自分の言葉通りの扱いを受けている。

 私の脳裏に浮かんだのは、一つのイメージ。

 大きな羅紗鋏を持ったスキアが、ぬいぐるみ達をバラバラにしていく……。

 私の姿瓜二つの存在が蛮行に及んでいる、なんて妄想だと自覚していても気分が悪くなった。


 レンカは、まだ泣いている。涙を拭おうともせず……?


「…………嫌あぁあああああっ!!」


 じっと見ていて、私はレンカの違和感に気付いて、悲鳴を上げていた。

 レンカには、両腕が無かった。腕の根元から切り落とされていた。

 両腕は、まるでゴミのように放り捨てられていた。断面が、まだ生々しい。

ぬいぐるみからは流れない赤い血が、ぼたぼたと愛らしいドレスを、部屋の床を汚していく。


「……マリおねえちゃま」

「えっ――――ぎゃああぁああああああああぁぁ!!!」


 衝撃から立ち直る前に、こちらに振り返ったレンカを見て私の口からは再び絶叫が迸った。レンカの大きくてつぶらな瞳が無かった。

 眼球が抉り取られた後の眼窩が見える。そこから流れる赤い涙。

 腕がないので、ソレを拭う事が出来ないのだ。


「おねえちゃま……そこにいるの?」


 座り込んでいたレンカは、立ち上がろうとして倒れ込んだ。

 両腕が無いので、バランスが取りにくいのだ。それは、わかっていた。

 でも、無残な姿になった妹が……受け入れられなくて。

 今すぐ駆け寄って手助けしたいのと、近寄りたくないのと、両極端の気持ちが私の中でせめぎ合った。


「マリおねえちゃま……マリおねえちゃま……」

「レンカ……」

「マリおねえちゃま……マリおねえちゃま……」

「嫌、やめて呼ばないで」

「マリおねえちゃま……マリおねえちゃま……マリおねえちゃま……」

「やめてったら!」

「マリおねえちゃま……マリおねえちゃま……マリおねえちゃま……」

「やめなさいって、言っているでしょ!?」


 同情と憐憫は、すぐに疎ましさに変わってしまった。

 もがいている姿は、大きな芋虫のように見えて、気持ちが悪くなった。

 さっきまで可哀想に思っていたのが、嘘みたいに。


「何なのよ! いつも『おねえちゃま……おねえちゃま……』って!

 そうやって甘えた声を出せば、誰かが助けてくれると思っているの!?

 いつもいつもいつもいつも!! 私の邪魔ばかりして!

 独りで遊びなさいって、いつも言っているでしょ! 遊べないの!? なら、馬鹿の一つ覚えみたいに集めている、ぬいぐるみなんて要らないじゃない!」


 そう言って振り上げた右手には、いつの間にか大きな羅紗鋏が握られていた。真っ赤に染まる刃先――――まさかそんな……私が?!

 いや、違う! 私は、そんなことは……そんなことは……。

 最悪のタイミングで甦る最悪の記憶。



『まりおねえちゃまぁ!』

『ちょっ、何よ!』

 ちょうど明亜あくあと抱擁を交わしている時に、私の部屋に蓮花れんかが入ってきた。

 明亜は、すぐに離れて笑って誤魔化してくれたが……もう少しで待ち望んでいた接吻が頂けると思っていた矢先の出来事で、私は怒り心頭に発した。

 明亜の前で怒れないので、蓮花の手を乱暴に引っ張って、このぬいぐるみの部屋まで来た。

『蓮花! どうして私のところに来るの!?』

『だっ、だって……あそんでほしくて』

『どうして……今日に限って独りで遊ばないのよ!?

 いつもは独りで遊んでいるじゃない! どうして私の邪魔をするの!!』

『ご、ごめんなさいっ……ごめんなさいぃ』

『謝っても遅いわよ! せっかく明亜と二人っきりだったのに!

 邪魔する人はいなくなって……いなくなったと思っていたのに!!』

『ごめんなさい、ほんとにごめんなさい。まりおねえちゃま……』

『あーうるさい! うるさい!!』

 並べられているぬいぐるみの視線が気になって、私は並んでいるぬいぐるみを薙ぎ払った。床に散らばったぬいぐるみの数体を、故意に踏みつけた。

『わぁあぁーん! おねえちゃまのバカぁ!

 レンの友達の〝ミュー〟と〝ニュー〟がイタイって言ってる!

 イタイって言ってるの! 足をどけてぇ!!』

 落ちたぬいぐるみ全てを抱いてワンワン泣いている妹に、私は言い放つ。

『痛がるわけないでしょ! いつまで馬鹿な事を言ってるのよ!

 もう二度と私の部屋に来ないで。いい?

 来たら、ぬいぐるみを焼却炉で燃やしてしまうからね! わかった!?』



 甦った記憶が終わるや否や、私は知らぬ間に握っていた羅紗鋏を放り出して、倒れているレンカに駆け寄った。

 あぁ、私は……なんて最低な姉なのだろう。

 何も知らない純真無垢な妹に、今まで散々ヒドイ事をして来た。

 抱き起こして、レンカの眼窩に目を向けると、私の瞳からは大粒の涙が溢れて来た。レンカは私に触れられた事を感じ取ると、すぐに顔に微笑みを浮かべた。


「おねえちゃま、わるいことをしたら……ごめんなさいをするんだよ?」

「――――そうね。私は、本当にヒドイ姉だったわ。

 ごめんなさい、レンカ。ごめんなさい……許してなんて言わないわ。

 本当に申し訳なく思うわ……ごめんなさい……ごめんなさい……」

「大好きなマリおねえちゃまに、もどってくれてありがとう。

 もうわるいまじょにならないでね? ずっとかわらないでね?」


 慈愛深いレンカの言葉に、私は泣きじゃくる事しか出来なかった。


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