罪の記憶

迷い、そして覚悟

 ……せっかくだし、明亜あくあを部屋に呼んでも良いように片づけておこう。

 ベッドメイキングをして、机の上を整えて、余所行きの服からお気に入りの可愛いルームウェアに着替えた。

 そして念入りにしたメイクを一旦落として、軽くし直した。

 今日は、一日中部屋にいよう。大好きな映画を見よう。

 明亜と一緒なら、どこでもいい。一緒にいられるのなら……。


「マリカ、諦めちゃ駄目だと……言ったはずだ」


 聞き覚えのある、くぐもった声に振り返り、輝きを纏った白に目が順応するまで少し時間を要した。

 その姿を見た瞬間、私の高揚した気持ちは一瞬で掻き消えた。


「――――リヒト」

「マリカ、どうして鍵の掛かった部屋にいるんだ?」


 此処が、異世界であることを再認識させられた気分だった。


「ここは、私の部屋よ。別にいてもいいでしょ?」

「……君は、まだ全てを思い出してない。

 現実世界に帰ることを諦めてしまったのか? 永久に此処にいるのか?」


 リヒトは明らかに怒っていた。

 声を荒げたりはしないが、表情は険しかった。


「この世界は、私に安らぎをくれる……余計な事を思い出さなければ」

「思い出さなくても、事実は無くならない。犯した罪は無くならないんだ」

「あの人形と同じことを言うのね」

「君こそ……スキアと同じことを言うようになったね。

 ――――いや、スキアが君の真似をしているのか。さすがは《影》だな」

「影?」


 ……そういえば、スキアって一体、何者なのだろう?

 私達は四姉妹で……男兄弟は一人もいない。歳の近い親戚は、明亜だけ。

 明亜は一人っ子よね。跡取りで次期当主様。

 そもそも、私と瓜二つなのだから……双子? でも私が記憶を思い出す前に彼は自分から名乗って、しかも記憶も全く甦らないとなると……。


「リヒト……あなたも誰なの!?」

「ボクのことは、どうでもいい。マリカ……本当に諦めてしまうのか?

 せっかく蓮花れんか英梨花えりかのことを思い出したのに、また忘却の彼方へ、彼女達を葬り去るつもり? ボク、最初に会った時に言ったよね?

 『現実から逃げ続ける事は、いずれ自らを破滅させる事に繋がる』と。

 現実逃避をし続ける者に、安楽なんか与えられるものか!!」


 リヒトの言葉は、どんな刃物よりも鋭利で、私の胸を容赦なく抉った。

 その痛みを悟られないように、私は言葉を返した。


「私の家族……私が犯した罪……それを思い出した後、幸せが?

 本当に訪れると、あなたは思うの? 私……怖いのよ。全てを思い出したら、私に待ち受けるのは……辛くて悲しい未来しかない。そう強く思うの」

「待ち受けるのは、此処での無限地獄より、ずっとマシな未来だよ。

 この世界で得られるものなんて、全てニセモノ。

 本物の幸せは、本当の世界でしか……現実世界でしか手に入らない!

 苦しみもあるだろうけれども、間違いなく幸福もある!」


 言葉を交わせば交わすほど……私は、見えない刃で切られているような痛みを感じた。これ以上、リヒトの真っ直ぐな目と目を合わせていられず、思わず目を伏せた。

 『思い出すな』というスキア。『思い出せ』というリヒト。

 今日、初めて出会った、真逆の事を言う二人の男の子。

 私は、どちらの言葉を信じればいいのだろう?

 ……どちらに従えば、私は救われるのだろう?



 次の瞬間、部屋が崩れ始めた。

 整頓した机も、ベッドも、本棚も……全てボロボロになっていく。

 家具だけじゃなく、本も写真もアクセサリーも……形あるもの全てが朽ち果てていく。音もなく、止まることなく……消えていく。

 驚く事も、悲しむ事も出来ず、呆然と部屋の崩壊を見守っていた。


「――――あ」


 唐突に視界に入った机の上、エメラルドグリーン色の陶器のオルゴール。

 このままでは消えてしまう。私は、手を伸ばしてオルゴールを掴んだ。

 ……待って。形あるものが全て無くなってしまうのなら……私は?

 ここにいて、大丈夫なの?


「マリカ」


 リヒトは、部屋の崩壊など我関せずといった様子で、言った。


「もう一度、訊く……本当に、ここで思い出すのを諦めてしまうのか?」


 天井から、照明が落ちて私と彼の間で、音を立てて壊れた。

 此処は安全じゃない。


「危ないわ! この部屋から出ないと!」

「マリカ、答えるんだ」

「わかったわよ! 全てを思い出すわ! それでいいんでしょう!?」


 逃げるどころか、動こうとしないリヒトに手を差し出そうと動いた。

 右足を一歩前に出しただけだった。力など込めてなかった。

 それなのに、床が崩れた。足が、抜けた穴に吸い込まれた。


「きゃああっ!」


 バランスを崩した私は、手に持ったオルゴールを投げてしまった。

 そのはずみで乱暴に蓋が開いた。


≪アメイジング・グレイス≫――――姉妹みんなが好きな曲


 室内に、美しく儚い旋律が響く。

 この綺麗な音楽を奏でるオルゴールをくれた人は、誰だっただろう?

 名前も顔も声も……全てを忘れてしまった、私の家族。

 その家族が待つ現実世界には、全てを思い出さなければ、帰れない。

 赦されるかどうかもわからない、私の罪と共に全てを。

 何も知らない方が、きっと心は平静でいられる。それは、わかっている。

 けれど、それでは幸せにはなれない。ただ何もないだけ。


 リヒトは、オルゴールを拾い上げてから、私に手を貸してくれた。


「このオルゴール、誰から貰ったか覚えている?」

「……貰った事は覚えているけど、誰からなのか……」

「そうか。マリカ……どうか、思い出してくれ。

 ボクは、君に教える事は出来ない。ボクは、君を助ける事が出来ない。

 ボクは、君が諦めないように導くだけ……それしか出来なくてごめんね」


 いつの間にか、崩壊は止まっていた。

 リヒトは、私の手を引いて鎖と南京錠に閉ざされたドアの前まで来た。


「マリカ、このドアを開けるんだ」

「……でも鍵が」

「この鎖も、南京錠も、ニセモノだ。マリカの心が創り出している。

 今度こそ最後まで思い出す事を決意すれば、消えてなくなるはずだ」


 見るからに重そうで、冷たそうな鎖と南京錠。

 私は、ドアノブを掴んで深呼吸した。

 この先……全ての記憶を、真実を、最後まで思い出す。

 もう、二度と途中で諦めたりしない。

 そう思った瞬間、南京錠が開き、スルスルと鎖が解かれた。

 私の心は、真実と向き合う事を決心したようだった。

 リヒトは力強く、そして優しく私の背中に手を当てた。


「ありがとう、マリカ。ボクは、いつでも見守っている。

 けしてマリカは独りじゃないから。だから――――頑張って」

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