子供の頃

 大聖堂に突如現れた巨大な魔力!!

 ヴァチカンの騎士達が総出で結界を張る。そうは言っても、ここは大聖堂。既に過大な加護を得ている。

 その加護を破り、出現した魔力の源を訝しげな表情で見る。

「ネロ教皇!!この場は我々にお任せ下さい!!」

 私の身を案じてか、退けと騎士達が促す。

「…ソロモンの指輪を渡したのはいいが、魔力だけ送り込むとはな」

 北嶋 勇にどのような交渉をしたのかは不明だが、指輪はいらぬが力は欲しい、と迫ったのだろう。

「ソロモン王が御していた魔力…並大抵ではないが、何とかなりそうだな」

 聖水で清めた小瓶に魔力を封じるよう指示を出し、私は場を離れる。

「教皇、どちらに!?」

 不安そうな騎士に諭すように言う。

「落ち着いて数人掛かりでやれば、封じる事は可能だ。私は野暮用で出る。何かあったらハウル司教に言いなさい」

 言い終えてそのまま、グリフォンが休んでいる檻に向かった。

「こ、これは教皇!このような場所に何用で?」

 衛兵に一瞥をし、私のグリフォンに近寄る。

「やぁステッラ、元気かい?」

 微笑みながら、その夜に輝く星のように煌めいている身体を撫でた。ステッラは機嫌良く頭を私の胸にすり寄せる。

「エクスカリバーとアレの他に、君も私の息子に懐いてくれれば良かったんだがなぁ」

 昔、私は最強の騎士だった。

 歴代の最強に与えられる剣、エクスカリバーを持ち、悪意を持った敵を斬り捨てていたものだ。

 私はその力を以て、ヴァチカンの至宝、賢者の石を奪還すべく、君代ちゃんに挑んだ。

 勝負は…ナーガ出現で流れたが、対峙した瞬間、私は負けを意識した。

 それ程君代ちゃんは強かったのだ。

 賢者の石は君代ちゃん預かりにしたのだが、それは彼女は石を悪用する事は無いと判断したからだ。

 尤も、賢者の石は君代ちゃんにも御し切れる代物じゃない。

 今思えば、サン・ジェルマン伯爵にも完全に御している訳でもなかった。

 その時に私を日本に運んでくれたのが、このステッラだ。

 ヴァチカンの中で、最強の力を持つグリフォン。あの白面金毛九尾狐にも引けを取らないと思っている。

 私はステッラに跨り、促す。

「門を開けろ」

 引き攣りながら、首を振る衛兵。教皇たる私を送り出す事など出来ないと思っているのだ。

「開けないなら破壊して飛び出すまでだよ?大丈夫、大司教に連絡済みだ」

 まぁ、嘘だが。

「それならいいですが…わ、解りました…」

 絶対に嘘だと感づいているだろうが、衛兵は門を開けた。

「ありがとう」

 私は感謝の笑みを向けて、日本に向かって飛び立った。

「急がないと…嫌な予感がする…」

 ステッラならどんな乗り物よりも早く日本に着ける。

 予感が取り越し苦労ならば良い。

 だが、胸のざわめきが治まらない今、私は行かねばならない。

 道中、懐かしい声が聞こえた気がした。

 急げ…

 急げ…

 急がなければ…

 息子が…

 ………死ぬ…

「解っているよ君代ちゃん!!心配は要らぬ!!」

 カトリックは幽霊の存在を否定する。

 もし、死んだ者が現れたのなら、それは悪魔の仕業と考える。

 例外に死した者が天使となりて、生前親しかった者に警告や啓示をする事もある。

「もっとも君代ちゃんは、天から私をいざなっていると言うのだろうがな」

 宗教の違いとは、この様な食い違いも発生するが、私は色々な事を見てきた。

 カトリックに捕らわれない私が教皇になるとは夢にも思わなかったが。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


「は、ははははっ!見ろお前等!我等が主が悪魔王を退けたんだ!リリスなんぞは尻尾を巻いて逃げやがった!ははははは!!ははははははははははっっ!!!」

 リチャードがリリスが居た空間に指を差して笑った。

「リチャード、君の認めたく無い気持ちも解るが……」

 リチャードの肩にそっと手を添えるレオノア。

 先程まで笑っていたリチャードが一転、目を剥きながら添えられた手を叩き落とす。

「レオノアぁ…お前はあの蛮族が悪魔王を説得したと言うのか?悪魔王が退いたのは、俺が主に必死に祈ったからだよ…そうに決まっている!!」

 唖然としてリチャードを見た。

 これがヴァチカンの騎士のリーダーか…

 必死に否定し、みっとも無い程に髪を振り乱しながらレオノアに詰め寄るその様は、本当に神の代わりに戦う聖騎士の姿なのか…?

 抜いていたエクスカリバーを鞘に収め、改めてリチャードの取り乱した様をよく見る。

 醜い…

 これが幼き時より、父に教えられた聖騎士の姿なのか…

 空を仰ぎ、幼き時の事を思い出した……


 俺はヨーロッパのとある貧しい町で産まれた。

 腹を減らして窃盗をした事もある。

 親父は朝から晩まで酒を呑み、ギャンブルに明け暮れる。

 お袋はそんな家族を養う為、娼婦に身を落とし、働いていた。

 お袋の稼ぎを酒代に回している親父。親父とお袋は毎日喧嘩をし、殴り合いをしていた。

 言うまでもなく、男の方が力が強い。

 お袋は毎日殴られ、地べたに転がされて腹を蹴られてから街頭に立っていた。

 俺は本当に親父が憎かった。

 お前が死ねば幸せが来る。

 毎日そればかり考えていた。

 そんな目で親父を見ていた俺は、目つきが気に入らないからと毎日親父に殴られていた。

 お袋がいれば俺を抱き締めて代わりに親父に殴られていた。

「おかぁちゃん、もう嫌だよぉ…」

「ごめんね…ごめんね……」

 泣くしかできなかった俺を力いっぱい抱き締めながら、謝罪を繰り返して言うお袋。

 いつかお袋を連れて、この地獄から逃げ出す事ばかり考えていた。

 ある日、ポーカー仲間と一勝負する為に夜家を出た親父。入れ違いにお袋が帰ってきた。

「アーサー!おかぁちゃんに親切にしてくれているお客さんがね、おかぁちゃんと一緒になってもいいって!!」

 お袋は目を輝かせながら俺を抱き寄せた。

「え?じゃあ僕は?」

 俺から身体を離し、俺を抱き上げてクルクルと回り出すお袋。

「勿論一緒よアーサー!!」

 その時のお袋の顔は、俺が知っているお袋の笑顔の中でも一番輝いていた。

 俺は興奮した。やっとこの地獄から抜け出せると歓喜したのだ。

 回っていたお袋は、俺を床にそっと下ろし、荷物を纏めるよう言った。

 お袋も安物のカバンに着替えを詰め込んでいる。

「今行けるの!?」

「勿論!今すぐ来てくれと言われたからね!」

 俺は喜び勇んで荷物を纏める。

 元々そんなに無い荷物だったのが幸いして、逃げ出す為の荷造りはすぐに終わった。

 そしてお袋は、俺の手を取り、この家から駆け出した。

 いや…逃げ出したんだ。

 手を引かれて連れて来られた家は、どこにでもあるアパートだった。

 お袋が扉を喜び勇んで開ける。

「あんた!来たよ!」

 そのままリビングらしき部屋へ歩くお袋。俺も後ろをついて行く。


 ゾワッ…!!


 背中に氷が触れたような冷たい感覚を覚えた。

 なんだ?

 そう思い、俺は回りをキョロキョロと見た。

 ソファーに座っている男に抱きついているお袋の姿が視線に入る。

 !!!!!

 全身が氷水に浸ったような冷たい感覚…震えが酷くなった。

 なんだ一体!?

 あの人を見た瞬間、お袋が安心しきって寄り添っている男を見た瞬間…俺は震えが酷くなった。

「本当に来たのか」

 俺は見逃さなかった。お袋に笑いかけている男が一瞬出した表情を。

 嫌悪感を表した舌打ちを。

 男は震えている俺に気が付くと、そっとお袋から離れて俺に近寄る。

 一歩一歩近寄ってくる男に比例し、俺の震えは酷くなる一方だった。

 やがて俺の前に立ち、すっと屈み、俺の視線に顔を合わせる。

「やぁ、君がアーサーか?俺はジョンだ。お母さんの友達さ」

 お袋と同じような歳…ブラウンの髪を後ろに整え、髪の色と同じブラウンの髭…服の上からでも解る、鋼のような筋肉…

 見た目は普通に優しい兄さんと言った感じだが…

「はぃ…」

 硬直している俺の手を掴み、握手して笑うジョン。

「ははは、初めて会ったから緊張しているのか?まぁ、今日は遅い。俺のベッドを使うがいい」

 就寝を促すジョンに、俺は『逆らえず』手を引かれて寝室に連れて『こられた』。

「じゃあお休み」

 黒い瞳で俺を見るジョン。

 パタンと扉が閉じたと同時に、俺は床に尻を付いた。

「な、なにあれ…おかぁちゃんには見えてないの…?」

 ジョンの背中には沢山の女が引っ付くように絡み付いていた。

 その全ての女は全て腹から血を吹き出していたのだ。

 女達は殆どがお袋と同じような服を着ていた。娼婦だった。

 最後に俺に向けられた黒い瞳には、俺の他にドス黒い影が映り込んでいた。

 俺は眠る事は不可能だった。

 あんな沢山の女が張り付けている男の家で、どうして安心して眠れるのだろうか?

 膝を立てながら座り、顔を膝に埋めながら、ただ震えるしか無かった。

 暫くすると、俺も大分落ち着いてきた。

 お袋と男の会話を聞き取る事くらいは出来る程度には。

(……そんな!今更話が違うわ!)

(だが旦那の事もある。良からぬ噂をよく耳にするぞ?)

(そ、それは…………)

 どうやら今更一緒にはなれないと言っているようだ。

 心から祈った。

 どうか、どうかおかぁちゃんが諦めてくれますように、と。

(……俺としては、君と一緒になりたい。アーサーも可愛いしね)

 カタン

(そ、それは……?)

(簡単さ。旦那が確実に居なくなればいいんだよ)

(ダメよそれは!!あなたにそんな真似はさせられないわ!!)

(じゃあどうすればいい!?俺は君とアーサーと幸せになりたいだけだ!!)

(………解ったわ………私がやる…いえ、不幸と決別する為に私がやらなきゃならないの…)

(君にそんな真似をさせる訳には…)

 ガッ

(いいから貸して!!直ぐ帰ってくるから!!)

 バン!!

 会話が終わり、お袋はアパートから出ていった。

 直ぐ帰ってくると言っていたから、一人置かれる事は無さそうだが、お袋がどこに行ったのか、俺の心臓が張り裂けんばかりに高鳴り、肺から空気が全て無くなったように、息ができなくなっていた。

(………まさか本気にするなんてなぁ)

 扉向こうから男の独り言が聞こえた。訊きたくなかったが、どうしても耳を澄ましてしまう。

(甘い言葉なら誰からでも受けるだろうに。だから娼婦は気に入らない……)


 ォォォォォォォォォォォォオオオオオオオオオ!!!


 何かの唸り声が耳に、いや、鼓膜に直接響いた。


 グワングワングワングワン!!


 激しい頭痛が俺を襲う。耳を塞ぎ、床に転がった。


――コロシタコロシタコロシタコロシタコロシタコロシタコロシタコロシタ!!

――ユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイ!!

――ダマシタダマシタダマシタダマシタダマシタダマシタダマシタダマシタダマシタダマシタ!!


 声が…声が、無数の女の声が俺の頭に入ってくる。

 涙を流し、嘔吐した。

 殺された怨み。騙された悲しみ。

 あの男に向けられた憎悪が、全て俺に流れてくる。


 ウゲェッ!カハッ!


 床が俺の嘔吐物で汚れた。転がっている俺に、嘔吐物が付着する。

「ぁぁああああああ!!!」

 あまりの頭痛に叫ぶ。

 その時、寝室のドアが静かに開いた。

「…アーサー、どうしたんだ?具合でも悪いのか?」

 意外にも優しく声を掛けてくるジョン。

 俺は顔を上げた。

 もしかしたら、この女の人達は、なんか勘違いしているのかも、と。

 ジョンに纏わり付いている女達は、やはり怨みの形相をしている。

 だけど、初めて会った自分に、床を汚されて、尚且つ心配までしてくれる…そんな人が…

 一瞬、心を許しかけたその時。


――ダメヨ……………


「えっ?」

 驚いてジョンを見上げた。

 手を伸ばして俺を起こそうと屈んでいるジョンの本当の真後ろの女と目が合う。

 女は確かにジョンに怨みを持って憑いていた。

 だが、他の女と何か違う。

 その女が、俺の脳に直接話し掛けてくる。


―――アクマハ…サイショハ…ヤサシイノヨ…………


 ドクン!と心臓が高鳴る。

 尚も話す女。俺は目を見開いて、女を見ていた。

 その時、気が付く。いつの間にか頭痛は和らぎ、涙は流れなくなっていた。

――コノオトコ……


 この男…


――ダクノハオンナダケジャナイ……


 抱くのは女だけじゃない…

 抱くのは女だけじゃない!!

 俺はジョンの手を払い、駆け出す。

「おっ!何だ?勘がいいのか?」

 差し出した手とは反対の手に、スタンガンを持っていたジョン。

 もう少し、油断していたら…恐ろしい程に汗が出てくる。

 俺はそのまま外に飛び出した。

 何故、あの女は俺に教えてくれたのか。

 何となくだが、解った気がした。

 あの女も、子供がいたんだ。それも俺と同じくらいの歳の。

 子供は…目の前でジョンに犯されたんだ。

 そして恐らく…子供と一緒に殺されたんだ。

 俺は憑いている女達よりも、あの男が怖くて怖くて…暗闇の中、あのアパートから遠くに逃げようと走っていた…

 気が付けば俺は、自分の家の前にいた。

 あんなに嫌っていた家。あんなに嫌っていた親父。

 それでも、俺はここに帰って来てしまった。

 逃げ出した安堵感が確かにあったが、今度は親父に対しての嫌悪感が俺を支配する。

 家に入ろうか?どうせ親父はまだ帰っていないだろう。

 だけど、思ったよりも早い時間で負けて、金を探しに帰って来ているかもしれない。

 それなら、俺は八つ当たりで殴られる。

 殴られるのは嫌だ。

 そんな事を考えていると、キィィ~ッと家のドアが開く。

 咄嗟に物影に隠れて様子を見た。

「あれ…おかぁちゃん?」

 それはお袋だった。

 お袋は焦点の合っていない目をしながら、フラフラと歩いている。

「おか…」

 飛び出した俺は、すっ転ばんばかりに足を止めた。

 お袋の服が何か汚れているような…ドス黒い何かで濡れているような…

 ザワザワと胸が騒ぐ。

 お袋は段々と小さくなっていったが、俺はどうしても、お袋の後を追う勇気が出なかった。

 お袋の姿が完全に見えなくなった。

 俺はやはり物影に屈んで顔を伏せていた。

 何が起きたのか…ガキ過ぎた俺にも予想は付いていた。


 ファンファンファンファンファン………


 パトカーが家の前に止まる。

 ああ、やっぱりか。

 そこで漸く腰を上げた。

 真っ暗闇の中、赤いランプが辺りを照らす。

 その明かりにゆっくりと近付く。

 元々近所仲は良くない。

 更に言うなら、警察はマズいと言う連中しかいなかった俺の家の周り。誰も野次馬には出て来なかった。

 だから、俺の姿は簡単に警察に発見された。

「この家の子?」

 黙って頷く。

 警察官は腰を下ろして俺と同じ視線になる。

「君には残酷な話だが…」

「…解ってる…おとうちゃん、いっぱい穴だらけになっちゃったんでしょ?」

 驚く警察官。まさに目が零れ落ちそうだった。

「君、現場にいたのか?」

 ゆっくり首を横に振り、警察官の後ろを指差した。

「…おとうちゃんが、そう言ってるから」

 振り向く警察官。だが、そこには誰もいない。

 だけど俺には『視えて』いた。

 拳銃に撃たれて真っ赤に染まった親父の姿を。

 脳天に一発、心臓付近に三発、腹に二発。親父は虚ろな目を俺に向けて話し掛けてきた。

――あいつに撃たれた…

「うん、知ってる」

 死んで身体の無い親父と会話する俺。警察官は何も無い背後と俺を、何度も何度も見ていた。

――痛い…苦しい…裏切られた…助けて……

「僕とおかぁちゃんは毎日痛かったよ。毎日助けて欲しいと思っていたよ」

 ざまぁみろ。

 心の中でハッキリと言った。

 表情は眉一つ動かさなかったが、心では嬉しくて嬉しくて仕方なかった。

「おとうちゃん、天国に行けるかな?」

 親父を皮肉って発した言葉。

「ああ、勿論だ」

 警察官が身勝手に、安心するように言葉を出す。

 何も知らないくせに。

 俺がどんな生活をしてきたか知らないくせに。

 あいつは天国なんか行けやしない。

 地獄に堕ちるか、未来永劫彷徨うか…

 もう一度思った。

 ざまぁみろ。

 そして警察官に懇願した。

「おかぁちゃんが殺される!!おかぁちゃんが殺さちゃう!!助けて!!!」

 必死に訴える俺に、お袋は今どこにいるか訊いてくる。

 今思えば、お袋を殺人の容疑者で捜したかったんだろうが、俺はあの男からお袋を守るべく、警察官をあのアパートに案内した。

 俺は取り敢えず、警察署に保護された。

 温かいシャワーを浴び、温かいスープを食べた俺は、気が緩んだのか、直ぐに寝てしまった。

 気が緩んだ…いや、諦めたのだ。

 お袋はあの男に殺されたと、俺は知っていたからだ。

 何故知ったか?理由は解らない。

 そして何故悲しくなかったのか?

 所詮、俺はそんなもんだと悟ったからだ。

 あんなに好きだったお袋が死んだと確信し、涙の一つも零さない俺に、俺自身驚いたが『仕方無い』と、シャワーを浴びた時に、そう悟った。

 仕方無いものは仕方無い。

 だから寝た。

 明日から俺は、どうやって生きていけばいい?

 失った悲しみよりも、この先の不安の方が大きかった。

 いや、今は考えるのも面倒だ。

 久しぶりにぐっすり眠れる……

 そして俺は、夢を見る。

 お袋の夢だ。

 お袋はあの男に焦点が合っていない瞳を向け、笑いながら口を開いた。

「アンタ…言われた通り、殺したよ…これで私と一緒になってくれるんだろ…」

 返り血で濡れた服のまま、あの男に抱きつくお袋。あの男は嫌らしい顔を作って、お袋の髪を撫でている。

「ああ、勿論だ。だけどな、アーサーが反対らしくてな。家出しちまったんだ」

「…家出?」

 ゆっくり顔を起こすお袋。そしてリビングの中を見渡す。

「寝室にもいないよ。見てみるかい?」

 お袋から離れて寝室のドアを開ける。

「…アーサー……」

 フラフラと寝室に入るお袋。何かを踏んで、滑って転んだ。

「…これ…」

「アーサーが吐いたんだよ」

「あの子…!どこか具合が悪かったのよ!」

 その時のお袋は、間違い無く『母の顔』をしていた。いつも俺に向ける顔だ。

「君が来たら、一緒に捜しに行こうと思っていたんだ」

 そう言って寝室のドアを閉じる。

「じゃあ捜しに行きましょう!!ドアを開けて頂戴!!」

 立ち上がるお袋だが、その身体が床に叩き付けられる。

「な、なにを?」

 お袋の口から血が一滴流れた。

 男は倒れたお袋の口にガムテープを巻いた。

「本当に殺してくるとはな。おかげで俺の居所は間違いなく警察にバレたぜ」

 髪を引っ張り、お袋の顔に唾をかける。

「ンーッ!ンーッ!」

 お袋は信じられないと言った表情を作り、何か抗議していたが、ガムテープによってそれは叶わなかった。

「本当は楽しんでからぶっ殺したかったが、時間も無さそうなんでな」

 ポケットから折りたたみの小型のナイフを出す男。

 お袋は、それに見開いた目を向ける。

「知っているか?刺しただけじゃ、なかなか死なないんだぜ人間は」

 そのナイフを首に突き刺す。

「ン゙―――――ンーッッッ!!!?」

 ナイフを抜くと同時に、大量に血が噴き出す。

「コレだよコレ!!ハッハッハッハッ!!!」

 刺した傷口に唇を付け、血を飲む。

 お袋の身体はガタガタと震えて硬直していた。

「死んじまったら血が固まって飲み難くなるんだよ。だからなるべく生かしながら殺していくんだが、時間もない。じゃあなアバズレ」

 折りたたみナイフを額にぶっ刺す。

 仰向けに倒れるお袋。

 そして男は、そのナイフを思いっ切り踏み付け、脳にめり込ませる。

 ピクリとも動かなくなったお袋に目もくれず、その部屋…アパートから出た。


「はっ!!」


 そこで俺は目を覚ます。

 周りを見ると、警察官が一人、俺の朝食と思しきパンとミルクを持って来た最中だった。

「あ、起こしたかな?」

 警察官は俺にミルクを渡した。無言で受け取る。

 そして言い難そうに口を開く。

「あー…あのだなアーサー…君のお母さんなんだが……」

「ナイフで刺されて死んじゃったんでしょ…いいよ、知ってるから」

 気を遣わなくてもいいよ。そう言ったつもりだった。

「!何故知ってる!?」

 俺は夢で見た事をそのまま教えた。

「…信じられない!!その通りだ!!」

 警察官が微かに胸で十字を切った。

「…神様はいないよ」

 十字を切っても意味が無い。そう言ったつもりだ。

 いたら、俺も少しはマシな人生だった筈。

 何と言葉を掛けていいのか解らない様子の警察官。

 だから変わりに俺が口を開いた。

「いるのは悪魔だけだよ」

 その後、俺は一言も喋らずにパンを口に運んだ。

 警察官は、そんな俺を哀れみの目で見ていた。


 両親が殺され、俺は施設に入れられる事になった。

 後に聞いた話だと、あの男は有名な殺人鬼で、本名はピーター・レイシー。解っているだけで、娼婦を23人、その子供を7人も殺した。

 被害者の身体をナイフで切り、その血を舐める。

 子供は男女問わず犯してから、やはりナイフで切り、血を舐める。

 切り裂きジャックの再来とも呼ばれているらしい。

 お袋を殺し、俺も殺されそうになったが、実の所、俺にはあまり関心は無かった。

 それよりも、施設で食わせてくれる飯の方がありがたかった。

 今、生きる事の方に夢中だったんだ。

 施設には、親に捨てられたり、事件、事故に巻き込まれたりして、天涯孤独となった子供達が沢山いた。

 親を恨んだり、自分の身を嘆いたりしている子供が多い施設の中、俺だけが『生きる事』を重きに置いていた。

 証拠に、俺は、この施設の誰よりも、大人よりも金を持っていた。

 あの日から、『視える』ようになった俺は、それを利用し、占い師の真似事で金を稼いでいた。無論、施設の連中には内緒だったが。

 施設の近所はバレる恐れがある。

 俺はバスや電車で遠出し、金を持っていそうな奴を捜し、『視て』金を貰う。

 大概の奴は、身に覚えがあるようで、『警告』をすんなり受け入れ、金をくれたが、勿論信じない奴もいた。

 信じるも信じないも自由。

 そいつのそれから先の人生は、俺の知った事じゃない。くたばろうが俺には関係ない。

 俺は金をくれた奴にはリピーターとして何回か足を運び、占ったり警告をしたりした。

 俺の『警告』が本当だと知った、金をくれなかった連中が、再び『視て』くれと頼んできても、俺は決して『視る』事はしなかったんだ。

 だから言ったろう?あなたがこれから先、どうなろうと僕の知った事じゃない。

 そう言って跳ね除けた。

 他人は信じない。

 ましてや、一度俺を信じなかった奴は絶対に信じない。

 いくら懇願しようが、明日無くなる命だろうが、俺はそう言った連中は、もう絶対に相手をする事は無かった。

 寧ろ、ざまぁみろ。信じないから駄目になる。そう思っていた。

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